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零戦虎徹2009年07月06日 16時57分04秒

歴史街道8月号
先日零戦の会の掲示板を見ていたら、「歴史街道」の最新号が岩本徹三特集ですよ、の案内を見つけました。

正直なところ、ママはあまり岩本徹三さんに心は動かないのですが(^_^;)。
手記も立ち読みしただけで購入していません。

どうしてあまり心が動かないかというと、撃墜機数が西澤さんより多いからです(-.-#)

というのは冗談ですが。

癖がありすぎな感じを敬遠しているのかな?

自ら「虎徹」と名乗っていたという岩本さん。
虎徹というのは、いまさら説明はいらないかも知れませんが、江戸初期の刀匠の名前です。長曽禰虎徹興里。
元は甲冑師で50才ぐらいで刀匠に転向したと言われています。
虎徹の名前の由来ですが、支那の故事だとか。李廣という人が母を虎に殺され、かたきを討つため野山をさまよい、草むらに虎を見つけ出し弓で射殺したところ、虎だと思ったのは石だったと。つまり一念によっては石をも貫くことができる、ということで虎徹と名乗ったのではないか、と。
で、作風ですが、「武骨」です。
この頃の刀は鑑賞や飾りというより、斬れ味を追求したような武骨な感じが多いですが、虎徹は特に武骨です。

虎徹と言えば、新選組の近藤勇。愛刀だったと伝えられています。
池田屋のときも、「他の隊士の刀は戦闘でボロボロになっちゃったけど、自分のは虎徹だったので無事だったよーん(^_^)v」みたいな手紙を書いています。
まあ、近藤さんの刀がホンモノの虎徹だったかどうかはいまいち不明。他にも、もっと後になって大坂の鴻池から虎徹をもらったのではないか、という話もあります。

前置きが長くなりました。
やっと「零戦虎徹」の話。

「心が動かない」とはいっても、もちろん関心はあるので、発売日を心待ちにして、今日、さっそく本屋に買いに行きました。

内容、すごいですよ。
写真がすごい。ノートの写真や操練時代のレア写真(?)がたくさん。
これだけでも見る価値ありだと思います。

岩本さんは自分で詳細な空戦ノートをつけていて、それによると総撃墜数202機らしいです。

西澤さんが86だか87・・・・。

いや、でもねー、撃墜機数って、正直いって、検証不可能ですよねー?
半分以下だからってこんなこと言っているんじゃないですよ!

ママは「撃墜機数」というものにはあまり興味がなく、もちろん西澤さんの80何機という数を検証したことはありませんし、検証しようと思ったこともありません。
ついこの前、思いついてホリブンの「11機」を検証してみたのですが、それすら困難でした。

行動調書で確認できる分は限られています。
ホリブンのように手記に「○月○日、××で○機墜とした」と書いてあったとしても、本当かどうかわかりません。
いやいや、嘘だ、と言っているわけではなく、誤認がある、という話です。
本人が墜としたつもりでも、意外と基地に帰り着いている敵機は多そうなのです(日米の戦果・被害を比較したとき)。
逆に、本人に墜としたつもりはなくても、帰り着けていない敵機もいます。332空の相澤中尉のF13撃墜もそうだし、戦闘301の佐藤上飛曹のロケット弾の話もそうです。

岩本さんの主張する撃墜機数がどれほど実態に近いかわかりませんが、虎徹という名にふさわしい凄腕の零戦乗りだったことは確かです。

戦後39才で亡くなられたということですが、長生きされていたらどんなじいちゃんになっていただろうなあ??と興味をかき立てられる人です。

参考:佐藤寒山『新・日本名刀100選』秋田書店

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