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予科練生と桜2023年04月01日 09時39分17秒

毎年恒例にしようかしら、予科練生と桜。
※追加あり


予科練生のアルバムにあった桜の写真です。
白黒なのでちょっとわかりにくいかと思いますが、カラーで見たらさぞかし美しい春の景色だと思います。










霞ヶ浦海軍航空隊。
(4枚目は不明。アルバムの貼り位置からおそらく霞空)



亀城公園。





桜川。



これは乙2浅川三雄さんのアルバムにあった写真です。これも桜ですかねえ。
場所や時期は不明です。



神雷部隊の片桐清美さん(丙15)と宮崎泰弘さん(丙17)のようです。



※画像は甲4福谷知康さんご遺族、9期生ご遺族、浅川さんご家族ご提供

甲4期福谷知康さんの飛練谷田部時代 写真館写真2022年11月23日 12時08分03秒

甲4期福谷知康さんの遺品の中にあった谷田部飛練(飛練9期)時代の写真です。
知人Oさんを通してご遺族の方からご提供いただきました。
福谷さんのご遺族の方とはもう7年ぐらいのお付き合いでしょうか。福谷さんが乙9期の兼藤二郎さんと真珠湾攻撃時ペアだったというご縁でブログを見つけてくださって、そこからのご縁です。



いい写真です。
ただ、撮影場所と日付がわからないのは残念です・・・・。


ご当人の福谷さんは前列の真ん中で人形を抱えているメガネの人です。
海軍の搭乗員は目が悪い人はなれないので、度が入っていないメガネでしょう。ただのおしゃれ伊達メガネなのか、いまのように目の保護のためのUVカットメガネ(透明)が存在するのか、わたしは知りません。

この写真、よく見るとひとりだけジョンベラの人がいて、
「あれ?」
って写真なんですが。

このジョンベラの人、重要です。

軍帽にペンネントが巻いてあって「谷田部海軍航空隊」と書かれています。
このおかげで少なくともこの人が谷田部空の人だってことがわかります。


で、谷田部空をヒントに照合してみたところ、ここに写っている人たちは甲4期の操縦専修生たち。谷田部海軍航空隊で飛練9期修業中の人たちだとわかりました。
わかるまでの途中のプロセスを説明したらめっちゃいろいろあるんですが、今日は結論だけ。

3空曹に任官した15年11月ごろから、谷田部を離れる16年4月ぐらいでしょうかね。
任官記念に撮りに行ったのかなあ???? ちょっとわからないですが。
下士官に任官していますが、善行章がありません。甲飛生だな~って感じです。



並びがちょっとわちゃわちゃしていますよね。
イスに座っている人を「前列」、その後ろで立っている人やイスのひじ掛けに腰かけている人は「中列」、最後列の2人を「後列」にします。

甲4の人は消息などはほぼ把握できていません。
戦死状況が確認できている人は「日付、所属、場所」の順で記載しています。
所属航空隊と時期だけの人はそこだけ把握できた人、何も書いていない人はまったく把握できていない人です。


前列左から
堅田瑞穂さん
和歌山、艦攻
龍鳳、582空(18年秋)


浅生寿さん
大阪、艦爆
K103(20年1月・2月)


福谷知康さん
山口、艦攻
17年5月8日  瑞鶴  珊瑚海海戦


今内豊さんか?
茨城、艦攻


澤田友次さん
群馬、戦闘機
17年10月18日  751空  ガダルカナル



中列左から
杉田茂さん
宮崎、艦爆
17年1月10日  佐伯空  事故殉職


廣池一二三さん
大分


金子正さん
埼玉
ジョンベラの人は金子正さんでした。島田清守さんの埼玉県出身者集合写真に写っています。進級が遅れたみたいですね。


藤井脩さん(卒アル)  ※修?(『予科練外史』)
京都、艦攻
17年8月24日  龍驤  ガダルカナル飛行場攻撃


松木進さん
新潟、戦闘機
17年9月13日  台南空  ガダルカナル


青木真夫さん
鳥取、戦闘機
17年5月7日  祥鳳  珊瑚海海戦


西浦国松さん
三重、戦闘機
17年8月7日  台南空  ガダルカナル


奥山巌さん
山形、艦攻
龍驤(16年12月~17年3月)





後列左から
鈴木三郎さん
山形、艦攻
601空(19年6月)
鈴木さんは中攻から艦攻にかわっているのか?
『予科練外史』では16年12月、一空(中攻)、龍驤(艦攻)どちらにもお名前がある。同姓同名か?


松島武雄さん(卒アル)   ※松尾?『予科練外史』
福岡、艦攻
17年10月26日  瑞鳳  南太平洋海戦




こうして見ると艦攻に進んだ人がとても多い印象です。
この写真が撮られた時点では実用機の機種は決まっていなかったと思われるので偶然この比率なのでしょう。
福谷さんの写真の中に大村飛練での艦攻操縦の卒業写真らしきものがあるのですが(まだちゃんと見れていない。個人のお顔がよくわからない写真で、練習生と教員の区別がつかないので正確な人数は不明)、パッと見ただけですごい人数です。30名近くいるのではないか? 大村だけでなく宇佐にも9名いるので40名近く艦攻操縦がいるってことでしょうか。 
2か月も違わない飛練10期の艦攻操縦は少ないですからね。8名。
逆に甲4の中攻操縦の人っているのかな? 全然見ないけど。飛練10期は中攻操縦の人が多いです(のちに転科した人も多いけれど)。
クラスによって機種の構成が全然違うなと思いながらながめています。




※画像は福谷さんご遺族、Oさんご提供
Kさんご教示、倉町秋次『予科練外史』
大島隆之『真珠湾攻撃隊 隊員と家族の八〇年』講談社現代新書

ヤシ写真2022年08月25日 16時18分41秒

みなさん、乙9期、羽藤一志さんのこのヤシ写真、おぼえていますか?



いままで2回紹介しています→1回目2回目

そのときは撮影場所がわかりませんでした。
羽藤さんが下士官に任官していることから、16年10月1日以降であることはたしか。
任官時にいた大分海軍航空隊時代(飛練、戦闘機)か、その次の実施部隊・台南空かなあ???ぐらいの感じで。




甲4福谷知康さんの写真の中に、こんな写真がありました。
アルバム台紙の書き込みは「昭和十七年四月撮影 臺南市ニ於テ」。

福谷さん、ずいぶん軍帽が変形しています。
※標準形は羽藤さん参照

この写真は、善行章がついた記念も兼ねているのかもしれません。
甲4は14年4月1日に入隊しているので、17年4月1日で善行章1線です(3年で1線増える)。
元搭乗員の人にうかがった話では、この善行章があるかないかで大きな顔ができるかできないか、そんな線らしいです。




この写真が撮られたのは、瑞鶴が印度洋作戦を終え馬公に補給に寄港した際(4月18日)でしょうか。飛行機隊は台中に飛んだそうです(森史朗『「敵空母見ユ!」』光人社NF文庫)。
そのときなんですかね?
台中と台南、陸路ではちょっと遠いような感じもしますが・・・・。

と思って、いろいろあさっていたら、岡嶋清熊さん(当時、瑞鶴戦闘機隊)が戦後の手記に、
「昭和十七年(一九四二年)四月中頃、私の所属する第五航空戦隊は、機動部隊として第一航空戦隊、第二航空戦隊とともに印度洋作戦を終えて、艦戦は膨湖島に、飛行機隊は台湾の台南基地に翼を休めていた」
と書いていました(髙橋定ほか『母艦航空隊』光人社NF文庫)。

「艦戦は膨湖島」「飛行機隊は台南」の意味がちょっとわからないんですが、
・艦隊は膨湖島(馬公がある島)、飛行機隊は台南、と書こうとした?
・艦戦(戦闘機)は膨湖島、それ以外の飛行機隊(艦攻・艦爆)は台南、という意味?
どちらにしても、岡嶋さんの記述では艦攻隊の福谷さんは台南という解釈でいいですかね。



こっち採用していいですかね(^^;)
これだけではわたしにはどちらが正しいのか判断がつかないです。
しかし、台紙の書き込みから福谷さんが台南で写真を撮ったことは信用できるので、「飛行機隊は台南基地」を採用しようと思います。



これね、羽藤さんが写真を撮った場所と同じ場所じゃないかと思うんですよね。
後ろに写っているヤシが、なんか似ていません?
同じ木かまではわからないですが、同じ種類ですよね、たぶん。
ちょっとかわったヤシですよね。ヤシに詳しくないので、何という種類のヤシかわからないんですが。


周囲に植えられている低木?もよく似ています。


羽藤さんの写真。

福谷さんの写真。


どこかの公園とか、観光名所みたいな場所でしょうか。
まったく同じ場所に立っていることはないと思いますが、同じ敷地内の可能性は高いかなと思います。
「いや、台南はそこらじゅう、こんな風景だよ」
と言われたら訂正しますが(^^;)


場所までわかるとうれしいんですけどね~
台湾には行ったこともないし、この場所が現存しているかどうかもわからないし、ネットでいろいろ検索しても出てこないし、そこまでの追及は断念しました。





羽藤さんの場合、16年の11月後半ごろ台南にいたようです。
気温を調べてみたら、台南の11月の平均気温は23℃ぐらいだそう。→世界各都市の気候データ
一種ではちょっと暑いんじゃないかとも思いますが、11月後半だったらもう少し気温は低いのかも。

福谷さんは印度洋からの帰りで4月(平均気温24℃ぐらいらしい)なので、まあ内地だったら一種の時期ですが、二種でも「あーなるほど」という感じですか。




羽藤さんも福谷さんも、この写真のあとは内地に戻ることなく戦死されているので、そう思いながら見ると複雑な気持ちになります。



※画像はご遺族ご提供、Oさんご協力

飛練9期(甲4) 筑波海軍航空隊初練ペア写真2022年08月22日 12時58分43秒

甲4期の福谷知康さん(山口県出身、艦攻操縦、17年5月8日、瑞鶴、珊瑚海海戦)のアルバムに思わず声をあげてしまった写真が貼ってありました。


福谷さんのことはここに書いていますかね。
7年前ですか、ご遺族の方から連絡をいただきました。
福谷さんは乙9期兼藤二郎さん(広島県出身、偵(電信)、17年5月7日、瑞鶴、珊瑚海海戦)の真珠湾攻撃時のペアです。
兼藤さんの投稿に書いた福谷さんのことを、ご遺族の方が見つけて連絡をくださったのです。

それ以降、たまに連絡を取っていたのですが・・・・。

今回、いろいろあってアルバム単位で遺品を見せていただく機会がありました。
※Oさんご協力


その中の1枚。
福谷さんの飛練初練時の筑波海軍航空隊時代のペア写真。



後列左から、
葛谷勝己さん(愛知)

福谷知康さん

中村幸哉さん(鹿児島)

練習生の両端は飛行服の名札が見えています。
葛谷さんなんですが、じつはこの人、わたしは他の写真でも見たことがありました。
そちらは飛行服に救命胴衣を着けているのですが、救命胴衣に「杉田」って名札が縫い付けてあってですね!(^^;)
まったく疑いもせず「この人、杉田さんという人なのか」と思っていました。
今回、福谷さんの写真をいろいろと調べていて甲4杉田茂さんもちゃんと確認したところ、似ても似つかぬお顔の方でした。なんか知らんけど、葛谷さんはそのとき杉田さんの救命胴衣を借用して写真におさまったということだったみたい。
ということはですよ。
他人の救命胴衣をつけて写真におさまっていることがある、ということですよ!(゚Д゚;)
これは大問題です。二重三重のチェックが必要ってことです。
(昔、松本勝正さんの写真でも他人の飛行服で写真に納おさまっているのを見たことがある)

今回の葛谷さんはちゃんと裏どりしました。おそらく飛行服の名札通り、葛谷さんで間違いないでしょう。


中村さんは甲4におふたりいるのですが、もうおひとりは偵察で、お顔も確認しましたので、この写真の中村さんは操縦の中村幸哉さんである、と。

ただ、申し訳ないのですが、甲4は各人の消息などほとんど把握しておりません。





で、声をあげてしまった理由です。
イスに座っている教員が乙6期の山岸昌司教員だったー!

もう、びーっくりしちゃってですね。

ソッコーで姪御さんに写真を送ってしまいました。

柔らかい表情をされていますね、いい写真です。



撮影時期ですが、練習生の名札に「三空曹」と書いてあります。
福谷さんの履歴から、甲4が3空曹に進級した15年11月1日から、中練の谷田部に移る11月15日までの2週間ほどの間に撮られたものだろうなと思います。



※画像は福谷さんご遺族ご提供、Oさんご協力