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乙6~10期の飛練(陸上機操縦)2021年05月23日 14時58分49秒

こんにちは。

飛練関係、以前出した表に8期と10期を加えてみました。
陸上機操縦限定版です。




※クリックしたら拡大します


他にも修正を加えました。
最新版といったところですが、まだ修正するかもしれません。

うすい黄色ベタ塗りが「飛練」時代です。
濃い黄色い枠囲みが機種ごとにわかれての過程です。
赤いマークの説明・・・・山形の印は「善行章」(3年に1線付与)、桜に錨に翼がついているのが「特技章」(一人前の搭乗員に付与される)、丸いのは階級章(この表のものは「三等航空兵曹」「三等飛行兵曹」、下士官に任官したって意味で入れています)。

※5月23日2200追記
8期の延長教育終了の時期を思いきり間違えていました。
(誤)15年10月18日→(正)15年8月31日
表も修正しました。申し訳ありません。






期ごとに説明します。

【乙6期】
飛練は初練・中練を霞ヶ浦海軍航空隊において実施。 ※岩井勉さん『空母零戦隊』文春文庫
飛練卒業の記念写真。13年8月16日ですね。

中練が終わった時点で特技章をもらっています。
乙6の場合の「飛練」はここで終了です。
このあと、機種ごとにわかれて延長教育。





【乙7期】
乙7も霞ヶ浦海軍航空隊において初練・中練教程を実施。 ※七期雄飛会『予科練のつばさ』光人社
残念ながら飛練卒業の記念写真、手元にないんですよ。3月なので6期とは違って一種軍装で撮っているはずなんですけど。

これは飛練時代、霞ヶ浦海軍航空隊の飛行場における記念写真です。
いつ撮影したのかわかりません。教員の飛行服の中に一種の詰襟が見えているので夏季ではなさそうです。


7期も6期と同様、霞空を卒業した時点で特技章をもらっています。
卒業時点の写真がないので、卒業後の延長教育時代の山口良一さんの写真。
特技章がついています。




【乙8期】
8期がいままでほぼ把握できていませんでした。
今回、浅川さんの教員時代の写真の中に8期らしき集合写真があったことから進展しました。

書き込みはなかったみたいですが、飛行服の集合写真に写っている名札に「乙飛」「一空」という文字、さらに数名の方のお名前が読めたことから乙8で間違いなかろうと判断しました。



いままで8期に関しては、大日本絵画『日本海軍戦闘機隊2』エース列伝の巻末に筑波空での初練の集合写真があるのを見たことがあるだけでした。
これは大人数で写っています(スイマセン、数えていません)。
先日からちょっとKさんに甲斐巧さんのことを聞いていて、甲斐さんは中練が谷田部であることもわかっていました。
改めてKさんに確認したところ、8期には中練を百里原でやっている人たちもいるとのこと。

なので、6期7期と様子が違います。6期7期は全員一緒に霞ヶ浦で初練・中練をやっています。
8期は初練は全員筑波空。そして、中練は場所を移動して谷田部と百里原にわかれて。
ということのようです。
しかもこれ、半々、ではなく人数に偏りがあります。百里組は下の写真の通り20名ほどです。残りの大多数は谷田部のようです。


百里原海軍航空隊における8期の一種軍装の集合写真。

15年3月30日。
8期も中練修了時点で特技章をもらっています。



【乙9期】
9期はいままでさんざん書いていますがもう一度ざっと。

9期は6~8期までと違い、初練をやっていません。
予科練を卒業して飛練(飛練10期ですが、ここでは予科練の期「9期」で説明します)に進みいきなり中練からやったそうです。 ※松本さん書簡による

中練は人数を半々にわけて、谷田部と筑波。
中練谷田部組

中練筑波組

上のクラスは中練教程が終わった時点で飛練卒業、特技章付与になっていますが9期は違います。
中練修了後は実用機教程(機種ごと)に進み、これが終わった時点で飛練卒業になり特技章を付与されています。

これは木更津の大型機の人たちです。
16年10月末の飛練卒業時の集合写真。

9期は飛練卒業時点で下士官に任官しています。
貰った直後で仮留めしているだけなのか、浮いています。





【乙10期】
飛練16期ですが、予科練の期「10期」で説明します。

10期もいきなり中練。 ※同期生会誌『とんぼ』
全員で谷田部。
中練修了後はそれぞれの機種にわかれて。

これは久保さんの実用機・宇佐海軍航空隊の修了時(飛練卒業)の集合写真(艦攻・艦爆)。

左袖に特技章がついています。

9期は飛練卒業時に下士官に任官していたのですが、10期は兵階級です。

Kさんご提供の宇佐空の資料(手帳)の中に飛練16期の艦攻・艦爆の人たちの卒業日時が書いてありました。「17.3.31」とのこと。上の写真はその日の撮影でしょう。
偵察の人は同期生会誌に17年2月23日に飛練を卒業したって書いているので(たぶんこの日に特技章付与)、操偵で特技章をもらった日が違うってことでしょうか?



上の表を見たらわかると思うのですが、進級とか特技章付与の時期に一貫性がないです。
善行章(入隊3年目)より先に特技章をもらっている期があったり、9期は特技章より先に下士官に任官していたり。
一期ごとに覚えないといけないということですね(^^;)
覚えられないので一覧表にしてみたんですけどね。


あの表に、全員でやったとかわかれてやったとか、どこでやったとかそういう情報も加えたかったのですが、かえって煩雑になりわかりにくくなりそうだったので今回はやめて文章で説明しました。
いずれそういう情報も加えた表を作りたいです。
読むより見てわかる方が楽ですよね。



※画像は7期生・9期生ご遺族、浅川さん・岩井さんご家族、久保さんご提供
※肝心なところはほとんどKさんご教示

飛練のこと2021年05月21日 23時49分02秒

数日前まで急ぎの仕事をやっていたのですが、無事終わらせて返送しました。
終わってからというもの、飛練のことで頭がいっぱいです。

別にいまに始まったことではないのですが。
昨日、今日、ずっと飛練のことを考えています。

言い換えると「浅川さんの集合写真の件」ってことなんですけどね(^^;)

まだちゃんと見せられないですが、こんな感じ↓で集合写真の順番というか時期というか、検討しているところです。
※拡大できません
全部百里原海軍航空隊において撮られた写真ですが、時期によって「筑波海軍航空隊」「百里原海軍航空隊」「大日本帝国海軍」と、兵の練習生は違ったペンネントをつけています。

順番は「筑波」→「百里原」→「大日本帝国海軍」です。

あと、写っている教員の任期とか、階級とか、いろいろ勘案しつつ、順番・時期が決められるといいな、と。


こんなことをしていると、ちゃんと飛練のことを把握できていないなあ~と実感(^^;)




9期(飛練10期)ならたぶんある程度把握できていると思うんです。
操縦の場合、15年12月から16年5月末まで筑波海軍航空隊と谷田部海軍航空隊にわかれて中練教程をやっています。初練なしのいきなり中練です。
9期は水上機操縦がおらず、全員が陸上機操縦です。
中練の後は実用機。機種ごとにわかれて訓練し、16年10月末に飛練卒業です。ここで特技章付与。
さらにその後、戦闘機の一部と艦攻以外は大型機講習があったり、転科したりして、実施部隊に出るのはもうちょっとあと。

9期の場合、こんな感じです。

が、期が違うと飛練事情も違います。

期によっては初練・中練で卒業(特技章付与)してから実用機とか?
初練と中練で違う航空隊でやっている期もあるみたいだし・・・・。

↑これ、以前Kさんにいろいろ教えてもらいつつ作った乙の6期、7期、9期の飛練や階級・特技章関係の表ですが、これに8期や10期も加えたいな、と。※拡大できます

ここら辺の整理が全然できていないです。


浅川さんの写真の中に8期の飛練らしき写真があるのですが、この整理ができていないので「???」な状態です。
たぶん8期も中練修了時点で特技章もらっているんだな(浅川さんの集合写真では練習生の左袖に特技章がついている)。

なんかこう・・・・表にして一目瞭然にしたいんですよね。
もちろん、自分ひとりではムリなんですが(^^;)


※表中の画像は浅川さんご家族ご提供

7期 柔道写真2021年05月05日 22時26分06秒

今日は7期生のアルバムにあった写真。
アルバムというか、これはバラで入っていた写真です。

裏書がありました。
「十二月五日  柔道場前ニテ」

ちらほらと7期の知ったお顔が。




あれ?
6期の山岸昌司さんじゃないですか!?

と思って探したら、他にも6期生が写っていました。

いつの写真かな?

6期と7期が一緒に写っているということは11年12月5日か、12年12月5日か。

5期生がいるか、8期生がいるかわかれば11年か12年かわかると思うのですが、お顔がわからんのですよ(>_<)


もうちょっと研究してみます。



この写真、周囲が塗りつぶしてありますよね。
何か写っていてはいけないものが写っているのでしょうね。


※画像はMさんご提供

乙6期 山本福松さん2021年04月02日 10時13分18秒

最近7期生のアルバムを見ているって書きましたかね。

見ているうちに、7期生の全容をまったく把握していないことに気づいて、Kさんに助けてもらいながら名簿を作り直しています。

9期のときも経験しているのですが、何が大変って、「出入り」を把握するのが大変です。
ベースの7期名簿みたいなのはあります。『予科練外史』にも掲載されています。
「二〇四人が合格者」
と書いてあります。
入隊時の204人は倉町先生の名簿でわかる、と。
わたしは卒アルの名簿を見ています。『予科練外史』の入隊時名簿と多少顔ぶれが違います。
途中で辞めた人、上の期から編入されてきている人、そこら辺の整理が大変です(^^;)



ついさっきの話なんですが、七期雄飛会の『予科練のつばさ』の泉沢勝さん(中攻偵察)の手記を読んでいました。
そこにめっちゃ歓喜情報がありました。

泉沢勝さん

マレー沖海戦のことを書いてくれています。当時泉沢さんは鹿屋空。
『二番機の山本福松一飛曹、三番機の隊長中島勇壮一飛曹は、ともに同期生で練習航空隊を巣立った仲間である』

あれ?
7期に山本福松さんっていたっけ?

最近、7期の名簿を一生懸命作っているので、けっこう覚えました、7期生のお名前。
たしか7期の山本さんは浩さんと整一さんだけだったはず。
結婚して姓が変わったのか? いや福松さんもいてないよな?

おかしいな、と思って卒アルや自分で作っている名簿を検索しましたが出てきません。

もしかして6期入隊の人かな?
と思って調べたら、いてはりました。

6期卒アルの山本福松さん。

どこかの時点で7期に合流したんだな。
卒アルの名簿にお名前はないので、飛練かな?

まあ、ここまではよくあることだったんですが(^^;)




「あれ? この人、見たな」

最近見ている7期生のアルバムにこの人の写真が貼ってあった!

そう思って見返したら、氏名不明者の中にありました。


山本さんですよね?


この7期生のアルバム、持ち主の方が几帳面だったようでかなり多くの写真が台紙に書き込みあり、状況や人物がわかります。
が、一部何も書かれておらず、撮影場所や時期、人物がまったくわからないものがあります。
この写真もその一枚でした。

とりあえず7期生は全部お顔を照合したのですが該当者見当たらず。

「もしかして、実施部隊で親しくしていた人かな」

それならもうほぼ判明不可能なので、何らかのご縁を待つしかないと諦めました。


んで、今朝、泉澤さんの手記で「何らかのご縁」キター!と。

この山本さんは善行章1線、階級は3空曹、左袖に特技章をつけています。
偵察員です。
そこらへんから時期はある程度絞れるのかなと思います。





こうやってひょっこりわかることがあるんですよ。
ホントに不思議です。

アルバムの中には他にも、ホントに「どういうご縁?」ってびっくりするような写真があったので、おいおい紹介します。

※写真は6期生ご家族、Mさんご提供

山岸教員の日記142021年02月20日 10時47分57秒

山岸昌司さん、あらためて紹介しておきます。

大正9年、長野県生まれ
乙6期
艦攻操縦
17年10月26日  翔鶴  南太平洋海戦
戦死時、9期の村上守司さん(電信)のペアの操縦員です。

14年7月から丸3年、筑波空で教員をされていて、その間に9期生(飛練10期)も受け持っていました。


4月23日
小雨を突いて飛行作業
午后もと張切ったが昼食頃降雨稍盛となりしため取止めらる
午后天気晴朗となる


4月24日
応用特殊飛行始まる
午后もVあれど練習生のみ
別科自差修正
夜映画有り 「難波女」 面白からず


4月28日
場外V準備 速試・燃試を行ふ
S(実名)M(実名)教員並に小生向ふ一ヶ月指導教員なり
早速本日は小生当直 日課注意などで大多忙


5月1日
○空生地着陸
風速大
プロペラボス一本だけ残りて後全部折損 よくもペラが飛ばなかったこと
全く天祐なり 父母様に深儘の感謝を捧ぐ
※深儘→深甚か?(管理人注)


5月5日
Vなし
移動訓練準備を行ふ


5月6日
移動訓練一日目
無事終了す


5月7日
仙台場外V 天候も概ね良好にして無事に終了す



※画像はご遺族ご提供