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熊本県出身者 6~8期2026年01月12日 18時18分33秒

この話、書きましたかね?
数年前に神野正美さんから、
「8期の東富士喜さんの住所知らない?」
って聞かれました。
9期ならまだしも、8期生は知らんです――
みたいな返事をしたような気がするんですが、戦後の同期生会誌を見たら県と市まではわかりました。なので、それをお伝えしたらそこまでは神野さんもご存じでした。

話はいったんそれで終わったんですが、それから少しして(数日後? 数週間後だったような?)、予科練慰霊祭に参列していたYさんから、
「いま8期の東さんのお孫さんと一緒にいるよ~」
とメールか。

「なんですとー!?(;゚Д゚)」

そりゃもうビックリしました。
「神野さんが連絡取りたがっているから東さんのお孫さんとつないでほしい!」
そうお願いして連絡先をお聞きしました。

そのご無事に神野さんと東お孫さんは連絡が取れ(面会もされたらしい)、ひとまずホッ。

こういうのをご縁というのだろうなと思います。
必然というのかな。



わたしもしばらくはメールでのお付き合いだったのですが、今年の予科練慰霊祭で面会を果たし、10月の瑞鶴慰霊祭には東お孫さんが奈良に来られ参列されたりってことがありました。

去年の終わりごろに、富士喜さんの残した写真類をお借りすることができ、せっせとスキャンさせていただいていたのですが、ようやく一段落しました。
撮れる分は撮れたと。



予科練時代や実施部隊時代の写真に興味深いものが何枚もありました。



熊本県出身者6~8期生。







東さんの写真の中にもう1枚熊本県出身者集合写真がありましたが、それは8~11期生のもので、以前に9期生関係でここで紹介しているものと同じものでした。なので割愛。

今日は初めて見た6~8期生分を紹介します。
残念ながら裏書はなかったので、写っている練習生や状況はわたしが調べました(推測込み)。

教員列(椅子列)は省略(スイマセン💦)。


2列目左から
竹下勝典さん(8期)
偵察
19年2月6日 802空 トラック(雄飛会戦没者名簿)



碩一夫さん(7期)
操縦 艦戦
17年10月26日 瑞鳳 南太平洋海戦


三島輝夫さん(7期)
操縦 艦攻
真珠湾時加賀艦攻隊。
19年6月19日 601空(翔鶴発艦) マリアナ沖


高田満さん(6期)
偵察 偵察機
20年3月19日 343空偵察第4飛行隊 四国上空の空戦



塚本一正さん(6期)
偵察 水上機
戦後生存


高藤幸一さん(6期)
操縦
19年12月7日 病気加療入室中に病死(雄飛会戦没者名簿)


米満孝人さん(6期)
偵察 飛行艇


谷元勝さん(6期)
偵察 中攻


磨田甚造さん(7期)
偵察


牛島静人さん(7期)
真珠湾時瑞鶴艦攻隊(電)。
戦後生存。


米本義人さん(8期)
偵察 飛行艇
17年10月15日 東港空 ソロモン ヒ連送のち行方不明




3列目左から
八幡一喜さん(7期)
偵察 戦死時百式司偵
18年7月1日 151空 ソロモン写真偵察消息不明


高橋幸人さん(7期)
偵察 中攻
17年8月24日 三沢空 ソロモン索敵哨戒
※戦死時のペアの主操は8期根津弘史さん


浦田健治さん(7期)
偵察 中攻
17年9月11日 木更津空 ガダルカナル


中島政時さん(7期)
偵察 艦攻
真珠湾攻撃時飛龍艦攻隊
19年8月2日 761空 テニアン(雄飛会戦没者名簿)
※横手正明さん(甲1)がご遺族に伝えたところによると19年5月20日、テニアン基地より索敵に向かい1010「ワレ敵機ト交戦中」と打電後消息を絶ったとのこと。


雲野武明さん(7期)
偵察 中攻
17年2月2日 705空 ソロモン(敵空母攻撃 雷撃)
※戦死時のペアの主操は9期の島子栄二さん


角田金次郎さん(8期)
操縦
20年6月8日 801空 沖縄(雄飛会戦没者名簿)


西義武さん(7期)
操縦→偵察 中攻
18年2月2日 705空 ソロモン(索敵)
※戦死時、雲野さんとは別の戦闘行動。ペアの主電は9期川原与三郎さん。


東富士喜さん(8期)
操縦 艦攻→戦爆
戦後生存


島田豊さん(7期)
偵察
19年2月17日 11航戦司 トラック(雄飛会戦没者名簿)
※七期雄飛会『予科練のつばさ』では「十一航艦」。


松村美龍さん(7期)
偵察(電) 飛行艇
19年6月4日 東港空 南洋群島哨戒中天候不良により行方不明(雄飛会戦没者名簿)


田中一則さん(8期)
操縦 艦攻
真珠湾攻撃時加賀艦攻隊
19年10月24日 攻撃256飛行隊 比島沖海戦 



調べてみたのですが、消息がわからない人がいます。
雄飛会戦没者名簿や同期生会誌なども見てみたのですが、日付か航空隊が間違っているのでは?という方も。行動調書を探してみたけど見つからず、わからないまま書いています。



並び順はこんな感じです。
白が6期生、青が7期生、黄色が8期生です。
6期生を中列中央に集めた以外はわりとフリーダムな並びです。

以前も書いたかもしれませんが、7期の碩一雄さん。
『予科練外史』では福岡になっていますが、『予科練のつばさ』、『雄飛会戦没者名簿』では熊本になっています。
あと、『予科練のつばさ』『雄飛会戦没者名簿』では戦死時「瑞鶴」になっていて、さらに橿原神宮の瑞鶴の戦没者名録にもお名前が刻まれていますが、Kさんご教示で戦死時「瑞鳳」のようです。アジ歴の行動調書や瑞鳳戦闘機隊写真で確認とれています。


一人熊本出身で探したところ、お名前が入らなかった人がいました、
6期生だろうと思ったので(7期・8期は以前氏名を入れたので)、6期生の近隣県出身者を重点的に探したところ、『予科練外史』で鹿児島出身となっている谷元勝さんが写っているのでは?と思いました。
卒アルの谷元さんはこの方です。


上の写真で熊本出身者としてお名前が入らなかったのはこの方なんですがいかがでしょうかね?
わたしは谷元さんかなと思って上ではそのように紹介したのですが。
『予科練外史』の出身県と違う県の集合写真に写っているのはたまにあると言えばあるので、鹿児島出身となっている谷元さんが写っていても特別おかしいということもないかな、と。
事情は分かりません。






場所は横須賀の予科練の庁舎前ですが、問題はいつ撮影されたのものかな、という点です。

写真を見ると、6期生の階級章は2空(海軍2等航空兵)。7期生も2空。8期生が3空の階級章をつけています。


6期入隊(昭和10年6月1日)から6期が卒業した昭和13年(1月10日ですが)いっぱいに関して、進級状況を表にしてみました。

6期2空、7期2空、8期3空という状況は、
薄いピンクベタの部分です。
昭和12年9月1日~6期が卒業する13年1月10日まで。
さらに、みんなの軍服が1種なので10月1日?からに限定されるでしょうか(海軍の衣替えの時期を正確に知らないのです💦)

この間に、日の丸を出して写真を撮る機会と言ってすぐに思い浮かぶのは明治節でしょうかね。

卒業式の県別集合写真で日の丸を出してとっているのは見たことがないので、明治節の可能性が高いような気がします。
昭和12年11月3日。





※画像は6期生、8期生ご家族ご提供

【超重要】行軍における海軍兵の携帯食に関して2025年10月08日 15時00分17秒

以前、若き日の太田敏夫さんのところで出した行軍の食パン写真。


「諏訪公園行軍 昭和十年九月八日」

通信学校の遠足、みたいな写真なんですが、食べているのが分厚い食パンなんですよ。



そのときに、
「予科練の行軍で食パンを食べているのって見たことがありません。
通信学校と予科練の違いなのか、あるいは時期差(通信学校は10年頃、9期は13~15年)なのか。」
って書いているんですが。



見つけてしまいました!

予科練の食パン写真!!(;゚Д゚)
しかも添え書きが「諏訪公園ニテ」!!

同じ場所だ!!

しかもこれ、乙6期なんですよ。
乙6期は昭和10年6月入隊です。
階級章が見えないので、いつの行事かまったくわからないですが、わたしの思い切り偏見込みの感想を述べるとすると、みな初々しく見えます。



ほら、かわいい顔してうれしそうに食パンをほおばっているでしょう?
6期はまだ極められていなくて、お顔を見て○○さんと指摘できるところに達していません。申し訳ないです。

見落としていたんですね、この写真。
通信学校だけ行軍で食パンを食べていたわけでもなかったみたいです。

ただ、9期生が屋外でものを食べている写真を複数見ていますが、どれも食パンは食べていなんですよね。
昭和10年頃――というのはちょっと関係あるのかもな、と思っています。



とにかく、
「予科練生も諏訪公園で分厚い食パンを食べていた」
という重要な歴史的事実が発覚したのでご報告でした。



※画像は6期生ご家族ご提供

進級表 改訂版22025年08月26日 10時01分11秒

昨日出した進級表改訂版、丙飛の方の4等兵時代が1ヶ月多くなっていたので、訂正しました。



丙3の予科練・飛練期間も追加してみました。

進級表 改訂版2025年08月25日 20時39分19秒

進級期間の表、改訂しました。

改訂点

・操練・偵練・丙飛の方を加えてみました。時期差あります。

・乙6と乙7で、月のなかばに進級していることがあったのですが、わたしの(Excel&llustratorの)技量未熟の為、「ひと月」単位以外で処理ができずに適当につじつまを合わせてひと月単位で表示していました。
甲飛の進級表を作る際、どうしても3等兵期間と2等兵期間が「半月」であるということを表示する必要に迫られ、研究した結果、半月単位で期間を表示することが可能になったので、乙6と乙7も正確な期間に近づけた表示に直しました。
いままで出した3つのうち、これが一番正確です。

・もし、自分のご先祖様の進級期間も可視化してみたい、という方のために、最下段に空白行を設けました。一枠ひと月ですのでご自由にどうぞ。



進級表 甲飛追加2025年08月25日 08時24分39秒

先日、乙2の進級の件で作った下士官兵の進級期間の表に甲飛1・2・4・10期を追加してみました。
ただ、甲2部分は精度が低くて、2等航空兵曹と1等航空兵曹(たぶん1等飛行兵曹)に進級した時期がわかりませんでした。


少しはわかりやすくなるかなと思って色も変えてみました。
薄い色味が兵期間で、濃くしたのが下士官期間です。



甲飛の進級スピードを可視化したら「ひいっーーーー!( ゚Д゚)」ってなるよ、って言いましたが、こうやって見ると、ひいっーーーー!( ゚Д゚)なのは甲1~4の2等兵・3等兵期間で(それぞれ2週間)、それに比べるとほかはそんなにひいっーーーー!( ゚Д゚)ってほど短くはないですね。
甲10の3等兵曹・2等兵曹(甲10当時はそれぞれ2等飛行兵曹・1等飛行兵曹)期間は合計13ヶ月で、さすがに短いかなとは思います。あっという間に上飛曹(昔の1空曹)に進級しています。
浅川さんの時代の1空曹といえば善行章2線のベテラン搭乗員だったのが、甲10のころは善行章なしのまま上飛曹進級です。※善行章は無事にお勤めすれば3年に1線付与







前回、説明をバサーッとカットしたんですが、初めて見る人に対してはさすがに不親切だと思うのでちょっと補足しておきます。


①乙2期の予科練と飛練の間に空白期間があるのは、この期間に艦務実習と操偵検査をやっているからです。浅川さんを例にとると、
昭和9年5月1日 第二期予科練習生教程卒業
同日        艦務実習ノ為愛宕ニ乗組ヲ命ズ
昭和9年8月22日 霞ヶ浦海軍航空隊附ヲ命ズ            
昭和9年10月1日 第二期飛行(操縦専修)練習生ヲ命ズ




②「飛練」とひとくくりにしていますが、期によって内容が違います。
上の表で飛練期間を表示している中で乙2~乙8、甲1・2は初練と中練が飛練期間の内容です。
実用機(艦戦とか艦攻のように機種ごとの訓練)は飛練卒業後に延長教育という形でやっています。
甲4は初練、中練、実用機が飛練。
乙9・10は初練をすっ飛ばしていきなり中練&実用機。
甲10も中練&実用機。日米開戦前に飛練を終えた甲4や乙9の実用機は5ヶ月ほどやっているのに対して、18年中頃から飛練をやった甲10(戦闘機・笠井智一さん)の実用機は2週間強です。
本来、専門の機種だけでも5ヶ月ほどかけてじっくり教えていたものを、2週間で戦闘に使える状態に持って行けるとは到底思えません。
2週間の実用機教程で特技章を与えて、実施部隊に送り出した後、そこで本来飛練でやるべきようなことをやっていたようです。笠井さんの場合、飛練後着任したのが263空なのです。そこでの訓練の様子などを聞いたことがあるのですが、実施部隊での練成というより、飛練の延長のような印象を受けました。
ついでに言うと、笠井さんの飛練体験に関しては、中練の訓練に入る前にグライダーをやったという話もされていました。理由も聞いたんですが記憶があいまいです(←わたしの)。「飛行機がなかった」だったか、「飛行場がなかった」だったか、そんなことを言われていたように思います。

個人の感想ですが、笠井さんの頃には完全に海軍の搭乗員養成の制度は破綻していたんではないかなと思います。
練習生ばかり増やして、教える人も機材も時間も完全に足りていなかった印象です。




③あと、操縦と偵察で飛練期間が違う場合があります。
ここで参照したのは操縦の人ばかりですが、操縦より偵察の方が飛練期間が長い場合があります。




本当は飛行練習生制度を全期きちんと内容を調べたいんですが、能力の問題でできていません。
誰かやってー💦