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203空戦闘303飛行隊2017年07月08日 22時51分27秒

203空の戦闘303といえば、このブログでも曽我辰己さんや谷水竹雄さんのことを書いてきました。

曽我さんも谷水さんも20年になって戦闘303に所属。
ここに出している写真は谷水さんの遺品です。20年4月5月頃の写真が多いのではないかと思います。


『日本海軍戦闘機隊』【戦歴と航空隊史話】(大日本絵画)より

第203航空隊
昭和18年4月に基地航空隊用の戦闘機搭乗員の練成部隊として編成された厚木航空隊が、翌19年2月20日付けで第203航空隊と改称して実施部隊となったもので、身辺と同時に2航艦51航戦に編入され、北海道から千島方面の防空任務に就く予定であった。
<中略>
4月15日の改編で203空は戦闘303飛行隊(飛行隊長:岡嶋清熊少佐、定数48機)、戦闘304飛行隊(飛行隊長:鴛渕孝大尉、定数48機)の2個飛行隊編成となった。



厚木空から203空に改称された時点で、ここにもよく書いている西澤廣義飛曹長(乙7期)や松本勝正上飛曹(乙9期)が所属していました。
203空発足時の基幹メンバー、ということですね。


西澤さんの写真の中に、何枚か19年の203空戦闘303時代の写真がありました。

これとか。


これとか。






松本さんのアルバムにも戦闘303時代の写真がありました。
西澤さんも松本さんも19年10月26日、比島に於いて輸送機で移動中に敵戦闘機に襲われ戦死されているので、かれらの遺品の中にあったということは基本的にそれ以前の写真ということです。
※厳密に言うと、厚木空時代か203空時代か戦闘303時代かの区別は困難です(^^;)


安部醇大尉(兵70)と。



わかりますかね?
左が安部醇分隊長で、右が松本勝正さんです。
松本さんって、かなり大柄な人です。
安部大尉、松本さんと互角です(^^;)

上に出している戦闘303の集合写真のこの人です。
中列(椅子列)真ん中。

元戦闘303の搭乗員の方にこの集合写真のことを聞いたことがあるのですが、そのときに、椅子列の西澤さん、安部さん、松本さんの3人はデカかった、と言われていました。

分隊長とのツーショット写真って、けっこうレアかもしれません。
知り合いの搭乗員さんに聞いても、
「自分たち下士官の搭乗員は士官の人たちとはほとんど交流はなかった」
みたいなことを言われます。

わたしも下士官搭乗員が大尉とツーショットを撮っているのは初めて見たかもしれません。




長田茂さん(右:甲9)と。



長田さんも上の集合写真に写っています。
後列で色マフラーを巻いている人です。



長田さん、西澤さんの浴衣写真にも写っています。
今日は西澤さんの髪型が本題ではありません。
長田さんです。西澤さんの左。








あと、これは厚木時代か203空時代かな?という写真。
右が長野喜一さん(操56、戦闘304)。


なんかこの写真、見たことあんなー、と思ったら。

『日本海軍戦闘機隊』【エース列伝】の長野さんのところで使われている写真だった!( ゚Д゚)

元写真は松本さんとツーショットなのに、長野さんの部分だけトリミングして使っていたんですね。これはクレームものだ(+_+)

【エース列伝】の写真、よく見ると長野さんの左に松本さんの腕(肘)が写っています(T_T)



他にも興味深い写真がたくさんありました。

移動中か訓練中かわからないけど、編隊飛行中の零戦。
下は飛行場ですね。


胴体には斜め帯が巻いてあって、尾翼には03-10?かな?機番号が見えています。

松本さんが自分の操縦席から撮ったのかな?


まあ、残りはまた今度。


※画像は9期生ご遺族、武田信行氏ご提供

歴史街道8月号 山口多聞とミッドウェー海戦2017年07月08日 15時41分07秒

さっき本屋に立ち寄って、こんな本を見つけました。
即、お買い上げ~





手許に山口さんが写った写真があります。


西澤さんの艦務実習のときの集合写真です。伊勢。
ちょうど、山口さんが艦長をされているときだったんですよね。
9期や10期が艦務実習をしたときの伊勢はもう山口艦長ではありません。

余談ですが、7期の艦務実習で伊勢に乗り組んだのは操縦分隊。
9期は偵察分隊が、10期は操縦分隊が乗り組んでいます。


次の仕事が来る前に、じっくり読もうと思います。



今月号には山口さん特集だけでなく、忍者と伊庭八郎コーナーまで。


ヤバい、ヤバいです(*´Д`)



※画像は武田信行氏ご提供

西澤さん、麻雀に興じる2017年05月09日 17時23分32秒

土浦の予科練平和記念館の一角で予科練写真展が開催されています。

基本的に、写真展に展示すると聞いている写真はここに出さないようにしています。
※すでに出してしまっている写真もある(^^;)

写真展が終わったら出すかもしれません。
出さないかもしれません。

なので興味のある方はなるべく会場に足を運んで見ていただけたらと思います。

わたしはここに予科練生の写真を出すときは、撮って来たサイズよりずいぶん小さくして出しています。
勝手に持って行って自分のサイトに使う人がいるので(+_+)
いままで気づいた中では、「悪用」というレベルの人はいないようなので抗議はしていませんが、いつ「悪用」されてもおかしくない状況であることにかわりはない、と。

でも、予科練生に心を寄せてここに見に来てくださるみなさんには見てもらいたい、と。

というわけで、サイズを落として出しています。

予科練写真展では、ブログより大きなサイズで見れると思うので(スイマセン、わたしはまだ現地に見に行っていません)、ここに出している写真も写真展で見ていただいた方がいいかと思います。




そんな中で――。


「写真展には出しません」

と、聞いている写真を1枚ご紹介。







松本勝正さんの遺品の中にあった西澤廣義飛曹長の写真です。



じゃん!
たぶん世間に出回っていない写真です。
西澤さんファンのわたし(ヒミツですよ)が見たことがない写真なので!


右端が西澤さん。奥で見学?している(一種)のが松本さん。
戦闘303時代でしょうね~




「横顔でわかるんかいっ!」

って突っ込みは・・・・受け付けます!


わたしは西澤飛曹長が脳内で3D復元できています!

西澤さんの「横顔」。



耳で確かめますか? 上から。





さらに、長髪の西澤さん!


麻雀している人、西澤さんでしょ!?


この写真、スキャンできていないんです(^^;)
時間ができたらスキャンさせてもらう予定です。




※画像は武田信行氏、9期生ご遺族ご提供

海軍練習航空隊 腕章に関する一考察2016年06月12日 19時34分39秒

練習航空隊の写真、

「教員が飛行服に腕章をつけている写真があるよなあ」

といままで漠然と見ていました。


先日、大澤さんへの手紙に、練習航空隊の教員って左腕に腕章というか紐を巻いていますよね、みたいなことを話題にしてみたところ、大澤さんから意外なお返事。

練習生は青い腕章を巻いていたけど、教員が巻いていた記憶はないなあ

とのこと。

「何っ!?Σ( ゚Д゚)」

これで火が付きました。

調べてみよう――――。




【大澤さん】
まず大澤さんですが、43期操縦練習生時代の教員と練習生3人のペア写真。
ご自身は左腕に腕章を巻いておられました。写真ではわからないのですが、これは青い腕章なんだそうです。
教員は・・・・と見ると、教員(2空曹)も腕章を巻いていました(^^;)

あと、操練時代の総員の飛行服集合写真と思われる写真(2枚)も、教員も練習生も腕章を巻いているように見えます。

あと鈴鹿空で教員をされていたころの飛行服集合写真もありましたが、これは教員も練習生も腕章を巻いている人はいません。


大澤さんに、
「大澤さんの操練時代の教員さん、写真で見ると腕章を巻いているようなんですが・・・・」
と手紙に書いたところ、
「わたしも筑波空教員時代に赤い腕章を巻いていたような気もする・・・・」
と。

ほー。



【西澤さん】
これ、たぶん、霞ヶ浦での練習生時代のペア写真だと思うんです。
13年の8月15日に予科練を卒業しているので、それ以降の半年間ぐらいでしょうか。


教員の腕章。


西澤さんの腕章。
ちなみに名札には「一空」「西澤」の文字が。



教員もペアも顔ぶれが違いますが、やはり同じ霞ヶ浦での練習機教程かな?

教員の腕章。

右端の練習生?の腕章。
・・・・なんですが、この人、西澤さんたちと違って飛行服に名札をつけていないんですよね。
乙7の練習生ではないのかな?
7期はお顔を把握できていないので、この人が7期生なのかそうでないのか判断できません。

名札をつけているお二人、左の人は左腕に腕章を巻いています。西澤さんは左袖部分が見えず、腕章の有無が確認できません。たぶん巻いているでしょう。


【中西さん】
クロちゃんこと中西義男さん(乙6)の岩国空教員時代。練習生とのペア写真だと思われます。
練習生は操練51期か?
操練51期だとすると14年末から半年ぐらいの間か。クロちゃんの階級章が2空曹に見えるので15年5月1日以降かなあ?

クロちゃんの腕章。

練習生の腕章。
ただ、これ、腕章なのか、名札の一部としての紐なのかイマイチ判然としません。
岩国の練習生たちはみんな左袖にこの名札をつけています。
腕章だけの人や名札だけの人がいないので、一体化したものではないかと考えています。

先日出した、豊田耕作さんと一緒に写った操練51期集合写真のクロちゃん。
3空曹の階級章の下に腕章をつけています。




【飛練10期生】
飛練10期谷田部における中練教程。
15年12月~16年5月。

下士官一種の人は教員だと思われます。他にも腕章を巻いている下士官一種の人がいます。巻いていない人もいます。

練習生の方も――写っているのは西山昇さん――巻いていますね。

と言いたいところですが、全員ではないです。
左袖が写っていない人もいるのではっきりしたことは言えませんが、「巻いていない」と断言できるのは、大西要四三さん、羽藤一志さん、今村文三郎さん。
なぜこの人たちが腕章を巻いていないのかはわかりません。


谷田部のペア写真。
ここに写っている練習生、西山昇さん、新井正美さん、池田和義さん、田中茂雄さん、鹿島長重郎さんは、みなさん腕章を巻いています。

教員の腕章。

池田さんの腕章。




おもしろいのは筑波です。
これは飛練10期、筑波組の集合写真ですが、あまり精細ではありません。
なので、よくわからないのですが、見た感じ、練習生で腕章を巻いている人はいません。
教員は巻いている人がいます。

こんな感じ↓
後ろが練習生の杉本栄さん、前は教員。森鳰さんかな?


もっと精細なペア写真で見てみましょう。
加藤哲夫さん、井原大三さん、後藤龍助さんのペア。
イス席は空曹長です。教官です。


実は・・・・指導側で腕章を巻いているのは下士官の教員だけなんですよ!
准士官以上(空(飛)曹長、少尉、中尉、大尉・・・・)の教官はどの写真を見ても腕章を巻いていません。

後藤龍助さん。
腕章なし。

森浦東洋男さん、大正谷宗市さん、亀山一郎さん、山口浜茂さんペア。
教員は森鳰英雄さん。

森鳰教員は腕章あり。

左袖が見えている山口さん、腕章なし。


大石芳男さん、高島巌さん、阿部健市さん、上原定夫さんのペア。
教員は山岸昌司さん。

山岸教員の腕章。

上原さんの袖。腕章なし。


飛練10期練習機教程に関しては、谷田部は教員も練習生も基本的にはみんな腕章ありです。同じ腕章ではなく、素材が違うとか、質感が違うとか、色が違うと か、そんな感じがします。練習生の方が細くてぺろぺろしているような気がします。「腕章」というより「紐」といった感じでしょうか。教員の方が若干太くてしっかりした素材のように見えます。
集合写真で腕章を巻いていない練習生が数名いますが、検討課題です。

筑波は、教員だけがしっかり素材の腕章を巻いています。練習生が巻いている写真は1枚もありませんでした。



こうなると、
「筑波が練習生に腕章を巻かせていないのは、飛練10期だけだろうか。それとも他のクラスも同じなのだろうか」
ということが気になり始めました。


それで他クラスの写真を探していました。

ありました。

それが、先日書いた谷水竹雄さん(丙3、飛練17期)の練習機教程時代の集合写真です。
息子さんにスキャンしていただいた分です。
16年夏~年末頃でしょうか?

練習生たちは誰も腕章を巻いていません。


教員は・・・・左・木村重雄教員、右・山岸昌司教員。
腕章を巻いています。


たぶんこの後の時期だと思うのですが、大澤さんが筑波で教員をされていました。
飛行服集合写真がありました。
練習生はみな左袖に楕円形の名札を縫い付けている様子。腕章はありません。
教員はというと、腕章を巻いています。が。が。が。肝心の大澤さんは腕章を巻いていないような・・・・?(^^;)

しかし、大澤さんが「赤い腕章を巻いていたような?」と思い出してくださったことは大収穫でした。




なら谷田部はどうやねん。
飛練16期(乙10期)陸上機の練習機教程です。
16年6月~11月頃か?


前は戦闘機の井汲一男練習生、後ろは今村實雄教員ですが、みんなこのパターン――練習生は腕章なし、教員は腕章あり――です。



こういうことでして。

要するに、航空隊によって決まっていた、ということでもなさそう。
筑波では飛練10期でも飛練17期も、練習生は腕章なし、教員は腕章ありでやっていますが(大澤さんが教えた期も、基本的に教員は腕章あり)、谷田部は飛練10期は練習生は腕章あり、飛練16期は腕章なしでやっています。




飛練10期、偵察の練習機教程・鈴鹿航空隊の方は飛行服の総員集合写真はありません。ありません、というか、わたしは見たことがありません。

が、卒業アルバムに飛行作業中の写真がありました。
右側の長椅子に座っている3人は教員です。

拡大したらこんな感じで。
下士官の階級章と腕章をつけています。

胸に四角い名札をつけているのが練習生です。

教員は腕章あり、練習生は腕章なしなんですよ。


鈴鹿の卒業アルバムにもう一枚飛行服の写真が。


教員。

練習生。

やはり教員のみ腕章をつけていたみたいです。



昨日はK上飛曹(飛練32期)にも聞いてきました。
飛練時代は教員は赤い腕章をつけていたけれど、練習生はつけていなかったそうです。



腕章の使用は、時期の問題や、航空隊の問題ではなさそうです。


上にも書いたのですが、指導側でも腕章をつけているのは下士官の教員のみで、空(飛)曹長以上の教官が腕章をつけている写真はありませんでした。

これはわたしの想像ですが、操練や丙飛などでは入隊時期によっては下士官の練習生がいることもありうるわけで。パッと見たときに階級章以外で教員と練習生を見分けるための目印が必要だったのかな、とも思いました。さすがに准士官以上の練習生(というんだろうか?)はいないと思うんで(^^;)

昨日K上飛曹に、
「どうして教官は腕章をつけておらず、下士官の教員だけが腕章をつけていたのですか?」
と聞いたら、同じことを答えられました。
下士官の練習生がいる場合があるので、それと教員を区別するため、と。





実はですね、腕章がなくてもある程度教員と練習生の見分けはつきます。
「練習生はマフラーや襟巻を使わない」
写真を見てもらったらわかりますよね。マフラーや襟巻をしているのは教員教官だけです。

あと、鈴鹿の飛練10期の場合、マフラー以外にも判別箇所があります。
「飛行メガネ」です。教員教官だけ新型飛行メガネを装着して、練習生には旧型飛行メガネを使わせています(^^;)

この飛行メガネのことも大澤さんに聞いたのですが、旧型でも新型でも特別使い心地に差はなかったように思うと言われていました。

なので、教員たちが、
「こっちの方が使いやすい! よし、先に教員が使うぞ!」
と先取りしたのではなく、たぶん、練習生分の数が揃わなかったんだろうな、と(^^;)




えーっと、結論です。
これは大澤さんも言われていたのですが、練習航空隊の教員の腕章は、隊によって、時期によってまちまちなので、海軍の統一した決まり事ではなく、ある程度隊の裁量でやっていたことではないか、という結論に至りました。

ただ、わたしが聞いたり見たりした中では、
「准士官以上は腕章をしない」
「教員が腕章をつける場合は赤」
「練習生がつける場合は教員とは違う色(大澤さんの練習生時代は青)」
という決まりはあったのかな?

現時点ではこんな感じで。


というわけで、「海軍練習航空隊腕章研究家」を自称してもよかですか?



※画像は6期生・9期生ご遺族、谷水さん、武田信行氏ご提供

ホリブン! ホリブン! ホリブン!2016年03月04日 10時00分15秒

ホリブンの写真♪

新聞や書籍の写真を合わせるともっとあるんですが、今日は掲載許可をいただいている分だけ。

【予科練入隊時】
前の分隊(1~8班)集合写真
ホリブンは入隊時1班です。

総員集合写真
10期は入隊時の総員集合写真があるんですよねえ、いいな~


【辻堂演習】



【2学年】
5班

【操縦分隊】






【艦務実習】


【飛練・谷田部】




【台南空】
17年8月4日

17年11月(251空)



582空時代、大村空教員時代の写真は書籍に掲載されているのが数点あるので、そちらでご覧ください。



【高雄空】
19年の夏らしいです。
高雄空教員時代。
左の人は吉岡賢一郎さん(丙6)。20年4月比島で戦死されたそうです。

この写真は現物がわたしの手元にあります。

最初見たときはヒゲが衝撃だったのですが、見慣れてきたらこれはこれでステキです♪

高雄空時代、ホリブンが下宿していた家には赤ちゃんがいて、この赤ちゃんのお世話までしていたそうです(笑)




戦闘301時代の写真は書籍でご覧ください。



ホリブンの自筆。

他にもホリブンが描いたと思われる絵もあります。



全日空機長時代の写真は、新聞(ハイジャック!?)や同期生会誌に掲載されていました。
操縦席の三上機長。

丸の座談会もありましたね。
ステキですよ~♪



たまに「ホリブン」って何?と聞かれるので。
ホリブンというは堀分隊士を省略した愛称です。
20年5月に飛曹長に進級して、「分隊士」に。
なので、下士官時代は「ホリブン」ではありません。

フルネームを書いていませんでした、堀光雄さんです。



※画像は武田信行氏、久保さん、10期生ご遺族ご提供