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乙7期 山口良一さん2018年06月12日 13時24分39秒

ご遺族の方に連絡をいただいて、4月にアルバムなどを見せていただきました。


愛知県出身、中攻、操縦。


予科練時代のラグビー部集合写真。
このラグビー写真はちゃんと分析したいです。


予科練時代の写真は班写真が何枚かありました。


班写真の山口さん。


ちなみに、ここによく書いている西澤さんも7期ですが、山口さんとはあまり縁がなかったのか、予科練時代の集合写真で一緒に写っている写真はないように感じました。松浪清さんも。
そのうち集合写真は個別に紹介したいと思っています。





飛練、霞ヶ浦海軍航空隊。

同じく飛練。
おそらく山口さんのペアと思われます。
イスが山口さん、立っている左が鈴木要さん、右が佐田稔一さん。


鈴木要さんなんですが、真珠湾攻撃時、赤城の艦爆隊。飛練10期鈴鹿(偵察)の教員をしていた前川賢次飛曹長のペアの操縦員です。
その後お二人とも翔鶴に転勤、ともに17年10月26日の南太平洋海戦で戦死されています。
翔鶴ではペアを解消されていて、前川飛曹長のペアは山田昌平大尉(兵65)、鈴木さんのペアは染野文雄1飛曹(甲1)。

佐田さんは無事に終戦を迎えられています。


14年夏。
大分海軍航空隊、延長教育時代。家族と。



善行章1線、階級章は3空曹。
おそらく15年夏。高雄空時代。

アルファベットのサインがヘンな向きで入っていました。

おそらく別の写真がくっついたのちに一部表面が剥離したんだろうと思いました。

これ↓だと思いました。

この2枚、現状ではたしか台紙に貼られておらず、バラの状態だったと記憶しています。


「くっつくかな?」


せっかくイラストレーターを入れているので、反転させ、回転させ、切り抜いて、くっつけてみました。

くっつきました!

たぶんもともとはこの状態。

この写真は何かというと、7期の卒業アルバムの個人写真コーナー用の写真です。

卒アルの山口さん↓

拡大して軍服のヨレ具合など比べた結果、同じ写真と判断しました。




先日、うかがったときに山口さんの姪御さんから幼い日の思い出を聞かせていただきました。
姪御さんといっても、山口さんと23も歳の離れたお兄さんのお嬢さんで、山口さんとは親子ほどには歳が離れていません。姪御さんが小学校に通い始めたころ、同じ学校に山口さんがまだ通っていたそうです。
雨が降った日に、山口さんが姪御さんを背中におぶって学校に連れて行ってくれたことがあったらしく、その話を懐かしそうに話してくださいました。



山口さん、15年の高雄空時代、日記を残されています。
一部、鹿屋滞在時の日記を見せていただいたのですが、同期生の名前が出てきたり、あー、実施部隊の内地勤務はこんな一日を過ごしているんだなあ、というのがわかってたいへん興味深い日記です。


裏に「志 同年兵」と書き込みがありました。たぶん「十一志 同年兵」と書いてあったんだろうと思います。


ジョンベラの人がいます。ペンネントに「高雄海軍航空隊」と書いてあります。
この写真、他にも7期の人が写っているので、またちゃんとしてから紹介したいと思います。


成都や重慶の攻撃に参加。


15年11月25日  高雄空  馬公海軍病院にて戦病死


※画像はご遺族ご提供

蒼龍艦攻隊 石井利一さん2018年05月12日 08時30分50秒

うちにある写真に、7期生が写っていないか、最近、時間があるときにちょこちょこ見ているのですが。


昨日、おそらく蒼龍艦攻隊だろうという島田さんの宴会写真を見ていて、7期生じゃないかという人を見つけました。

たぶん、真珠湾前の鹿屋での宴会写真



島田清守さんと佐々木隆寿さん以外はさっぱりわからなかったのですが(^^;)


おちょこ片手に島田さんの方に寄りかかっているのは7期の石井利一さんではないのかな?




卒アルの石井さん。

他人の空似でしょうか?

無帽やし、フラッシュが当たっているので、「同一人物や! 間違いない!」とまでは主張しませんが、わたし的には「同じ人なんじゃないの?」って感じなんですが。


ちなみに石井さんは埼玉県出身です。
同郷の先輩ですね。
地図を見たらそんなに近くでもなかったですが、9期の埼玉は島田さん一人なので、島田さんが予科練に入隊して来たときには、埼玉先輩たち(7期4人、8期7人)はそりゃあかわいがったのではないかと想像。

予科練って、いまから考えるよりずっと地元のつながりを大事にしていたように思います。




19年2月23日  321空  マリアナ



※画像は7期生、9期生ご遺族ご提供

加賀艦攻隊 三島輝夫さん2018年05月06日 11時12分51秒

9期の島田直さん(熊本)の遺品の中に、真珠湾前日(吉良敢・吉野泰貴『真珠湾攻撃隊 隊員列伝』による)の加賀艦攻隊の集合写真が残されていました。

予科練生の写真、手元にけっこうありますが、実施部隊に出てからの写真ってほとんどありません。
これは貴重な一枚。
9期生は、持ち主の島田直さん(偵)、平山繁樹さん(偵)、黒木勇三郎さん(偵)が写っています。





他の人たちはわたしが見てもわからないので、いままであまりじっくりお顔を見たことはありませんでした。
が、先日、7期の山口良一さんの卒アルにあった氏名入り個人写真を見せていただいたことで、
「7期生は探せるんじゃないか?」
と思い立ち、探してみました。

この集合写真の中に、
松本光1飛曹(偵)
王子野光二1飛曹(偵)
三島輝夫1飛曹(操)
が写っているはず。

偶然でしょうが、加賀の7期生はみなさん、お名前が眩しいです(>_<)


そりゃあ、どうでもいいんですが。

松本さんと王子野さんは見つけられなかったのですが、三島さんは見つけました!

おお!
かっこいい!
色付きマフラー。


三島さん、山口さんのアルバムにけっこう写真が残っていたのです。
軍人さんとしてはレアな無帽写真。
班集合写真で名前入り。

班集合写真。
これもアルバム台紙に山口さん記入の名前あり。

飛練の集合写真。
これは胸の名札にはっきりわかる文字でドーンと「三島」と書かれています。




実は三島さん、今回山口さんのアルバムを見る前から知っていました。
熊本県乙7~9期集合写真。
たぶん7期の卒業直前の写真。

これ、持ち主の方が裏に全員の姓を書いてくださっていたおかげで、全員お名前がわかっているのです。

三島さん。

というわけで。
三島さんはお写真がたくさんあったので、加賀艦攻隊の写真からすぐに探し出せました。
松本さんと王子野さんは卒アルの写真しかなくて、ちょっとまだ見つけられていません。
頑張って探します。



ちなみに、真珠湾時の三島機の電信員は8期の久恒吾市2飛曹で、この人も9期生の写真に一緒に写っていました。

辻堂演習の宿舎写真。

この写真、写真表面に全員分の氏名が書きこんでありました。
この人には、「久恒」と。




三島さんは19年6月19日、601空、マリアナ沖で戦死。
久恒さんは17年8月24日、瑞鶴、ソロモンで戦死。



※三島さんのお名前、『真珠湾攻撃隊 隊員列伝』、『予科練の空』、加賀行動調書、山口さん記入氏名では「輝夫」、7期の卒アルでは「輝雄」になっています。
多数決とは言いません、たぶん「輝夫」なんだろうな、とわたしは思っています。
しかし、卒アル、他にもお名前が間違っているんじゃ?というところがあったりして。印刷製本前に本人にチェックしてもらっていないんかな?(^^;)


※画像は7期生、9期生ご遺族ご提供

乙7期 飛練2018年05月03日 12時55分32秒

先日、山口良一さんの履歴を見せていただいたときに、記載されていた成績に関して、

「どうして、二つ数字があるのですか?」

とご遺族の方に聞かれました。


予科練卒業時に「95人中〇番」と書かれ、飛練卒業時「71人中〇番」と書かれていました。
乙7期は入隊者が204名いたらしいので(わたしは確認していません)、「95人」というのは操縦専修生の人数だろうということはすぐに想像がつきました。

問題は飛練卒業時の「71人」です。

はて?

中攻専修の数にしては多いな。

と思ったのは、ふだん9期ばかり見ているからです(^^;)




そのときはそんな感じでわからなかったのですが、つらつら考えていて、

「あ、もしかしたら操縦専修生の中から水上機専修生を抜いた数(陸上機専修の数)か!」

と思いつきました。

9期には水上機操縦専修がいないから咄嗟に思いつきませんでした(^^;)

ご遺族の方にそうじゃないかと思う、と話をしましたが、やはり不安だったのでいつものKさんに聞きました。
Kさんも7期の機種別の人数は把握していないとのことでしたが、その考えでいいんじゃないかと言ってもらえました。

そのときに先日書いた特技章のことをご教示くださったんですよ。

旧制度の飛練の時は特技章をもらえるのは中練卒業時、このときが「飛練卒業」にあたります、と。
その時点で、その訓練をやったグループごとに成績が出ている、と。

予科練を卒業して、たぶん偵察班はひとかたまりでどこかの練習航空隊に行ったと思うんです(鈴鹿かな?)。
操縦班はいったん全員が霞ヶ浦に入隊して、4カ月後に水上機班は鹿島に移ったようです。

つまり、乙7期の飛練では卒業時、おそらく偵察専修と、陸上機操縦、水上機操縦の3つに分かれていた、と。
そのそれぞれで成績をつけているんだと思います。
山口さんの履歴だけ見て言っているんで、もしかしたら間違っているかもしれませんが。

「71人」が陸上機操縦班の人数であることは間違いないと思います。




山口さんの遺品の中にあった、おそらく飛練時の集合写真@霞ヶ浦航空隊

どれどれ?

と人数を数えてみました。

練習生も教員・教官もみんな飛行服なので、その区別が難しいですが、「練習生は胸に名札をつけている」「練習生はマフラーをしていない」「教員はマフラーをしている」「マフラーをしていなくても襟元から軍服の”詰襟”が見えている人は教員」
こんな感じでわけて、練習生の数を数えました。
”詰襟”を教員・教官の判断基準にしたのは、この時点で7期生たちはまだ一等航空兵であり、詰襟の軍服は着ていないからです。
この写真に写っている練習生はたぶん70名。水上機専修生は入っていないでしょう。
(最前列の左側が傷んでいます。そこにまったく姿が見えない練習生が2名います。同じ写真(別人所有)で確認しました)


しかしですよ!

この中に、わたしがお顔を把握していると思っている清水政三さん(艦攻)、杉山輝雄さん(戦闘機)、大住文雄さん(戦闘機)が見当たらない!( ゚Д゚)
清水政三さん

飛練16期艦攻集合写真@宇佐に写っている「清水政三」教員。

予科練時代の清水さんを見て、

えええっ!?( ゚Д゚)

と思いましたけどね。

「清水教員」はそこから5年ほど経っているんですか。
ベテランになっただけで、よく見たら同じ人かと(^^;)


杉山輝雄さん

『日本海軍戦闘機隊2』【エース列伝】にも顔写真が載っています。
これまたベテランになりすぎていて「えええっ!?( ゚Д゚)」ってなります。

しかし、卒アルに氏名入りの個人写真があり、おそらく「7期の杉山輝雄さん」はお一人だろうということで、この人が杉山さんに間違いないと思います。

予科練時代はそんなに雰囲気はかわっていなくて、わりとすぐに見つけられます


大住文雄さん

『日本陸海軍航空英雄列伝』に飛練中の機上の大住さんの写真が掲載されています。
なので、けっこう以前からお顔を知っていた人です。

大住さんは写真によって雰囲気が違うということはそんなにないです(←わたしが見た中では)。




水上機の人がわからないので、ちゃんと照合できていない可能性が高いですが、確実に陸上機操縦でお顔を知っているつもりの3人がいないというのは非常に気になります。
写っている70名に上の3名を足したら73名になるんで!( ;∀;)

「教員を練習生の方に含めちゃってるんじゃねーの?(´・ω・`)」

うーん、その可能性も捨てきれません。

しかし、70名はいちおう、7期生の卒アルの顔写真と照合したつもりなんですけどね(^^;)
水上機の人を間違えて当てはめちゃっているんだろうか?


ちなみに、卒アルに掲載されている操偵別・鎮守府別の個人写真を数えたところ、操縦専修生(陸上機+水上機)は95名いました。

山口さんの予科練卒業時の成績の元になっている「95人中」というのは、この数字に間違いないと。

飛練の集合写真は何だろうな、あれ。卒業時ではないのかな?
7期飛練陸上機操縦が仮に71名以上いたとしても別にいいんですけどね。
「教員や水上機の人を間違って入れてしまっている」という可能性以外にもうひとつ、「人数が合わない原因」が考えられます。
14年3月31日に卒業したのが「71人」ってだけで、訓練中は73名とか74名とかいてもおかしくはないです。途中で無念にも辞めてしまった人がいるかもしれないし、何らかの事情で卒業できずに次期にまわったい人がいるかもしれない。

誰が途中で辞めたとか、誰が次期まわしになったとかという話は、わたしがパソコンの前でいくら考えてもわからないので。

水上機に行った人が何人だったかわかれば、話が早いんですが(^^;)

『予科練の空』の巻末の名簿やその他から、水上機操縦の人は何人か把握していますが、全員で何人いたかというところはわかりません。

時間があれば行動調書から7期の水上機の人を探すのですが、いまはちょっと無理なので、時間ができたときにチャレンジしてみます。



※画像は7期生ご遺族、武田信行氏ご提供

高塚教員2018年05月01日 09時32分47秒

昨日、投稿してから、Kさんにご教示いただきました。

高塚寅一さん、あの集合写真の時期は霞ヶ浦航空隊勤務だったそうです!

飛練7期の集合写真に写っている教員。


昨日出した台南空の8月4日集合写真は日当たり具合でお顔がわかりにくいので、他の台南空写真を探したらありました、高塚飛曹長。
ラエでの高塚飛曹長。
17年の6月20日。←根拠はここに書いています。さらに、この時点で不明だった搭乗員のことはこっちに書いています。



上の写真はたぶん、13年12月15日~14年3月31までの間。
としたら、下の写真は3~3年半ぐらい経っているんですかね。
そんなにびっくりするほどはかわっていないですな(;^ω^)


※画像は武田信行氏ご提供