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集中力の無さが幸いした話2020年10月11日 08時23分23秒

わたし、自慢じゃないんですがまったく集中力がないんですよ。
病院に行ったら何か病名がつくんじゃないかと思うぐらい、ひとつのことに集中できません。
注意力散漫と言うか。
持続力なしと言うか。



元々何をしようとしていたのか、いまとなっては思い出せません。

松本勝正さんの写真を見返していたことには違いありません。←何か理由があったはず

厚木か203空時代の写真の中に長野喜一さんを見つけて喜んでいた
→その中の1枚に戦闘301の清水俊信さんが写っているとKさんに指摘されて喜んだ
→他に写っていないか探しているうちに厚木時代の大人数集合写真に気づいた
→他に清水さんがいないか探していて甲6の長操さんを見つけた
→そういえば松本さんの後ろに写っている黒板に「長」という表記があった
→その黒板のことを調べていたら同期の甲6秋月清さんのことが気になりだした。


とりあえずここまでのことを画像で説明しましょう。



これ、長野さんじゃないのー?

もしかしてこれの2列目左から3人目も長野さんか?

となって、Kさんにこの写真を見てもらったら記名のある人たちのフルネーム・出身期を送ってきてくださいました。

後列左から3人目が戦闘301飛行隊長菅野直大尉の列機で、20年4月21日に戦闘407飛行隊長林喜重大尉と一緒に戦死した清水俊信さんとのこと。


他に写っていそうな写真はないかと探していたら、この写真の一部の人が名札が読めることに気づきました。
Kさんに見ていただいたところ、何人か士官列の人が判明しました。
これに関してはまた今度。



他に写っていないかと探していたら、
この写真の右の人、名札が読めるのに気づきました。※左の人は不明

名札には「上飛曹  長  六分隊」と3行にわたってかいてあります。

どうやら甲6期の長操さんらしい。

長さんのことを書こうと思って、他に写っていないか探しました。
じつはけっこうあるんです、長さんの写真。
松本さんと仲良しだったのかな?

長さんのこともあらためて。




「そういえば、搭乗割にも名前があったな」

これなんですけどね。松本さんの後ろに写っている黒板に搭乗員の姓の一文字目だけ漢字で書かれています。
∧がついた「長」って表記があるんです。
この黒板のことも別途書こうと思っています(書こうとして調べていて別のところ行っちゃっています(^^;))

この黒板に書いてある搭乗員のことを調べました。
∧つきの「秋」ってのがありましてね。
たぶん長さんの同期生、甲6期の秋月清さんのことだと思うんです。


で、秋月さんも松本さんの写真に写っているんじゃないかと思い探しました。

いやいや、まず秋月さんのお顔を知らないので、そっちから捜索しました。

見つけました。
『日本海軍戦闘機隊』【戦歴と航空隊史話】の802空(水戦隊)の集合写真と205空の集合写真に写っていました。
その中でも802空の集合写真はお顔がわかる状態で写っていました。

「よし、この人だな!」



見つけましたー!
たぶん厚木空か203空の練成中のある日。

折りたたみイスに腰かけている3人のうち右端が松本さんです。
その左が秋月清さんだろうと思います。
802空の集合写真の人と同一人物に見えます(←わたしには)。


わたしの集中力の無さ、これで終わりじゃないんです(笑)


「あれ? この人・・・・」

この写真を拡大して見ていて、別のところに目が行ってしまいました。

黄色い矢印の人です。

言っちゃ悪いですが、いままでまったく気にも留めていませんでした。

つーか、顔、半分以上見えないんです(^^;)


「西澤さんじゃないっすかー!?( ;∀;)」


たぶん10人中9人ぐらいは、

「いつもの思い込み(願望)」

って言うと思いますが、1人ぐらいは賛同してくれるんじゃないか?



ちなみに座っているイス、
同じ場所で撮られた別の写真にたくさん写っていますが、たぶん同じ規格です。

若干の高低差はあるかもしれませんが、たいした差じゃないだろう、と。
一脚だけ特別座面が高いってことはないだろうと思います。


黄色矢印の人、座った状態でめちゃデカいですよ?

あのまますっと立ち上がったと想像してみてください。
囲んでいる搭乗員たちを完全に見おろす高さになります。

西澤さんだ。

西澤さんに違いない。

と、わたしの中で歓喜の嵐\(^o^)/



というわけで、長さん、秋月さん、搭乗割の黒板、厚木の集合写真に関してはもうしばらくお待ちください<(_ _)>


※画像は9期生ご遺族ご提供

西義武さん(乙7)の写真2020年07月12日 19時49分18秒

9期生のアルバムの写真を見返して見つけてしまいました。



7期の西義武さん。←去年、個人記事を書いています

ご丁寧に「西さん」と書き込みがあるのに、初めてこれを見たときには、

「どこの西さんだろうな?」

ぐらいにしか思わなかったものと思われます。




さっき、見返していて、

「西さん? あれ? 7期の西さんやん!」

と気づいて愕然。

7期卒アルの西さんです。


上の写真は「西さん」以外の書き込みはないですが、階級章が1空、撮影場所が小船井写真館なので霞ヶ浦航空隊時代(飛練)かなと思います。
13年の8月か9月でしょうか。


ホンマに思いがけないところに思いがけない人がいてはる。申し訳ありません<(_ _)>

もっと探してみます。

気合がかかった奴2020年03月20日 14時25分40秒

よくやっちゃうんですが。

いま読む気がないのに先にパラパラめくっちゃうという(笑)



森史朗さんの『敵空母見ユ!』もパラパラめくってしまいました。

7期の小見山賢太さんのお名前発見!
※大村空時代(昭和14年)


ラバウル攻略時の瑞鶴戦闘機隊の下士官搭乗員の説明がしてある中にお名前がありました。

『分隊長の眼からみると小見山二飛曹などは”気合のかかった奴”ということになるのだが』


「気合のかかった奴? どういう意味だ!?」
昨日、わたしはこれを発見してから、一日そのことを考えていて落ち着きませんでした。

「そうだ! 検索してみよう!」←さっき

ネット・コトバンクによると

「気合が掛かる    事に当たって、精神が集中し熱がこもる」

と書いてありました。

「そうか! 小見山さんは”事に当たって、精神が集中し熱がこもる人”なんだな!」

納得しました。

こういう、ちょっとでも人柄がわかるような回想があるとチョーうれしいです。






小見山さん、「二飛曹」って書かれているんですが。
この記述は真珠湾後、ラバウル攻略作戦前の記述です。
7期のみなさんはこの当時すでに1飛曹に進級されています。←西澤さんとか。
だいぶ前にわたしは小見山さんが真珠湾時、いやインド洋作戦時ですら「二飛曹」になっているのに気づいて、Kさんに尋ねたことがあります。
「行動調書の記載ミスですかね」
みたいな感じで。
そしたら、本当に進級が遅れていてですね。
遅れた理由はいまだにつかめてないのですが、なぜか飛曹長進級時(18年11月)にほかの7期生に追いついているというね(^^;)
こんなことがあるんですね。

ちなみにKさんによると、小見山さんはエース列伝にお名前はありませんが、撃墜数的にはエース列伝に載るレベル、「かなり多い方」だそうです。


※画像は武田信行氏ご提供

丙2期 谷川澄男さん2019年11月01日 22時50分40秒

今年の初め、ある会合で零戦Tシャツ屋さんと二人で受付に座りました。

そのとき、Tシャツ屋さんが、

「実は丙2の谷川澄男さんの息子さんと知り合いまして。谷川さんの写真を送ってもらったんですが、見ますか? 知っている人とか写っていませんか?」
と印刷した写真を見せてくださいました。

山陽丸の搭乗員の集合写真でした。


「あ、森健次さん!」

9期の森健次さん(偵察)が写っていました。


他にもあるということだったので、ぜひその息子さんを紹介してください、とお願いしました。
すぐに仲介してくださって、息子さんと直接連絡が取れるようになりました。

ビックリしたのですが、谷川さんの息子さん、Yさんともお知り合いだったんですよ(^^;)
狭いです(笑)












谷川さんは昭和14年に佐世保海兵団入団。
15年11月に丙2期、土浦海軍航空隊。
16年1月、飛練12期、鹿島海軍航空隊。
16年7月、実用機、博多海軍航空隊。
16年12月、飛練卒業。


呉空を経て17年2月、山陽丸へ。



ソロモンで任務に就いていたのですが(零式観測機操縦員)、昭和18年1月31日、敵機と交戦して被弾・空中火災。
脱出して海に浮いているところを鵯(ひよどり 水雷艇)に救助され、病院船氷川丸で内地に後送。

戦闘詳報
『一月三十一日 二飛曹谷川澄男敵機ト交戦戦傷(顔面右前膊左右下肢等二度熱傷右大腿同下腿爆弾々片創)』

結局、傷が悪化して右足を失うのですが、その後も海軍に残り義足で搭乗任務を続けられたようです。



息子さんによると、足を失ってからの話はあまりされなかったそう。











山陽丸時代。
十七年七月 ジャハ スラバヤ基地ニ於イテ 山陽丸総員

これは以前出した写真です。
何人かお顔がわかる人が写っていました。

古寺慶三さん(8期)

今田敏男さん(10期)

今城金嘉さん(7期)

森健次さん(9期)

谷川さん




昭和十七年十二月 ソロモン ショートランド第一基地ニテ


中列右端、谷川さん。







昭和十七年十二月 ソロモン ショートランド第一基地ニ於テ 山陽丸搭乗員一同


中列右端、谷川さん。

集合写真で見るとかなり大柄な方です。



おもしろい写真、いっぱいあるんですよ。
昭和17年12月のショートランド基地だそうです。
過酷な戦の合間のひとこま。楽しそうです。
いかんせん、谷川さん以外がどなたかわからない・・・・(泣)




見知った方が写っているスナップ写真もありました。
山陽丸の人たちだろうと思うんですが。
谷川さんは写っていないかな。他もどなただかちょっと・・・・。

でも、左端の人。
10期の今田敏男さんだよなー、って見つけて喜んだのでした。

裸だったり、サンダルが転がっていたり、いまから飛行機に乗るような格好でもないです。
オフかな?
ひと仕事終えたところかな?



これまた完全オフの搭乗員たち。これは”入浴中”というくくりでいいんでしょうか。”水遊び”?
谷川さんはいないようにあります。


しかし、今田敏男さんがいるのです!
注目は髪型です!
これがうわさに聞いた「基本坊主、頭頂部だけ伸ばす」っていう、彼の地で流行っていたという髪型でしょうか!?
初めて見ました。
モヒってますよね!?

と思いながら上の写真を見ると、あっちも頭頂部だけ伸びているかも?





見せていただいた谷川さんの写真の中に山陽丸の搭載機の編隊飛行中の写真がありました。
P‐55号機。



P‐?号機。

零式観測機一一型。P‐56号機。



零式水上偵察機一一型。


わたしは飛行機のことはわからんので、Yさんにご教示いただきました。

尾翼に「P‐」って機番号が入っています。ネットで山陽丸の飛行機を検索するとプラモデルが出てきて、記号が違っていたのでYさんに聞いてみました。17年後半以降は「P‐」を使っていたそうです。

ちなみにこの機体は尾翼に「ZⅡ‐56」が入っています。これが17年前半まで使っていた記号だそうです。わたしがネットで見たプラモの記号はこれでした。
機体の色も違いますね、「へえ~」でした。
上の「P‐56」号機と同じ零観なんですかね? 調べていないんです、ひとりごとです。


山陽丸の戦闘詳報を見ると、あと九五水偵もあったみたいです。


ふだん陸上機を見慣れているとフロートの違和感が半端ないです。
こんなものつけていてよく飛べるな~、みたいな?(^^;)

こんな邪魔そうなものをつけて飛んで、さらに波のある水上で離着陸をしているからか、水上機から陸上機に転科した人は操縦がうまかったって、以前、零戦搭乗員の人に聞いたことがあります。





谷川さんの写真、興味深い写真がたっくさんあるんですが、どなたが写っているのかわからなくてですね(^^;)
わかるのが一番いいのですが、わからなくても今回みたいに出すかもしれません。
[丙飛]カテゴリもいるかな?(^^;)


※画像は谷川さんご家族ご提供。飛行機に関してはYさんご教示

昭和十七年七月 ジャハ スラバヤ基地ニ於テ 山陽丸総員2019年05月26日 11時30分41秒

以前、岸本正好さんのことを書いたときにちょこっと話題にした山陽丸の集合写真。


裏にタイトルのように書き込んでありました。

写真の持ち主は丙2期の谷川澄男さんです。
14年志願兵、水上機操縦。
戦後生存の方ですが、それはもう壮絶な体験をされた方で・・・・。

谷川さんに関しては別に書きたいと思っています。




その谷川さんの遺品の写真類を息子さんに見せていただきました。
息子さんと縁ができるについてもいろいろ話があるのですが(^^;)
それも、またいずれ・・・・。






17年7月にはすでに岸本さんは転出されているようで、ここには写っていません。
しかし、岸本さん以外に見知った方のお顔が見えたのでご紹介。



御当人、谷川澄男さん
最後列の左から2人目。大柄な人です。




7期 今城金嘉さん

予科練時代の金城さん



8期 古寺慶三さん
予科練は8期ですが、飛練は10期、9期生たちと一緒に写真に写っています。
飛練10期偵察専修の期長です。

博多飛練卒業集合写真の古寺さん



9期 森健次さん

飛練博多卒業集合写真の森さん



10期 今田敏男さん

予科練1学年時の班集合写真の今田さん



他の方もわかるといいんですけどねえ・・・・。
他の写真に、一部名札が読める人も写っているので取り組んでみたいです。
しかし、出身もバラバラの方々なので、なかなか。


※画像は谷川さんご家族、予科練生ご遺族ご提供