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海軍練習航空隊 腕章に関する一考察2016年06月12日 19時34分39秒

練習航空隊の写真、

「教員が飛行服に腕章をつけている写真があるよなあ」

といままで漠然と見ていました。


先日、大澤さんへの手紙に、練習航空隊の教員って左腕に腕章というか紐を巻いていますよね、みたいなことを話題にしてみたところ、大澤さんから意外なお返事。

練習生は青い腕章を巻いていたけど、教員が巻いていた記憶はないなあ

とのこと。

「何っ!?Σ( ゚Д゚)」

これで火が付きました。

調べてみよう――――。




【大澤さん】
まず大澤さんですが、43期操縦練習生時代の教員と練習生3人のペア写真。
ご自身は左腕に腕章を巻いておられました。写真ではわからないのですが、これは青い腕章なんだそうです。
教員は・・・・と見ると、教員(2空曹)も腕章を巻いていました(^^;)

あと、操練時代の総員の飛行服集合写真と思われる写真(2枚)も、教員も練習生も腕章を巻いているように見えます。

あと鈴鹿空で教員をされていたころの飛行服集合写真もありましたが、これは教員も練習生も腕章を巻いている人はいません。


大澤さんに、
「大澤さんの操練時代の教員さん、写真で見ると腕章を巻いているようなんですが・・・・」
と手紙に書いたところ、
「わたしも筑波空教員時代に赤い腕章を巻いていたような気もする・・・・」
と。

ほー。



【西澤さん】
これ、たぶん、霞ヶ浦での練習生時代のペア写真だと思うんです。
13年の8月15日に予科練を卒業しているので、それ以降の半年間ぐらいでしょうか。


教員の腕章。


西澤さんの腕章。
ちなみに名札には「一空」「西澤」の文字が。



教員もペアも顔ぶれが違いますが、やはり同じ霞ヶ浦での練習機教程かな?

教員の腕章。

右端の練習生?の腕章。
・・・・なんですが、この人、西澤さんたちと違って飛行服に名札をつけていないんですよね。
乙7の練習生ではないのかな?
7期はお顔を把握できていないので、この人が7期生なのかそうでないのか判断できません。

名札をつけているお二人、左の人は左腕に腕章を巻いています。西澤さんは左袖部分が見えず、腕章の有無が確認できません。たぶん巻いているでしょう。


【中西さん】
クロちゃんこと中西義男さん(乙6)の岩国空教員時代。練習生とのペア写真だと思われます。
練習生は操練51期か?
操練51期だとすると14年末から半年ぐらいの間か。クロちゃんの階級章が2空曹に見えるので15年5月1日以降かなあ?

クロちゃんの腕章。

練習生の腕章。
ただ、これ、腕章なのか、名札の一部としての紐なのかイマイチ判然としません。
岩国の練習生たちはみんな左袖にこの名札をつけています。
腕章だけの人や名札だけの人がいないので、一体化したものではないかと考えています。

先日出した、豊田耕作さんと一緒に写った操練51期集合写真のクロちゃん。
3空曹の階級章の下に腕章をつけています。




【飛練10期生】
飛練10期谷田部における中練教程。
15年12月~16年5月。

下士官一種の人は教員だと思われます。他にも腕章を巻いている下士官一種の人がいます。巻いていない人もいます。

練習生の方も――写っているのは西山昇さん――巻いていますね。

と言いたいところですが、全員ではないです。
左袖が写っていない人もいるのではっきりしたことは言えませんが、「巻いていない」と断言できるのは、大西要四三さん、羽藤一志さん、今村文三郎さん。
なぜこの人たちが腕章を巻いていないのかはわかりません。


谷田部のペア写真。
ここに写っている練習生、西山昇さん、新井正美さん、池田和義さん、田中茂雄さん、鹿島長重郎さんは、みなさん腕章を巻いています。

教員の腕章。

池田さんの腕章。




おもしろいのは筑波です。
これは飛練10期、筑波組の集合写真ですが、あまり精細ではありません。
なので、よくわからないのですが、見た感じ、練習生で腕章を巻いている人はいません。
教員は巻いている人がいます。

こんな感じ↓
後ろが練習生の杉本栄さん、前は教員。森鳰さんかな?


もっと精細なペア写真で見てみましょう。
加藤哲夫さん、井原大三さん、後藤龍助さんのペア。
イス席は空曹長です。教官です。


実は・・・・指導側で腕章を巻いているのは下士官の教員だけなんですよ!
准士官以上(空(飛)曹長、少尉、中尉、大尉・・・・)の教官はどの写真を見ても腕章を巻いていません。

後藤龍助さん。
腕章なし。

森浦東洋男さん、大正谷宗市さん、亀山一郎さん、山口浜茂さんペア。
教員は森鳰英雄さん。

森鳰教員は腕章あり。

左袖が見えている山口さん、腕章なし。


大石芳男さん、高島巌さん、阿部健市さん、上原定夫さんのペア。
教員は山岸昌司さん。

山岸教員の腕章。

上原さんの袖。腕章なし。


飛練10期練習機教程に関しては、谷田部は教員も練習生も基本的にはみんな腕章ありです。同じ腕章ではなく、素材が違うとか、質感が違うとか、色が違うと か、そんな感じがします。練習生の方が細くてぺろぺろしているような気がします。「腕章」というより「紐」といった感じでしょうか。教員の方が若干太くてしっかりした素材のように見えます。
集合写真で腕章を巻いていない練習生が数名いますが、検討課題です。

筑波は、教員だけがしっかり素材の腕章を巻いています。練習生が巻いている写真は1枚もありませんでした。



こうなると、
「筑波が練習生に腕章を巻かせていないのは、飛練10期だけだろうか。それとも他のクラスも同じなのだろうか」
ということが気になり始めました。


それで他クラスの写真を探していました。

ありました。

それが、先日書いた谷水竹雄さん(丙3、飛練17期)の練習機教程時代の集合写真です。
息子さんにスキャンしていただいた分です。
16年夏~年末頃でしょうか?

練習生たちは誰も腕章を巻いていません。


教員は・・・・左・木村重雄教員、右・山岸昌司教員。
腕章を巻いています。


たぶんこの後の時期だと思うのですが、大澤さんが筑波で教員をされていました。
飛行服集合写真がありました。
練習生はみな左袖に楕円形の名札を縫い付けている様子。腕章はありません。
教員はというと、腕章を巻いています。が。が。が。肝心の大澤さんは腕章を巻いていないような・・・・?(^^;)

しかし、大澤さんが「赤い腕章を巻いていたような?」と思い出してくださったことは大収穫でした。




なら谷田部はどうやねん。
飛練16期(乙10期)陸上機の練習機教程です。
16年6月~11月頃か?


前は戦闘機の井汲一男練習生、後ろは今村實雄教員ですが、みんなこのパターン――練習生は腕章なし、教員は腕章あり――です。



こういうことでして。

要するに、航空隊によって決まっていた、ということでもなさそう。
筑波では飛練10期でも飛練17期も、練習生は腕章なし、教員は腕章ありでやっていますが(大澤さんが教えた期も、基本的に教員は腕章あり)、谷田部は飛練10期は練習生は腕章あり、飛練16期は腕章なしでやっています。




飛練10期、偵察の練習機教程・鈴鹿航空隊の方は飛行服の総員集合写真はありません。ありません、というか、わたしは見たことがありません。

が、卒業アルバムに飛行作業中の写真がありました。
右側の長椅子に座っている3人は教員です。

拡大したらこんな感じで。
下士官の階級章と腕章をつけています。

胸に四角い名札をつけているのが練習生です。

教員は腕章あり、練習生は腕章なしなんですよ。


鈴鹿の卒業アルバムにもう一枚飛行服の写真が。


教員。

練習生。

やはり教員のみ腕章をつけていたみたいです。



昨日はK上飛曹(飛練32期)にも聞いてきました。
飛練時代は教員は赤い腕章をつけていたけれど、練習生はつけていなかったそうです。



腕章の使用は、時期の問題や、航空隊の問題ではなさそうです。


上にも書いたのですが、指導側でも腕章をつけているのは下士官の教員のみで、空(飛)曹長以上の教官が腕章をつけている写真はありませんでした。

これはわたしの想像ですが、操練や丙飛などでは入隊時期によっては下士官の練習生がいることもありうるわけで。パッと見たときに階級章以外で教員と練習生を見分けるための目印が必要だったのかな、とも思いました。さすがに准士官以上の練習生(というんだろうか?)はいないと思うんで(^^;)

昨日K上飛曹に、
「どうして教官は腕章をつけておらず、下士官の教員だけが腕章をつけていたのですか?」
と聞いたら、同じことを答えられました。
下士官の練習生がいる場合があるので、それと教員を区別するため、と。





実はですね、腕章がなくてもある程度教員と練習生の見分けはつきます。
「練習生はマフラーや襟巻を使わない」
写真を見てもらったらわかりますよね。マフラーや襟巻をしているのは教員教官だけです。

あと、鈴鹿の飛練10期の場合、マフラー以外にも判別箇所があります。
「飛行メガネ」です。教員教官だけ新型飛行メガネを装着して、練習生には旧型飛行メガネを使わせています(^^;)

この飛行メガネのことも大澤さんに聞いたのですが、旧型でも新型でも特別使い心地に差はなかったように思うと言われていました。

なので、教員たちが、
「こっちの方が使いやすい! よし、先に教員が使うぞ!」
と先取りしたのではなく、たぶん、練習生分の数が揃わなかったんだろうな、と(^^;)




えーっと、結論です。
これは大澤さんも言われていたのですが、練習航空隊の教員の腕章は、隊によって、時期によってまちまちなので、海軍の統一した決まり事ではなく、ある程度隊の裁量でやっていたことではないか、という結論に至りました。

ただ、わたしが聞いたり見たりした中では、
「准士官以上は腕章をしない」
「教員が腕章をつける場合は赤」
「練習生がつける場合は教員とは違う色(大澤さんの練習生時代は青)」
という決まりはあったのかな?

現時点ではこんな感じで。


というわけで、「海軍練習航空隊腕章研究家」を自称してもよかですか?



※画像は6期生・9期生ご遺族、谷水さん、武田信行氏ご提供

ホリブン! ホリブン! ホリブン!2016年03月04日 10時00分15秒

ホリブンの写真♪

新聞や書籍の写真を合わせるともっとあるんですが、今日は掲載許可をいただいている分だけ。

【予科練入隊時】
前の分隊(1~8班)集合写真
ホリブンは入隊時1班です。

総員集合写真
10期は入隊時の総員集合写真があるんですよねえ、いいな~


【辻堂演習】



【2学年】
5班

【操縦分隊】






【艦務実習】


【飛練・谷田部】




【台南空】
17年8月4日

17年11月(251空)



582空時代、大村空教員時代の写真は書籍に掲載されているのが数点あるので、そちらでご覧ください。



【高雄空】
19年の夏らしいです。
高雄空教員時代。
左の人は吉岡賢一郎さん(丙6)。20年4月比島で戦死されたそうです。

この写真は現物がわたしの手元にあります。

最初見たときはヒゲが衝撃だったのですが、見慣れてきたらこれはこれでステキです♪

高雄空時代、ホリブンが下宿していた家には赤ちゃんがいて、この赤ちゃんのお世話までしていたそうです(笑)




戦闘301時代の写真は書籍でご覧ください。



ホリブンの自筆。

他にもホリブンが描いたと思われる絵もあります。



全日空機長時代の写真は、新聞(ハイジャック!?)や同期生会誌に掲載されていました。
操縦席の三上機長。

丸の座談会もありましたね。
ステキですよ~♪



たまに「ホリブン」って何?と聞かれるので。
ホリブンというは堀分隊士を省略した愛称です。
20年5月に飛曹長に進級して、「分隊士」に。
なので、下士官時代は「ホリブン」ではありません。

フルネームを書いていませんでした、堀光雄さんです。



※画像は武田信行氏、久保さん、10期生ご遺族ご提供

251空 屋内写真2016年03月03日 10時05分59秒

もう1枚、判断に苦しんでいる写真があります。



これはたぶんここに出したことはないんじゃないかと思います。



西澤さんの遺品の中にあった写真です。武田信行さんご提供。



4年、悩んでいます。



いつものように自分に〇印をつけている西澤さん。
西澤さんがこの写りなので、この写真の手ごわさがわかるでしょう(笑)
○がついていなければ、わたしでも小隊長を見失ってしまうところです。


これは米田忠さんだと思います。


このお二人からだけでも、この写真は251空だろうなと思いました。


西澤さんも米田さんも下士官の一種を着ています。
前列の兵の人たちが盾形の階級章をつけているので17年11月以降。
西澤さんが下士官なので18年10月以前。
米田さんはいつ2飛曹に進級したのか・・・・。


この写真、251空だと思ったので、元251空の搭乗員さんにも見ていただいたのですが、

「わからん(=_=)」

と言われてしまいました。

相当手ごわいです( ;∀;)


この写真、いろいろ頭を悩ませている点はあるのですが、今日は以下のことに関して。








4年間悩んでいるのはこの人のことです。

後列右から3人目のこの人。

最初に見たとき、

「あ! 遠藤さん!」

と思ったんです。


が、

「耳が違うよなあ?」


で、いったん、遠藤さん認定を外しました。


が、遠藤さんの写真を何枚も見ているうちに、(耳以外の)お顔のパーツ一つ一つが、

「やっぱり、遠藤さんなんじゃないか?」

という気が・・・・。

特に口もとがね(^^;)
口の端が、↑こんな感じで。




ほかに何か比較対象はないか?

とずっと探していたのですが、いいものがありました。

額の生え際!(・ω・)ノ

けっこう個人の特徴が出ます。



軍人さんなので、あまり無帽の写真はないはずなのですが、遠藤さんの場合、5枚ありました。

左から氏名入り班写真、ラグビー部、251空コスプレ宴会、251空屋内写真。

本当はもう1枚、お風呂に入っている写真があるんですが、今回はわけあって除外。



ラグビーの写真は剃りすぎてわかりにくいので他の3枚で。

上から氏名入り班写真、251空コスプレ宴会、251空屋内写真。


たぶん、遠藤さんですな(^^;)



耳の形は、やや下方から撮られ、しかも遠藤さん自身もちょっと顎を上げているのかな?
なので、真正面から撮った写真と形が変わってしまっていると解釈して・・・・(;^ω^)



遠近法を考慮したとしても、長身で小顔ですよね。
遠藤さんだろうな。


※最後の一文は根拠にしてはいけません




※画像は武田信行氏、9期生ご遺族ご提供

椅子列右端の人2016年03月03日 07時58分18秒

何の話かさっぱりわかりませんね。

いつものことですが。




元台南空、251空の17年11月と言われているこの写真のことです。


海軍の集合写真の並び順をちょっと説明します。
列で言うと、椅子列が一番エライ人たちの列です。
その次がすぐ後ろの列でしょうか。
後ろに行くほど新米の人が多いです。
もし、椅子列の前に地べたに座っている人たちがいたら、その人たちが一番ジャクです。

同じ列なら、中央が先任者、端に行くほど後任という感じでしょうか。

もちろん、例外もあります。最後列に飛曹長ぐらいの人が紛れていることも。


この写真の場合、椅子列の真ん中に、この集団の最先任者である司令の斎藤正久大佐が座っています。司令の右が副長の小園安名中佐、司令の左が飛行隊長の中島正少佐。その左右に分隊長や分隊士の人たちが居並んでいます。

分隊士(飛曹長)以上だけでは椅子が余ったようで、下士官の中で先任者である西澤上飛曹や奥村上飛曹もいます。
ここまではありがちなのですが。

この写真のおもしろいところは、椅子列左右の端はいわゆる「ジャク」と呼ばれるような人たちです。左端の一人と右端の二人です。
本来なら、最後列の端っこに写っていてもおかしくない人たちです。
たぶん椅子が余って、バランスが悪かったのでしょう。
「おまえら、ここにこい」
と上の人に言われて、いやいやここに座ったっぽい(^^;)   と、わたしは想像しています。



左端は伊藤重彦飛長(丙3)。


右から2人目は本田秀正飛長(丙3)。


右端が山内芳美飛長(丙3)。


だと思っていたのですが。

あ、伊藤さんと本田さんはいまでもそう思っています。
「ん?」と思ったのは山内芳美さんです。

山内さんは他の写真にも写っています。
台南空17年8月4日。
最前列のあぐら列の真ん中あたり。
この写真の山内さんは救命胴衣に「山内」と記名があるのがわかります。
他人の救命胴衣は着用していないという前提なら、これが山内芳美さん、と。

他にもあるんです。


だいぶ前に作った画像で見にくくてスイマセン。
『源田の剣』にも掲載されているので(双葉社版510ページ)、お持ちの方はそちらで見てください。

キャプションにはホリブンの582空時代と書いてありますが、わたしは台南空ではないかと思っています
④が山内芳美さんです。

台南空が内地に帰ったのち、山内さんは582空に転勤になります。その582空時代の写真にも写っています。

で。

何枚か見て、

「もしかして251空11月の右端の人は山内さんじゃないのかも?」

という気になりました。




山内さんの写真を探した理由を書いていませんね。




実は、今年になって知人に見せてもらった写真に251空11月写真の椅子列右端の人によく似た人を見つけてしまったのです。


201空(18年ごろ)の人。
手に持った軍帽のてっぺんに「徳永」と書かれています。

「もしかして、これが台南空の徳永辰雄さんかっ!?」

たぶんそうでしょう。
この201空の徳永さんと、台南空(251空)の徳永辰雄さん(丙3)は同一人物だと思います。


椅子列右端の人とこの写真を散々見比べたのですが、よくわからんのです(^^;)


山内さんの写真も家にあるだけ探して見比べてみたのですが、よくわからんのです(^^;)



というわけで、今日時点でもまだ判断保留状態です。



あるときは徳永さんに見えたり、あるときは山内さんに見えたりしています。




ただ・・・・。

飛行靴なんですけどね。

251空11月写真の右端の人
飛行靴の上端中央に白い(?)印をつけているんです、この人。

台南空搭乗員の飛行靴が写っている写真、見れるだけ見ました。
他に白い印をつけている人がいないか。

いました、一人だけ。

上に出した台南空若手下士官搭乗員集合写真の④の山内芳美さんだけが飛行靴に白い印をつけていました。

ただ、④の方は飛行靴の表面内側に記名しているのかな?というふうにも見えます。
11月写真の飛行靴にはそれはありません。
靴なんて消耗品なので、この2枚の写真の間で履き替えている可能性もアリかな????

新しい飛行靴に履き替えても、パッと見ただけで「おれの」とわかる目印を同じところにつけていた・・・・とか。

残念ながら、徳永さんが飛行靴に印をつけていたかどうかがわかる写真はありませんでした。
それがあれば、椅子列右端の人が山内さんなのか徳永さんなのか、より判断しやすいと思うんだけど・・・・。




ちなみに徳永さんは在隊期間から察して、8月4日集合写真には写っておらず、11月集合写真には写っている可能性が高いです。
その条件で探しているのですが。

2枚を突き合わせて、上の条件で絞ると、この3人だけだと思うんです。該当者。



うーーーーん。

この3人の中に徳永さんがいるのか、それとも照合し間違えていて、山内さんの方がいるのか。
下の二人は違いますよね(^^;)



スイマセン、長々と書いて、結局「わからない」という話です。







※画像は武田信行氏、M氏ご提供

河合四郎大尉の肉声2016年02月27日 17時17分31秒

久しぶりの肉声シリーズ( ̄▽ ̄)

河合四郎大尉の巻。

17年8月4日、台南空。


石川清治さんの手記「ポートモレスビー空爆行」より。

千歳空時代の話。

『腕に覚えのある連中は、黒板の前に集まって分隊長の河合大尉に「私を私を!」と盛んに注文するが、分隊長は、「そんなに一ぺんには上がれんよ、まず俺が上がる」と言って河の字を丸で囲んだ。次に西の上に○印を附された。西沢二飛曹だ』


同じく千歳空。たぶん17年2月3日。
夜の飛行場で夜間空襲に来る敵機を待っていると、この日もやはりやってきました。ブーンブーンと蚊の鳴くような爆音が。

『「来た来た! 分隊長来ました」
と呼ぶが返事がない。
「分隊長、分隊長!」と大声で叫ぶと、指揮所――指揮所といっても携帯天幕を張っただけのものだが――の裏の草藪の中で、
「今野糞しているんだ。西沢先に上がれ」と落ち着いたものだ。西沢二飛曹、喜ぶまいことか一目散にかけて行き、飛行機に跳び乗り離陸していった。しかし暗夜のためか容易に敵機が捕捉できずに降着(夜間空戦は単座機では無理、訓練もしていなかった)』

※西澤さんは1飛曹


河合大尉、冷静な人です。どんな事態に陥っても慌てません。さすが指揮官。





報道班員(画家)の林唯一氏の手記『爆下に描く』(中公文庫)。
17年8月7日のガ島攻撃後の指揮所の様子。

『指揮所の階段を駈け上がってきたのは××飛行長(中島正飛行隊長のこと)である。飛行帽、飛行服と、かきむしるように脱ぎ捨てて、
「いや今日は墜した墜した、何ぼ落としたかしれん」と、その細い髭を伸ばした、痩躯の飛行長は、体とは別人のような元気な高声で、
「散々叩きつけて、もう居なくなったと思って引っ返すと、また後から食い下がって来やがってのう、何ぼ位墜したかい」と言って、後からはいって来たK大尉(河合大尉)に訊く。
K大尉は、腕に分隊長の印を付けた飛行服を脱ぎながら微笑していた。若い艶々しい顔をしていた。従兵がコップに冷たいものを注いで持って来た。
「勘定していられなかったが、二十五六機でしょう」
「おいおい、あんなに墜して、それっぽっちかい」
「それ位でしょう。僕は六機墜した」
二人は冷たいものを、一と息に飲み乾した』


なかなか景気がよいですな。




いや、わたしが「おっ!」と思ったのはそこじゃないです。

2つあるんですが。

1つは文中に書かれた「腕に分隊長の印」、これです。
飛行服の腕に「分隊長の印」をつけていたっていうんです。

どれだ!?
左袖は階級章ですよね?

河合大尉の台南空時代の写真って、飛行服姿があまりないです。
林さんの手記で、攻撃から帰って来たらすぐに脱いでいたからだと判明しました。

河合さんの飛行服姿は、これ(17年11月251空)と、17年9月7日のモレスビー攻撃時、これは台南空翻訳本にも画像が出ています。たしかに左袖に何かついているんですが、大尉の階級章ではないのかな?

あと、『海軍戦記』(映像)の戦果報告シーン、報告する河合大尉の後ろ姿。
YouTubeに「海軍爆撃隊」って名前であがっています、その10分30秒ぐらいから。

戦果が書き込まれた黒板の直後にうつる、整列する後ろ姿の隊員右が河合大尉ですが、左袖にやはり何かついています。階級章じゃないのかな? 白っぽく見えますね。これが「分隊長の印」なのか?

林さんのこの記述を読むまで、わたしは分隊長が飛行服に印をつけていたってことを不覚にも知りませんでした。

ちょっと研究してみたいです。


この映像、河合大尉は何かメモみたいなものを見ながら戦果を報告していて、あまり動きはありません。が、ちょっと頭が動きます。そして最後に一瞬、斎藤司令の方に顔を向けるんですよね。
「河合さんが動いた!!(゚∀゚)」
ってめっちゃ感動しますよ。

残念ながらこの映像に河合さんのお顔はうつっていません。お隣の吉田素網1飛曹(この日河合さんの2番機)も後ろ姿オンリーです。
(他の台南空搭乗員は何人かお顔がうつっています。山下丈二大尉、笹井醇一中尉とか山下佐平飛曹長、坂井三郎1飛曹、西澤廣義1飛曹、太田敏夫1飛曹、木村裕3飛曹などなど)




話を元に戻します。

「おっ!」となったもう1つの記述。

「僕は六機墜した」


何度も言いますが、「六機」と盛っていることに驚いたんじゃありません。

「へー、中島少佐と話をするときに一人称『僕』だったのかー」
↑ここです(^^;)

「貴様と俺」というぐらいだから、同輩や後輩と話すときは「俺」のイメージ。
(部下に対しては河合さんも「俺」と言っています)
でも、上官や先輩と話すときは「わたし」かな?と思っていました。勝手に。
河合さんは「僕」なんだー(*'▽')

わたしの周辺に自分のことを「僕」って言う人、二人しかいません。
偶然だと思うのですが、二人とも大学教員です。

元海軍さんは「俺」か「わたし」が多いような気がします。たまに「わし」(笑)
「僕」と言われる人もいるかもしれませんが、わたしはいままで気づかなかったです。


というわけで、ちょっとこの河合さんの「僕」は「おっ!」と思ってしまいました。

ま、林さんが聞きとったことを正確に記述されたかどうかはわかりませんけどね(^^;)






肉声ついでに直筆も。


これは西澤さんが台南空時代にマラリアで入院したときに、士官搭乗員から贈られたという日の丸の寄せ書き。
ことばを寄せているメンバーから、9月の前半に書かれたものではないかとわたしは考えています(9月13日に戦死した高塚飛曹長のお名前がある)。

みなさん、病床に伏している西澤さんにいろいろとことばを寄せて署名されています。
たとえば高塚飛曹長は「無」、斎藤司令は「至誠」←どういうつもりでこれらのことばを書かれたのかなあ、と考えると、これはこれで興味深い研究対象ではあります


河合さんは、

「分隊長 河合四郎」

のみ。

これだけで、

「西澤、早くよくなって戦線に復帰しろよ」

というプレッシャーをかけるとはさすが分隊長・河合四郎大尉。

ちなみに中島さんも、「飛行隊長 中島正」でプレッシャーをかけています。


こういうところから、河合さんは情熱的な人というより、あっさりさっぱりした人だったんじゃないかなあと、勝手に思い描いているわけです。
筆跡もね、なんか見ているだけで落ち着く筆跡ですよね。 ※あくまで個人の感想です


河合さんが松岡修造さんばりの情熱家だったら、きっと、
「元気!!  河合大尉」
とか書くと思うんですよね、もっと熱い筆跡で。

んー、書かないか(・ω・)







あと、先述の林唯一さんの手記に、

『指揮所の手摺に黒板を立てかけて、K大尉が戦闘記録をとっていた。搭乗機名、撃墜機の機種、機数、味方機の故障個所などが赤、白の数字や記号で一ぱいに書きつけられていた。
「お前は何機墜した?」
「グラマン一機、P四○一機」
「お前は?」
「グラマン三機、一機不確実です」』

という記述があるので、もしかしたら、『海軍戦記』の戦果報告の黒板も、河合大尉が書かれたものかもしれません。


※画像は武田信行氏ご提供