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大日本絵画『台南海軍航空隊 ニューギニア戦線篇 モレスビー街道に消えた勇者たちを追って』2016年02月02日 08時49分52秒

出版を心待ちにしていました。


ルーカ・ルファート氏(イタリア)とマイケル・ジョン・クラ―リングボールド氏(オーストラリア)という二人の外国人の共著だそうです。
原著自体は2012年に英語で出版されているみたいです。それを平田光夫さんという方が日本語訳して今回大日本絵画から出版になった、と。
スイマセン、わたし、原著の存在、知りませんでした。


自分では台南空、久しぶりな気がします。


読んだ感想ですが。

ひとことで言うと、複雑な気分になる本でした。

戦争の本ですから、最初から心地よいものを期待していたわけではないですが、思った以上にきつい部分が多かったです。
具体的にどこと書いてしまうと営業妨害になると思うので、気になる方はご自身で確かめてみてください。
たぶん読んでもらったら、わたしが「これはきつい」と思った部分がどこらへんか、わかるんじゃないかと思います。

搭乗員の最期は「未帰還」「行方不明」=戦死、になっていることが多いので、本当の最期を知らないままでいることがほとんどだと思います。

しかし、こちらがそうでも、敵側が把握していることがあり…。

わたしはただその人のお顔が思い浮かんだだけでたまらない気持ちになってしまうんですが、無関係のわたしですらそうなので、ご遺族の方が読んだらさぞかしつらかろうなあ、という部分もありました。


あと、著者が外国人だからか、個人的な考え方の違いなのかはわかりませんが、一部共感しづらい記述も。


そういう部分もあるんですが、全体としてはわたしはこの本、読んでよかったと思います。

この著者二人は、台南空と真剣に向き合って、真剣に書いてくれたんだと感じました。


それにここに描かれている台南空は、『大空のサムライ』より、わたしが行動調書や西澤さんの遺品の写真などから思い描いている「台南空」に近かったような気がします。
あんな人もいた、こんな人もいた――って意味で。

なので、『大空のサムライ』のような台南空を期待して読むと、ちょっと違う、と感じるかもしれません。



読んだ印象では、たぶん、書かれていることの根拠は「資料」なんでしょうが、一部そうとは思えない部分も。

「これは著者の思い込みじゃないか、妄想入っているんじゃないか」

思い込みが激しく妄想癖があるわたしがそう感じるような箇所もありました。
たぶん、それは読んだらわかるんじゃないかと思います。
亡くなっている人がどういう動機でそんな行動をとったか、とかね。
本人、亡くなっているんで実際のところはわからないですもんね。




わたしは英文が読めんので(自慢すんなって話ですが)、基本的には日本側の資料や書物しか読んでいません。

日本側から見た台南空ですよね。

それが、今回、連合軍側からの視点でも台南空を見れて、いままで片目でしか見れていなかった世界が、ようやく両目で立体的に見れたような気になれました。気のせいかもしれませんけど。



自分の撃った弾丸が相手にどういう影響を与えたか、知らないまま戦果報告している場合もあったようですね。
たいした戦果がなかったとして報告していても、実は敵に重大な結果を与えていたり。撃った本人は知りませんよ、これ。
逆に、撃墜したと思い込んで報告していても、きちんと基地に帰投していたとか。それはお互いけっこうあったようです。
最後までついて行くわけにはいかないので、そんなもんだろうな、と思います。


あと、連合軍側の事情を知ってみると、
「そんな些細な行き違いで、○○さんは戦死することになってしまったのか」
と愕然とすることもありました。

しかし、ご存命の搭乗員さんたちにお話をうかがうと、逆に、「些細な行き違い」で命拾いをされていることが多いです。
どちらも戦場では起こりえたことなんですね。






この本は「ニューギニア戦線篇」なので、いわゆる「ソロモン戦線」がガバッと割愛されています。拍子抜けするぐらい。

そういう意味では、「ラバウル台南空」としては未完です。ソロモン戦線を加えて初めて「ラバウル台南空」になるんじゃないかな。

「ソロモン戦線篇」執筆の予定があるのかどうか知りませんが、ぜひともそこも書いてもらって、「ラバウル台南空」を完成させてほしいです。

もっというと、16年10月の開隊から、蘭印時代、ラバウル台南空、そして17年11月の251空改称後、18年8月末に戦闘機隊が解隊するまで、「台南空(251空)」を通しで、どなたか日本人で書いてもらいたいなあ、と思ったり。






そうそう、巻頭カラーページに塗装図が出ていました。←スイマセン、連合軍側、ちゃんと見ていない(^^;)
台南空機の塗装、こんなことまでわかるの!?
と驚きました。
9期の後藤龍助3飛曹の乗機が載っていてビックリ。「可能性」らしいですけどね。


9期といえば、この本、わたしが知らなかった9期生の新事実が複数箇所出ていて、それは想定外でした。この本に期待していたことではなかった(^^;)
まさか、この本でその事実(たぶん)を知ることになるとは。
「なんで知ってんだよ!?」
ってビックリしました。
またあらためて書きます。



あと、山崎市郎平さんのこともけっこう調べて書いてありました。
この著者、山崎さんに何か思い入れがあるのかな?ってぐらい。
いきなり「台南空以前」から山崎さんが登場したので「おおっ!」ってのめり込んで読んでしまいました。







この本関連で別に書きたいなと思っている件。
・河合四郎大尉の件
・9期生の件
・集合写真の氏名の件

書こう書こうと思いながら忘れていることが多いので、いちおう書いておきます(^^;)

いつものことですが、とりとめのない感想でスイマセン。



※画像は武田信行氏ご提供

戦艦山城2015年03月25日 15時41分42秒

今日、イオンでこんなん見つけました。
エフトイズ艦船キットコレクション vol.6。
山城、扶桑、最上、駆逐艦3隻(山雲、満潮、朝雲)セット。



番号指定してあったので、もちろん戦艦山城を取って来ました(*´▽`*)

いつもいっていますが、これの品名は「チューインガム」です(笑)

春海にあげています。




作ろうと思って中身を出したら・・・・。

「部品が見えんのだけど!?Σ(|||▽||| )」

なんだ、これ?
対空機銃? 砲身?
説明書見ても、説明書の文字が見えんし!?Σ(|||▽||| )

箱見たら、1/2000だった( ;∀;)
そりゃ、見えんわ(;^ω^)







山城と言えば。
台南空、251空の山崎市郎平さんが操練に入る前、12年10月25日から山城乗組です。
13年12月8日で霞ヶ浦航空隊附(整備)の辞令が出ているので、1年ちょっとですね。

上の山城はスリガオ海峡の山城なので、たぶん山崎さんが乗っていたころの山城とはちょっと違うんですよね、知らんけど(^^;)




あと、9期の坂田清一さんが艦務実習が山城です。
かれらが艦務実習をやったのは15年の春なので、山崎さんとは重なっていません。


ちょっと余談ですが・・・・
9期生がどの艦で艦務実習をやったかは、個々の履歴を見ないとわからないです。
いや履歴を見てもわからない人もいます。
羽藤一志さんは艦務実習の記載がありませんでした。
井原大三さん(榛名)と坂田さん、あともう一人の操縦の人(金剛)は記載がありました。

たぶん操縦分隊の人と偵察分隊の人が同じ艦に乗っていることはないんじゃないかと推測しています。
班で別れて乗っているのかなあ?

池田和義さんの写真の中に、艦務実習中に台湾に上陸したときに撮られたの?って写真があったのですが、写っているのが、池田さん、亀山一郎さん、清田進さん。
この3人、2学年の班が一緒なんですよね。

一緒に行動しているってことは、艦務実習も班ごとかなあ?

羽藤さんも同じ班なので、同じ艦でやったのかも。
しかし、この班の誰も艦務実習の艦が判明していないので、艦名不明です。

と、書いた直後で、戦史研究家Yさんに亀山さんの手記をもらっていたことを思い出し、「もしや」と見てみたところ、
『小生は確か「榛名」に乗船していたと思う』
との記述がありました。

ということは、池田さんも清田さんも羽藤さんも榛名か?(^^;)

スイマセン、話が逸れました。おまけに想像入っています。


※画像はご遺族ご提供

期長2014年12月31日 16時44分48秒

「きちょう」

うちのPCでは変換しても熟語としては出てきません。

ホリブンの「機長」は出ますけどね(^^;)



久保さんからいただいた手紙に、武田さんのことが「武田期長」と書かれてありました。

武田さんのこと、「期長」って呼んでいたそうです。


「武田期長、なんかかっこいいーーーー!(・∀・)」


貴重情報、ありがとうございます!!(*´▽`*)




期長って、たぶんその期の中で最先任者って意味ですよね。

集団ごとにいるのかな?

久保さんの書き方では、武田さんが期長なのは「9期生だったから」って書き方なので、おそらくこれは成績ではなく、先任順位の高い人がなるんだと思います。階級とか入隊年とか。

飛練16期陸上機操縦専修班はほとんどが乙10期生。
9期の河合さんと武田さんのお顔が見えるけど、河合さんはなぜか進級が遅れたようで武田さんより1階級下になってしまっているので、飛練16期陸上機操縦の最先任者は武田さんです。

なので武田期長。

当然、実用機(艦攻)に進んでからも武田さんは武田期長だったのでしょう。





ということは飛練10期谷田部の練習機教程の期長はこの人か。

どなたかわからんのですが、1空の9期生の中に、一人だけ3空曹の人がまじっています。
8期生じゃないかと想像しているのですが、どなたかわかりません。

この人は中攻操縦専修に進みますが、実用機に進んでからは3飛曹(16年6月名称変更)が他にも2人いるので、どの人が最先任者、期長かわかりません。




ところで。

操練54期の山崎市郎平さんも同期の吉田一平さんから「期長」と呼ばれています。
操練54期には山崎さんより先任者がいるので、おそらく「操練54期戦闘機班」の最先任者が12志の山崎さんだったのではと思っています。
修業時の集合写真を見ても、みながジョンベラなのに、山崎さんは下士官の軍服を着ています。


16年夏かな?
山崎さん

残念ながら操練時代の出せる写真がないので。





※画像は山崎さん、9期生ご遺族、久保さんご提供

今日のおやつ2014年12月03日 18時56分35秒

ガーナチョコレートのたい焼き♪



一時期たい焼きブームありましたよねー。
うちの近所にもたい焼き屋ができて行列ができていたことがありました。
待ち時間15分とか20分とか。
あっという間に廃れて、お店もなくなりましたけどね。

今日買ったたい焼き屋は細々と長くやっているんじゃないかな?




さっき書くのを忘れました。
山崎さんですが市郎平→「イチロヘー」らしいのですが、本人はこの名前が子どものころから好きでなかったらしく。
「イチロヘー」と呼ぶと本人が嫌がるのでご両親は「イチロー」と呼ばれていたそうです。
山崎さんは戦友にも「イチローと呼んで」と言っています。
でも戦友は「イチロベー」って呼んでいたそうです(^^;)
あ、姓は「ヤマザキ」さんです。

濁るとか濁らないとか、ホント、聞かないとわからないですよね。
井原大三さんは「タイゾウ」さんかと思っていたら「ダイゾウ」さんらしいし。
『源田の剣』の髙木さんは「タカキ」さんだし。

たぶんひとりごと2014年12月03日 09時36分43秒

ひとりごとなんですけどね。

先日ちょっとここに書いた「知○袋」に出ていた話題です。

山崎市郎平さんの名前の読みと、遠藤桝秋さんの出身地を質問している方がいたんですよね。

うん、まあ、この質問自体は特に何か引っかかったわけではありません。

もう解決している話ですが一応書いておくと、山崎さんの妹さんのお嬢さんや、ご実家(本家)の方々が「イチロヘーさん」と呼ばれていました。
妹さんは「お兄さん」か「兄さん」と呼ばれていたと記憶しているんですが・・・・。

余談ですが、妹さんは、
「わたしは母親似で、(お)兄さんは父親似だから、わたしは(お)兄さんとは似ていない」
と言われていました。
そんなことない、と思いました。

きょうだいでも似る似ないはたしかにありますからね。
おじ・甥(姪)でもそっくりな人もいますし。
これ書き出すと止まらなくなるのでやめておきます(笑)





遠藤さんの出身地に関しては、ある本に「福岡」と書かれている、いやまて「福島」と書かれたものもある、どっちだ、という質問だったのですが。
福島です。
武田さんが取材に行かれたので間違いありません。

「おもいで」で訛りをいじられている練習生が何人かいます。
遠藤さんは訛りに関してはまったくいじられていませんが、武田さんが取材に行かれたとき、あー、いや、なんでもない(;'∀')

※画像は武田信行氏ご提供






話がそれましたが、とにかく「知○袋」。

わたしが、
「なんだってっーーー!?∑(`□´/)/ 」
と驚愕したのは、その質問に寄せられた回答に書かれたあるひとことです。


兵籍番号が横志空


↑遠藤さんのね。


これに引っかかりました。

昨日はこれが気になって眠れませんでした。
※ウソ 熟睡した模様

いや、気になっているのは本当です。

実はわたしも遠藤さんの「横志空」時代の兵籍番号は知りません、遠藤さんだけじゃなくて、一人を除いて9期生ほとんどの航空兵時代の兵籍番号は知りません。

自分でもちょっと調べてみようという気になっています。。。。

つーても誰かに聞こうとしている気がする(笑)




ひとりごとですよ、これ、きっと・・・・。