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ヤバい、あったかい、泣いた( ;∀;)2017年12月27日 22時15分51秒

前回、仕事が終わって帰るとき、奥のデスクで仕事中だった上司に、

「あのー、上司さんとは年内は今日が最後ですよね。一年お世話になりました。良いお年を・・・・」

「あ、そうやね。良いお年を」

とあいさつをしてから部屋を出ました。



わたしの仕事納めは今日(27日)だったのですが、今日は上司が出張で職場に来ないということで、顔を合わせるのは前回が最後だった、というわけです。


【余談】
部屋を出たところで、別の上司さんにばったり会いました。
この人はわたしの直接の上司ではないのですが、立場上は上司。

「あ、わたし、年内は今日が最後です。お世話になりました。来年もよろしくお願いします。良いお年を」

「こちらこそ。良いお年をー」

と言い合って別れました。


あれ?


なんか話がおかしいですよね?


そう。


わたしは今日27日が仕事納め。なのに部屋を出たとたんに「前回が仕事納め」と勘違いして、別の上司さんに仕事納めのあいさつをしてしまっているのです。

アホやアホやアホやアホや。

家に帰ってからそのことに気づきました。


「27日、職場でどんな顔をして会えばいいんやろ・・・・」

だいぶ恥ずかしい(^^;)

と思いながら仕事に行ったのですが、その上司さんも今日は職場に来られず、結局前回が今年最後になりました。あいさつしておいてよかった~(*´Д`)







ここまで前置き(笑)


本題はここからです。


今朝、

「さみーよー( ´艸`)」

と震えながら仕事に行き、部屋の鍵を開けて入ったら、

「ん?」

なんかあったかい。


エアコンのパネルを見たら、エアコンがついているではないですか!

どうも、今日出張の上司が、ひとり出勤してくるわたしのためにタイマーで部屋をあたためておいてくれたみたいなんですよね。

うちの上司は行動にまったく抜かりがないので、エアコン切り忘れはありえません。
きっと、昨日、天気予報をチェックして、
「明日の朝は相当冷え込むな」
と、帰り際に設定してくれたんでしょう。

うれしくって涙がちょちょぎれました。

震えながら出勤しましたが、いっぺんに心があったまりました(´▽`)

来年もお菓子担当、全力でやるぞー!

きんぎょの友情2012年12月05日 11時23分48秒

昨日夜の、和金たちの寝姿。

和金たちはいつもは、水槽の真ん中~左寄りの場所で寝ています。
丹頂水槽の方(左)に頭を向けて寝ていることが多いです。

昨日の夜は・・・・。

一人だけ隔離されちゃったアカネちゃんを心配してか、みな、右側に寄ってきて寝ていました。

段差があるので姿は見えてないのかもしれませんが、あっちにいるらしいというのはわかっているのかも?

きんぎょは弱った個体を共食いするって聞きますが・・・・。
夏に飼っていた土佐金の赤ちゃん(睡蓮鉢に2匹飼い)、1匹が弱ってしまったとき、もう1匹がずっと傍らに寄り添っていました。
意識朦朧としてふわーっとなると、つんと突いて覚醒させていました。
何度かそんなことをしていたようですが結局死んでしまい、残った方も後を追うように死んでしまいました。




朝起きてみたら、アカネちゃんの患部に変化が!

腫れは多少引いたようにも見えるのですが、そのかわり、左のときと同じように、白いぽつっとしたものが出ていました。

膿? 脂肪の塊? 寄生虫?

ジッと観察してみても、動いている様子はありません。

春海がプロフィール帳に記入していたので2011年04月19日 13時30分19秒

昨日、ママが記入した(笑)プロフィール帳の裏面だけ、春海が記入していました。
春海が学校に行ったあとで、リビングの机の下に落ちているのを見つけました。

プロフィール帳

えー。
カテゴリ、めずらしく【感動した話】に入っています。
別に、春海の字の汚さに「感動した!!(TДT)」ってわけじゃあないんです。

「MY FAVORITE わたしのすきなもの」の「ブランド」のところに、「ママブランド」って書いてあるでしょう。号泣しましたーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(TДT)

ちゃんと服も買ってあげているのに、いつもママが作ったダサイスカート履いています。
洗いと日焼けで色落ちしているのに。
置いておくと履くから捨てようと思っていました。
「春海はママが作った服が好きだったのかーーーーーーーーーーーーーーーーー(TДT)」


と、まあ、感動巨編はここまでにして。


宝くじが当たったら「1億円」と書いてますね(^_^;)
春海が宝くじが当たったときの夢、知っていますよ。いつも言います。
「はーちゃんねー、宝くじが当たったら毎日タクシーでプール通うんだーー(^O^)」

6億当たったらスイミングに通う必要なんかない!
田舎に50メートルプール付の家建てて、専属コーチつけたるわ!!

と、ママは言っていたのですが、春海の宝くじは1億円当選だったのね?
1億円じゃ、50メートルプール付の家と専属コーチはムリだね。




それにしても、スキな遊びベスト1が「おにごっこ」な子に、「告白したことある」とか「告白されたことがある」とか「キスしたことがある」とか「失恋したことがある」とか聞くのは、間違っていると思う。

春海が真面目に答えているところがウケタ(・∀・)

絆創膏のおねえちゃん2010年02月04日 19時33分23秒

おねえちゃんがくれた絆創膏
今日、春海、学校から戻ってくるなり、
「はーちゃん、またこけちゃったーー」

玄関で、スカートをめくって膝を見せてくれました。
右膝に大きな絆創膏。左すねに擦り傷。

「こっちはねー、帰ってくる途中でこけてん。こっちは学校の運動で遊んでいてこけた」

右膝の怪我は下校途中でこけたというのです。膝の絆創膏とは別に、手に未使用の絆創膏も持っていました。
「絆創膏、どうしたん?」
「高校生のおねえちゃんがくれた」

なんでも、春海がこけたのを見ていた通りすがりの女子高生6人ほどのうちの一人が、どこかに駈けて行き、絆創膏と消毒液を持ってきて、その場で消毒液をかけて治療してくれ、絆創膏まで貼ってくれたらしいのです。

「また、わーんって泣いてたんやろ(^o^)」
「泣いてないもん(-.-#)」
「どこでこけたん?」
「たい焼き屋さんの前」←春海がガラスにへばりついてよく見学しているお店です。
「おねえちゃんたちは帰ってくるときによく会う子?」
「初めて会った」
「どんな制服着てた?」
「んーとねー、んーとねー、黒でねー」
ああ、もう、いい、もう、いい。

春海がスポーツクラブに行ったあと、たい焼き屋近くの本屋に行って、女子高生が消毒液と絆創膏をもらいに来なかったか聞いてみました。
「うちじゃないわねー。そこの整体院とか?」

なるほど、たい焼き屋の隣に整体院があります。そこなら消毒液とかありそう。

整体院と薬局で、女子高生のことを聞いてみたのですが、知らない、とのこと。

諦めかけたのですが、念のため、たい焼き屋さんにも聞いてみました。
「ああ、ああ。小学生の女の子がそこでこけてねー」
おっ! 目撃者発見!
「たぶん、そこの塾の女子中学生だと思いますよ。塾に戻って薬をとってきたみたい」

「そこの塾」というのはたい焼き屋と道を挟んだビルの2階に入っているH塾。
そこに行って塾の人に聞いてみたら、
「ああ、うちの中3の女子生徒が借りに来ましたよ」
と。
ママが行ったときはちょうどその子はいませんでした(帰ったあとだったのかな?)。
いきなり訪ねていって、「何中ですか、何て名前ですか」と聞くのはちょっとアレかなーと思ったので、とにかく本人も親もものすごく感謝している、ありがとうと伝えておいてください、と伝言して帰ってきました。

やさしいおねえちゃんがいてくれてホントよかった。
中3ということは受験ですね、ママも合格祈願しておきます!
ありがとう!

瑞鶴のご真影2008年04月29日 09時55分16秒

航空母艦「瑞鶴」の碑
ずいぶん前に、神野正美さんの『空母瑞鶴』光人社について、ここにちょこっと書いたことがありますが。

あれは、図書館で偶然見つけて借りた本で、ママの手元にはありません。

ママは本は基本的に買います。
買って、読まないまま放っている本もあります。
とにかく、読みたい、と思った本は手元に置いておいて、いつでも読めるようにしておきたいのです。

ブログを読んでくれている方はわかっていると思いますが、ママ、あまり艦船には詳しくありません。
『空母瑞鶴』も、
「『梓特別攻撃隊』の神野さんの本だ~」
と思って借りたのであって、瑞鶴に興味があったというわけではなかったのです。

でも、一度読んでしまうと、のめりこんでしまうのです・・・・。
手元にないのが何かと不自由な今日この頃・・・・。

ちょっと確認したいことがあっても、その部分を見るためだけに図書館まで行くのって、面倒くさがりのママには大変なことなんですよねえ・・・・。

大淀のカッターの話、感動したなあ、と前にここに書きましたが、実はまだ他にも感動した話がたくさんあって、そのうちの一つに、若い二人の青年士官が、天皇陛下のお写真を沈没しかかっている瑞鶴から運び出す話があったのです。

本が手元にないから、あっているかどうかわかりません。
このうちの1人は深井中尉の同期生で、もう1人が主計科の士官だったような・・・・。
(ブログに書くなら図書館に行って確認してこい、って話ですが)

あの当時の軍人さんや国民にとって、天皇陛下のお写真がどれほど大事なものだったのか、戦後生まれのわたしなんかにはたぶん想像しようにも想像できないことなのでしょうが、二人は自分の命も顧みず、お写真を運び出そうとします。

沈みかかっている瑞鶴から運び出し、沈没後はお写真をかついで海を泳いだのです。

ママは、お写真を無事に運び出した責任感の強さに感動したのではないのです。
このお写真を大事に抱えている方が死ぬ確率が高いのに(戦闘後、疲労困憊のまま戦場の海を漂っているわけですから)、「自分が持つ」と、お互いその危険な任務を自らが引き受けようとする姿に感動しました。

結局、お二人とお写真は無事ほかの船に救助されました。

・・・・という話だったと思うのです。
半年前に一度読んだだけだし、本がないからあっているかどうかわからないのですが。
あやしい話をブログに書くなとおしかりを受けそうですが。なぜ、書いたのか。
このママを感動させた二人のうちの1人は深井中尉の同期生でしたよね?
(ここで聞かずに図書館行ってこいっ!)