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霞ヶ浦海軍航空隊友部分遣隊教員写真2021年09月09日 16時32分51秒

先日、操練38期の坂井三郎さんが手記に書いている久保教員のことを話題にしたときに触れた教員写真です。


教員6人の無帽写真。

最初見たときは、いつどこで撮られた写真かわからなかったのですが、他の写真をいろいろ見ているうちに操練36期ごろの霞ヶ浦海軍航空隊友部分遣隊で撮られたものではないかと思うようになりました。
書き込まれている階級からも、11年11月~12年4月ごろの撮影だろうと思います。


左から
久保啓治さん
操練17期  戦闘機→艦攻操縦  新潟


浅川三雄さん
乙2期  艦攻操縦  福岡


千代田政治さん
操練24期  艦攻→中攻操縦  福岡


藤池喜一さん
操練21期  艦攻操縦  静岡


田中利治さん
操練20期  艦攻操縦  埼玉


村田盛雄さん
操練19期  艦攻操縦  富山
16年4月21日  加賀  殉職





操練36期集合写真から
久保教員

浅川教員

千代田教員

藤池教員

田中教員

村田教員




操練38期集合写真から
久保教員

浅川教員

千代田教員

田中教員

村田教員






操練40期集合写真から
浅川教員

田中教員

村田教員



こんな感じですね。

操練38期集合写真には藤池さんが、操練40期集合写真には久保さん、千代田さん、藤池さんが写っていないようにありますが、他期の担当になっているのか転勤されたのか、そこらへんはわたしは把握していません。




※画像は浅川さんご家族ご提供

操練38期集合写真2021年08月24日 11時00分40秒

浅川さんの写真の中に、操練38期の初練の集合写真がありました。

これは郵送で送っていただいた中にあったので、わたしも最近になって初めて見ました。

背景の建物は、先日取り上げた操練36期・操練40期の集合写真背景と同じ建物のようです。


これ、坂井三郎さんの『写真 大空のサムライ』(光人社)に同じ写真が掲載されていました。
それで操練38期だとわかったんですが(^^;)

そのキャプションには、
『昭和12年6月、霞ヶ浦海軍航空隊初歩練習機教程終了記念。後列、右から2番目が坂井一水。右上の円内は、教官の石川満男海軍中尉。昭和12年4月、事故死』
と書かれています。

手記の方を読むと、この霞ヶ浦海軍航空隊は友部分遣隊(のちの筑波空)のことだとわかります。



坂井さん。




浅川教員。


ちょっと考えてみてください。
わたしは海軍航空隊には『大空のサムライ』から入ったようなものなので、坂井三郎さんというのは台南空の下士官搭乗員の主、泣く子も黙る先任下士、ですよ。
この写真を見ると、その坂井先任にも雛鳥時代があって、さらにその雛鳥が羽ばたくために指導した教員のおひとりが浅川さんですよ。
浅川さん、どんだけベテランやねん、って話です。


ただ、浅川さんは坂井さんの直接の指導教員ではありません。

『大空のサムライ』(光人社NF文庫)。
『つづいて操縦実技の受け持ち教員が発表された。大部分の組が教員一人に対し練習生三名であったが、二名の組も幾組かあった。
私の教員は久保二空曹ときまった。久保教員は、艦上攻撃機(雷撃機)専修の下士官で、昨年までは空母『加賀』に乗っていたとのことである。』


坂井さんの担当教員は「久保二空曹」。

これだけではわたしにはどなたかわからないのですが、浅川さんの写真の中に当時の教員仲間と思われる下士官6名の無帽写真があり、それに階級と氏名が書かれていました。
そこに「一等航空兵曹 久保啓治」のお名前が。
※この写真では浅川さんが三等航空兵曹なので、12年4月以前の撮影と思われます。この写真のことはいずれまた。

この人が坂井さんの担当教員の久保さんかな?
一等航空兵曹になっているんですが。

操練17期、新潟県出身、戦後生存。




この人、操練38期の写真にも写っているようです。


『大空のサムライ』(光人社NF文庫)
『海軍の操縦者は、霞ヶ浦を巣立つと、空母や陸上航空隊の実施部隊に配属になり、第一線機に乗って活躍するのであるが、何年か後には、たいてい一度は霞ヶ浦に帰ってきて、教員となって後輩の指導に当たる。これを私たちは母校への「お礼奉公」といっていた。
久保教員もその「お礼奉公」の下士官で、私たちが二期目だといっていた。体格の立派な眉毛が太い、落ち着いた、見るからに雷撃機乗りといった感じの強者――この強者の兄弟弟子に平山練習生と岡部練習生、それに私の三名がなり、これから初歩練習機教程三ヵ月間をみっちり仕込まれることになった。
昼休みに私たち三人が揃って挨拶にいくと、久保教員はちょうど指していた将棋盤から目を離して立ち上がった。
「外へ行こう」とひとこと言って、私たちを藤棚の下のベンチに連れて行った。
私たちは直立不動の姿勢で、自分の官職氏名を次々に名乗って、
「よろしくお願いします!」といった。すると久保教員は、
「おい、あんまりかたくなるなよ、まあ坐れよ」といってベンチをすすめながら、煙草を一本ずつくれた。
海兵団や砲術学校のように、いきなり気合を入れると思っていたのに、あまりにやさしいので、私はかえってびっくりした。
「あすからの初練期間中、おれがお前たちを受け持つことになった、しっかりやれよ。クビにならなくてよかったなア。厳選に厳選されてきたお前たちに、注意することはないが、あすから、空中で、また、地上で、俺の教えることをすなおに聞いて、それを体得して、この友部における初練教程をみごとパスするんだな。今夜の温習の時間に、始業式のときの司令の訓示を、なんべんも読みかえすんだ。あの訓示を、かたときも忘れずにがんばれよ。ほかの組に負けないようにいこうぜ」
私たち三人はなんどもコックリをしながら、久保教員の、この言葉をかみしめた』


教員にも余裕が感じられますね。
この頃は受け持ち練習生も少なくて、まだ手取り足取りできていたんでしょうね。
のちになればなるほど、期間も短くなり(9期は初練教程すっとばし)、受け持ち練習生も多くなり、教員の負担も激増したように思います。


坂井さんの手記によると、久保教員は霞空の前に加賀にいたということなので、浅川さんの加賀艦攻隊(1回目)の集合写真を探してみたのですが、そこでは見つけられませんでした。
もしかして、違う久保さんなのかな?(^^;)
それとも加賀勤務の時期が浅川さんとは違うのかな?(^^;)

階級のことも気になっているんですが、坂井さんの手記では階級間違いはたまにあるので(^^;)

「私たちが二期目」というのは、浅川さんの操練36期写真に久保さんも写っているので、それが1期目とすると操練38期は2期目で、「なるほど」なんですが。

絶対久保啓治さんだ、とは断言できませんが、現時点では「久保教員」の候補、ということで。








浅川さんの霞ヶ浦海軍航空隊友部分遣隊時代の担当クラスは、写真から推測すると、操練36期、操練38期、操練40期、といったところみたいです。


操練36期
ペア写真から、初練。



操練38期
坂井さん手記から、初練。




操練40期

飛行服写真の背景から、初練。




※画像は浅川さんご家族ご提供

期別不明集合写真2021年08月16日 21時59分46秒

浅川さんの写真の中にこんな集合写真がありました。

練習生らしき人たちのペンネントは「霞ヶ浦海軍航空隊」。
残念ながら階級章などは見えません。

「はて? 何の何期の集合写真かな?」

お一人お一人見てみたけどよくわからない。



別のところにヒントがありました。
初練の前の、浅川教員と練習生2人のペア写真。
これも詳細不明の写真でした。


が、この2人、上の集合写真にも写っていました。



左の練習生の袖の階級章、
錨マークが交差しているように見えます。桜はちょっとわからない。
一等水兵か二等水兵か。
だとしたら、この集合写真は操練だな、と思いました。



こちらは操練40期の初練とキャプションがついていた集合写真。
ペンネントは同じく霞ヶ浦海軍航空隊。
251空宴会写真でコスプレを楽しんでいた安井孝三郎さんが練習生として写っています。

『日本海軍戦闘機隊2』【エース列伝】の巻末資料によると操練40期は12年7月~13年2月までとか。このうち霞ヶ浦はどの時期なのか。

ちなみに浅川さんは何度か霞ヶ浦航空隊勤務があるのですが、1回目が自分の飛練。
2回目は11年11月から約1年間、教員勤務。
3回目は加賀・十五空勤務を経てからの13年終わりごろに半月だけ霞ヶ浦海軍航空隊で教員勤務。
ただ、これ、半月で終わったのはどこかに転勤したからではなく、勤務地の霞ヶ浦海軍航空隊友部分遣隊が筑波海軍航空隊として独立したために所属が変わった、って話だと思います。
が、筑波空(友部)勤務は長く続かず、ひと月後ぐらいに筑波海軍航空隊百里原分遣隊勤務になっているので、筑波空身分のまま勤務地は百里原に移動。
4回目は百里原の次なんですが、この霞ヶ浦時代のことはわたしもよくわかりません(写真、あるのかな? たぶんない)。短期間です。

というわけなので、操練40期は11年11月から約1年の間の霞空教員時代のものと思われます。



たぶん後ろの建物は、冒頭の期別不明集合写真と同じ建物(屋根、壁、樋などから)。
「期別不明写真も11年11月~の霞空教員時代の操練だろう」
と思いました。
時期的なことを考えると、操練40期より後の期ではなく、操練40期より前の期の可能性大と思いました。


【エース列伝】の操練の戦闘機搭乗員の名簿と見比べながら、
「39期(菊地哲生さんがいる)でもない、38期(坂井三郎さんがいる)でもない・・・・。37期(大木芳男さんがいる)じゃないやろ? 36期は顔がわかる人おらんし、35期(原田要さんがいる)でもないし・・・・」
→わからんっ!( ;∀;)

ほぼ何も解明できないままでこの集合写真に対する追及はストップしていました。



で、先週末、急にこの期別不明写真が操練何期かわかりました!!\(^o^)/

見返していて、知っている人が写っているのに気づきました!!


百里原で教員をしていた操練36期の西継男さん!!

ヅラの人、て云った方がわかりますかね?

西さんは浅川さんとは縁深い人で、百里原では同僚教員、それ以前には加賀で同僚(ともに艦攻操縦員)だったんです。


加賀時代のこんな写真もありまして。
浅川さんは後列中央あたりの長身の和装。

浅川さんの右の方に西さんも写っています。


この西さんがですよ、じつは浅川さんと師弟関係(直ではないにしても)だったなんて!
かなり驚きましたぞ(;゚Д゚)
歓喜ってやつです。うれしかったですよー。

そうかー、あの集合写真、操練36期だったのかー。

待て待て。ということは、貝磯巧さんも写っているということか!


百里原時代の貝磯さん。


集合写真、探しました。


この人しかいないんですよねー。


↑この人(^^;)

浅川さんの直の教え子。

百里原時代と比べるとちょっと全体の雰囲気が違うんですが、顔のパーツは同じじゃないかな?


百里原教員時代の集合写真から。

3年ぐらい経っているのか。痩せているけど、やっぱり霞空時代の集合写真・ペア写真の人と同じ人よな?


というわけで、冒頭の写真は操練36期で間違いない。


操練36期だとすると、戦闘機のベテラン・澤田万吉さんもいるはずなんです。
わたしはお顔を知らないんで周辺に聞きまくりました。
そしたら!
わたし、澤田さんのお写真、持っていました!(またかっ!)

その写真&知人に聞いて得た情報などなどから、
この人が練習生時代の澤田万吉さんであろうと結論付けました。

そして、(まだあるんですよ(^^;))、澤田さん、浅川さんの百里原教員時代の集合写真に同僚教員としても写っていました。 


海軍航空隊、なんて狭いんだ!(;゚Д゚)


文章だけでわかりにくければ図の方もどうぞ↓
百里原時代は別の期の集合写真から写真をとっていますが、同じ時期に4人が揃っていたであろうことは考証しています。




前に、浅川さんの下宿で撮られたらしき西さんと貝磯さんの写真のことを書きました。
あのあとわかったことですが、この部屋は浅川さんの下宿で、のちにここに奥さんを迎えて新婚生活を送っていた部屋なのだとか。

西さんの転出時期を考えるとこの写真が撮られたのは浅川さんの結婚前のようですが、まあ、操練同期生2人で浅川さんの下宿に遊びに行ったときに撮られた可能性大かなあと思っています。
もちろん、別々に遊びに行った可能性もありますが。

練習生時代の教員の部屋に遊びに行く教え子――なんかいいなあ(*´ω`*)

この”師の下宿訪問”イベントですが、澤田さんの写真はありませんでした。
行っていたのに撮らなかったのか。
撮ったけど、何かの事情で残らなかったのか。
いや、そもそも行かなかったのか。

わたしは澤田さんはこの場にいなかったんじゃないかと思っています。

確証はないです。

西さんと貝磯さんは同年兵で同機種(艦攻)。
澤田さんは海軍歴は1年先輩で戦闘機。
ここは気心の知れた同年兵2人で遊びに行ったと解釈したいと思います。

前に操練出身の搭乗員さんに操練の同期生のことを尋ねたら、
「機種も違うし、同年兵でもないからよく覚えてない」
というようなことを言われたことがありました。

操練で同期かどうかより、海軍の入団年が一緒かどうか、そちらのほうがつながりには重要みたいです。




冒頭の写真ですが、ペンネントは「霞ヶ浦海軍航空隊」。
本隊か友部か決めかねていたのですが、他の期の集合写真とそこに写っていた人の手記からどうやら友部らしいとわかりました。
その話はまた今後。

時期は不明です。
操練36期の卒業は12年6月らしいですが、ペア写真からすると初練みたいだし、集合写真、練習生の後ろの木が冬の木みたいなさみしさだし、袖口から「厚着している?」って感じの人もいるし。この写真の撮影時期は寒い時期かも?

この写真に関してもまだ書きたいことがあるので別に書くと思います。




※画像は浅川さんご家族ご提供
※Kさん、Mさん、Tさんにいろいろとご教示いただきました

飛練10期 谷田部航空隊のある教員2021年08月06日 11時08分40秒

乙9期は15年11月30日に土浦の予科練を卒業、飛練10期生として操縦専修生たちは筑波と谷田部、偵察専修生たちは鈴鹿へと移動しました。


今日の話題は谷田部の集合写真。

あまり谷田部の教員のことを話題にしたことはないんですが、今日は教員の一人について。

最後列の右端に写っている教員さん。
まあ、だいたいこういう集合写真は椅子列中心に隊の幹部、その両脇に分隊長・分隊士(教官)、そして教員。
椅子列におさまらなかったらすぐ後ろの立ち列も教員さんがいることが。

しかし、最後列の一番端っこに教員がいる写真ってまずないんですわ。

んで、気になっていました。

やさしそうな男前教員でしょう?
※個人の感想です



こちらは谷田部の修業記念と思わる集合写真。
この教員さんは2列目の教員の集団にいますが、教員の中では一番端っこにいます(2列目右から3人目)。

これら2枚から、たぶん、教員の中では下の立場なんだろうな。



もう1枚ありました。
池田和義さんが持っていた飛練のペア写真。
前列左から西山昇さん、教員さん、新井正美さん。
後列左から池田さん、田中茂雄さん、鹿島長重郎さん。


この教員さん、1種軍装の教員さんと同じ人よな?

いま、やや自信を失っているところですが、たぶん同じ人と思うんです。


救命胴衣に記名もなく(練習航空隊はふつうない)、
「だれかわかることはないんだろうな」
とあきらめていました。






浅川さんの百里原の写真がきっかけでどなたかわかりました!
なぜ唐突に浅川さん!?(/・ω・)/





この話、しましたっけ?
浅川さんの写真の中に期別不明の集合写真がありました。
わたしは完全にお手上げだったので、Kさんに見てもらったところ、
「操練46期じゃないか」
と。

操練46期の太田敏夫さんらしき人が写っていると。

坂井三郎さんの『大空のサムライ』で有名です。
台南空の三羽烏ということで。えーっと、坂井さん、西澤さん、太田さんですか。


たしかに!
練習生の太田さん。


その後、他にも操練46期生の方が見つかったことから、操練46期の修業記念写真で間違いなかろうと思います。




太田さんのことはわたしがここに書くまでもなく、海軍航空隊、海軍戦闘機隊ファンの方ならよくご存じだと思います。

長崎県出身。
戦闘機。
『日本海軍戦闘機隊2』【エース列伝】によると操練後は大村空、谷田部空、12空、台南空。

「ん? 谷田部空だって?(;゚Д゚)」


うちにある谷田部空の集合写真を全部見てみました。
飛練某期(飛練10期より前)、飛練16期、2クラス分は空振りでしたが、1クラスによく似た人が。


それが冒頭の写真!
飛練10期!

あれ、台南空の太田敏夫さんじゃないかな?



もし太田さんだったらびっくりです。
ペア写真に一緒に新井正美さんが写っているでしょう?
飛練時代、直の師弟関係?(^^;)

太田さんと新井さんは台南空で再会しています。
新井「あ! 太田教員じゃないですか! その節はお世話になりました!」
太田「おお、新井! 立派な戦闘機乗りになったな! 分隊長に頼んで同じ小隊にしてもらおう!」
新井「はい! よろしくお願いします! どこまでもついて行きます!」
太田「おれから離れるなよ!」
新井「はい!」
→17年5月12日モレスビー攻撃
※もちろん会話は妄想です




台南空時代の下士官搭乗員集合写真(少人数)の太田さん。

座っているのは椅子列。
ベテラン搭乗員です。



戦地で飛練時代の教員と再会――。
うれしはずかしだったろうなー(雛鳥時代を知られている(^^;))。





谷田部には他にものち台南空に配属になった9期生がたくさんいます。

羽藤一志さん

遠藤桝秋さん

久米武男さん

熊谷賢一さん

佐藤昇さん

上田誠さん(ラバウル以前)

新井正美さん

大西要四三さん(所属は千歳空)

木村裕さん

みんな、飛練時代から太田さんを知っていたのかー!?
って思うと、また違う景色が見えてきます。
飛練の中練は7ヶ月ですからけっこう長期間。直接の担当でなくても、よく知っていたことでしょう。
太田さんの方もおぼえていたんじゃないかと思いたい。


太田さんは17年10月21日、ガ島攻撃で戦死。
が、それ以前に、2月24日上田さん、7月20日大西さん、8月8日木村さん、8月14日新井さん、8月26日熊谷さん、9月13日羽藤さん佐藤さん・・・・と帰らぬ教え子を待ちつづけることに・・・・。
もちろん、他の戦友・後輩たちの戦死もこたえたと思いますが、自分が手取り足取りした教え子が帰ってこない状況というのは・・・・。







※画像は9期生ご遺族、浅川さんご家族、武田信行さんご提供

伊藤心友さん2021年07月29日 23時28分44秒

少し前に、浅川さんのネガの中に「南京ニテ伊藤」というネガがあり、どうやらこの人が偵練36期の伊藤心友さんらしい、とブログで紹介しました。

簡単におさらいしますと、伊藤心友さんとは、9期の島田清守さん(瑞鳳)が17年3月15日に小笠原北方海域で行方不明になったときのペアのひとり(偵察員)で。
※操縦員は工藤隆さんです。



この人が伊藤心友さんだろうという結論に達したのは、15空の搭乗員名簿や当時の階級などからの推定でした。



昨日知人が伊藤心友さんであることが確実な写真を送ってきてくれました。
佐世保海兵団の卒業記念のアルバムに名入りで掲載されていたそうです。

伊藤さん!

ありがとう、ありがとうございます!



※画像は浅川さんご家族、知人Tさんご提供