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海軍省許可済第一二一六號写真2020年07月05日 07時59分34秒

発掘しました。

ふつう考古学で「発掘」というと、土の中から遺物や遺構を掘りだすことを指していますが、今日の話は考古学の話ではありません。


2015年に見せていただいた丙16期長渡良雄さんの写真の中からすごい写真を見つけてしまいました。


5年間、わたしのパソコンの写真フォルダに埋もれていたってわけです。
歓喜と同時に申し訳なさでいっぱいです。


長渡さんはもともと中攻の偵察員でしたが、終戦の前は762空攻撃501飛行隊で銀河に乗っていました。

アルバムは予科練・飛練時代の戦友の写真が多く、とても興味深いものでした。

その中に1枚、ちょっと毛色の違う写真がありました。アルバムに貼られていたのではなく、1枚モノの写真でした。アルバムに挟んであったのかな?

実施部隊の、出撃前の搭乗員整列のような?
場所は南方っぽかったです。

「長渡さんは写っていないよな? 長渡さんとは関係ない写真か」

ちらと搭乗員のお顔を見てそう判断し、ロクロク見ていませんでした。
そのときは「どこの部隊かもわからないし、見てもわからないだろう」と思ってよく見なかったんだと思います(反省)。



あれから5年――。



昨日、まったく別件の調べ物をしていて、「松島空」というキーワードにたどり着き、

「そういえば長渡さんが松島空時代の写真をたくさんアルバムに貼っていたな」

と思い出し、写真を見返していました。


そして再びあの写真。


これなんですけどね。。
わたしも5年の間に多少写真を見る目が肥えました(自分で言うか)。

「この背景、ラバウルに似ているよな」

↓西澤さん「南空の勇士」。
台南空の下士官搭乗員集合写真ですが、この背景の様子によく似ていると思いました。
わたしはこの写真の撮影場所はラバウルだと思っています。


んで、ラバウルじゃないかと疑い始めたら俄然やる気が出て、超拡大して搭乗員のお顔を見てみました。

「あれ? もしかして、この人は・・・・」

知っている人のお顔が・・・・(^^;)

しかも3人。

3人の共通点は「582空戦闘機隊」

ラバウルの582戦闘機隊か!?

え? でもどうして長渡さんがラバウルの582空戦闘機隊の写真を?



もっと何かないか?

写真を隅々まで見たら、右下に「海軍省許可済第一二一六號」と印字がありました。
たぶん、この写真、長渡さんが個人的に誰かからもらったものというより、当時の広報写真、報道写真みたいなものでは?


とりあえずネットでこの許可番号で検索したのですが何も引っ掛かりませんでした。



搭乗員3名は582空の人だと思ったのですが、もう一人、「これも582空の人じゃないか」という人が写っていました。

わたしが手記まで持っているあの人です。

角田和男さん(乙5)。

写真の搭乗員の並びの左端の人です。

わたしのSNS友に、実際の角田さんをご存じの人がいるので、SNSで「これは角田さんでは?」と問いかけてみたところ、その人から「角田さんですよ」との回答をいただきました!


発見した順に書いていきましょうか。
左が海軍省許可済写真から。
右は大澤芳夫さん(丙3)のアルバムにあった名入りの582空搭乗員集合写真(18年6月、角田さん離任に際して)から。

まず、この人に目が行きました。

「10期の福森大三さんじゃないか!?」

福森さんは予科練時代の写真も動画も、さらに台南空・582空の実施部隊時代も写真をたくさん見ているので間違いないだろうと。


福森さんの隣は同期の古本克己さん(乙10)だー!

古本さんも予科練時代、582空時代と写真を見ているので間違いないだろうと。



この人はちょっと斜めなので自信がなかったのですが、甲5の楢原憲政さんではないのか。



そしてこれがSNSで問いかけた「角田さんでは?」って写真です。
角田さんのお顔は認識しているつもりですが、うつむいていてよくわからなかったのです。
知人に「角田さんです」と言ってもらえて、いよいよ本格的に調査開始。



わたし、以前から台南空とか251空とか、行動調書から「誰がいつ誰と仕事をしているか」が一目でわかるように搭乗員ごとに出撃(哨戒)した日をExcelに打ち込んでいるのですが、大澤さんの582空集合写真を調べたときにそれの582空版を作っていたのです。
「角田さん、楢原さん、福森さん、古本さんが一緒に行動していて、しかも9人で出ている日」
と限定して探したら「17年12月3日」がありました。
※お顔が写っていない人も含めて搭乗員は9人写っています

他にあやしい日がないか、角田さんの離任日まで探しましたが、おそらく「17年12月3日」で決まりです。

17年12月3日
ブナ物量投下中攻隊掩護
ラバウル基地

1小隊1番機  飛曹長 角田和男
    2番機  一飛曹 楢原憲政
    3番機  飛長  山内義美(芳美)
2小隊1番機  上飛曹 武本正美(正実)
    2番機  二飛曹 福森大三
    3番機  飛長  沖繁国夫(国男)
3小隊1番機  一飛曹 松永晋松(留松)
    2番機  二飛曹 古本克巳(克己?)
    3番機  飛長  大沢芳夫
     

行動調書通りに並んでいるとしたら、「じゃあ、こういうこと↓だな?」

真上から見たらこうです↓
角田さんは全体の指揮官でもあるので列から外に出ています。





楢原さんの後ろの人、確かに山内芳美さんだー。

福森さんがデカいことは認識していましたが、山内さんの方がさらに長身ですね。
いつも座っているので気づきませんでした。


山内さんの奥にお顔の一部だけ見えています。
行動調書通りなら沖繁さんらしいです。



ゴーグルしか見えていないのが大澤さんか。


背を向けている上官らしき人で隠れてしまっているのが松永留松さん(操57)ということでしょうかね。


大澤さんを隠してしまっている最前列の人が武本正実さん(操37)ということになりますが、これだけお顔がはっきり写っているのだから照合したいです。

またまたSNSで問いかけてみました。

結論から言うと「これが武本さんだ」とはっきりわかるご教示はなかったのですが、

「この中に武本さんがいるらしい」

という写真を提示してくれた知人がいまして、そこにこの人と同一人物ではないかと思われる人が写っていました。




それ以外に、もう1枚。

以前、大澤さんのアルバムにあった582空搭乗員集合写真だとここに出した写真。
書籍参考&わたし調べで氏名を書き込んでいます。

3列目の右から3人目の人。
どなたかわからなかったんですが、同一人物ですよね。
立ち位置的にも、武本さんでもいい感じの立ち位置です。

しかし現時点では武本さん特定は今後の宿題かな。



というわけで、たぶん、海軍省許可済第一二一六號写真は17年12月3日、角田和男飛曹長指揮の582空戦闘機隊ということで。



搭乗員の向こうに「582空らしいなあ」という99艦爆が写り込んでいます。
これはわたしにもわかりました。


この飛行機、何だろう?と思っていつものYさんに写真を見てもらいました。

一式陸攻じゃないかとのこと。
582空の前身の2空が輸送(角田さん手記では「連絡」)用の一式陸攻を持っていたとか。
東飛行場でも離着陸可だそうです。



あとわたしがまったく見えていなかった飛行機もご指摘いただきました(^^;)
一式の左に、99艦爆らしき飛行機。
よく見えないですよね、Yさんも「99艦爆かなあ?」みたいな感じでした。


角田さんの上の奥の方に零戦らしき小型機。





というわけで、いろんな情報が詰まった写真をまたしても見落としていました、という話。

ときどき見返さないといけないとあらためて深く反省。



※画像は9期生・長渡さん・大澤さんご家族、武田信行氏ご提供
戦史研究家Hさん・Mさん・Yさんご教示感謝

潮書房光人社『丸』7月号2020年06月06日 21時35分25秒

久し振りに『丸』を買いました。

知人がSNSで紹介していたので。



谷川澄男さん(丙2)の息子さんご提供写真による、山陽丸の飛行機隊特集ページがありました。

わたしも前に山陽丸の飛行機隊についてちょこっと書いたことがあります。

もちろんわたしは飛行機のことはわからないので、知人の戦史研究家のYさんにいろいろ教えてもらって書いたんですが、『丸』の記事、Yさんの記事でした!(・∀・)



というわけで、頼まれてもいないのにここでおすすめ(笑)

台南空17年8月4日集合写真の丙3期生2020年06月04日 13時16分01秒

あることがきっかけでちょっとこの写真に写っている搭乗員に関して再考中です。


去年、本田秀正さんのご遺族の方から手持ちのものより鮮明な写真を提供していただいたので今日はそちらで考えてみたいと思います。

※背景をトリミングしています


まず、この写真が定説通り8月4日に撮影されたという前提で話をすすめます。
実際のところ、わたしはこの写真がいつ撮影されたものか知りません。
8月7日に戦死された吉田元綱さんが写っているのでそれ以前であることは確信しています。


では。

行動調書から、8月4日にこの集合写真に写れた可能性が比較的高いであろう丙3期生は、
(順不同)
岩坂義房さん
伊藤重彦さん
山内芳美さん
沖繁国男さん
長尾信人さん
本田秀正さん
平林真一さん
笹本孝道さん
明慶幡五郎さん
若杉育造さん

本多秀三さんが写っているのか写っていないのかビミョーなところです。



このうち、すでにお顔がわかっていると思っている人。 ※アルファベットは上の集合写真と対応しています

A 伊藤重彦さん
この写真ではちょっと傷みがあるので、

武田さんご提供の写真の伊藤さん↓

飛練17期大分卒業集合写真



C 本田秀正さん

飛練17期大分卒業集合写真



D 八並信孝さん

飛練17期大分卒業集合写真


E 山内芳美さん

飛練17期大分卒業集合写真


F 笹本孝道さん

飛練17期大分卒業集合写真


H 平林真一さん

飛練17期大分卒業集合写真



J 明慶幡五郎さん

飛練17期大分卒業集合写真


この方たちは582空の写真などから自分ではほぼ間違いないだろうと思っていた人たちです。


ちなみに沖繁さんはこの方です。
飛練17期大分卒業集合写真

582空時代

3列目の左端のような気もするけど、あれは米川正吉さんのような気もするし。
沖繁さんはちょっと保留です。





最近、ヒトからすすめられて見たYouTubeの動画に岩坂義房さんだという方の画像が出ていました。
台南空のガ島で戦死した搭乗員を特集したような動画です。
写真の説明がないので、写真の出どころはわかりません。

が、もし、その人が岩坂さんで間違いなければ8月4日集合写真のこの人です。

B 岩坂義房さん
いままでどなたかわからなかった人です。

飛練17期大分卒業写真にも同一人物であろう人が写っています。

この人は251空11月集合写真には写っていません。
岩坂さんは10月15日に戦死されています。




飛練17期大分の卒業写真にほかにお二人、8月4日集合写真に写っている人がいます。

もう書いてしまいますが、このお二人が若杉育造さんと長尾信人さんではないかとわたしは思っています。

以前「熊谷さん(乙9)かな?」と書いたこともあるんですが、たぶん飛練17期の人。

飛練17期大分卒業集合写真




飛練17期大分卒業集合写真




若杉さんも長尾さんも台南空を生き抜いて、251空が内地帰還後は582空に転勤。
上の写真のお二人とも11月の251空集合写真にも写っています。

若杉さんは17年11月13日、582空で戦死。
長尾さんも17年11月26日、582空で戦死されています。


いつものようにKさんにお助けお願いしました。
若杉さんも長尾さんも飛練の中練過程は百里だそうで。
飛練17期の陸上機中練過程は筑波と百里でやったようです。
谷水竹雄さんが中練が筑波だったので、手元に筑波の集合写真が2種類あります。が、どちらにもこのお二人は写っていません。なのでこのお二人もたぶん百里。
補強材料になるかな。



で、どちらが若杉さんで、どちらが長尾さんか?
「わからない」
んですけどね、結局(^^;)



もうひとつ。
お二人が台南空の行動調書に初めて登場したのはいつか?
わたしの見落としがなければ、若杉さんは7月28日。長尾さんは5月4日。

そこで思い出した写真があります。

ホリブンの写真として、台南空分隊長・山下正雄大尉がお持ちだったという582空搭乗員の集合写真だ掲載されていたものです。

そのとき「こんな写真」と出した画像(^^;)↓
それ以前に、この写真は山下大尉が持っていたものなので、582空ではなく台南空なのではないかという指摘を知り合いの戦死研究家の方から受けていました。

わたしもその説に賛成でした。

で、結局、この写真は台南空の若手搭乗員たちの集合写真ではないかという結論に。

背景とか、後ろに写っている人物が同一なんじゃないかということで、わたしはこの有名な台南空下士官搭乗員集合写真と同じ時、同じ場所で撮られた写真ではないかと思っています。
いまだに何月何日のどこだ!
の特定には至っていないのですが、ここに写っている中で最初に戦死されているのは7月20日の小林克己さん(3列目左から5人目)、宮運一さん(2列目右端)、大西要四三さん(前列左端)です。
なので、7月20日以前であることには間違いないです。


もしかしたら違うかもしれませんが、同じ場所、同じ時の撮影とするなら、『源田の剣』掲載写真も7月20日以前の可能性大。乙10や丙3の若手の人たちがいるとしたらラエよりラバウルの可能性が高いと思っています。




いまあらためて『源田の剣』掲載写真を見返すと、そこに写っている全員が8月4日写真に写っている人たちです。
①八並さん
②本田さん
③岩坂さんらしき人
④山内さん
⑤若杉さんか長尾さんと推定している人
⑥笹本さん
⑦伊藤さん
⑧平林さん
⑨ホリブン(堀光雄さん、乙10)

Hの人は写っているけど、Gの人は写っていません。

写っていないことはいなかったことの証明にはなりませんが。

まだ断言は避けますが、わたしの中ではどちらが誰さんか、9割ぐらい決まっています。




いまのところ、こんな感じです。


さらなる証拠が出てきたらまた書きます。


中途半端でスイマセン。



画像は丙3期ご遺族・ご家族、武田信行氏ご提供

鹿屋空の一式陸攻2020年02月01日 23時25分08秒

今日は自分が「これは何だ?」と思ったことをつらつらと書き連ねたにすぎません。
読んで役に立つ話でもないので、お時間の無い方はスルーしてください。

何日もかけて書いたり消したり、追加したり修正したりをくり返しているので、文章のつじつまが合っていないところがあるかもしれません。







大澤さんの写真の中にこんな写真がありました。

わたしは初めて見たような気がするんですが。

手前に飛行隊の幹部らしき方々、その後ろに飛行服の搭乗員14名、さらにうしろに隊員らしき方々がずらずらと。

中央で一歩前に出ている人、先日検索して出てきた亀井凱夫大佐(3空司令)に似ているような気もします。

が。
人物にピントが合っていないんですよねー。
搭乗員たちもよくわかりません。
14名って何だろうな?
戦闘機の編制だろうか?
戦闘機3機×4小隊+陸偵1機(2名)で14名とか。
哨戒の直かな?

人はたくさん写っているんですが、残念ながらお顔は判然としません。
ピンぼけしているんです。

でも、中央の人物が亀井大佐だとしたら3空の写真なのかな?
大澤さんが所有していたものだし。

この整列は何かの祝祭日でしょうか。わからないですが。





人物はピンボケなんですが、なぜかずっーと向こうの方にピントが合っていてですね。

テントの向こうに一式陸攻11型の尾翼と主翼が見えているんです!
機番まで見えますぜ! 「K‐353」。
その右側にもちょっと方向を違えた尾翼の先端が見えています。テントの向こうに最低2機は駐機してあるようです。


Kですよ、K。Kと言えば鹿屋空。

佐藤暢彦さんの『一式陸攻戦史』に、
「(鹿屋空の一式陸攻の)垂直尾翼に横線1本が入った機体は2中隊機とされる」
という記述(写真のキャプション)がありました。


「おおっ! 鹿屋空の第2中隊の使用機なのか!」


あれ? 待てよ。
第2中隊?

前述の佐藤さんの本には「二中隊長の東大尉」という記述もあります。
東森隆大尉です。
わたし、この人のことを書いたような気がしていたのですが、ブログ内検索しても出てきません。
なんかさらっと知っている人のように書いているでしょう?
知っているんですよ、お名前は。
藤原国雄さん絡みです。
藤原さんがご両親にあてた直筆の遺書が残っているんですが(19年10月13日に戦死する直前ではない、もっと前のもの。鹿屋空から高雄空に転勤した際か?)、そこに東大尉のお名前が出てきます。
「自分をこの配置に付けて下されし東森隆大尉に深く御礼申し上げます」




佐藤さんの本に、鹿屋空の編制が出ています。

司令 藤吉直四郎大佐(兵44)
副長兼飛行長 入佐俊家少佐(兵52)
飛行隊長 宮内七三少佐(兵56)
1中隊長 鍋田美吉大尉(召予2)
2中隊長 東 森隆大尉(兵65)
3中隊長 壹岐春記大尉(兵62)
4中隊長 池田拡己大尉(兵65)
5中隊長 森田林次大尉(兵63)
6中隊長 田中武克大尉(兵62)

中隊一つ9機編制です。3機小隊×3。

開戦時、比島イバ飛行場を攻撃したのは4中隊、5中隊、6中隊。
マレー沖海戦に参加したのは1中隊、2中隊、3中隊です。




以前、鹿屋空の9期生のことを書いたときに、鹿屋空は「本隊」と「支隊」にわかれて行動していたと書いているんですが、その「本隊」にあたるのが1、2、3中隊、「支隊」にあたるのが4、5、6中隊です。



↑ここでは9期生の所属中隊を書いていませんが、うちわけはこんな感じ↓です。
<本隊>
1中隊(鍋田中隊)  (偵)新井誠二さん、川原与三郎さん、仲野修さん、鈴木光雄さん
2中隊(東中隊)   (偵)牛澤四郎さん、藤原国雄さん、高坂浪次さん、畑中嘉夫さん、
             (操)今村文三郎さん、鹿島長重郎さん、木下光三さん
3中隊(壹岐中隊)  (偵)三浦光雄さん、鈴木俊夫さん、小薬武さん(8期)、、岡本清見さん、篠原藤市さん

<支隊>
4中隊(池田中隊)  
5中隊(森田中隊)  (操)小林為雄さん、杉本栄さん
6中隊(田中中隊)  (操)谷口十七夫さん、中門清司さん 


もし、上の写真が3空と鹿屋空が一緒にいる写真だったらダバオかケンダリ―かな?と思うのですが、とすると一緒にいる鹿屋空は4、5、6中隊ということになります。

写っている鹿屋空の陸攻尾翼は拡大するとこんな感じです。左が機体前方になります。
垂直尾翼のマーキングを見てほしかったので、手を抜いて、機体尾部の窓は省略しています。ホントは格子状?窓になっていて機銃がついています。



もし、ダバオとかケンダリ―だったら、どうして本隊の2中隊機があるんだろう?
と不思議に思いました。


で、家にある本を探して、尾翼マーキングが写っている鹿屋空陸攻の写真を探してみました。
佐藤さんの解説にしたがって中隊別に出してみました。
※機番号は全部「K-353」になっていますが、写真に写っていた実際の機番号はイラストの右枠に書いてある番号です。スイマセン、イラスト手抜きしました。

横線1本は2中隊機と書いてあったのですが、横線1本にも2種類あって、やや下の方に横線1本(便宜上「2中隊A」と呼称)というタイプと、もっと上方に横線1本(便宜上「2中隊B」と呼称)というタイプがありました。
前縁に白線?が入っているタイプと入っていないタイプがあるみたいです。文林堂の『世界の傑作機59 一式陸上攻撃機』にはこの白線のことが「共通標識」と書かれているのですが、わたしにはこの「共通標識」の意味がわかりません。分類したらわかるかとも思ったのですが、上の通り、ありなしの違いはよくわかりません。

横線の位置も、だいたいこんな感じ、と適当に描いたので、実際はもっと厳密に位置が決まっているのかもしれません。

ちょっとサンプルが少ないですね。もっと集めないとなんとも。
当事者、関係者が「これはこういうことだよ」とご教示くださると一番いいのですが。



疑問があるんですが、この法則(線なし・・・1中隊、線1・・・2中隊、線2・・・3中隊、線3・・・4中隊)でいくと5中隊は線4本、6中隊は線5本ということになるのでしょうか? スペース的にどうなんでしょうね? 5中隊、6中隊の横線が何本あるのか、佐藤さんの本には出ていなかったように思いました。
うちにあった鹿屋空陸攻の写真の中にも、横線が4本、5本入った機体は見当たりませんでした。

何が言いたいかというと、上の写真に写っているK-353号機は線は1本だけれど、本当に2中隊の所属機なのか?
支隊の4、5、6中隊の所属機の可能性はないのか、ということです。


数字部分は「3○○」と決まっているように思えます。
3の次の数字が若い方、K-315とかK-322(上の図の2中隊A・横線下方タイプ)、ここらへんが2中隊機で、3の次の数字が「5」、K-353、K-357(2中隊B・横線上方タイプ)が5中隊か6中隊の所属ってことはないんでしょうかね。
となると近藤1飛曹撮影の機体が問題になるわけですが(^^;)

K‐357号機ですが、佐藤さんの本には2中隊の近藤義宣1飛曹撮影、ということで掲載されています。時期や場所は書かれていません。自分操縦の操縦席から僚機を撮ったということでしょうかね。
同じ写真が世界の傑作機の方にも出ていて、こちらのキャプションでは、「ガ島攻撃の帰途か?」として場所はソロモン、時期は17年9~10月となっています。
後者の場合、いったん内地に戻って再編した後の鹿屋空なので中隊編制もかわっているんじゃないか?(詳細に見ていませんが) その場合、当初の中隊標識がそのまま運用されていたのかは疑問です。


ふつうに考えれば、1つの中隊は9機編制なのでたとえば1中隊だったら301~309で足りるわけです。
が、実際残っている写真は301~312まであります。300から314まであったのか? 
しかし日々戦闘をしている間に、喪失機が出る場合もあります。
喪失機の機番号を使いまわすということであれば、1中隊9機分の番号を用意しておけば足ります。
が、喪失機の機番号は欠番にする、というのであれば、1中隊の機番号として300?~314まで用意しておくことは理解できます。
ここでなぜ1中隊の最大数字を「314」と仮定したかというと、佐藤さんの本に「315」号機が2中隊東大尉搭乗機として紹介されていたからです。それを信じる前提で、1中隊機は314まで、と。
同じように、
2中隊機は315~329。
3中隊機は330~344。
4中隊機は345~359。
5中隊機は360~374。
6中隊機は375~389。
喪失を見込んで15機分の番号なら6中隊で90個。300番台でたります。



この想像を踏まえて整理し直すとこんな感じです。


この表で「5中隊」としているマーキングの鹿屋空機が存在するのではないか?

上の横線が若干下気味なのが本隊(2・3中隊)、上気味(尾翼後縁上部の屈曲部に合わせて引かれている)なのが支隊(4~6中隊)ってことはないんでしょうかね?

4中隊機では?と疑っているK‐357号機を、開戦のころ2中隊員だった近藤1飛曹が撮影している点がやっぱり引っかかりますが。


しかし、この説、パッと見て「3中隊機だ!」「5中隊機だ!」とわからないのが難点ですよ(^^;)
二つを見比べるぐらいしてやっと、「あ、上のラインの位置が微妙に違うのか」ってわかるようじゃあ、中隊識別の役に立ちませんよね。





いま、巖谷二三男さんの『雷撃隊、出撃せよ!』文春文庫を見返していて、わたしに都合のいい記述を見つけました!!
K‐310号機の写真のキャプションです。巖谷さんによると、
『鹿屋空第1中隊所属の一式陸攻。K‐310の機体は、従来マレー沖海戦に於ける第3中隊長壹岐春記大尉の搭乗機、といわれてきたが、当日大尉が搭乗したのは331号機だったことが航空記録から判明している』
この本、壹岐さんの監修です。
3中隊長壹岐大尉の搭乗機が331号機! わたしが想定した3中隊機の番号の範囲に入っています。331号機の写真はないのかーい!? 横線が見たいー!




以上のことは思いきり想像まじりで書いているんで、もし、「実際はこうだ!」をご存じの方がいたらぜひご教示いただきたいです。

マーキングの実際をご存じなくても、上に出した以外の鹿屋空の機番号の写真を見たことがあるって方がいたら、ぜひ情報をいただきたいです。






時期もはっきりしないし、中央の軍人さんが本当に3空の亀井司令かどうかもわからないので、「ダバオかケンダリ―」というところも崩れるかもしれません。


何かわからないかなーとつらつら考えていて、こういう可能性はないだろうか、という程度の話です。なので引用や転載はしないでね(笑)

結果、確たることは何もわからなかったけれど、この写真のことを調べようとして鹿屋空は6中隊あって、尾翼を見ればどこの中隊所属かわかる、ということを学んだぐらいの感じでしょうか(^^;)






飛行機、まだ写っています。
「おおー! 零戦だ!」

ちょうどのところ(尾翼)にテントが重なっていて機番が見えねー!( ;∀;)

3空の所属機かどうかわかりません。



これも飛行機でしょうか?
画像の右端。
主翼の端部が写っているんじゃないかな?



結局、この写真に写っているもので動かぬ事実は鹿屋空の「K‐353」号機だけです。
それが零戦と一緒に写っている、ということもまあ事実として認定していいですかね。

はて、どこの戦闘機隊のものなのか? 場所は? 時期は?
うーん(^^;)





※画像は大澤さんご家族ご提供
参考文献
佐藤暢彦『一式陸攻戦史』潮書房光人社
『世界の傑作機59 1式陸上攻撃機』文林堂
巖谷二三男『雷撃隊、出撃せよ!』文春文庫

3空の零戦2020年01月28日 20時36分01秒

今日は大澤さんの遺品の中にあった3空らしきある写真に関して書きかけていたのですが、もう少し調べてから・・・・になってしまいました。


かわりにこれを。

たぶんわたしが調べることはないと思われるので(^^;)

けっこう有名な写真ですよね。

『日本海軍戦闘機隊2【エース列伝】』の橋口嘉郎さんの項に掲載されています。
「本写真に写る3空の「零戦」21型[X-183]号機は、派手な桜の撃墜マークを11個も垂直尾翼に記入した機体として以前から有名。銘板から三菱製造5404号機とわかる。動翼部分が暗く写っているが、これは影になっているだけ。橋口2飛曹の愛機の1つ」
というキャプションがついています。



銘板の話が出ているのでこれも出しておきますね。
めっちゃ鮮明に写っています。


水平尾翼の下には、



ちなみにこの桜マーク11個。
搭乗員個人の戦果ではなく、この機体で墜とした戦果だそうです。




※画像は大澤さんご家族ご提供