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蒼龍艦攻隊 偵察配置集合写真2022年11月29日 14時47分40秒

鹿熊粂吉さん(甲3)の遺品の中にあった蒼龍艦攻隊偵察配置の集合写真と思われる1枚。




お顔がわかった人たちから推定して、写っているのは下表の太字の人たち、偵察配置の下士官の人たちだろうと。

ペアは3人一組。上から操縦、偵察、電信。色ベタは出身別(操練・偵練、乙飛、甲飛)なのでお気になさらず。


前列左から(上から氏名階級(出身期)、入隊年月、蒼龍分隊、消息)
加藤豊則1飛曹(甲2)
13年4月
11分隊
19年10月15日  K406  台湾沖


吉岡政光2飛曹(偵43)
11年6月
11分隊
戦後生存


金井昇1飛曹(偵35)
9年6月
12分隊
16年12月22日  蒼龍  ウェーク島攻撃


藤波貫二1飛曹(偵27)か?

11分隊
19年6月29日  K251  マリアナ

藤波さんは乙5の大多和達也さん(『予科練一代』光人社NF文庫)の蒼龍時代のペアの偵察員です。手記にもたくさん登場していますが、お顔がわかりません。
写真がおそらく「蒼龍艦攻隊偵察配置の下士官たち」と思われること、また座り位置からこの人が藤波さんでは?ということになりました。


石井利一1飛曹(乙7)
11年6月
12分隊
19年2月23日  321空  マリアナ


宗形龍恵2飛曹(偵43)か?

12分隊
19年10月14日  K263  台湾沖航空戦 索敵未帰還

宗形さんは川崎まなぶさんの『マリアナ沖海戦』(大日本絵画)に千歳搭乗員集合写真が出ているんですが、個人が小さくてお顔がよくわかりません。「別人だ」というほどではないですが「この人に間違いない」ということも言えないような写真です。
12分隊の宴会写真に写っているはずなのですが、現時点で見つけられていません。
もしかしたら鹿熊さんの後ろからお顔半分だけのぞかせている下士官帽の人かな?とも思っているのですが、ちょっとわからないです。


田中敬介1飛曹(甲2)
13年4月
12分隊
17年6月5日  蒼龍  ミッドウェー海戦

田中さんはもともと佐藤-金井機の電信員だったみたいです。夏に田中さんが偵察員として他ペアに移り、かわりに花田さんが佐藤機の電信員に入った、と(金井日記)。





後列左から
田村重年2飛曹(甲3)
13年10月
11分隊
戦後病没


杉山弘興1飛曹(甲1)
12年9月
12分隊
19年4月30日  K251  内南洋


紺野喜悦2飛曹(乙8)
12年6月
11分隊
17年10月17日  隼鷹  ソロモン



安藤百平3飛曹(偵49)
12年
11分隊
戦後生存


大谷末吉3飛曹(偵49)

12分隊
16年12月22日  蒼龍  ウェーク島攻撃



佐野覚1飛曹(甲2)
13年4月
11分隊
19年11月25日  K256  比島


鹿熊粂吉2飛曹(甲3)
13年10月
12分隊
17年10月17日  隼鷹  ソロモン

紺野さんと鹿熊さんが戦死されたこの攻撃は森拾三さん(『奇蹟の雷撃隊』光人社NF文庫)が右手を失ったあの攻撃です。投弾やりなおしで艦攻隊に多大な犠牲が出た・・・・。
これから書こうとしている蒼龍艦攻隊から隼鷹に移ってこの攻撃で戦死された方も多いです。
太田五郎1飛曹(乙6)
鹿熊粂吉1飛曹(甲3)
丸山忠雄1飛曹(甲3)
紺野喜悦2飛曹(乙8)
田辺正直2飛曹(甲4)
土井敬二2飛曹(甲4)
若宮秀夫2飛曹(甲4)
岩田高明2飛曹(甲4)
江塚寿2飛曹(甲4)
浮ケ谷弘3飛曹(偵52)
川島甲治2飛曹(操50)
西田孝雄3飛曹(偵47)







並び順の話をすると、階級だけなら1飛曹の杉山さんなどは「この人が前に来た方がしっくりくる」って気もするんですが。

前列は11分隊偵察班先任下士(藤波さん)、12分隊偵察班先任下士(金井さん)をまず中央に。そして雷撃隊偵察員+予備員宗形さん。
後列が水平爆撃隊偵察員と予備員紺野さんと田村さん。
みたいな感じで並んでいるのかな?
予備員の宗形さんが前列、紺野さんと田村さんが後ろ、というのは、もしかしたら真珠湾前の訓練時、宗形さん雷撃チームで、紺野さんと田村さんが水平爆撃チームだったりしたのかななんて想像したりもしています。いや、ただたんに(藤波さんか金井さんに)「もう一人座れるぞ。だれか前に来い」と言われて宗形さんが「じゃあわたしが前行きます」となっただけかもしれませんが。

前列、後列それぞれの中では中央から端に入隊年順に並んでいるのではなかろうか、と思います。入隊年を把握できていない人もいますが、階級から察するに。


※画像は鹿熊さんご遺族、Oさんご提供、出身期の一部はKさんご教示
大島隆之『真珠湾攻撃隊 隊員と家族の八〇年』講談社現代新書

蒼龍艦攻隊 12分隊宴会写真と偵察配置集合写真2022年11月26日 12時03分31秒

乙9期島田清守さんの遺品の中にあった蒼龍12分隊(艦攻隊2分隊のうちの1つ)の鹿屋翠光園での宴会写真。
島田さんの日記から、開催されたのは真珠湾に出撃する直前の16年11月12日であるとこともわかっています。



去年末の真珠湾80年の折、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で憎々しい演技で視聴者をイライラさせた比企能員こと佐藤二朗さんがMCを務める『歴史探偵』でカラー化されてとりあげられた宴会写真です。




今年の夏ごろですかね。
蒼龍艦攻隊に関してさらに新しい発見があり、この写真についても若干の追加事項があります。
その件に関しては知人Oさんが調べられていたことで、さらにそれをベースに本を書かれるということだったのでわたしはその本の刊行までここに書くのを控えていました。

刊行されたので、わたしもブログに書くことにします。

新しい発見というのは、この宴会写真にも写っている甲3期の鹿熊粂吉さん(17年10月17日 隼鷹 ソロモン)の遺品の写真の数々です。

島田さんのものと同じ宴会写真が、鹿熊さんの遺品の中にもありました。

そして、写真の中に鹿熊さんの書き込みがあったのです。

書き込みと言っても文字ではなく記号です。
〇がついている人が1人。
×がついている人が6人。


鹿熊さんの遺品現物です。

黒地に黒マジック?で書かれているところもあるのでちょっとわかりにくいですかね。

島田さんの写真の同じ場所に赤で印を入れてみました↓


まず、〇がついている人。
わたしはこれは乙8期の根食貞憲さんではないかと思っていたのですが、他の写真等も検討した結果、鹿熊さん本人だろうということになりました。


そして、×がついている6人。
まず氏名が判明している3人。
金井昇1飛曹

花田芳一2飛曹

小紙彰正1飛



そして氏名不詳3人。






金井1飛曹、花田2飛曹、小紙1飛ときてすぐに思い浮かぶのは真珠湾攻撃の帰途行ったウェーク島攻撃での戦死者です。
97艦攻2機。2ペア、6名の搭乗員です。
1機は爆撃嚮導機の佐藤治尾飛曹長(操)、金井昇1飛曹(偵)、花田芳一2飛曹(電)。
もう1機は栗田照秋1飛(操)、大谷末吉3飛曹(偵)、小紙彰正1飛(電)。

・・・・ということは、氏名がわからない3人は、佐藤治尾飛曹長、大谷末吉3飛曹、栗田照秋1飛ということなのか?

この3名に関してはわたしのもとにお顔がわかる写真がありません。

氏名不詳3名のうち上から2番目の人は長髪で、准士官以上の方だろうとは思っていました。
が、わたしは中島巽大尉では?と思っていたんですよね(中島大尉の写真は書籍で見ました)。
いまだにこの人が佐藤飛曹長なのかどうか、わたしには判断がつきません。

残りのおふたりですが、上の方(下士官の軍帽をかぶっている人)は大谷さんだろうと思っています。
鹿熊さんの遺品の中に、もう1枚、蒼龍関係の集合写真がありました。
艦攻隊(11・12分隊)の偵察配置だけで撮ったと思われる14名の集合写真です。

最初見たときは何の集合写真かわかりませんでした。
ご当人の鹿熊さんは写っている(後列右端)。
さらに前列(イス列)の中央あたり(左から3人目)に金井昇さんがいる、足元に〇つきで。
あ、石井利一さん(乙7)もいるな(前列右から3人目)。
これぐらいはパッと見てわかりました。
「なんか見たことあるんだよなあ」
って人がちらほらいるので本格的に照合を始めて、杉山弘興さん(甲1 後列左から2人目)や吉岡政光さん(偵43 前列左から2人目)、紺野喜悦さん(乙8 後列左から3人目)も写っていることに気づきました。
「もしかして蒼龍艦攻隊偵察員?」

そういう仮定の下で写真を探し照合した結果、写っている14名は下の表の太字の人たちではないかという結論に達しました。偵察配置の下士官兵のみ。
ベースは真珠湾攻撃時の編制表です。3人1ペアで上から操・偵・電の順です。
色分けは気にしないでください。出身別(操練・偵練、乙飛、甲飛)になっています、今回の件とは無関係です。
鶴見さん以下は真珠湾予備員ですが、ウェーク島攻撃時は太字の方は偵察配置。

甲4と乙9を除く、蒼龍艦攻隊偵察配置の下士官搭乗員の集合写真、ということですね。
(甲4・乙9の着任前だったのか、あるいは着任していたけど配置が決まっていなかったのか、写っていません)

ただ、藤波貫二さんと宗形龍恵さん、大谷末吉さんはお顔がわかる写真が見つけられず(宗形さんは書籍の集合写真のみ。お顔小さい)、あくまで他メンバーからの推定です。
藤波さんでは?という方は金井さんの右隣(イス列の中央)に座っています。



で、本題に戻ります。
この偵察配置集合写真の中で「この人が大谷末吉さんでは?」と思われる人が、宴会写真で×がついている人(下士官軍帽の人)によく似ているんです。
この人。

そういう理由で、わたしはこの人が大谷末吉さんなのだろうと思っています。


となると、残る×印おひとりは栗田1飛の可能性が高いということになりますが。
一つ引っかかっている点があります。
ふつうの白シャツを着ていますよね。
この場にいる兵の方々はジョンベラだと思うんです。
ジョンベラを脱いでも中は首元に縁取りがあるTシャツですからね。
「この人は兵階級なのか?」
という疑問が残るのです。
コスプレ(軍服・軍帽取りかえっこ)している人がいるので、「Tシャツまで先輩に脱がされて、かわりにその人のシャツを着せられた可能性」は0ではないですが・・・・。そこまでするかなあ????

わたしね、この人、甲1の杉山弘興さんだと思っていたんですよ。
偵察配置写真のこの人です。


そういうわけで、残る×印のおふたりが佐藤飛曹長と栗田1飛かどうかに関しては、ご本人と確認できる写真が出てくるまで保留にしておきたいです。



鹿熊さんがウェーク島で亡くなった6人に印をつけようという意図があったことは確実だと思うんです。

○×つきの宴会写真と同じページに添え書きがありました。


思い出深い最后の宴會だった。
何時散るか知れぬは兵の常だ。
この和かな顔ぶれも
悲しい哉 今は見え出せない顔もある。
よい人だった。元気な人だった。仲のよい人だった。
今それを思い、亦語る時、
そぞろ涙に暮れるのである。
でも笑ってやらう、それは彼等に対する、せめても
の力づけであろうから。



長くなりそうなので、今回はここまで。
写真の詳細は次回。



※画像は9期生ご遺族、鹿熊さんご遺族、Oさんご提供
大島隆之『真珠湾攻撃隊 隊員と家族の八〇年』講談社現代新書

海軍の至宝 金井昇1飛曹のこと2022年11月24日 10時44分15秒

今年の4月に金井さんのことをブログに書いたんですが。→これ




乙9期、真珠湾攻撃時蒼龍艦攻隊だった島田清守さん(出撃ナシ)の遺品の中にあったこの宴会写真のことです。
真珠湾に出発する直前の16年11月12日、鹿屋翠光園で催された阿部平次郎大尉(兵61)率いる12分隊の大宴会の記念写真です(蒼龍艦攻隊は艦内編制2分隊制←この話、後ほど加賀艦攻隊でも触れるので覚えておいてください)。


この宴会時の金井昇さん(偵35)↓  
左は小紙彰正1飛(偵50、16年12月22日ウェーク島で戦死)、右は佐藤寿雄1飛曹(操26、19年10月17日K406台湾沖で戦死)

金井さんをよく知ると思われる金沢秀利さんが「酒杯を手にせず」と書いていたので、以前ブログに「たぶんしらふで上機嫌」と書いていたんですよね。
今年の4月ごろに実は金井さん、お酒好きだったという情報を得たので、

「たぶんしらふで上機嫌」と書いたことを取り消したいと思います。

→CP「酒を飲んで上機嫌な金井1飛曹」。


と訂正記事を書きました。

<(_ _)>

本当に申し訳ありません。謝罪に謝罪を重ねることになってしまいますが、この件も訂正したいと思います。

お酒好きってのは訂正の対象ではありません。

「上機嫌」。

これを訂正したいです。


あまり詳細に書くとヒトの本の邪魔をしてしまうかもしれないので詳細には書けないんですが。
Oさんの新刊で金井さんのこの時のことが取り上げられているの、みなさん、もう読まれました?

読んだ人にだけわかる書き方で申し訳ないです。
これから読むつもりという方もいるかもしれないので控えめにしておきます。

Oさんの新刊に金井さんの新発見の日記が紹介されています。
金井さんって「海軍の至宝」とか技量人格申し分のない完璧人間のように伝えられていますが、日記を読むと、そうでもない・・・・。
ふつうの人です。
けっしてメンタルが強い人ではないです。ネガティブ思考がすぐ頭をもたげてきて、くよくようじうじ悩んだり。投げやりになってみたり。
ときには「それいまツイッターで書いたら炎上事案だよ」みたいなことも書いています。


日記を読むと、そんな金井さんのメンタルがどん底だったのがこの宴会のあたりだったのではと思われます。

え? そんな顔で笑える?

ってぐらいの目にあった直後。
「目にあった」と書くと金井さんが一方的に被害者みたいな印象ですが、よくよく読むと金井さんにも原因の一端はあったのですが・・・・。でも、このタイミングでこんな目にあう!?ってタイミングですよね。もちろん周囲の人が金井さんののちのスケジュールを知っていて悪意をもってそう仕向けたわけではありません。本当に偶然そのタイミングになってしまっただけだろうと思います。



金井さんのこのときのメンタルに関してはあのブログ記事を書いた直後ぐらいに知らされました。
「全然上機嫌じゃない!(゚Д゚;)」
この件を早く訂正したかったんですが、本が出る前に訂正できないので本が出るのを待っていました。



彼のこの時の心の奥底を思いながらこの写真の笑顔を見るとホントに泣けてきます。
笑えるような精神状態ではなかったのでは?


もっと泣けてくるのはこんなメンタルでよく出撃したな、爆撃を成功させたな、ということです。
繊細な照準が必要な水平爆撃の嚮導機の偵察員です。
彼のメンタルの状態は攻撃隊全体の戦果にかかわることです。
結果だけ見ると最後の最後でやはり金井さんは海軍の至宝たる強メンタルを発揮したってところでしょうか。



真珠湾に向かう金井さんの心模様は実際どうだったのかわかりません。
もう完全に吹っ切れていたのかもしれません。無我の境地というんですか。
いや、日記には書いていないけれど何か別に思うところがあったのかもしれません。
もう永遠にわかりません。



歴史に”もし”はないのですが――
もし、ウェーク島であんなことにならずに無事に帰ってきていたら、金井さんの日記の続きには何が書かれていたのだろう。



軍人さんの日記って、ご遺族のご厚意で何人か読ませていただきましたが、本音と建前の見分けが難しいです。
いや、結局どこが本音でどこが建前なのかわからないです。
もしかしたら本人にもわかっていないかもしれないと思うこともあります。

軍人さんの日記って、完全に個人が自分の内心をヒミツで書く、というものではないです。自分が戦死すれば当然ひとめに触れます。遺品整理の戦友が見てしまうかもしれない、戻された先の家族が見るかもしれない。それ前提で書かれているものです。

なので、それ込みで読むのですが・・・・。

金井さんもどこまで本音でどこまで建前かよくわからない部分もあります。
わたしは、なんとなく、「この部分は金井さんの本心だろう」と思う部分があって、それを思うとこの結末はよけいつらいです。
「どうでもいいんだ」と書いているその部分が本音だったらどんなにいいか。もし本当にどうでもいいと思っていたなら、あの宴会のときは出撃前に全部片付いてせいせいしたぜって気分だったでしょう。でもわたしにはそうは思えない。



金井さんのことに関してはもっともっと書きたいことがあります。
「内容を詳細に書くなよ!(怒)」って人がいるかもしれないので、もうちょっとしてからにします。


※画像は9期生ご遺族ご提供
大島隆之『真珠湾攻撃隊 隊員と家族の八〇年』講談社現代新書

加賀飛行機隊 16年1月 操練45期 切通親さん2022年11月05日 15時31分22秒

先日紹介した、野原忠明さん(操練45)の加賀飛行機隊写真に切通親さんが写っていました。

もう少し判明したらまとめて元記事に追加しようと思います。




真珠湾直前の加賀艦攻隊集合写真から。



切通さんは野原さんとは操練の同期生なんですね。
野原さんの操練時代の行軍写真にも写っていました。




20年5月24日  K406  沖縄

銀河。
神野正美さんの『攻撃501飛行隊の記録』によると、ペアは井上正夫上飛曹(甲7)、伊藤八郎中尉(兵72)。
ただ、切通さんの記載が「切通新一飛曹」になっていて、電信員の欄にお名前があるんですよね。
「新」は「親」の誤植?だとして、「一飛曹」という階級はあっているのかな?
操練出身なので電信員ということもないでしょうし・・・・。
さっき、神野さんと話したんですが(まったく別件で)、聞いてみればよかった。

一緒に出撃した他機は天候不良で引き返したものの、伊藤機だけ攻撃を敢行、「敵発見、突入スル」電をを最後に未帰還となった、ということです。


※画像は9期生ご遺族、Oさんご提供

加賀飛行機隊 16年1月2022年10月23日 21時14分07秒

※202210271040追記があります。赤字。


先日の戸塚道太郎少将の飛行服写真は加賀飛行機隊の16年1月の集合写真からです。
「初飛行」らしいです。飛行初めっていうんですか。
この写真は野原忠明さん(操45)の遺品の中の1枚で、ご遺族の方が大事に保管されてきたものです。

もうちょっとわかってから出そうかと思っていたのですが、ここのところ行き詰っているのでもう出しちゃいます。

ここに写っている中で一番のお偉いさんは先日紹介した戸塚少将。


階級章がスゴイですねー(;・∀・)
わたしがいままで見た飛行服姿の中で、一番高位の階級章です。

で、次が大佐の階級章をつけているこの人だと思うんです。戸塚少将の左隣りに座っています。
山田定義大佐ですね。のち25航戦、西澤さんたちの親分。
当時加賀艦長。

救命胴衣までつけているので「えー!」と思いました(語彙力)。
わたしがいままで見た救命胴衣姿の人で一番高位の人。

艦長の左隣りにふたり中佐がいます。階級的には副長では?と思うのですが(氏名は把握)、その方のお顔がわからず現時点では保留。
艦長の隣の人。

さらにその外側の人。




戸塚さんの右隣りに座っている人も幹部だと思うんですが、階級章が見えません。
襟巻をして、一見搭乗員風です。飛行眼鏡がないですが。

この人の外側(右隣り)に飛行長の柳村義種中佐らしき方↓が座っているので、それ以上の立場の方と思うんですけどね。
この人が副長だろうか?




柳村義種中佐。
加賀飛行長。
だと思うんです。
252空司令時代の集合写真のキャプションが正しければ。





階級章は写っていませんが、柳村さんの一つ外側に座っている人。
これ、源田実少佐じゃないですかね? 
写真を何枚か見たんですが似ているような気がします。
『海軍航空隊始末記』(源田さんの著書)を読むと、このころ、一航戦の参謀ですよね。一航戦司令官の戸塚少将が写っているので、源田さんがいても不自然ではない。
源田さん、救命胴衣・飛行眼鏡だけではなく襟巻まで着用してフル装備です。雰囲気だけだと現役の飛行機乗りです。
343空司令時代のエピソードにも「自分で操縦して・・・・」みたいな話があるので、”雰囲気だけ”じゃないですね。






ここから先は搭乗員の方々なのでお顔だけ。
舟木忠夫少佐(兵64)。
飛行隊長兼分隊長。艦戦。


橋口喬少佐(兵56)。
飛行隊長。艦攻。

真珠湾直前の加賀艦攻隊集合写真の橋口さん。


西原晃大尉(兵58)
分隊長。艦爆。

13年5月、加賀飛行機隊総員写真(浅川さん所有)の西原さん。


牧野三郎大尉(兵60)。
分隊長。艦爆。


佐藤正夫大尉(兵63)ですかね????


イス列でわかったのはこの方々です。
橋口さんと西原さん以外は書籍の写真と見比べてのことなので・・・・。どうですかね?





イス列の方々に注記を入れてみました。
この集合写真、イス列の方々、めっちゃ序列順に座っていると思うんです。
こういう集合写真の序列順というのは、イス列中央が一番エラい人。そこから外側にむかって階級が下がっていくと。
中央が戸塚司令官(少将)、隣が山田艦長(大佐)、そして脇に中佐や少佐といった幹部らしき方々。さらに脇に飛行隊の飛行隊長、分隊長。こんな感じかな。

牧野大尉の外側のおふたりは飛行隊の分隊長だろうか?
わたしがピックアップした中に、牧野さんの後輩の分隊長がふたりいるので、そのふたりの可能性が大いにあると思っているのですが、いかんせんお顔がわからないorz
竹内定一大尉(兵62)と山上正幸大尉(兵63)なんですが、どなたかお顔をご存じないですか?
3列目の中央にも大尉さんがおふたりいるので、もしかしたらそちらかもしれません。


源田さんの『海軍航空隊始末記』にこんな記述があります。15年終わりごろから16年初めごろにかけての記述の中にある一節です。
加賀の艦攻隊や戦闘機隊には、先人未到の境地を開拓するために、万難を排して目的に邁進する「躍起者」が相当いた。被照射中の雷撃は容易なものではないが、努力によって解決出来ないものではない。竹内定一大尉、鈴木三守中尉などという命知らずの猛者が、従来の八百長的雷撃から、真に実戦的な雷撃法を確立すべく毎夜のごとく猛訓練を続けた。延岡市にある旭ベンベルグの工場に依頼して各種の光芒遮蔽ガラスを用意して実験を進めた。当初は短時間の照射で中止し、光芒数もせいぜい二本か三本であった。それが回数を重ね経験を積むに従って腕前を上げ、年度も後半期になると、我々が待望した無制限照射も、加賀攻撃隊の集団雷撃を阻止することは出来ない程に成長した。
その間において、この夜間雷撃を推進する中心人物であった竹内定一分隊長が、夜間訓練のための発艦に当ってエンジン故障のため海中に墜落し、尊い犠牲となったことは痛ましい限りであったが、後に残った人々は、いささかも士気を沮喪することなく、竹内分隊長の屍を越えて前進した。


竹内大尉(16年2月22日 事故死)はこの集合写真に写っているんじゃないかと思うんですよね。

※竹内大尉の殉職に関して、知人Oさんから新たに情報提供がありました。
防衛研究所の殉職者名簿には「16年2月21日」に殉職されたという記載があるそうです。わたしはこれは見ていませんでした。
わたしはアジア歴史資料センターの叙位に関する資料の中に、竹内大尉が16年2月22日に従六位に叙されたという資料があったので、この日が亡くなられた日なのだと解釈してブログにそう記述しました。
現時点(10月27日)でどちらが正しいのか、わたしには判断がついてません。




「この人たちが写っているのだろう」
という人たちを何人かピックアップして写真も集めたのですが、比較してもよくわからないんですよ(^^;)
とくに書籍の写真なんかは。

「えー? どの方かなあ?」
って感じです(^^;)


以下、画像の色味で判断してください。
黄色っぽいのが16年1月加賀飛行機隊写真から。
赤っぽいのが真珠湾直前の加賀艦攻隊集合写真から。



鈴木三守中尉(兵64)と三上良孝中尉(兵65)はわかりました。
鈴木さん。



三上さん。

これぐらいはっきりしているとわかりやすいんですが。

写っているのでは?って方で他にお顔がわかっている士官の方は、二階堂易中尉(兵64)、渡部俊夫中尉(兵65)、福田稔中尉(兵65)、坂井知行中尉(兵66)、相川嘉逸中尉(兵66)、下田一郎中尉(兵66)などいるのですが、もとにした写真が書籍の写真だったり、いまいち鮮明でなかったりして見つけられずにいます。

相川嘉逸さんなんか、ネットでいくら検索してもお顔が出てこず諦めていました。
別件でYさんにお尋ねごとをしたところ、
「彗星の本(Yさん著作)、手元にない?」
と言われ、
「あります」
肝心の質問ごとは解決しなかったのですが、全然別のページに自転車にまたがる相川嘉逸大尉(523空飛行隊長)の写真が!!
ただ、書籍の写真だし、飛行帽&ちょっと小さい写真で、うーん、「かなりMMKだったろう」(個人の感想です)とは思ったのですが、加賀の集合写真の「この人だ!」ってところには至っていません。








3列目に注記を入れてみました。
3列目の右の方に下士官の吉野治男さんがいるのですが、ここはちょっとイレギュラーかなと思います。なので、吉野さんの両隣の人たちももしかしたら下士官兵の人かも???? 階級章は見えません。


それ以外は基本的に序列順では。
中央に大尉さんがふたりいます。
大尉さんたちの左が鈴木中尉(兵64)で、反対側の右が三上中尉(兵65)なので、大尉さんたちは兵63期かそれより上の人なんですかね。
鈴木さんと三上さんの外側の人たちはおふたりの同期か、それより後輩の人たちかなと思います。
空曹長の方がどこにいらっしゃるのかよくわからないんですよね。3列目の端の方なのかな? それとも4列目以降にいるのか? 


2列目(イス列)紹介部分に、
「山上正幸大尉(分隊長)、どなたかお顔をご存じありませんか」
と書いたところ、知人Tさんから情報提供がありました。
その情報を検討した結果、
3列目の中央にいる大尉さんおふたりのうち右の方が山上大尉だろうと。

なので3列目はこういう状態で並んでいるということになります。






下士官兵の搭乗員たち。
写っている人で、たぶん間違いないんじゃないかという人だけ。

加賀戦闘機隊(真珠湾時二階堂易大尉中隊)の面々。
甲斐巧さん(乙8)

稲永富雄さん(乙7)

鈴木清延さん

五島一平さん

豊田一義さん(甲1)

石川友年さん

長浜芳和さん

戦闘機隊の人たちは最前列の左の方に固まって座っているのですが、ヒトに指摘されるまで全然気づきませんでしたorz
豊田さんの写真なんか穴が空くほど見ているはずなのにorz
甲斐さんなんか救命胴衣の記名がはっきり「甲斐三空曹」と読めるのにorz

というか、加賀戦闘機隊、ブログで取り上げています。
ここら辺に書いています→加賀戦闘機隊加賀戦闘機隊 撮影時期

ほぼ、真珠湾時の二階堂中隊です(豊田さんは転出)。
16年1月写真では、この写真に写っている北岡誠一さんと坂東誠さんが写っていないようにあります。




艦攻隊の人は、真珠湾直前の集合写真でかなり探したので、わかる人もちらほら。
松本光さん(乙7)


卒アル


王子野光二さん(乙7)


卒アル


田中一則さん(乙8)




吉野治男さん(甲2)





中川一二さん(操48)
この人、救命胴衣の記名が見えています。「中川三空曹」。

真珠湾直前艦攻隊のこの人ですよね。



この人も救命胴衣の記名が見えています。山本■■■。三空曹かな?
山本静男さん(偵43)か?





この方、救命胴衣の記名が見えています。
「増田一空曹」と書いてあるように見えるのですが。
艦攻隊の増田吉蔵さん(偵51)でしょうか。なら二空曹とかいてあるんですかね?

真珠湾直前の艦攻隊集合写真ではこの人が増田吉蔵さんらしいのですが、
似ている気もしますが。

偵練51期まで16年1月写真に写っているんですかね。そこでちょっと引っかかっています。
(乙は8期まで、甲は2期まで写っている)





町元善春さん(乙8)によく似ている人も写っているのですが、うーん、どうかな????
卒アルの町元さんとはめっちゃ似ている思うんですが・・・・。







「真珠湾直前の艦攻隊集合写真に写っている人だなあ」
って人も何人かいます。







他人の空似かもしれませんが。
似ているなあ、と思いながら見ています。






艦爆隊の方はお顔がわかる人がほとんどいないのですが、ご当人の野原忠明さん(操45)は他の写真と見比べて、この方だろうと思います。


あと、『真珠湾攻撃隊 隊員列伝』に写真が出ている中島文吉1空曹(乙4)はこの方かな?
4列目の中央あたりにいらっしゃいます。
階級章は見えません。



この集合写真、わたしからしたら搭乗員のバランスがとっても悪いです。
飛行隊の集合写真って一般的には士官は少ないです。多くが下士官兵。しかしこの写真は他の写真に比べると士官の比率がとっても高いように感じます。
色分けしてみました。はっきりしているだけで下の図のような感じです。
黄色・・・・搭乗員ではないであろう士官
緑・・・・搭乗員であろう士官
青・・・・准士官かも?
赤・・・・下士官兵搭乗員
氏名とお顔から判断した人と見えている階級章から判断した人がいます。

士官の人がイス列(2列目)だけではなく立ち列(3列目)にまでいて、たくさん写っています。3列目の色がついていない人たちもどなたかわからないだけで士官の搭乗員だろうと思っています。


イス列の源田さんと艦爆の牧野大尉のあいだの人(2列目右から4人目)、緑にしていますが(この人は少佐じゃないか?)、搭乗員なのか幹部の人なのかわかりません。
あと、イス列で色を付けていない人が1人いますが(右端)、3列目まで士官がいるのでおそらくイス列は全員士官と思います。階級章が見えないので色を付けていないだけです。
准士官の方々が・・・・いるのかいないのか。いないはずはないと思うんですが、はっきり階級章が見えている人、あるいはお顔でそれとわかる人がいません。一人だけ、「もしかして准士官の階級章?」って人がいるのですが一部だけしか見えていなくてちょっとはっきりしません。4列目の左端の方にいる青い方です。







さらに機種別で色分けしてみました。はっきりわからない人もいます。
※山上大尉を加えたものに差し替えました

青・・・・艦戦
紫・・・・艦攻
オレンジ・・・・艦爆

艦爆隊の人のお顔がほぼわからない(T_T)

艦戦、艦攻、艦爆全員でこれだけということはないと思うんですよね。搭乗員全員は写っていないんじゃないかなと思っています。
どういう事情で全員写っていないのかはわかりません。
もしかしたら、搭乗員は2回にわけて撮っている可能性もあるかなと思っています。
准士官以上は2回分とも全員写っているけれど、下士官兵はたとえば1回目には艦戦のA大尉の中隊だけ、艦攻のB大尉の中隊だけ、艦爆のC大尉の中隊だけ。2回目に艦戦のD大尉の中隊、艦攻のE大尉の中隊、艦爆のF大尉の中隊――って感じで。
いやいや、もしかしたら3回撮っていて、飛行機隊総員で撮った写真もあるかもしれません。あまりにお顔が小さくなってしまうので、顔が判別できる人数でわけた、とか?
いやいや、さらには艦戦隊、艦攻隊、艦爆隊、という単位でも撮っているかもしれません。


どなたかこれと同じ幹部(戸塚さんや山田さんなど)が写った加賀集合写真を見たことはないですか?


参考までに、昭和13年5月の加賀飛行機隊の総員集合写真です(浅川さん所有)。
これはイス列中央の3人以外は飛行機隊の人たちです。
総員だとこれだけいるんで。

16年1月の加賀飛行機隊写真はどういう理由で人数が少なくて、写っているのはどういうメンバーなのか、気になっています。


ひとりであーだこーだ考えていても前進しないので出してしまいましたが。
今後何かわかったら(訂正含む)また追記するか書き直すかします。



※画像は9期生ご遺族、浅川さんご家族、Oさん、愛媛零戦搭乗員会ご提供
Oさん、Tさんご教示