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甲斐君 俺2021年08月18日 23時39分00秒

この話覚えていますか?

甲1期の豊田一義さんのスクラップブックに、何も貼られておらず書き込みのみ残っていたページがありました。



「甲斐君」というのは乙8期の甲斐巧さんのことだなと思いました。



豊田さんにとっては同年兵であり、加賀時代の同僚。

そして、スクラップブックのページの位置から、ここに貼られていたのは築城空(富高)時代の写真ではなかったか、と思いました。


アルバムもバラの写真も全部探しましたが、ありませんでした。


これもご縁だ、あきらめよう。


と思ってあきらめていたのですが。




昨日、知人から久しぶりにメッセージをもらい、そこに写メが添付されていました。

なんでも久しぶりにわたしのブログを見てくださったようで、甲斐さんの投稿を読まれたみたいなんです。

「もしかして、ここに貼られていたのはあの写真じゃないのか」

台紙の甲斐君と俺の配置を見てピンと来たとか。

その人は複製を所有しておられて、写メを送ってきてくださったのです。

わたしもそれを見た瞬間に「これに違いない!」と思いました。


どなたがお持ちかも教えてくださったので、そちらに連絡してスキャン画像を送っていただきました。

掲載も快諾していただきました。

右が「甲斐君」、左が「俺」です。


豊田さんからもらったそうです(^^;)

豊田さんがどうしてこれをあげてしまったのか。
わたしなりに想像していることはあります。根拠がないんで今回は書かんときます。



※画像は愛媛零戦搭乗員会、Sさんご提供。情報提供はMさん。ありがとうございました。

乙8期 甲斐巧さん2021年06月20日 20時30分55秒

何回書いてはお蔵入りになっているかわからない甲斐さん。
今日はもうアップしてしまいます。



宮崎県出身、戦闘機。

豊田さんのアルバムに貼ってあった甲斐巧さん。



加賀戦闘機隊の面々と。





アルバムの台紙に記入してあった「俺(豊田さん)  甲斐君」の文字。写真なし。貼ってあった痕跡だけ。
ここに貼ってあった写真はおそらく富高時代のものではないかと想像しています。

見たかったなあ、
見たかったなあ、
見たかったなあ。

甲1期の豊田さんと乙8期の甲斐さんはどちらも12年の海軍入隊ですからねえ。
加賀時代からの同僚。
どんなツーショットだったんだろうなあ。



富高時代の写真の中のどこかに甲斐さんが写っているんじゃないかと思って探したのですが、見当たりませんでした。

ただ、この写真の豊田さんの右隣りの人、甲斐さんに似ているんですよね。
椅子列右端。

甲斐さんと違うかな?

冒頭の加賀戦闘機隊の笑っている甲斐さんとは雰囲気が違うんですが、わたしの手元にある甲斐さんの写真で同じような格好をして真面目な顔をしている写真があるのですが、その写真とはよく似ているんです。

まあ、保留です。
他人の空似ということもあるし。


同郷の人にはちょっと気持ちが入っちゃいます。
ホントはよくないかもしれないけど。






8期生同期生会誌によると、予科練時代は病気で半年働けずハンモック暮らしだったみたいです。
そんな状態でよく留年もせず、階級も遅れず、卒業できたと思います。
『英語が巧み、着実型の温順な奴だった』



19年6月20日  652空(隼鷹発艦)  マリアナ沖海戦




※画像は愛媛零戦搭乗員会ご提供

乙8期 金子一郎さん2021年06月11日 21時08分19秒

百里原海軍航空隊の8期飛練のペア写真。
イスが浅川三雄教員(乙2)、後ろ左が金子一郎さん。右が高■さん。
手元の予科練名簿では8期の高■さんは8人いて、わたしはまだ操偵すらわけられていないので、この方がどなたかはちょっと保留ということで。




今日は金子一郎さんのことを。
山口県出身。




飛練時代の金子さん。





16年7月24日  龍驤  都井岬沖(宮崎県)  殉職


昨日、『予科練外史』(倉町秋次)を読んでいたら金子さんの殉職のことが触れられていたので。

『七月二十四日、「龍驤」艦爆、操縦金子一郎三飛曹(乙八)、同偵察巽三郎二飛曹(甲二)は、暗夜着艦訓練中殉職。
――金子機帰らず。この夜雲量六、雲高低くしばしば驟雨来襲。六時四○分、暗夜着艦訓練機出発、金子機もこの中にあり。十二時、未だ帰投せず。迫り来る不安を抑えて寝に着く。明朝四時起床、五時発進、捜索飛行の予定。金子機に幸あれ。同乗は巽二飛曹――
同期生遠藤正二の日記である。遭難機は都井岬沖で発見された』

同期生会誌では、
『入隊時同班で貴様は何時もニコニコ笑をたたえ滅多に怒ったことはなかったね。健啖家の貴様に俺は同情して食器一杯押さえつけてやったものだ』(金沢秀利さん)



『日本海軍戦闘機隊2』の巻末の戦闘機搭乗員名簿に金子さんのお名前があるので、てっきり戦闘機搭乗員だと思っていたのですが、『予科練外史』の殉職状況からは艦爆の操縦員みたいですね。戦闘機から艦爆に転科されたのか、誤記なのかわたしにはちょっとわかりません。







9期生のアルバムに貼られていた写真にも金子さんが写っていました。予科練時代の写真。
こんな難易度の高い写真、わたしには到底8期生のお顔は見分けがつかないのですが。




幸い、名札がはっきり見える状態で写っていました。

8期生の電信の授業風景みたいです。

他に名札が読める人が小南良介さん、犬塚教市さん。
操縦分隊の授業なのかな、と思います。

なぜこれを9期生がアルバムに貼っていたのか。




※画像は9期生ご遺族、浅川さんご家族ご提供

飛練の水戸行軍?2021年06月07日 14時51分01秒

浅川さんの残されたネガの中から乙8期の飛練の水戸行軍らしき写真が出てきました。

この場所は見覚えがあります。水戸の偕楽園。背後は好文亭。
8期の中練百里原組20名と引率の教員・教官たち。

修業記念写真には教員は10名写っています。ここに写っているのは7名。お留守番の方もいるのでしょう。ちなみに浅川教員は前列右から2人目。

浅川さんはわかるのですが、他の方はちょっとお顔がわかりません。はっきりはわからないのですが、8期だと思います。
中仮屋さんは後列右から5人目かな?

なんで顔がよくわからないのに8期だと思うのかというと――


練習生のみのバージョンがあったからです。
上から教員・教官たちがのいた練習生のみ20名のバージョン。
ちょっと入れ替わりがありますが、おおざっぱに見ると上の写真とまあ同じような位置取りで並んでいます。
めっちゃ楽しそうです。
あんまり笑われると照合が大変なのですが、楽しそうなのでよしとしましょう。


先にこちらの写真の中仮屋さんに息子さんが気づいてくださったのです。
上の写真では後列で立っていますが、こちらでは前列右端でしゃがんでいます。




他にも水戸行軍らしき写真があったのですが、1枚は操練っぽいです。左袖に原隊でもらった特技章をつけているように見えます。
善行章もつけている人がいたり、つけてない人もいたり。
浅川さんが見当たりません。左の方に、地面に何かあったのか下を見ていて顔が写っていない人がいます(教員2人、練習生1人)。この中にいるのかな?

操練だとやっかいなことに下士官の練習生がいる可能性があるので、どの人が練習生であるとはっきりわかりません。




あとはお顔も見えないとか、袖もよく見えないとかでよくわからない写真もありました。
たぶん常磐神社。
常磐神社さんは以前、戦前の状態を確認するために問い合わせをしたことがあるのですが、めっちゃ親切でした。
この石段の戦前の写真(ネットに出せません、スイマセン)を見せてくださったのですが、これ↑も同じ場所だと思います。


鳥居のたもとに腰かけているのは教員でしょう。ふたりとも操練の特技章をつけているように見えます。左の人3空曹、右の人2空曹。
練習生は元気一杯?石段を登っていますが、年寄りの教員(といっても二十代前半ぐらいか?)はひと休みしないと石段に立ち向かえないのか。

練習生の人数が多いので8期ではなさそう。





これも水戸行軍のひとこまなのか? それとも個人的に遊びに行ったときの撮影なのか?
梅林? 偕楽園でしょうか?

左の方はわからないのですが、右は乙2の工藤修さん(戦闘機)ですね。
9期の操偵検査時もお世話になった教員です。
左袖にはっきりと飛練の特技章が見えています、ちなみに左の人の特技章は操練です。

工藤さん、右肩に細い紐が見えています。他の写真でポシェットみたいなものを下げている人がいるので(工藤さんか? よくわからない)、それかも。
練習生がたすき掛けにしているのは水筒です。
水戸行軍の写真に写っている教員は基本的に手ぶらです。冬とはいえ、教員たちが水分を携帯していないのが気になります。
練習生たちが教員の荷物も持たされているのか? いえいえ、見た感じ2人分の水筒を持っている練習生はいないようです。
教員はのどが乾いたら茶店に入って水分補給していたのでしょうか?

「一人前の搭乗員は半日ぐらい水分補給しなくても大丈夫!(鍛錬の一部)」
ってことはないですよね?
え? ありうる?(^^;)


※画像は浅川さんご家族ご提供

乙8期 中仮屋国盛さん2021年06月01日 13時40分39秒

乙2浅川三雄さんの教員時代の写真に、乙8の飛練らしき集合写真があったので、先日からKさんにいろいろ聞いていました。
ご教示くださった中に、
「中仮屋さんも百里原ですよ」
という重要証言が!(;゚Д゚)


「え? そうなんですか!?」

さんざん見たんですよ?
お顔を知っている搭乗員がいないかどうか。
中仮屋さんも顔を知っています。エース列伝に何枚か出ていますからね。


Kさんに言われて改めて探したら・・・・


いてはりました!
中仮屋さん!

鹿児島出身、戦闘機。
戦後生存。




こっちにもいたー!\(^o^)/


言い訳していいですか?

「ヒゲがないからわからんかったんですorz」


さらにポカを重ねているんですよ。
めっちゃいい写真でしょう?
教員と練習生のペア写真。

教員は浅川さんです。

後列の練習生、
左は名札から馬場時治さん。

真ん中は名札が見えず不明。

右、中仮屋さんでしたー!

名札拡大。
色調調整してみたところ、「中仮屋」に見えてきました(笑)

いやいや、ホンマに中仮屋さんだと思います。

こんなにはっきりお顔が写っているのに気づかないものなんですねorz





わたし、故・藤本速雄さん(愛媛、戦闘機)から中仮屋さんのこと聞いているんですよ。

藤本さん、マリアナ沖海戦の時は瑞鶴から発艦しているんですが、帰途、僚機とはぐれて単機千代田に着艦したらしいんです。
そこに中仮屋さんがいた、と。その時が初対面だと言われていました。

翌日、一緒に上空哨戒をやったそうです。

瑞鶴の上空で手を振って別れた、と言われていました。

後に再会。
戦闘310でご一緒やったんですよね。





藤本さんの戦闘310時代の写真の中に中仮屋さんが写っていました。
このイメージだったので。←まだ言い訳している


藤本さんは、中仮屋さんのことを「やさしい人やった」と言われていました。
話してくださった中にはプライベートなほのぼのエピソードもありました。




これ、最新情報。
浅川さんの残されたネガの中にあったそうです、百里原の教員たちのリラックスした様子。

無帽の教員の肩に肘を掛けているのは乙3期の徳永有さんです。南昌飛行場焼き討ちメンバー。

徳永さんの向こうに立っている練習生が中仮屋さんに似ているんですよね。
横顔なので断言はしませんが。
中仮屋さんの右の練習生も8期集合写真に写っている人とよく似ています。

徳永さんは8期の集合写真に写っているんですが、無帽の教員がちょっと見当たらないんで・・・・。
またまた保留という感じなんですが。


※画像は浅川さんご家族、藤本さんご提供