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大洗海岸2021年09月25日 17時59分33秒

浅川教員の写真の中に、どこかの海岸っぽい写真が数枚ありました。

岩にぶつかって砕ける波。



同じ海でしょうか。やはり荒れ模様。

海軍さん入り。

教員仲間かな?
善行章1線の三空曹。




ちょっと離れた高い場所から。



どこかなー?


と思っていたのですが、何となく、「あそこでは?」というのはありました。


今日、本格的に検索してみました。
ストビューとか、古写真検索とか。

「こんなん、古写真検索したって出て来んでしょ!!」

なんですが(^^;)




検索したのはこれです。
手前に写っている海軍さんは、上の写真の3空曹さんと同じ人のように見えます。

おそらく上と一連の写真。


「大洗海岸 古写真」で検索したら同じ建物の絵葉書がでてきました。
こんな海際に木造三階建てが建っていたんですね。台風来たらどうするんだって立地です(^^;)


というわけで、上の一連の写真はガルパンで盛り上がっている大洗だろうと。


教員たちで個人的に遊びに行ったのか、練習生も連れての行軍だったのか、そこらへんはよくわかりません。


これは海に近い場所では? という練習生入りの写真もありました。
行軍恒例行事の演芸会?(^^;)
練習生(←立っている)が何かしらやらされている様子。
うつむいていて見ていない練習生も多いので、芸をさせられているというより何か演説でもしているんでしょうか。







現在。




わたしは行ったことはないんですが、パパが千葉に単身赴任中にお参りに行ったそうです。


浅川さんの写真を見て、
「こんなに荒れていなかったよー(;´・ω・)」
つっています。


※画像は浅川さんご家族、パパ提供

霞ヶ浦海軍航空隊友部分遣隊教員写真2021年09月09日 16時32分51秒

先日、操練38期の坂井三郎さんが手記に書いている久保教員のことを話題にしたときに触れた教員写真です。


教員6人の無帽写真。

最初見たときは、いつどこで撮られた写真かわからなかったのですが、他の写真をいろいろ見ているうちに操練36期ごろの霞ヶ浦海軍航空隊友部分遣隊で撮られたものではないかと思うようになりました。
書き込まれている階級からも、11年11月~12年4月ごろの撮影だろうと思います。


左から
久保啓治さん
操練17期  戦闘機→艦攻操縦  新潟


浅川三雄さん
乙2期  艦攻操縦  福岡


千代田政治さん
操練24期  艦攻→中攻操縦  福岡


藤池喜一さん
操練21期  艦攻操縦  静岡


田中利治さん
操練20期  艦攻操縦  埼玉


村田盛雄さん
操練19期  艦攻操縦  富山
16年4月21日  加賀  殉職





操練36期集合写真から
久保教員

浅川教員

千代田教員

藤池教員

田中教員

村田教員




操練38期集合写真から
久保教員

浅川教員

千代田教員

田中教員

村田教員






操練40期集合写真から
浅川教員

田中教員

村田教員



こんな感じですね。

操練38期集合写真には藤池さんが、操練40期集合写真には久保さん、千代田さん、藤池さんが写っていないようにありますが、他期の担当になっているのか転勤されたのか、そこらへんはわたしは把握していません。




※画像は浅川さんご家族ご提供

石岡駅2021年08月27日 20時31分51秒

浅川さんの空撮写真の中に、とっても気になる町が写っていました。

同じ町だよなー、とは思ってのですが、ずっとわかりませんでした。

適当な順番で出しますね。









平城宮の朱雀大路か!?

天理教か!?

ってぐらい幅広の道路があるでしょう?

すごい特徴だと思うんですよ。この幅広道路。

よく見ると道路の両脇に街路樹みたいなものも見えています。


大きな屋敷みたいなものもけっこうあるんです。





で、今日になってどこかわかりました。



この写真でわかりました。
上の4枚とは別の場所だと思っていたのですが、どうやら同じ場所。


真ん中に写っているこの施設。
陸橋があるでしょう?

駅に違いないと思いました。

写真のちょうど真ん中ですよね。
浅川教員、機上から駅を狙うとは(笑)



百里原から飛んで、周辺の駅・・・・。
しかも周辺はかなり栄えている大きな町・・・・。

グーグルマップで探してみたところ、どうやら石岡駅らしいとわかりました。
幅広道路は駅から西に延びている駅前道路でした。


昭和21年の米軍撮影の空撮写真を確認したところ周辺道路も一致。



石岡とわかって調べてみたら、浅川さんが撮ってくれているあたりは水戸街道・府中宿らしいです。
納得です。
写っている街並みがただものではありません。



わかりやすくするために同じ道路に色をつけて、飛行順に並べ替えてみました。

たぶん南から石岡駅東側を通過。



赤い道路はグーグルマップによると国道355のようです。
石岡駅の西側を南北に走っています。
国道355には新しいバイパスもあるんでしょうかね。グーグルアースの方で見たら、さらに西側に新しそうな国道355もありました。
この赤い道路は戦前からある道路です。


駅の東側通過後すぐに左旋回しているようです。



この赤い道路のカーブは現在の道路でも確認できます。
グーグルアースで見ると、カーブを曲がった先に恋瀬川という川があって、その両側が畑地?みたいに見えるんですが、それは当時も同じみたいですね。




飛行機は赤い道路の上を通過後さらに左旋回。





自分も中練の機上に入るような気分を味わえました。

このまま百里原に帰るのかな?






さっき出した写真では水戸上空を飛んでいたし。

訓練コース、どうなっていたのかなあ?


※画像は浅川さんご家族ご提供

水戸上空2021年08月27日 14時21分39秒

浅川さんの写真の中に、訓練中の機上から撮ったと思われるものが何枚かありました。




飛行機の機番号は「リ‐○○○」。
筑波海軍航空隊から独立後の百里原空の機体と思われます。
※筑波空の分遣隊時代は「ツ‐○○○」




浅川機は僚機2機より高高度を飛行中です。
練習生の飛行も安定してきた時期でしょうか。
教員、操縦は練習生にまかせて撮影しているのかな?
いや、大陸での爆撃行と思われる飛行中にも僚機(←爆弾抱えている)を撮影しているのがありました。
操縦しながらでも撮影可なのか?(^^;)


これ、たぶん、僚機を撮ったものと思われますが、地上の景色に注目。

川の蛇行っぷりがかなり特徴的。

「探したらわかりそうやな」→グーグルマップ




すぐに見つかりました。

川は那珂川。

下に写っているのは水戸の町です。






ネットにあった昔の地図(昭和9年、水戸市立図書館)を参考にちょっと書き込んでみました。
百里原が独立後なので昭和15~6年ごろの撮影かと思われますが。

昭和20年8月2日未明にB29の爆撃を受けて水戸の町は焦土と化したとか。

師範学校のところに天守閣みたいな?櫓みたいな白い建物が写っていますが、これも空襲で焼失したそうです。


御三階櫓。



百里原の訓練機は水戸上空を飛んでいたのかあ。









これなんかも見る人が見たらどこの上空かわかるかな?
わたしにはちょっとわからんのですが。

リ‐426号機。


練習生も教員もめっちゃカメラ目線で(笑)




※画像は浅川さんご家族ご提供

操練38期集合写真2021年08月24日 11時00分40秒

浅川さんの写真の中に、操練38期の初練の集合写真がありました。

これは郵送で送っていただいた中にあったので、わたしも最近になって初めて見ました。

背景の建物は、先日取り上げた操練36期・操練40期の集合写真背景と同じ建物のようです。


これ、坂井三郎さんの『写真 大空のサムライ』(光人社)に同じ写真が掲載されていました。
それで操練38期だとわかったんですが(^^;)

そのキャプションには、
『昭和12年6月、霞ヶ浦海軍航空隊初歩練習機教程終了記念。後列、右から2番目が坂井一水。右上の円内は、教官の石川満男海軍中尉。昭和12年4月、事故死』
と書かれています。

手記の方を読むと、この霞ヶ浦海軍航空隊は友部分遣隊(のちの筑波空)のことだとわかります。



坂井さん。




浅川教員。


ちょっと考えてみてください。
わたしは海軍航空隊には『大空のサムライ』から入ったようなものなので、坂井三郎さんというのは台南空の下士官搭乗員の主、泣く子も黙る先任下士、ですよ。
この写真を見ると、その坂井先任にも雛鳥時代があって、さらにその雛鳥が羽ばたくために指導した教員のおひとりが浅川さんですよ。
浅川さん、どんだけベテランやねん、って話です。


ただ、浅川さんは坂井さんの直接の指導教員ではありません。

『大空のサムライ』(光人社NF文庫)。
『つづいて操縦実技の受け持ち教員が発表された。大部分の組が教員一人に対し練習生三名であったが、二名の組も幾組かあった。
私の教員は久保二空曹ときまった。久保教員は、艦上攻撃機(雷撃機)専修の下士官で、昨年までは空母『加賀』に乗っていたとのことである。』


坂井さんの担当教員は「久保二空曹」。

これだけではわたしにはどなたかわからないのですが、浅川さんの写真の中に当時の教員仲間と思われる下士官6名の無帽写真があり、それに階級と氏名が書かれていました。
そこに「一等航空兵曹 久保啓治」のお名前が。
※この写真では浅川さんが三等航空兵曹なので、12年4月以前の撮影と思われます。この写真のことはいずれまた。

この人が坂井さんの担当教員の久保さんかな?
一等航空兵曹になっているんですが。

操練17期、新潟県出身、戦後生存。




この人、操練38期の写真にも写っているようです。


『大空のサムライ』(光人社NF文庫)
『海軍の操縦者は、霞ヶ浦を巣立つと、空母や陸上航空隊の実施部隊に配属になり、第一線機に乗って活躍するのであるが、何年か後には、たいてい一度は霞ヶ浦に帰ってきて、教員となって後輩の指導に当たる。これを私たちは母校への「お礼奉公」といっていた。
久保教員もその「お礼奉公」の下士官で、私たちが二期目だといっていた。体格の立派な眉毛が太い、落ち着いた、見るからに雷撃機乗りといった感じの強者――この強者の兄弟弟子に平山練習生と岡部練習生、それに私の三名がなり、これから初歩練習機教程三ヵ月間をみっちり仕込まれることになった。
昼休みに私たち三人が揃って挨拶にいくと、久保教員はちょうど指していた将棋盤から目を離して立ち上がった。
「外へ行こう」とひとこと言って、私たちを藤棚の下のベンチに連れて行った。
私たちは直立不動の姿勢で、自分の官職氏名を次々に名乗って、
「よろしくお願いします!」といった。すると久保教員は、
「おい、あんまりかたくなるなよ、まあ坐れよ」といってベンチをすすめながら、煙草を一本ずつくれた。
海兵団や砲術学校のように、いきなり気合を入れると思っていたのに、あまりにやさしいので、私はかえってびっくりした。
「あすからの初練期間中、おれがお前たちを受け持つことになった、しっかりやれよ。クビにならなくてよかったなア。厳選に厳選されてきたお前たちに、注意することはないが、あすから、空中で、また、地上で、俺の教えることをすなおに聞いて、それを体得して、この友部における初練教程をみごとパスするんだな。今夜の温習の時間に、始業式のときの司令の訓示を、なんべんも読みかえすんだ。あの訓示を、かたときも忘れずにがんばれよ。ほかの組に負けないようにいこうぜ」
私たち三人はなんどもコックリをしながら、久保教員の、この言葉をかみしめた』


教員にも余裕が感じられますね。
この頃は受け持ち練習生も少なくて、まだ手取り足取りできていたんでしょうね。
のちになればなるほど、期間も短くなり(9期は初練教程すっとばし)、受け持ち練習生も多くなり、教員の負担も激増したように思います。


坂井さんの手記によると、久保教員は霞空の前に加賀にいたということなので、浅川さんの加賀艦攻隊(1回目)の集合写真を探してみたのですが、そこでは見つけられませんでした。
もしかして、違う久保さんなのかな?(^^;)
それとも加賀勤務の時期が浅川さんとは違うのかな?(^^;)

階級のことも気になっているんですが、坂井さんの手記では階級間違いはたまにあるので(^^;)

「私たちが二期目」というのは、浅川さんの操練36期写真に久保さんも写っているので、それが1期目とすると操練38期は2期目で、「なるほど」なんですが。

絶対久保啓治さんだ、とは断言できませんが、現時点では「久保教員」の候補、ということで。








浅川さんの霞ヶ浦海軍航空隊友部分遣隊時代の担当クラスは、写真から推測すると、操練36期、操練38期、操練40期、といったところみたいです。


操練36期
ペア写真から、初練。



操練38期
坂井さん手記から、初練。




操練40期

飛行服写真の背景から、初練。




※画像は浅川さんご家族ご提供