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中名主巽さん 追記2020年03月20日 13時20分06秒

中名主さんの投稿の後、Kさんからいろいろとご教示いただきました。

1081空の戦死者を調べてくださったようです。
九期生名簿に記載されている戦死日、3月28日には1081空の戦死者は見当たらないそうです。
4月28日に分隊長の鈴木繁雄大尉(予10)が戦死されているそうなんですが、戦死状況が中名主さんの戦死状況と同じかと思われますので(一式陸攻での作戦空輸の帰途、上海・新竹間で敵機発見電の後行方不明)、中名主さんは鈴木分隊長のペアで、やはり中名主さんの戦死日は3月28日より4月28日の方が可能性が高いかと。



あと、「おもいで」の記述に関しても。

「おもいで」のひとつめの回想は偵察の高坂浪次さんの回想です。
高坂さんも中攻の偵察員のちケガで離脱のち輸送部隊になっています。
その輸送部隊の1001空で中名主さんと一緒になったようですが。
時期「18年の春」と書いていますが、1001空は開隊が18年7月1日だそうで。
高坂さんの記憶違いでしょう。
1001空にふたりがいつ着任したか。辞令上はふたりとも18年9月で、高坂さんの方が1週間だけ早い、ってのが真実のようです。ただし、実際にふたりがいつ顔を合わせたのか、そこまではわかりません。
なので「18年の秋」ってのが正しい記述かな、と思います。

で、一年後に中名主さんが厚木空に転属になり・・・・って書いていますが、中名主さんが1081空に転勤したのは19年10月なので、18年9月10月に再会したとしたら矛盾のない話です。
1081空はこのころ厚木にいたんですかね。
10期の久保さんも1081空にいてはったみたいなんです。
アルバムの中に「大和の下宿」と書かれた写真がありました。

で、以前久保さん宅に遊びに行ったときに、久保さんに中名主さんのことを聞いているんですよね。
そのとき書いたノートが出てきました。
それによると、久保さんは「9期の人で夜間戦闘機に襲われて戦死した人がいた」と答えてくれています。
「9期の人」という表現で、それが中名主さんなのかどうかわからないのですが、わたしが現時点で把握している中では、9期で1081空で戦死されているのは中名主さんだけです。




高坂さんは、中名主さんが1081空で3期の坂野井少尉(「坂井少尉」とタイプミスしていたので訂正しました)操縦のダグラスDC3で散華・・・・と書いているんですが、Kさんによると坂野井少尉は中名主さんが1081空に転出した直後に1001空で戦死されているらしいんです。
なのでこのあたりは記憶の混同があるのかなと思います。
戦後、20年経って編集された同期生会誌ですからね。



※画像は9期生ご遺族ご提供

17年11月 582空戦闘機隊集合写真2019年11月21日 12時59分12秒

丙3期、582空戦闘機隊だった大澤芳夫さんのアルバムにこんな写真が貼ってありました。


台紙には「セレベス島 ケンダリ―基地」と書いてありました。

なので、最初は「3空時代かな」と。
しかしスキャンして拡大してみたころ、横山孝さんがいる・・・・進藤三郎さんもいる・・・・いやいや元台南空の若手の人たち(丙3)がわさわさといる・・・・。

17年11月以降の582空だなと思いました。
Kさんにも見てもらったところ、ある程度の時期まで絞り込んでくださいました。11月後半は間違いなさそう。
11月30日に戦死した横山孝さんが写っているので12月にずれ込むことはないと思います。

なので「ケンダリ―基地」の書き込みは、あとから写真が入れ替わってしまっているのか、大澤さんの記憶違いか、そこはちょっとわかりません。




582空だとわかったら、
「そういえば見たことあるかも」
となって、家の本棚を探したら掲載書籍がありました。

『日本海軍戦闘機隊』【エース列伝】大日本絵画版

角田さんのところに掲載されていました。
キャプションに書かれていた氏名を大澤さんの写真にそのまま書きこんでいます。




神立尚紀さんの『零戦 最後の証言Ⅱ』(光人社)の角田さんの項。
「11月29日」と日付まで書かれていました。
これもキャプションの氏名をそのまま書きこみました。


この2枚を参考にしつつ、わたしが○○さんだろうと判断したものも加えて下に出します。
階級は17年11月という前提で。

前列左から
伊藤重彦飛長(丙3)
18年6月5日  582空  ブイン


大澤芳夫飛長(丙3)
捕虜生還


長野喜一2飛曹(操56)
19年11月6日  戦闘304  比島


森岡辰男2飛曹(乙10)
18年2月1日  582空  イサベル島沖海戦


本田秀正飛長(丙3)
18年4月7日  582空  ガダルカナル


平林真一飛長(丙3)
戦後生存



2列目(イス列)左から
浅野満興予備少尉(予8期)
18年1月17日  582空  ラビ


坂井知行大尉(兵66)
坂井さんは本田秀正さんの横空時代の分隊長だったようで、通帳に「坂井知行」の分隊長印が押されていました。
17年11月30日  582空  ブナ


八木勝利少佐(兵54)
飛行長
戦後生存


進藤三郎大尉(兵61)
飛行隊長
戦後生存


鈴木宇三郎中尉(兵68)
19年10月13日  戦闘301  台湾沖


輪島由雄少尉(操18)
19年2月23日  263空  マリアナ


角田和男飛曹長(乙5)
戦後生存




3列目左から
山本留蔵2飛曹(丙2)
19年6月24日  203空  占守島  哨戒中事故


小川覚2飛曹(丙2)

これは大澤さんが氏名を書きこんでいた集合写真の「小川」さん。同じ人ですよね。
18年6月5日  582空  ブイン


横山孝1飛曹(乙9)
横山さんはこちらを。
17年11月30日  582空  ブナ


八並信孝1飛曹(丙3)
台南空からよくお顔を知っていた方で、勝手に「やなみ」さんと思っていましたがどうも「やつなみ」さんかもしれないという情報が。飛練17期で飛行歴は浅いですが12志だそうで。
18年6月30日  582空  レンドバ攻撃


竹中義彦上飛曹(甲1)
19年6月19日  652空  マリアナ沖


不明


不明

先日出したホリブンが写っている集合写真の「おひとりだけどなたかわからない」と言っていた人、
同じ人ですかね?
笑っているのでわかりづらいですが。
違うかな~?


山内芳美飛長(丙3)
18年10月17日  204空  ブイン


4列目左から
不明


楢原憲政1飛曹(甲5)

【エース列伝】には「奈良原」と書かれていますが、楢原さん。
これは大澤さんが氏名を書きこんでいた集合写真から「楢原」さん。
18年8月15日  204空  ベララベラ


笹本孝道飛長(丙3)

たぶん台南空の笹本さんだと思うんですよね・・・・。
台南空集合写真より
251空集合写真より
18年6月30日  582空  レンドバ攻撃


竹内通2飛曹(乙10)

これは飛練16期の集合写真の竹内さんです。
戦後病没。


上松直2飛曹(乙10)

これも飛練16期集合写真の上松さんです。
17年12月7日  582空  ブナ


明慶幡五郎飛長(丙3)
19年7月4日  横須賀空  硫黄島


不明
【エース列伝】では「山ノ内」になっていますが、行動調書にはこのお名前は見当たらないですね。
もしかしたらすぐ前に立っている山内芳美さんと誤認されたのかも?
どなただろうか?




というわけで、書籍のキャプションを参照しつつわたしの現時点の認識を加えた集合写真(階級・敬称略)。

不明の人が気になります。
この時期前後の行動調書にお名前が出ている中にいらっしゃるのだろうと思いますが・・・・。
わかったらまた書きます。


※画像は大澤さんご家族、武田信行氏、久保さんご提供

582空戦闘機隊搭乗員たち2019年11月07日 12時50分24秒

ホリブンの582空時代の写真です!




丙3期・大澤芳夫さんのご家族が所有されているアルバムの中にありました。
大澤さんは18年7月11日、ムンダ攻撃の際ベララベラ島に不時着・行方不明になるも捕虜生還されています。



写っている人や場所・時期に関して、何も注記はありませんでした。
タイトルに「582空戦闘機搭乗員たち」と書いていますが、これはわたしが勝手につけたタイトルです。
じつはおひとりわからない人がいるんですよね。そのおひとりを除いて他の人たちの共通点が「582空戦闘機隊」。わからないおひとりもおそらく582空戦闘機隊の人なんじゃないかな。
もし、この人が誰かわかったとき、他隊の人だったり艦爆隊の人だったりしたらスイマセン。先に謝っておきます。



前列左から
山本留蔵さん(丙2)
だと思うんです。斜めで、笑顔なので「間違いない」と断言まではしません。

19年6月24日  203空  占守島  哨戒中事故



長野喜一さん(操56)
これもわたしの苦手な分野(笑顔)なのですが、んー、でも、長野さんですよね。

ちなみに↓これは松本勝正さん(9期 左)の遺品の中にあった長野さんとのツーショット。
19年初め頃じゃないかと思っています。

19年11月6日  203空戦闘304  比島




明慶幡五郎さん(丙3)
これは目をつぶっちゃっているけど明慶さんでしょう。

19年7月4日  横須賀空  硫黄島




森岡辰男さん(乙10)
森岡さんの写真もずいぶん見たので間違いないと思います。

18年2月1日  582空  イサベル島沖海戦




後列一番左の人は一部(顔半分ぐらい)しか写っておらずわたしの能力では判別不能です。




平林真一さん(丙3)
台南空時代から見ているのでお顔はわかっているつもりです。平林さんだと思います。

戦後生存



福森大三さん(乙10)
福森さんもわたしにとっては台南空から、いや、予科練からなじみの方なので間違いないと。

18年6月16日  582空  ルンガ沖航空戦




大澤芳夫さん(丙3)
今回、ご本人の写真を何枚も見たので間違いないかな、と。

捕虜生還




後列中央の人、この方どなたですかね?
この人がわからないんです。
コスプレでなければ下士官です。
写真に時期は書かれていなかったですが、ホリブンが写っていることから17年11月~18年1月初に限定されます。その時期に「下士官」であること、さらに下士官でお顔がわかっている人(八並信孝さんとか楢原憲政さんとか)を外すとけっこう限られるんですが・・・・。決め手がない状態です。




堀光雄さん(乙10)
この写真、現物はとても小さいんです。肉眼で見てもだれが写っているかわかりません(老眼のせいもある)。
スキャンして拡大してホリブンを見つけたときの驚き! 
初めて見る写真だったのでうれしかったですよー。しかも笑顔だし。

戦後生存




本田秀正さん(丙3)
だと思うんですよね。台南空、251空の集合写真にも写っています。無帽なので印象がちょっと違うんですが。

18年4月7日  582空  ガダルカナル




伊藤重彦さん(丙3)
伊藤さんも台南空、251空集合写真に写っています。

18年6月5日  582空  ブイン




こうしてみると乙10が3人、丙3が5人で、そこに操練56の長野さんと丙2の山本さんが混じっているという感じです。
一人前の搭乗員になったのは長野さんが16年7月、山本さんが16年11月。乙10(飛練16期)と丙3(ここに写っているの人たちは飛練17期)が17年3月。そんな感じのグループです。
階級で言うと、飛長、二飛曹、ぐらいです。

後列真ん中の人は誰かな~?

気やすい感じですよね。ホリブンたちと同じぐらいの海軍歴・搭乗歴の人かな?
肩を組んでいるので、先任者だったとしても”雲の上”の先任者ではなく、”ちょっと先輩”程度の先任者かな?と想像しています。






と、10月の下旬に書いて管理画面に置いていました、この記事。

先日も書いたように、古墳バスツアーに向かっている電車の中でメールの着信に気づき、開いてみたところ、この写真に写っている丙3期の本田秀正さんのご遺族の方からでした。
驚いたのなんのって!

いままで集合写真ばかりで本田さんの鮮明な写真をみたことがなかったのですが、今回、本田さんがお一人で写っている鮮明な写真を送っていただきました。

わたしの方もパソコンの中を探したら、他にも本田さんが写っている写真がありました。
また今度ご紹介できたらと思います。

しかし、本当に不思議なものです。
わたしの知人の戦闘機搭乗員のご遺族の方が地域的なつながりで大澤さんのご家族とご縁があり、さらに大澤さんのアルバムを見せてもらった数日後に大澤さんの同期生で同隊の戦友である本田さんのご遺族の方から連絡が来るとか・・・・。



※画像は大澤さんご家族ご提供

丙2期 谷川澄男さん2019年11月01日 22時50分40秒

今年の初め、ある会合で零戦Tシャツ屋さんと二人で受付に座りました。

そのとき、Tシャツ屋さんが、

「実は丙2の谷川澄男さんの息子さんと知り合いまして。谷川さんの写真を送ってもらったんですが、見ますか? 知っている人とか写っていませんか?」
と印刷した写真を見せてくださいました。

山陽丸の搭乗員の集合写真でした。


「あ、森健次さん!」

9期の森健次さん(偵察)が写っていました。


他にもあるということだったので、ぜひその息子さんを紹介してください、とお願いしました。
すぐに仲介してくださって、息子さんと直接連絡が取れるようになりました。

ビックリしたのですが、谷川さんの息子さん、Yさんともお知り合いだったんですよ(^^;)
狭いです(笑)












谷川さんは昭和14年に佐世保海兵団入団。
15年11月に丙2期、土浦海軍航空隊。
16年1月、飛練12期、鹿島海軍航空隊。
16年7月、実用機、博多海軍航空隊。
16年12月、飛練卒業。


呉空を経て17年2月、山陽丸へ。



ソロモンで任務に就いていたのですが(零式観測機操縦員)、昭和18年1月31日、敵機と交戦して被弾・空中火災。
脱出して海に浮いているところを鵯(ひよどり 水雷艇)に救助され、病院船氷川丸で内地に後送。

戦闘詳報
『一月三十一日 二飛曹谷川澄男敵機ト交戦戦傷(顔面右前膊左右下肢等二度熱傷右大腿同下腿爆弾々片創)』

結局、傷が悪化して右足を失うのですが、その後も海軍に残り義足で搭乗任務を続けられたようです。



息子さんによると、足を失ってからの話はあまりされなかったそう。











山陽丸時代。
十七年七月 ジャハ スラバヤ基地ニ於イテ 山陽丸総員

これは以前出した写真です。
何人かお顔がわかる人が写っていました。

古寺慶三さん(8期)

今田敏男さん(10期)

今城金嘉さん(7期)

森健次さん(9期)

谷川さん




昭和十七年十二月 ソロモン ショートランド第一基地ニテ


中列右端、谷川さん。







昭和十七年十二月 ソロモン ショートランド第一基地ニ於テ 山陽丸搭乗員一同


中列右端、谷川さん。

集合写真で見るとかなり大柄な方です。



おもしろい写真、いっぱいあるんですよ。
昭和17年12月のショートランド基地だそうです。
過酷な戦の合間のひとこま。楽しそうです。
いかんせん、谷川さん以外がどなたかわからない・・・・(泣)




見知った方が写っているスナップ写真もありました。
山陽丸の人たちだろうと思うんですが。
谷川さんは写っていないかな。他もどなただかちょっと・・・・。

でも、左端の人。
10期の今田敏男さんだよなー、って見つけて喜んだのでした。

裸だったり、サンダルが転がっていたり、いまから飛行機に乗るような格好でもないです。
オフかな?
ひと仕事終えたところかな?



これまた完全オフの搭乗員たち。これは”入浴中”というくくりでいいんでしょうか。”水遊び”?
谷川さんはいないようにあります。


しかし、今田敏男さんがいるのです!
注目は髪型です!
これがうわさに聞いた「基本坊主、頭頂部だけ伸ばす」っていう、彼の地で流行っていたという髪型でしょうか!?
初めて見ました。
モヒってますよね!?

と思いながら上の写真を見ると、あっちも頭頂部だけ伸びているかも?





見せていただいた谷川さんの写真の中に山陽丸の搭載機の編隊飛行中の写真がありました。
P‐55号機。



P‐?号機。

零式観測機一一型。P‐56号機。



零式水上偵察機一一型。


わたしは飛行機のことはわからんので、Yさんにご教示いただきました。

尾翼に「P‐」って機番号が入っています。ネットで山陽丸の飛行機を検索するとプラモデルが出てきて、記号が違っていたのでYさんに聞いてみました。17年後半以降は「P‐」を使っていたそうです。

ちなみにこの機体は尾翼に「ZⅡ‐56」が入っています。これが17年前半まで使っていた記号だそうです。わたしがネットで見たプラモの記号はこれでした。
機体の色も違いますね、「へえ~」でした。
上の「P‐56」号機と同じ零観なんですかね? 調べていないんです、ひとりごとです。


山陽丸の戦闘詳報を見ると、あと九五水偵もあったみたいです。


ふだん陸上機を見慣れているとフロートの違和感が半端ないです。
こんなものつけていてよく飛べるな~、みたいな?(^^;)

こんな邪魔そうなものをつけて飛んで、さらに波のある水上で離着陸をしているからか、水上機から陸上機に転科した人は操縦がうまかったって、以前、零戦搭乗員の人に聞いたことがあります。





谷川さんの写真、興味深い写真がたっくさんあるんですが、どなたが写っているのかわからなくてですね(^^;)
わかるのが一番いいのですが、わからなくても今回みたいに出すかもしれません。
[丙飛]カテゴリもいるかな?(^^;)


※画像は谷川さんご家族ご提供。飛行機に関してはYさんご教示

昭和十七年七月 ジャハ スラバヤ基地ニ於テ 山陽丸総員2019年05月26日 11時30分41秒

以前、岸本正好さんのことを書いたときにちょこっと話題にした山陽丸の集合写真。


裏にタイトルのように書き込んでありました。

写真の持ち主は丙2期の谷川澄男さんです。
14年志願兵、水上機操縦。
戦後生存の方ですが、それはもう壮絶な体験をされた方で・・・・。

谷川さんに関しては別に書きたいと思っています。




その谷川さんの遺品の写真類を息子さんに見せていただきました。
息子さんと縁ができるについてもいろいろ話があるのですが(^^;)
それも、またいずれ・・・・。






17年7月にはすでに岸本さんは転出されているようで、ここには写っていません。
しかし、岸本さん以外に見知った方のお顔が見えたのでご紹介。



御当人、谷川澄男さん
最後列の左から2人目。大柄な人です。




7期 今城金嘉さん

予科練時代の金城さん



8期 古寺慶三さん
予科練は8期ですが、飛練は10期、9期生たちと一緒に写真に写っています。
飛練10期偵察専修の期長です。

博多飛練卒業集合写真の古寺さん



9期 森健次さん

飛練博多卒業集合写真の森さん



10期 今田敏男さん

予科練1学年時の班集合写真の今田さん



他の方もわかるといいんですけどねえ・・・・。
他の写真に、一部名札が読める人も写っているので取り組んでみたいです。
しかし、出身もバラバラの方々なので、なかなか。


※画像は谷川さんご家族、予科練生ご遺族ご提供