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横須賀海軍航空隊 予科練庁舎前2017年02月07日 15時03分57秒

せっかくなので。



横須賀の「飛行予科練習部」の看板がかかった玄関前の写真を出しておきます。
横須賀時代の記念写真撮影スポット。

ここには出しませんが、氏名入り班写真も同じ場所です。


【班写真】
1班。


5班。


10班。


11班。


12班。


15班。



【水泳競技優勝】
2組(5~8班)



【出身県別】
愛媛。
8~10期。


静岡。
8~10期。

静岡。
7~9期。


茨城。
7~9期。


熊本。
7~9期。



【個人写真】
益田増雄さん。
千葉、艦爆偵。
19年3月30日   523空 パラオ南東海域


石川茂さん


島田清守さん。


遠藤桝秋さん。


こうやって見ると、島田さんと遠藤さんの写真は元写真をトリミングしているのかな?という気がします。島田さんだけ立ち位置が違うけど。





前列左から、戸川衛さん、上原信之さん、
後列左から、藤原国雄さん、益田増雄さん、亀山一郎さん。
5班員です。






ヒットラーユーゲント来隊写真は、もっと玄関の様子がわかる写真がありました。


これは10期卒業アルバム「羽ばたき」。
この庁舎、玄関から廊下を突っ切って向こうに抜けられるようになっていますね。
萩谷さんの写真を見るとわかります。


※画像は9期生ご遺族、久保さんご提供

島田清守さんのアルバム写真 埼玉県出身者集合写真2017年02月04日 14時31分31秒

じゃないかなー、という写真がありました。

スイマセン、わたしがスマホで撮った写真です。




どうして埼玉県出身者の集合写真だと思ったかというと・・・・


4列目の左から2人目に島田さん。

3列目の中央に乙10期の埼玉県出身者である鈴木善三郎さんと田中武三さんが写っていたからです。




しかし、不思議な写真。


いままでの県別集合写真って、人数や階級章などから、
「たぶん乙○期~△期までの集合写真だろう」
と、「乙飛」県別出身者集合写真と推定できたんですが、この写真はちょい違う。

兵の格好をしているのに善行章がついている人がいます。
善行章というのは海軍に入って何事もなく3年お勤めしたらもらえる山形のマークです。軍服の右袖、階級章の上につけています。
予科練の間に善行章がつくことはないので、この人たちは予科練生ではない、と。
何者か不明。
可能性としては、次期まわしになった上級生(7期とか)か?
たとえば、7期だとして、11年6月入隊なので、14年6月以降の撮影なら善行章がついていてもおかしくありません。



あと、1空(1等航空兵)の階級章をつけている人がけっこうな数写っているんですよ。




まず、この写真からはっきりしていることは、乙10期の田中武三さんが3等航空兵の階級章をつけている。
つまり、撮影時期は14年2月1日~14年12月31日。
(島田さんの階級章は見えません)

ペンネントは判別不能です。
雰囲気からは「霞ヶ浦海軍航空隊」のような気がします。

場所的にはわたしは見覚えがありまして。
茨城県出身集合写真の背景の校舎?庁舎?や木々の感じと同じなのではないかと。
茨城県出身乙飛生集合写真@霞ヶ浦海軍航空隊


というわけで、現状では、14年3月1日以降12月31日までの霞空かな??
という感じです。

8期生がまだ在隊している時期を含みます。8期が卒業するのは14年の9月1日なので。
じゃあ1空は8期生なのか?
磯部恒弘さん
奥富梅次さん
高野保男さん
竹ノ谷茂雄さん
根岸幸次さん
長谷川進さん
細田喜代人さん
と、7名いるのですが、かれらは卒業する9月1日に1空に進級しているので、一種軍装の1空は8期生ではない、と。
※新潟出身者の8期生卒業時の集合写真では、8期生は1空の階級章に二種軍装で写っていました

14年3月1日~5、6月(一種軍装の時期)の乙飛の最上級生は8期ですが、その8期が2空です。
8期が卒業したら9期が乙飛の最上級生ですが、12月31日までだとかれらもまだ2空です。

もしかして、甲飛生と一緒に写っている????
いままで甲飛と乙飛が一緒に写った県別集合写真なんて見たことなかったですが、そう考えないとつじつまが合わない集合写真です。
甲3期生(7名)がすでにこの時期には1空に進級していますが、それにしては多いような気もするし(^^;)
甲4(7名)までおるんかな?
1空の階級章がはっきり見えているのが7名いて、同じ列に階級章が見えていない人も多いので、うーん・・・・。




あ、そういえば、8期の奥富さんは写真がありました。
奥富さんは、上の集合写真に写っているのかいないのか、ちょっとわからないです。



あと細田さんもお顔がわかります。
島田直さんの辻堂演習宿写真に記名入りで写っていました。


もしかして、清守さんの左隣が細田さんかな?
この写真じゃ、ちょっと判断は難しい(=_=)

細田さん、同県人だったんですね。
蒼龍艦攻隊で島田さんと一緒です。
同郷の先輩が同じ艦に、しかも機種まで一緒って、心強かったんじゃないかと思います。



今日の話、ややこしかったですね、スイマセン。

あ、いつもですね、スイマセン。


とにかく、島田さん、鈴木さん、田中さんの共通点は「埼玉県」なので、埼玉県出身者の集合写真だろうな、と思った、という話でした。

話がややこしいわりにまとめ方が雑でスイマセン。


※画像は9期生ご遺族ご提供

宇佐空搭乗員配員表 昭和十七年二月一日改正2017年01月19日 12時08分19秒

先日ここに書いた宇佐空の資料の中に、↑という表がありました。

17年2月1日というと、ちょうど飛練16期の久保さんたちが宇佐空で艦攻の実用機訓練をやっていた時期です。


(飛行隊長?)
渡辺少佐

分隊長
今宿大尉

分隊士(操)
平原中尉
松元飛曹長

分隊士(偵)
田尻飛曹長
赤松飛曹長

教員(操)
高松一飛曹
清水一飛曹
賀来二飛曹

教員(偵)
戸津一飛曹
三代一飛曹
加地一飛曹→赤線が引かれ何か書いてある
蓑輪一飛曹
大江一飛曹
河原二飛曹
仲屋二飛曹
小野二飛曹

助手
加藤三飛曹→赤線
吉屋三飛曹
筒井三飛曹
笹井一飛
川島一飛


手書きなので読み間違っている箇所があるかもしれませんが、こんな感じで。


正直言いますと、わたし、この配員表の見方がよくわからないんですよね。

いくつか分隊があって、分隊ごとに書いてあります。

上に書いたのは第5分隊の構成員?です。今宿分隊とでもいいましょうか。



この写真。宇佐空の飛練16期・艦攻専修生の集合写真です。
久保さんは分隊長(一種の人)のことは覚えていないと言われましたが、この前の期で宇佐空の教員をされていた大澤さんに見ていただいたところ、分隊長の顔を見て、「(暗くてはっきりわからないけれど)今宿(滋一郎)大尉に似ているような気がする」と言われていました。
横に居並ぶ教員たちは、高松寿教員、清水政三教員、賀来準吾教員。
(久保さんによる。大澤さんには高松さんと賀来さんはご確認いただきましたが、清水さんはわからないとのこと)

たぶん分隊長は今宿大尉で、まさに上に出した第5分隊の分隊長と教員たちなんだと思います。

思うんですけどね・・・・。
集合写真を撮るときは助手は一緒に写らないんだなー。

とか、

偵察分隊士もいるし、偵察教員が多いけど、この写真には写っていないよなー。
操縦専修生だからかなー。

とか、いろいろ思うことはあるのです。





助手の件。
ここに名前が挙がっている9期の3人の助手。
一緒に集合写真に写っていないので、出しておきますね。※画像はいずれも飛練時代
加藤哲夫さん

吉屋清さん

筒井富雄さん

助手って何をするんだろうなあ?
これも大澤さんに聞いてみるかー。


偵察分隊士・偵察教員の件。
第5分隊で、偵察専修生の教育をすることもあり、その際は配員表に書かれている偵察分隊士や偵察教員たちがついて教えていたのか?
そこらへんももう一度大澤さんに聞いてみます。

ちなみにこの頃はすでに大澤さんは筑波に転出されていますが、転出する前の分隊は今宿分隊で、そのころ、赤松(作)飛曹長や高松さん、賀来さんと一緒だった手紙に書かれていました。
それはこの前の期の配員表でも確認できました。


赤松作飛曹長ってこの人らしいです。  ※『宇佐海軍航空隊始末記』による
久保さんのもう一枚の宇佐空時代の集合写真に写っていました。
こちらの写真は艦攻専修生だけはなく、艦爆専修生も一緒に写っています。
赤松さんが写っているということは、第5分隊のもう一人の偵察分隊士・田尻飛曹長も操縦分隊士・松元飛曹長も写っているってことでしょうか。たしかに兵曹長が3人写っているんですが・・・・。


大澤さんのお手紙には当時の赤松飛曹長のことも書いてありました。
とっても興味あるお話でしたが、ご本人の了解がないと書けないような話・・・・。
ご存じかと思いますが、赤松さんはミッドウェイで飛龍の友永丈市大尉機の偵察員として出撃し、還らぬ人となられましたので・・・・。

人間味あふれるエピソードでした。




飛行服集合写真の分隊長さんらしき人―今宿大尉だと思っています―、艦爆艦攻集合写真の方がまだお顔がわかるので、こちらも大澤さんに送って、見ていただこうと思います。
この写真はまだ見てもらっていないので。


橿原神宮の瑞鶴の慰霊碑横の戦没者名録に今宿大尉のお名前もあります。
17年10月26日、南太平洋海戦。


※画像は9期生ご遺族、久保伊勢市さんご提供

乙10期 小池貞雄さん2016年12月22日 19時35分21秒

先日、ちょっと書いた、10期戦闘機搭乗員のご遺族の方から連絡をいただきました・・・・というのは、新潟出身の小池貞雄さんです。


メールと一緒に送ってくださった写真。
たぶん操偵検査の写真でしょう。

ご遺族の方によると、写真はこれ1枚しかないらしく。

わたしの方で小池さんが写っている写真を集めて送ったのですが、いままで操偵検査の小池さんしか知らなかったので、他の写真で少し顔のイメージが変わったとのことでした。

わたしはまず10期同期生会誌に掲載されている氏名入り班写真(ここには出していません)で小池さんを「この人」とつかんでから、操縦専修生や新潟出身者の写真から探しました。

操縦専修生や新潟出身者は、写っているはずの人の氏名と、実際に写っているお顔を一人ずつ当てはめていっているので、まあ、取り違えているようなことはないのではないかと思うのですが・・・・(^^;)

他の人もそうですが、まず少人数の写真でお顔をつかんでから、大人数の写真にチャレンジする、と。






10期の入隊直後総員集合写真

後ろの分隊集合写真
横須賀海軍航空隊。


霞ヶ浦海軍航空隊。
おそらく8期卒業に際しての新潟出身者集合写真。



この2枚、水泳優勝写真らしい。
霞ヶ浦海軍航空隊。


霞ヶ浦海軍航空隊。
操縦専修生集合写真。


艦務実習、伊勢艦上。


土浦海軍航空隊。
操縦専修生集合写真。


【飛練・谷田部】



同期生会誌には大分での実用機(戦闘機)時代の集合写真も掲載されていました。

あと、同期生の方の個人写真の中に、一緒に教員をしていたときの飛行場でリラックスした様子の小池さんの姿も。


小池さんのご遺族の方から履歴を見せていただきました。
大分を卒業した後は、館山空、隼鷹、高雄空、台南空、海口空、三亜空、高雄空、戦闘701飛行隊。
ホリブンとだぶっているところも。
そういえば、ホリブンと三亜空、高雄空でご一緒だった乙12の搭乗員さんが、高雄時代、3分隊あるうち自分の分隊が原田敏堯さんが先任教員で、ひとつがホリブンが先任、ひとつが小池さんが先任だったと言われていました。



前に一度、渡辺洋二『決戦の蒼空へ 日本戦闘機列伝』文春文庫のなかの「獅子は吼えたのか」という短編のことをちらっと書いたことがあるんですが、そこに小池さんのことが出ていました。

戦闘701(紫電)の白根斐夫少佐が戦死した19年11月24日の戦闘の話――

『先任飛行隊長の立場で空中指揮をとってきた白根少佐が、十一月二十四日にレイテ周辺空域で戦死した。任務については、この出撃の生存者から「攻撃隊のための制空(間接掩護)」「オルモック湾の船団掩護」の二通りの証言があり、フィリピンで作戦中の同期生の証言及び同期生誌には「魚雷艇攻撃」と記されている。「制空」の可能性が大だろう。
出動は午後一時ごろ。二時間ほどのち、オルモック湾に入るあたりで戦闘七○一技量最右翼の松葉少尉は、「紫電」より一〇〇〇メートル優位の高度六〇〇〇メートルからP-38八機が、二手に分かれて襲ってくるのを認めた。「紫電」も二個小隊の八機前後だったようだ』

その後、松場少尉はそれらをたくみにかわして「追随する列機三機」を率いて陸軍飛行場に降りた、ということなので、もし、紫電が8機編隊だったとしたら、残りの4機(これで1小隊か?)の中に白根少佐、小池さんがいたことになります。

『松場少尉は無事にマルコットに帰ってきた。「白根少佐はセブ島の海軍基地に降りたのか」と少尉が案じていると、少佐の列機が帰投し、P-38にやられた旨を報告した。未帰還は少佐と戦闘七〇一の小池貞夫上飛曹だった』

白根少佐

小池さん、名前の字が違っているようですが、おそらく10期の小池貞雄さんのことでしょう。




19年11月24日  戦闘701  比島





同期生会誌の回想。

「クリクリした大きな目。がっちりしたその構え。今も眼前に君が浮かぶ」

「海南島から台湾時代ずっと一緒で、台湾から厚木空に雷電の講習、受領空輸に行ったとき、飛行靴で鎌倉、江の島方面を清遊した。目玉のデッカイ、池さん」

「鹿屋空から高雄空の中練教員に行き、飛行指揮所で転勤申告をしたとき、飛行長が小池定雄少佐、両方共がビックリ。そして台南空の戦闘機教員とその間、何をするのも一緒、体の大きいのと、小柄なのがコンビで一番思い出に残っている」



最後の回想、「一番思い出に残っている」と書かれている同期生の方は小池さんと同じく戦闘機の方なんですが、数か月前までご存命でした。
愛媛で知人から、
「数か月前に亡くなられたみたい。地元の新聞の訃報欄に出ていた」
と教えられたばかりでした。
このことは同期生の久保さんもご存知でした。
「これで10期ももうほとんどいないんじゃないか。東京に偵察のがいるかもしれんが」
と。

上に書いた、教員時代の飛行場での小池さんの写真をお持ちだったのもこの人です。
仲良しだったんでしょうね、向こうで再会されているでしょうか。


※画像は久保さん、10期生ご遺族、小野正夫さんご提供

久保さん公認2016年12月21日 21時21分54秒

先日、愛媛で久保さんを訪問したときの話です。


わたしはまあほとんど田舎に帰るような気分で。
乙18の彩雲搭乗員さんは大先輩の表敬訪問、大分の研究家さんは取材という目的で訪問していました。

研究家さん、久保さんの正面に座り、機材をセットして、いろいろ質問をされていました。

どれほど経ったころだったか・・・・久保さんが立って行かれ、何か書類のようなものを手に戻って来られました。


「あんた、わしに質問するより、これを読んだ方が早いよ」

と研究家さんに手渡したのは・・・・↓


「おお! 新しい資料が出てきたのか!?  わたしにも見せて、見せて♪」


と横から覗きこんだら、

なんと!

わたしのブログだった!?w( ̄Д ̄;)w


久保さんに関係する記事をプリントアウトして綴じておられたんですよ!



「スゲー! わたしのブログ!! 久保さん公認だ!!\(^o^)/」



とはいえ、研究家さん、ちゃんとご自分の関心事をいろいろ質問されていました。

わたしが聞きたいこととかぶったのは宇佐空の教員ぐらいで、あとは本格的に戦史に関わるようなことを聞かれていたようです。