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水泳の話 15年夏2017年10月15日 14時09分28秒

前に予科練の水泳のことを書いたことがありますが、今回は島田さんの日記から。

日記に、水泳競技予選、の記述がありました。

15年8月29日。
「予選ニ入ッタ者ハ
背泳(五十米) 谷村 一着
自由形(百米) 藤代 一着
 〃   〃   米盛 三着
 〃 (ニ百米) 髙橋 一着
 〃 (四百米) 本間 一着
横泳(百米)   植松 二着
 〃 (二百米) 加藤 一着
千米継泳        一着
八百 〃        一着
(永田、下釜、本間、植松、米盛、高橋、藤代、谷村)
断然二十二分隊ハ優勢デアル。一着ガ七種目モトリ明日ノ「優勝」モ我ガ手ニ・・・・・
八百、千米モ見事ニ他ノクラスヲ抜イテ居ル。分隊長分隊士モ非常ニ喜ンデ明日ハ尚頑張レ然シテ「優勝」ト」

意気軒昂。



ところが、水泳競技大会当日(8月30日)の日記ではテンションだだ下り。

「髙橋ノ二百、谷村ノ五十ガ一着ノミ。他は皆七、八着デ」

「千米モ四着、八百米モ二着」

結局23分隊が優勝、「ウチハ三位」

23分隊は乙10期の分隊です。
乙10期の戦後の同期生会誌「とんぼ」には「15年8月30日 水泳競技優勝」と誇らしげに書いてあります。
ちなみに、10期の水泳競技優勝集合写真。
藤本久夫さんのアルバムにありました。
つけている階級章が2空なので、おそらく15年8月の水泳競技優勝時のものかと。
顔ぶれを見ると操縦分隊じゃないかと思います。23分隊というのは、10期の操縦分隊なんだろうな。

中央の優勝旗のアップ。
9期22分隊がほぼ手中におさめていると思っていた優勝旗はこれです(^^;)




9期(偵察)は予選で頑張りすぎて燃え尽きたのか?
あるいは10期が予選では余力を残して泳いでいたのか?




結果は残念でしたが、せっかくなので、お名前の挙がっている選手のみなさん。

谷村博明さん
谷村さん、水泳が得意だったということは有名な話です。
予科練外史にも出ています。
15年の検定で1分10秒で最高タイムだったと書かれてありました。たぶん自由形で出したタイムではないかと思います。が、本人は背泳ぎの選手なんですね。島田さんの日記で初めて知りました。

藤代護さん
戦後に手記を書かれていますが、水泳の話なんか書かれていましたっけ?
藤代さんに水泳のイメージ、ないんですが(^^;)

米盛朴さん
この人、たぶんスポーツ万能ですね。
鈴鹿時代は相撲でも優勝メンバーに入っていました。
スポーツだけじゃなく、文才もあります。詩人です。

高橋兼春さん
あくまで個人のイメージですが、おとなしそうな人だと思っていました。
水泳、得意なんですね。10期を押さえて優勝したとは。

本間秀人さん
本間さんの水泳は「おもいで」にも書かれていました。海のない長野県出身で泳ぎが得意。

植松繁さん
この画像は1学年時の水泳集合写真です。
赤帽です! カナヅチです!
予科練に入ったときは泳げなかったんです!
3学年時は横泳ぎ予選で2着! さらにリレー選手にも抜擢!?
すばらしい!

加藤勝正さん
加藤さんは足が速かったって「おもいで」に書いてあったので、陸上選手のイメージでした。!

永田正さん
リレー選手のところにお名前がありました。
自由形でしょうか。

下釜さんは泳ぎ得意そうですよね。あ、イメージです。



9期1学年時の水泳集合写真、1~3組の分は手元にあります。
水泳帽を見れば、その時点でのその人の泳ぎの練度がわかります。
1~3組の分がある、ってことは4組1組分だけないってことです(9期全4組)。

上の画像で水泳の格好をしていない人は全員、水泳集合写真のない4組(13~16班)の人です。
4組の水泳写真も見たいわあ。




※画像は9期生・10期生ご遺族ご提供

田中武三さんの手紙2017年09月12日 07時30分38秒

去年の11月に島田清守さんの遺品を見せてもらいに行ったときに、島田さんが乙10期の田中武三さんからもらった手紙の封筒を見つけました。





田中武三さん
島田さんと同郷の埼玉県出身の艦爆操縦員。
17年10月26日 翔鶴 南太平洋海戦で戦死。





この封筒に関して、わたしはここに書いたと思っていたのですが、検索しても出て来ないですね。
書くだけ書いて、管理画面に置いておいて、そのままになっているようです(-_-;)


検閲印が押してあったんです。
その検閲印のことを書いたような気がしていたのですが・・・・。気のせいでした。
K上飛曹にまで聞いたのに、どうやら書いていなさそう。ブログ内検索をしても出てこないorz


この封筒です。

佐世保局気付
軍艦瑞鳳搭乗員室

島田清守兄




大分県
宇佐航空隊第一分隊
一月十九日     田中武三拝




で、検閲印ですよ。
「伊吹」


これって、真珠湾攻撃時、加賀艦爆隊分隊長の兵62期出身の伊吹正一大尉のことだと思うんですよね。
『真珠湾攻撃隊 隊員列伝』(吉良敢・吉野泰貴)によると17年1月に宇佐空の分隊長兼教官になっているそうです。





ところが。

同期生から瑞鳳の島田さんに来ていた手紙には、検閲印がなかったんですよね・・・・



差出人は別々の同期生ですが、どちらもないです。裏にもないです。


わたしのイメージでは(スイマセン)、軍隊で手紙のやりとりをするときは検閲を受けるのだろう、と思っていました。

たとえば、実家に出すときに、町のポストにこっそり投函すれば検閲は免れられる。
でも、隊に届く分、隊から出す分は全部検閲を受けるんだろうと思っていました。

ところが、9期の同期生が瑞鳳の島田さんに出した手紙は、下宿から出した手紙も隊から出した手紙も、検閲を受けていないんですよ。



「なんでだー!?」


と、ずっと疑問だったのですが、K上飛曹に聞いてわかりました。

いや、わかったかどうかわからないけど、ひとつヒントをもらいました。



↓数か月前の管理画面を探したら編集途中の記事がありました。



K上飛曹に聞いたんです。

「海軍時代、手紙の検閲を受けていましたか?」

って。


そしたら、

「練習生時代は班長(と言われたと思う)に手紙を渡していた。その班長が検閲をしていたと思う」

班長がどういう人かまでは聞きませんでした。
田中さんの場合は「分隊長」ですよね、伊吹さん。

「実施部隊に出てからは手紙はふつうに出しとったで」→検閲は受けていなかった

だそうです。

なるほど!

練習生か一人前の搭乗員かの違いなのか!

と。







上の封筒の田中さんはまだ練習生の身分です。宇佐空で飛練16期の艦爆操縦の訓練中。
それに対して、9期の同期生二人の手紙は飛練を修了し、特技章をもらって、実施部隊に着任してから出している手紙でした。


イメージでは、軍人さんは手紙を出したりもらったりするときは必ず検閲を受けるのかと思っていましたが、K上飛曹のお話、あるいは島田さんの遺品の手紙からすると、「練習生は検閲を受ける」「一人前の搭乗員は検閲なし」みたいです。


ただ、ちょっと時期は下りますが、深井良中尉(兵72、20年5月11日戦死)が特攻出撃の前日、実家に宛てて出したハガキ(遺書)には当時の飛行隊長の検閲印が押してありました。


ちゃんと検閲の決まりがあったはずです。
それを調べないと正確なことはわからないですね。
ただ、一律に「軍人さんとの手紙」→「検閲を受ける」ではなかったようです。













上の田中さんの封筒、中身がなかったなあ、と思っていたら、再訪時に便箋を発見!

しかし、書いた日付は2月18日でした。

少なくとも、島田さんは田中さんから2通は受け取っているんですな。



2月の手紙、ほとんどは「戦況に関して」のような感じです。戦の話。

最後にちょこっと二人の共通の知人の近況報告がありました。



鈴木も今は大分空の二分隊に移り猛訓練中です。又河合は一月末木更津の一分隊に行きました。武田期長も元気でやって居ります。



キターーーーー!!!!(・∀・)


武田期長!!

9期の武田清さんです!
病気で卒業が遅れ(進級は遅れていない)、10期と一緒に卒業、飛練は16期に進みました。
よって、飛練16期では「期長」と呼ばれていました。

宇佐の武田さんは元気にやっていた!

この情報だけでうれしいのだ!

島田さんの同期生なので、田中さんが「元気だよ」と近況を伝えたのでしょう。




ちなみに「鈴木」は10期の鈴木善三郎さん。
鈴木善三郎さん
乙10期 埼玉 戦闘機
17年5月4日 赤城 殉職






問題は「河合」。

最初。9期で次期回しになった河合敏さん(中攻操)のことかと思ったのですが。

よくよく見ると、この「河合」という人、1月末に木更津に行ったと書いてあります。
河合さんが宇佐から木更津にかわったのは辞令上は17年3月末のはず。

「違う河合か? ほかにも宇佐から木更津に行った河合さんがいたのか? 同郷の人か?」

と思ったのですが、Kさんからいただいていた宇佐空の資料を見たら、河合さんたち飛練16期の中攻操縦専修生たちは「17年2月2日木空派遣」と書いてありました。
ということは、籍、というか辞令上は3末まで宇佐空だったけど、実際は2月3月は木更津に移って訓練していたということでしょうかね。

17年1月末ぐらいのタイミングで、宇佐から木更津に移動した飛練の期に「河合」という人がいないか探したのですが、見つかりませんでした。

ということはやっぱりこの「河合」は9期の河合敏さんのことか。

それにしても呼び捨てとか!(;´Д`)
9期も、8期から次期回しになった持田竹雄さんのことは「持田さん」、三浦駿一さんのことは「三浦君」と、いちおう呼び捨てにはしていません。先輩やからね(^^;)
「河合」て。



※画像は9期生ご遺族ご提供

松本勝正さんと10期・藤田保さん2017年07月17日 21時54分39秒

松本さんのアルバムに、10期の藤田保さんと二人で写った写真がありました。

横須賀海軍航空隊。
松本さんは3等航空兵の階級章をつけています。藤田さんは・・・・階級章、見えません(スキャン失敗して、ピンボケ)。
藤田さんたち10期が入隊したのが13年11月なので、13年11月~14年2月まで(←3月に霞空に移転するので)の撮影です。
もし、藤田さんが階級章をつけていなければ(4空)13年11月12月、もし、階級章がついていれば(3空)14年1月2月の撮影です。



松本さんの書簡(武田信行編『ジュンちゃんへ・・・・ 戦争に行った兄さんより』)にも藤田さんのことが出てきます。
藤田さん入隊直後の13年11月13日付実家宛書簡。
『藤田君は十三日に東京行軍で喜んでゐる。自分は酒保の汁粉と菓子で喜んでゐる』


実は藤田さんと撮った写真を送っているらしい内容の書簡もあるのですが、差出地・日付が不明です。
日付けのヒントになりそうなのが、ボーナス。
生れて初めてボーナスがもらえるらしい、という話題を出しています。
初ボーナスがいつだったかわかると手紙を出した期間もある程度限定されるのではないかと思っています。島田清守さんの出納帳を解析中。
もしかしたら、冒頭の写真がこのとき送った写真かも知れません。また今度。




藤田さんと松本さんは西条中学の同級生らしいです。

前述の書簡集、松本さんの妹さんがあとがきに次のように書かれています。
『兄の中学校の同級生の藤田保氏はやはり航空兵で戦死なさったと、兄の戦死よりもずっと以前に報じられていました。ところが戦後になって思いがけなく生還されて私の父母の許へ挨拶に来てくださったのです。南方で戦闘中に小島に不時着し、島民に助けられたとのお話でした。それ以来、南方のどこかで兄も生きているかもしれないと、ずーっと一縷の望みを捨てず、奇跡を願っていたのでした』





松本さんの妹さんが語られている藤田さんの戦死。

17年10月18日のガ島攻撃のことです。
当時、藤田さんは鹿屋空が改称した751空の戦闘機隊。
ガ島飛行場攻撃の上空制圧任務の際、グラマンの奇襲を受けて交戦、戦死。
正確に言うと、行方不明になって後に戦死認定です。


が、生存されていました。
会誌に詳しいことが書かれていないのでわたしは知りませんが、その間のことは、松本家を訪れて語ったような事情なのでしょうか。
戦後21年2月に復員。







9期には、わたしが知る限りは捕虜生還の人はいません。
が、10期は複数人います。
藤田さんもそうだし、中攻操縦の桑折さんもそうだし、水上機の操縦の方でわたしが奥様から話を聞けた方がいるのですが、その人も捕虜生還の方でした(本人は故人)。





※画像は9期生ご遺族ご提供、Kさんご教示

横須賀海軍航空隊 予科練庁舎前2017年02月07日 15時03分57秒

せっかくなので。



横須賀の「飛行予科練習部」の看板がかかった玄関前の写真を出しておきます。
横須賀時代の記念写真撮影スポット。

ここには出しませんが、氏名入り班写真も同じ場所です。


【班写真】
1班。


5班。


10班。


11班。


12班。


15班。



【水泳競技優勝】
2組(5~8班)



【出身県別】
愛媛。
8~10期。


静岡。
8~10期。

静岡。
7~9期。


茨城。
7~9期。


熊本。
7~9期。



【個人写真】
益田増雄さん。
千葉、艦爆偵。
19年3月30日   523空 パラオ南東海域


石川茂さん


島田清守さん。


遠藤桝秋さん。


こうやって見ると、島田さんと遠藤さんの写真は元写真をトリミングしているのかな?という気がします。島田さんだけ立ち位置が違うけど。





前列左から、戸川衛さん、上原信之さん、
後列左から、藤原国雄さん、益田増雄さん、亀山一郎さん。
5班員です。






ヒットラーユーゲント来隊写真は、もっと玄関の様子がわかる写真がありました。


これは10期卒業アルバム「羽ばたき」。
この庁舎、玄関から廊下を突っ切って向こうに抜けられるようになっていますね。
萩谷さんの写真を見るとわかります。


※画像は9期生ご遺族、久保さんご提供

島田清守さんのアルバム写真 埼玉県出身者集合写真2017年02月04日 14時31分31秒

じゃないかなー、という写真がありました。

スイマセン、わたしがスマホで撮った写真です。




どうして埼玉県出身者の集合写真だと思ったかというと・・・・


4列目の左から2人目に島田さん。

3列目の中央に乙10期の埼玉県出身者である鈴木善三郎さんと田中武三さんが写っていたからです。




しかし、不思議な写真。


いままでの県別集合写真って、人数や階級章などから、
「たぶん乙○期~△期までの集合写真だろう」
と、「乙飛」県別出身者集合写真と推定できたんですが、この写真はちょい違う。

兵の格好をしているのに善行章がついている人がいます。
善行章というのは海軍に入って何事もなく3年お勤めしたらもらえる山形のマークです。軍服の右袖、階級章の上につけています。
予科練の間に善行章がつくことはないので、この人たちは予科練生ではない、と。
何者か不明。
可能性としては、次期まわしになった上級生(7期とか)か?
たとえば、7期だとして、11年6月入隊なので、14年6月以降の撮影なら善行章がついていてもおかしくありません。



あと、1空(1等航空兵)の階級章をつけている人がけっこうな数写っているんですよ。




まず、この写真からはっきりしていることは、乙10期の田中武三さんが3等航空兵の階級章をつけている。
つまり、撮影時期は14年2月1日~14年12月31日。
(島田さんの階級章は見えません)

ペンネントは判別不能です。
雰囲気からは「霞ヶ浦海軍航空隊」のような気がします。

場所的にはわたしは見覚えがありまして。
茨城県出身集合写真の背景の校舎?庁舎?や木々の感じと同じなのではないかと。
茨城県出身乙飛生集合写真@霞ヶ浦海軍航空隊


というわけで、現状では、14年3月1日以降12月31日までの霞空かな??
という感じです。

8期生がまだ在隊している時期を含みます。8期が卒業するのは14年の9月1日なので。
じゃあ1空は8期生なのか?
磯部恒弘さん
奥富梅次さん
高野保男さん
竹ノ谷茂雄さん
根岸幸次さん
長谷川進さん
細田喜代人さん
と、7名いるのですが、かれらは卒業する9月1日に1空に進級しているので、一種軍装の1空は8期生ではない、と。
※新潟出身者の8期生卒業時の集合写真では、8期生は1空の階級章に二種軍装で写っていました

14年3月1日~5、6月(一種軍装の時期)の乙飛の最上級生は8期ですが、その8期が2空です。
8期が卒業したら9期が乙飛の最上級生ですが、12月31日までだとかれらもまだ2空です。

もしかして、甲飛生と一緒に写っている????
いままで甲飛と乙飛が一緒に写った県別集合写真なんて見たことなかったですが、そう考えないとつじつまが合わない集合写真です。
甲3期生(7名)がすでにこの時期には1空に進級していますが、それにしては多いような気もするし(^^;)
甲4(7名)までおるんかな?
1空の階級章がはっきり見えているのが7名いて、同じ列に階級章が見えていない人も多いので、うーん・・・・。




あ、そういえば、8期の奥富さんは写真がありました。
奥富さんは、上の集合写真に写っているのかいないのか、ちょっとわからないです。



あと細田さんもお顔がわかります。
島田直さんの辻堂演習宿写真に記名入りで写っていました。


もしかして、清守さんの左隣が細田さんかな?
この写真じゃ、ちょっと判断は難しい(=_=)

細田さん、同県人だったんですね。
蒼龍艦攻隊で島田さんと一緒です。
同郷の先輩が同じ艦に、しかも機種まで一緒って、心強かったんじゃないかと思います。



今日の話、ややこしかったですね、スイマセン。

あ、いつもですね、スイマセン。


とにかく、島田さん、鈴木さん、田中さんの共通点は「埼玉県」なので、埼玉県出身者の集合写真だろうな、と思った、という話でした。

話がややこしいわりにまとめ方が雑でスイマセン。


※画像は9期生ご遺族ご提供