Google
WWWを検索 ひねもすを検索

上司、なんとなくわかってくれる2017年12月11日 21時09分39秒

うちの上司はわたしが職場以外のところで何をしているか、たぶん知りません。

しかし、万が一、ママが炎上事件でも起こして職場にクレームが殺到したら・・・・上司が「何をしているか知りませんでした」では済まないでしょう。

何かの折にちゃんと言っておかないとな・・・・と思っていました。


土曜日、職場のパーティの2次会で、お世話になった人に島田さんのことが掲載された新聞を見せているとき、横に上司もいました。
「それ、ぼくにもメールで送っておいて」
と言われたので、いい機会だと思ってメールに新聞画像を添付して送りました。


そしたら、
「(何をしているか)なんとなくわかりました」
という返信が来ました。

なんとなくわかってくれたそうで、安心しました。





ここからは【今日のいろいろ】

朝、10期の艦攻操縦員・久保伊勢市さんの奥さんから電話がかかってきました。
かかってきた用件に関してはまたあらためて書くと思いますが・・・・。

そのときに久保さんの近況も聞きました。

また手紙でも書こうかな♪

と思っています。

今年は行けなかったので(恒例行事と化しつつある!?)。






ママね、今日、スカートはいて仕事に行ったんですよ。

いつもはジーンズです。

去年セールで買ったフレアスカート。
サイズは「F」、Fって何の略か知っていますか? フリーですよ、フリー!

「余裕だわ」

と、試着もせずに買って帰ったら・・・・。

入らなかった!(涙目)

春海に「着ていいよ」って言ったら、「色がダサい、着ない」と言われてしまい1年間タグが付いたまま放置されていましたorz

何を思ったか、今日、それを着て仕事に行きました。

かなり無理矢理(笑)


↓職場のエレベーターにて。


「ちゃんと着れてるやん!」

と思うでしょ?

隠れとるからわからんと思いますが。


隠れとる部分は↓こんなです!(爆)

ゴム部分がマックスになっていて、吐きそうなぐらいしんどかったです! まったくフリーじゃない! タイト! ベリータイト!!

まーねー、Fが入らんとかねー、もうねー(´・ω・`)





うちの娘ちゃんは学校が早く終わったらしく、JK生活を満喫。
先輩と二人でスタバ♪
※もちろん女子先輩


ママと半分こしようと思って、メロンパン(キャラメル味)も買ってきてくれました。

もちろん、現地ですでに1個(紅茶味)間食済み。

香川県乙飛戦没者慰霊碑2017年11月29日 06時03分19秒

香川県高松市の田村神社に「海軍少年飛行兵之碑」という慰霊碑があるそうです。
予科練生のご遺族の方が写真を撮って送ってきてくださいました。



裏面には香川県出身乙飛戦没者のお名前が刻まれています。
氏名しか書かれていないので、手持ちの予科練名簿(知人のAさん作成)参照、わかった範囲で。
8期、9期、10期は同期生会誌参照。
※敬称階級略
※配置は操偵別のみ


【2期】
寺井 栄 19年6月15日 艦爆偵
新名善清

【3期】
川﨑 昇
佐野 進

【4期】
浜中 寛

【5期】
大林行雄 17年6月5日 ミッドウェイ 飛龍 艦攻操
武田忠義

【6期】
森下 武

宮武義彰 18年10月1日 ソロモン 582空 艦爆操

【8期】
林 忠雄 18年11月30日 ソロモン 751空

【9期】
大山輝一 17年4月4日 ポートダーウィン 高雄空 陸攻偵

四宮与三郎 18年7月1日 レンドバ島 251空 戦闘機

立井義春 18年11月8日 ソロモン 702空 陸攻偵

高橋兼春 20年4月12日 沖縄 951空 陸攻偵

鶴見堅三 20年4月5日 沖縄 攻撃703 陸攻偵

藤井国男 17年9月15日 ソロモン 東港空 飛行艇偵

【10期】
伊藤 勲 17年11月12日  582空  ソロモン 戦闘機

今田敏男 20年2月6日 ボルネオ 381空 戦闘機
川渕義秋 17年6月5日 ミッドウェイ 飛龍 艦爆偵

鎌田 久 20年4月24日 比島 操縦
金丸春男 19年5月1日 南洋群島 551空 偵
高橋通夫 17年10月25日 ソロモン 14空 飛行艇偵

平田義之 17年8月23日 ポートダーウィン 三沢空 陸攻操

【11期】
橋本満明
野口泰弘
立住一男 18年11月11日 ラバウル 翔鶴 戦闘機
藤川一郎
石川 庵
横井徳一
眞鍋綱夫
小西範秋
和泉 哲

【12期】
只野岩太郎 20年4月16日 901空 艦攻偵
丸尾政信
真鍋正範
山崎輝雄
竹本耕三
真鍋鶴夫
横山恒雄
横山 亨

【13期】
関 正信
中村芳春
宮本 泰
後藤 茂
玉茂礼弘
金山英敏 20年4月22日 奄美大島東方海面 252空K3

【14期】
田中義雄
岩崎幸夫
矢野文夫
池上信義
福田 操
福一 要
長井良一
松下小次郎
伏見 清 19年6月11日 サイパン 261空 戦闘機

【15期】
池田義行 19年2月23日 サイパン 201空 戦闘機
光行 明 19年8月2日 テニアン島 761空 偵察
横井正之 18年12月3日 タロキナ付近 582空 偵察
中山正雄 19年2月 マリアナ方面
松田 弘 19年10月 比島クラーク
河内司郎 19年7月8日 サイパン島 偵察
豊田 恵 19年9月2日 ダバオ 954空 操縦
徳永彰平 19年6月15日 テニアン北東海上 523空 偵察
藤田敏雄 19年1月7日 ニューブリテン島 204空 戦闘機
辻 照雄 19年3月7日 南洋方面 761空 操縦
音泉 昇 19年7月3日 301空 戦闘機
田中喜芳 20年8月9日 本邦南方海面 752空K5 偵察
景山 武 19年11月1日 本州南方 偵察
高橋三郎 19年4月19日 インド洋
三木正信 19年4月30日 トラック方面
佃 吉治 19年6月19日 マリアナ 652空 偵察
田中 巧 19年2月18日 南洋方面 偵察
松岡三夫 19年8月18日 東シナ海 931空 偵察 
宮本 弘
合田 武 19年6月2日 ニューギニア 381空 戦闘機
岡田寿恵義 佐伯空 操縦
尾野 勇 19年7月8日 サイパン島 
諏訪種彦 20年3月1日 851空 偵察

【16期】
宮武 薫
三谷健一
久住一美
今井義隆
津郷寿恵儀
磯崎定義
矢野義明
氏家 弘
植田久雄 19年10月11日 台湾方面 762空K708 陸攻偵
二川義弘
篠原芳郎
植村孝雄 20年4月7日 沖縄本島周辺 706空K405 陸爆偵
大西一夫 20年4月7日 沖縄周辺 K251 艦攻偵
多賀文夫
蜂須賀幸雄
小山照夫 20年2月21日 硫黄島周辺 601空K1
中川 勇
岩松繁己

【17期】
中桐一夫
山下幸信 20年6月22日 沖縄本島周辺 721空K708 陸攻偵
竹安末雄 20年6月28日 沖縄本島周辺 福山空 操縦
辻 忠弘 20年4月1日 沖縄本島周辺 721空K708 陸攻偵
遠山 明 20年8月9日 本州東方海面 601空K1 操縦
内海 清 20年4月21日 沖縄本島周辺 721空K708 陸攻偵 
竹原 修
篠原 修
川崎正行
土井 弘
勝浦繁信 20年4月27日 762空 陸攻
田中敏雄
篠原耕治
細川茂二郎
石田光則
喜久間諄造
北原幸一
川合 淳
奥野克夫
田中義一 
山崎正一 20年6月7日 沖縄 765空 戦闘機
鳥居一善

【18期】
大野 勇
森野繁夫
合田一二郎 ?20年4月12日 沖縄本島周辺 宇佐空 艦攻偵
大谷康佳 20年4月16日 沖縄本島周辺 姫路空 偵
河田忠男
森近浅太郎
上川安則 20年4月7日 601空K1
土井定美
東山 稔 20年4月6日 沖縄本島周辺 宇佐空 艦攻
富山 枝 20年4月16日 沖縄本島周辺 宇佐空 操縦

【19期】
齋賀秋吉

入江辰夫 ?

【3期】
佐藤茂行

【16期】
山下徳雄
多田輝市


データの「予科練名簿」はもう何年も前にもらったもので、もしかしたらAさんの方ではあれから追加修正などしているかもしれませんが、わたしのほうではこれ以上のことは把握していません。





この碑には殉職者は含まれていないようですね。
予科練の水泳授業中に殉職した10期の白川登さん(15年8月22日)や出水空で殉職した寺元繁雄さん(艦攻操、18年12月28日)のお名前はありません。
寺元繁雄さん



9期の桑島武一さん(戦闘機)も戦傷、のち兵役免除。郷里に帰った後で亡くなっているのでここにお名前はありません。


















春、桜の頃の様子も送ってくださいました。









全国には何か所か9期生のお名前が刻まれている慰霊碑があるのですが、香川高松の神社にこのような慰霊碑があることは知りませんでした。

香川はいままで25年ぐらい前に1度、職場の旅行で行ったきりです。
この慰霊碑のことを聞いて、行ってみたくなりました。






※画像は予科練生ご遺族、久保さんご提供

水泳の話 15年夏2017年10月15日 14時09分28秒

前に予科練の水泳のことを書いたことがありますが、今回は島田さんの日記から。

日記に、水泳競技予選、の記述がありました。

15年8月29日。
「予選ニ入ッタ者ハ
背泳(五十米) 谷村 一着
自由形(百米) 藤代 一着
 〃   〃   米盛 三着
 〃 (ニ百米) 髙橋 一着
 〃 (四百米) 本間 一着
横泳(百米)   植松 二着
 〃 (二百米) 加藤 一着
千米継泳        一着
八百 〃        一着
(永田、下釜、本間、植松、米盛、高橋、藤代、谷村)
断然二十二分隊ハ優勢デアル。一着ガ七種目モトリ明日ノ「優勝」モ我ガ手ニ・・・・・
八百、千米モ見事ニ他ノクラスヲ抜イテ居ル。分隊長分隊士モ非常ニ喜ンデ明日ハ尚頑張レ然シテ「優勝」ト」

意気軒昂。



ところが、水泳競技大会当日(8月30日)の日記ではテンションだだ下り。

「髙橋ノ二百、谷村ノ五十ガ一着ノミ。他は皆七、八着デ」

「千米モ四着、八百米モ二着」

結局23分隊が優勝、「ウチハ三位」

23分隊は乙10期の分隊です。
乙10期の戦後の同期生会誌「とんぼ」には「15年8月30日 水泳競技優勝」と誇らしげに書いてあります。
ちなみに、10期の水泳競技優勝集合写真。
藤本久夫さんのアルバムにありました。
つけている階級章が2空なので、おそらく15年8月の水泳競技優勝時のものかと。
顔ぶれを見ると操縦分隊じゃないかと思います。23分隊というのは、10期の操縦分隊なんだろうな。

中央の優勝旗のアップ。
9期22分隊がほぼ手中におさめていると思っていた優勝旗はこれです(^^;)




9期(偵察)は予選で頑張りすぎて燃え尽きたのか?
あるいは10期が予選では余力を残して泳いでいたのか?




結果は残念でしたが、せっかくなので、お名前の挙がっている選手のみなさん。

谷村博明さん
谷村さん、水泳が得意だったということは有名な話です。
予科練外史にも出ています。
15年の検定で1分10秒で最高タイムだったと書かれてありました。たぶん自由形で出したタイムではないかと思います。が、本人は背泳ぎの選手なんですね。島田さんの日記で初めて知りました。

藤代護さん
戦後に手記を書かれていますが、水泳の話なんか書かれていましたっけ?
藤代さんに水泳のイメージ、ないんですが(^^;)

米盛朴さん
この人、たぶんスポーツ万能ですね。
鈴鹿時代は相撲でも優勝メンバーに入っていました。
スポーツだけじゃなく、文才もあります。詩人です。

高橋兼春さん
あくまで個人のイメージですが、おとなしそうな人だと思っていました。
水泳、得意なんですね。10期を押さえて優勝したとは。

本間秀人さん
本間さんの水泳は「おもいで」にも書かれていました。海のない長野県出身で泳ぎが得意。

植松繁さん
この画像は1学年時の水泳集合写真です。
赤帽です! カナヅチです!
予科練に入ったときは泳げなかったんです!
3学年時は横泳ぎ予選で2着! さらにリレー選手にも抜擢!?
すばらしい!

加藤勝正さん
加藤さんは足が速かったって「おもいで」に書いてあったので、陸上選手のイメージでした。!

永田正さん
リレー選手のところにお名前がありました。
自由形でしょうか。

下釜さんは泳ぎ得意そうですよね。あ、イメージです。



9期1学年時の水泳集合写真、1~3組の分は手元にあります。
水泳帽を見れば、その時点でのその人の泳ぎの練度がわかります。
1~3組の分がある、ってことは4組1組分だけないってことです(9期全4組)。

上の画像で水泳の格好をしていない人は全員、水泳集合写真のない4組(13~16班)の人です。
4組の水泳写真も見たいわあ。




※画像は9期生・10期生ご遺族ご提供

田中武三さんの手紙2017年09月12日 07時30分38秒

去年の11月に島田清守さんの遺品を見せてもらいに行ったときに、島田さんが乙10期の田中武三さんからもらった手紙の封筒を見つけました。





田中武三さん
島田さんと同郷の埼玉県出身の艦爆操縦員。
17年10月26日 翔鶴 南太平洋海戦で戦死。





この封筒に関して、わたしはここに書いたと思っていたのですが、検索しても出て来ないですね。
書くだけ書いて、管理画面に置いておいて、そのままになっているようです(-_-;)


検閲印が押してあったんです。
その検閲印のことを書いたような気がしていたのですが・・・・。気のせいでした。
K上飛曹にまで聞いたのに、どうやら書いていなさそう。ブログ内検索をしても出てこないorz


この封筒です。

佐世保局気付
軍艦瑞鳳搭乗員室

島田清守兄




大分県
宇佐航空隊第一分隊
一月十九日     田中武三拝




で、検閲印ですよ。
「伊吹」


これって、真珠湾攻撃時、加賀艦爆隊分隊長の兵62期出身の伊吹正一大尉のことだと思うんですよね。
『真珠湾攻撃隊 隊員列伝』(吉良敢・吉野泰貴)によると17年1月に宇佐空の分隊長兼教官になっているそうです。





ところが。

同期生から瑞鳳の島田さんに来ていた手紙には、検閲印がなかったんですよね・・・・



差出人は別々の同期生ですが、どちらもないです。裏にもないです。


わたしのイメージでは(スイマセン)、軍隊で手紙のやりとりをするときは検閲を受けるのだろう、と思っていました。

たとえば、実家に出すときに、町のポストにこっそり投函すれば検閲は免れられる。
でも、隊に届く分、隊から出す分は全部検閲を受けるんだろうと思っていました。

ところが、9期の同期生が瑞鳳の島田さんに出した手紙は、下宿から出した手紙も隊から出した手紙も、検閲を受けていないんですよ。



「なんでだー!?」


と、ずっと疑問だったのですが、K上飛曹に聞いてわかりました。

いや、わかったかどうかわからないけど、ひとつヒントをもらいました。



↓数か月前の管理画面を探したら編集途中の記事がありました。



K上飛曹に聞いたんです。

「海軍時代、手紙の検閲を受けていましたか?」

って。


そしたら、

「練習生時代は班長(と言われたと思う)に手紙を渡していた。その班長が検閲をしていたと思う」

班長がどういう人かまでは聞きませんでした。
田中さんの場合は「分隊長」ですよね、伊吹さん。

「実施部隊に出てからは手紙はふつうに出しとったで」→検閲は受けていなかった

だそうです。

なるほど!

練習生か一人前の搭乗員かの違いなのか!

と。







上の封筒の田中さんはまだ練習生の身分です。宇佐空で飛練16期の艦爆操縦の訓練中。
それに対して、9期の同期生二人の手紙は飛練を修了し、特技章をもらって、実施部隊に着任してから出している手紙でした。


イメージでは、軍人さんは手紙を出したりもらったりするときは必ず検閲を受けるのかと思っていましたが、K上飛曹のお話、あるいは島田さんの遺品の手紙からすると、「練習生は検閲を受ける」「一人前の搭乗員は検閲なし」みたいです。


ただ、ちょっと時期は下りますが、深井良中尉(兵72、20年5月11日戦死)が特攻出撃の前日、実家に宛てて出したハガキ(遺書)には当時の飛行隊長の検閲印が押してありました。


ちゃんと検閲の決まりがあったはずです。
それを調べないと正確なことはわからないですね。
ただ、一律に「軍人さんとの手紙」→「検閲を受ける」ではなかったようです。













上の田中さんの封筒、中身がなかったなあ、と思っていたら、再訪時に便箋を発見!

しかし、書いた日付は2月18日でした。

少なくとも、島田さんは田中さんから2通は受け取っているんですな。



2月の手紙、ほとんどは「戦況に関して」のような感じです。戦の話。

最後にちょこっと二人の共通の知人の近況報告がありました。



鈴木も今は大分空の二分隊に移り猛訓練中です。又河合は一月末木更津の一分隊に行きました。武田期長も元気でやって居ります。



キターーーーー!!!!(・∀・)


武田期長!!

9期の武田清さんです!
病気で卒業が遅れ(進級は遅れていない)、10期と一緒に卒業、飛練は16期に進みました。
よって、飛練16期では「期長」と呼ばれていました。

宇佐の武田さんは元気にやっていた!

この情報だけでうれしいのだ!

島田さんの同期生なので、田中さんが「元気だよ」と近況を伝えたのでしょう。




ちなみに「鈴木」は10期の鈴木善三郎さん。
鈴木善三郎さん
乙10期 埼玉 戦闘機
17年5月4日 赤城 殉職






問題は「河合」。

最初。9期で次期回しになった河合敏さん(中攻操)のことかと思ったのですが。

よくよく見ると、この「河合」という人、1月末に木更津に行ったと書いてあります。
河合さんが宇佐から木更津にかわったのは辞令上は17年3月末のはず。

「違う河合か? ほかにも宇佐から木更津に行った河合さんがいたのか? 同郷の人か?」

と思ったのですが、Kさんからいただいていた宇佐空の資料を見たら、河合さんたち飛練16期の中攻操縦専修生たちは「17年2月2日木空派遣」と書いてありました。
ということは、籍、というか辞令上は3末まで宇佐空だったけど、実際は2月3月は木更津に移って訓練していたということでしょうかね。

17年1月末ぐらいのタイミングで、宇佐から木更津に移動した飛練の期に「河合」という人がいないか探したのですが、見つかりませんでした。

ということはやっぱりこの「河合」は9期の河合敏さんのことか。

それにしても呼び捨てとか!(;´Д`)
9期も、8期から次期回しになった持田竹雄さんのことは「持田さん」、三浦駿一さんのことは「三浦君」と、いちおう呼び捨てにはしていません。先輩やからね(^^;)
「河合」て。



※画像は9期生ご遺族ご提供

松本勝正さんと10期・藤田保さん2017年07月17日 21時54分39秒

松本さんのアルバムに、10期の藤田保さんと二人で写った写真がありました。

横須賀海軍航空隊。
松本さんは3等航空兵の階級章をつけています。藤田さんは・・・・階級章、見えません(スキャン失敗して、ピンボケ)。
藤田さんたち10期が入隊したのが13年11月なので、13年11月~14年2月まで(←3月に霞空に移転するので)の撮影です。
もし、藤田さんが階級章をつけていなければ(4空)13年11月12月、もし、階級章がついていれば(3空)14年1月2月の撮影です。



松本さんの書簡(武田信行編『ジュンちゃんへ・・・・ 戦争に行った兄さんより』)にも藤田さんのことが出てきます。
藤田さん入隊直後の13年11月13日付実家宛書簡。
『藤田君は十三日に東京行軍で喜んでゐる。自分は酒保の汁粉と菓子で喜んでゐる』


実は藤田さんと撮った写真を送っているらしい内容の書簡もあるのですが、差出地・日付が不明です。
日付けのヒントになりそうなのが、ボーナス。
生れて初めてボーナスがもらえるらしい、という話題を出しています。
初ボーナスがいつだったかわかると手紙を出した期間もある程度限定されるのではないかと思っています。島田清守さんの出納帳を解析中。
もしかしたら、冒頭の写真がこのとき送った写真かも知れません。また今度。




藤田さんと松本さんは西条中学の同級生らしいです。

前述の書簡集、松本さんの妹さんがあとがきに次のように書かれています。
『兄の中学校の同級生の藤田保氏はやはり航空兵で戦死なさったと、兄の戦死よりもずっと以前に報じられていました。ところが戦後になって思いがけなく生還されて私の父母の許へ挨拶に来てくださったのです。南方で戦闘中に小島に不時着し、島民に助けられたとのお話でした。それ以来、南方のどこかで兄も生きているかもしれないと、ずーっと一縷の望みを捨てず、奇跡を願っていたのでした』





松本さんの妹さんが語られている藤田さんの戦死。

17年10月18日のガ島攻撃のことです。
当時、藤田さんは鹿屋空が改称した751空の戦闘機隊。
ガ島飛行場攻撃の上空制圧任務の際、グラマンの奇襲を受けて交戦、戦死。
正確に言うと、行方不明になって後に戦死認定です。


が、生存されていました。
会誌に詳しいことが書かれていないのでわたしは知りませんが、その間のことは、松本家を訪れて語ったような事情なのでしょうか。
戦後21年2月に復員。







9期には、わたしが知る限りは捕虜生還の人はいません。
が、10期は複数人います。
藤田さんもそうだし、中攻操縦の桑折さんもそうだし、水上機の操縦の方でわたしが奥様から話を聞けた方がいるのですが、その人も捕虜生還の方でした(本人は故人)。





※画像は9期生ご遺族ご提供、Kさんご教示