台南空・西澤1飛曹の日の丸の寄せ書き ― 2026年02月01日 13時41分44秒
2011年に愛媛で撮影してきた、西澤廣義さんの遺品。
寄せ書きにことばを寄せているメンバーから台南空時代のものと推測しています。

17年夏ごろにマラリアで戦線離脱したときに士官たち(大木1飛曹含む)が送った寄せ書きと言われています。
2011年5月12日に『歴史人6月号 零戦の真実』という雑誌でこの日の丸寄せ書きの画像を見たことがあり、そのときにブログに感想を書いています。→ここ
その後、2011年12月に実際にこの日の丸寄せ書きの現物を目にしました。
というか、左上の手袋の指はわたしです。わたし、手に持っちゃっています(゚Д゚;)
そのときのブログは→ここ
このときは「ブログへの掲載許可をもらうのと忘れていた」とかで、寄せ書きを持っている私の指だけ。
今回はちゃんと出します。
しかも、以前よりちゃんと調べました。
書体、かっこつけてスイマセン。
寄せ書きにことばを寄せている人。
「斉藤」・・・・斎藤正久大佐(兵47) 台南空司令
「飛行隊長 中島正」・・・・中島正少佐(兵58) 台南空戦闘機隊飛行隊長
「大原達夫」・・・・大原達夫機関大尉(機44) 整備分隊長
「分隊長 河合四郎」・・・・河合四郎大尉(兵64) 戦闘機隊分隊長
「稲野菊一」・・・・稲野菊一大尉(兵64) 戦闘機隊分隊長
「林秀夫」・・・・林秀夫大尉(兵66) 陸偵隊分隊長 偵察員
「木塚重命」・・・・木塚重命中尉(兵67) 陸偵隊 偵察員
「大野中尉」・・・・大野竹好中尉(兵68) 戦闘機隊
「山河」・・・・山河登特務少尉(乙1) 戦闘機隊
「高塚」・・・・高塚寅一飛曹長(操22) 戦闘機隊
「山下」・・・・山下佐平飛曹長(乙5) 戦闘機隊
「大木芳男」・・・・大木芳男1飛曹(操37) 戦闘機隊
「五百木元」・・・・海軍報道班員(ネット検索)
「北原晴光」・・・・海軍報道班員(ネット検索)
一人、名前が読めない人がいます。
右上で「誠 康■」と書いている人です。

読めない字はこれです。
どなたか読める方がいたらご教示いただきたいです。
当時の台南空の士官で「康(やす)なんとか」とか「康(こう)なんとか」って名前の人がいないか探しましたが、よう見つけませんでした。
ホンマに15年ほどキョロキョロと同じものがないか目を光らせているのですが、いまだ出会ったことはありません。
いまだにわからんのですが、ひとつ、推測していることはあります。
寄せ書きにことばを書いているメンツですよ。
部下が病気になったらいの一番に枕もとに駆けつけて激励しそうなあの人の名前がないでしょう?
そう、台南空副長・小園安名中佐(兵51)。

「康」は「安」に通じるし、「灘」と似ている文字なので「やすなだ! オレの名前は やすな だ!」みたいな?
そこのあなた!冗談だと思っているでしょう?
わからんすぎてここまで思い詰めているということです。
我こそは漢字博士!という方、ぜひご教示いただきたいです。
西澤さんが編制表から外れているのが8月8日~9月26日。この間がマラリアで戦線離脱していた時期かなあと思っています。
この寄せ書きが書かれた時期ですが、以前「笹井中尉のお名前がないので8月26日以降、高塚飛曹長のお名前があるので戦死された9月13日より前」と書いていますが、いまも認識は変わっていません。
17年8月・9月の編制表から作成
余談なんですが、台南空って「山下」さんが何人もいるんですよね。
准士官以上だけでも「山下政雄大尉(兵60)」「山下丈二大尉(兵66 1空から派遣)」「山下佐平飛曹長(乙5)」
山下政雄大尉はすでに台南空にはいらっしゃらないし、山下丈二大尉は8月27日に戦死されています。丈二さんの可能性も捨てきれないんですが、わたしは山下佐平飛曹長の可能性の方が高いかなと思っています。
大木さんのお名前があるので准士官以上とも限らず、もしかしたら下士官の山下貞雄1飛曹(操34 8月27日戦死)の可能性すらあるかもなのですが。
佐平さんなんじゃないかな、と確証はないけど、そう思っています。
8月終わり頃って、台南空はラバウルだけじゃなくてブナから発進している作戦もあるんですよね。飛行機だったらそんなに移動困難ではないと思いますが、割と固定で同じ搭乗員が出撃しているようで。「ブナにいたんだろう」というのは山下丈二大尉、大野竹好中尉。山下佐平飛曹長も2日連続ブナから出撃ってのがあります。
大野中尉は9月2日ラバウル、3日ブナ、4日ラエ、5日ラバウルで、あとはラバウルですから、もしかしたら5日以降ラバウルに腰を落ち着けたあとで寄せ書きにことばを書いたのかなということも考えていますが・・・・。
あと、山河飛曹長が8月21日の作戦を最後に台南空の編制表からお名前が消えるのですが、

台南空(251空)11月集合写真に写っているらしいので、たぶん転出ではなく何かの事情で搭乗できない状態だったのでしょう。
山河さんのお写真手元にあるのですが、上の写真の人が間違いなく山河さんであると言い切るのが困難な写真で、「らしい」という状態です
見ますか?

昭和13年加賀時代の山河さんです(浅川さん写真)。
9月前半に寄せ書きが書かれたとして、山河さんがどういう状態であれを書かれたのか気にはなります。
自分も体調が悪かったのに西澤さんのために寄せ書きを書いた雄飛の先輩愛。
とか。
※画像は乙2期生ご家族、武田信行氏ご提供。愛媛のI先生ご協力。
マリアナ沖海戦の652空戦爆隊 飛鷹・龍鳳組 ― 2026年01月14日 20時38分08秒
乙8期の東富士喜さんの写真の中に、マリアナ沖海戦時の652空の戦爆隊と思しき集合写真がありました。

知人何人かに聞いてまわったところ、同じ写真(東富士喜さんのもので、提供は奥さま名)が川崎まなぶさんの『マリアナ沖海戦』(大日本絵画)に掲載されていて、しかもどれが誰さんか特定済みとのことで。
『マリアナ沖海戦』によると652空の戦爆隊で、飛鷹発艦組と龍鳳発艦組の集合写真で、飛鷹艦上で撮られたものだとのこと。
写っているのは、
後列左から、
占部正道2飛曹(丙13)、不明、不明、佐藤孝治上飛曹(操47)、不明、不明、不明、金高菊雄2飛曹(丙12)
中列左から、
不明、東富士喜飛曹長(乙8)、村上武大尉(兵70)、矢田義治1飛曹(乙16)、富田勝夫飛長(丙15)
前列左から、
不明、木須奨2飛曹(丙12)、野口八郎上飛曹(乙12)、小泉繁造上飛曹(操55)、岡澤清忠上飛曹(甲7)、植竹巧上飛曹(甲9)
だそうです。※出身期は『マリアナ沖海戦』巻末編制表より
わたしは東さん以外は確認できていません。
これが巻末編制表から抜き出した652空戦爆隊の昭和19年6月19日・20日の編制です。
写真に写っているとして氏名が書かれているのはオレンジベタの人です。
ふつうに考えたら、「『不明』と書かれている人はベタなしの人では?」と考えます。
写真に氏名を入れてみました。
赤が『マリアナ沖海戦』参照、緑がわたしが書き加えた人です。
※氏名が間違っていたので差し替えました。202601150011
富永勝馬さん(乙16)なんですけどね。後列左から2人目。
いや、富永さんのお顔、知らんですよ。
名札がね、「富永」に見えるんですよ。

※色調調整しました
隊に富永が二人いない限り、乙16の富永勝馬さんでいいかなと。本当は富永さんであると確かな別写真で確認したいんですが、あいにくわたしは富永さんのお写真を持っておりません。名札からの推測です。
そういう意味では後列左から6人目の人も名札の文字が見えているんですよね。

※色調調整しました
編制表に名前があるのに写真に写っているとされていない人はほかに、長谷川達さん(甲10)、高木清一さん(丙11)、上岡啓男さん(丙7か8)、奥田鼎さん(甲9)ですかね。
「髙木?」とも思ったんですが、これはちょっと保留で。
あと一人、
お名前は書き込んでいないのですが、○○さんかな?という人がいます。
東さん、この写真のお顔のところに3人だけ○囲みしているんですよ。
後列左端の占部さんと、東さん本人、前列左端の人。
占部さんと東さんの共通点は同じ小隊ということ。
ということは、もうおひとりは20日の列機の一人、奥田鼎さんかな?と想像しているんですが。
奥田さんもお顔がわかる別写真がないので、あくまで想像です。
奥田さん、検索してみたらヒットしました。653空S166(昭和19年9月)の奥田さん搭乗機の塗装が出てきました、日の丸の中に「奥」と描かれた機体です。プラモデル化されているようです。
奥田さん、10月24日の比島沖海戦では9期の武田清さんと同じ小隊で出撃されているようですが、「エンジン不調で引き返す」になっています。
編制表にお名前がある人を入れてもまだ不明者がいるので、予備員みたいな人もいるのかなと思います。
もし、編制表にお名前があるのに写真に記名されていない人、「顔知っているで」って方がいらしたらご一報いただけるとうれしいです。
この写真、裏書がありました。
※画像は乙8期東富士喜さんお孫さんご提供
鶉野飛行場(姫路海軍航空隊)跡 soraかさい12月編 ― 2026年01月06日 22時25分41秒
書きたいことをたっくさん書いていないんですよ💦
管理画面で書きかけのものを置きっぱなしにしているのもあるし、頭の中で「書こう、書こう」と思いながら書いていないこともたくさんです。
忘れないうちに書きたいのですが。
12月20日(土)にもsoraかさいに行ってきました!
1ヶ月ぶり2度目!

前回は加古川線の粟生駅まで知人が車で迎えに来てくれていたのですが、今回は自分で法華口駅まで電車(&ディーゼルカー)で行きました。

さて、ここからが問題です。
ここからsoraかさいまで(公称)45分。
シャトルバスがあるとかないとか。レンタサイクルがあるとかないとか。
しかしですよ。
朝出かける前にメールチェックしたら先輩から、わたしの運動不足に対するお叱りのメールが届いていたのです。
前日のやり取りで運動の話になったんで、これ↓送っちゃったんですよね。

「これはヒドイ」みたいな?(^_^;)
そういうわけなので、法華口から歩くことにしました。
のんびり、飛行場遺構を見ながら歩いて行ったら40分でした。
あっという間でした。
前回は奥の駐車場に直接行ったので慰霊碑に気づかず大変失礼しました。

今回は歩いて滑走路側からアプローチしたので、慰霊碑に先にお参りしました。
ちょうどランチ時間だったので、ミュージアムショップに併設のカフェでランチ。

注文カウンターに行くまでは「ハンバーガー♪ハンバーガー♪」だったのに、なぜか「野菜カレー」と注文してしまいました。

そして――
前回、機械故障中で食べられなかった牧場ソフト!
今回は食べられました!
わたしがあまりに前のめりだったのか、コーンからはみ出すほど盛ってくれて、慌てていただきました。

なぜひと月ほどで再訪したのか。
いつもブログに登場しているYさんがsoraかさいで講演をされるということで聞きに行ったのでした。
関東の方なので、関西でお話が聞ける機会はなかなかないと思い、遠路はるばる(片道4時間)行ってきました。
講演会もおもしろかったし、Yさんとも個人的にお話も出来たし、有意義な一日でした。

今回は間違わずに97式1号艦攻サイダーを買ってきました。
家に栓抜きがなかったので、後日、百均で栓抜きも調達しました。
まだ飲んでいません。
蒼龍艦攻隊 佐藤・金井・花田ペア ― 2025年12月22日 10時40分22秒
昭和16年12月22日、真珠湾攻撃を終えた2航戦の空母(蒼龍、飛龍)は、日本への帰途、ウェーク島攻撃へ。
蒼龍艦攻隊水平爆撃隊の嚮導機ペアを敵戦闘機の奇襲で失いました。

操縦・佐藤治尾飛曹長(操18)
偵察・金井昇1飛曹(偵35)
電信・花田芳一2飛曹(乙8)
※画像は真珠湾出撃前の鹿屋での蒼龍艦攻隊12分隊の壮行会にて
22日のウェーク島攻撃の様子は、攻撃に参加していた乙9期の島田清守さんの日記にも記されています。
島田さんの昭和16年11月・12月の日記原本の画像はブログ右側のリンク先にありますので、興味のある方はぜひご覧になってください。
金井さんは海軍航空隊に関心がある人ならどなたでも知っているのではというぐらい有名な方で、爆撃の神様、海軍の至宝のような存在の方です。
『航空母艦蒼龍の記録』には金井さんの日記が手記ということで掲載されていて、それを読んで、
「人格技量ともに申し分ない完璧な人」
のように思いただただ尊敬していました。
ところが2021年にNHKで放送された『真珠湾80年 生きて 愛して、そして』、さらにその後、番組のディレクター大島隆之氏著の『真珠湾攻撃隊 隊員と家族の八〇年』が出版され、そこで紹介された金井さんの日記内容を知り、かなり衝撃を受けました。
『航空母艦蒼龍の記録』では完璧人間のような日記が紹介されていたのですが、こちらの金井さんは恋愛に悩み苦しむふつうの青年。それ以外の日常もかなりふつう描写が多く、人間金井昇をますます好きになってしまいました。
あまり書くとアレなのでこれぐらいでやめておきますが、ウェーク島で戦死されず無事に内地に戻って来られていたら、金井さんとお相手のお嬢さんの未来はどのような未来が開けていたのだろうか。思っても詮無いことをいろいろ考えてしまいます。
とにかく爆撃に関しては別格であることにかわりはありません。
金井さん、真珠湾時のメンタルはどん底だったと思います。
そんな状態で結果を出す金井さんはやはり爆撃の神様、海軍の至宝であることにかわりはありません。
最近、乙8期生のご家族の方からアルバムをお借りしました。

予科練時代のアルバムのページをめくったところに、

こんな添え書きが。
残念ながらこの写真は剥がされていて、どんな写真が貼られていたのかわかりませんが、添え書きから想像するに、田中一則さん(真珠湾時加賀艦攻隊、752空19年10月24日比島方面、操縦 熊本出身)、矢津田竣夫さん(三沢空17年8月8日ソロモン、中攻操縦、宮崎出身)と花田さんがどこかで撮った3ショットが貼られていたのだろうな思います。
添え書きの書き方から、屋外で横に3人が並んでいるものというより、写真館で撮られたもので、前に椅子に座る矢津田さん、花田さんがいて、後ろ、間に田中さんが立っている写真かな、なんて想像したりしていますが。
わからないですけど。
見たかったですけどね。
卒業アルバムもお借りしたので、卒アルの花田さん。

※画像は9期生ご遺族ご提供、8期生ご家族ご提供
鶉野飛行場(姫路海軍航空隊)跡 soraかさい3 ― 2025年12月16日 16時12分32秒
繰り返しになりますが、鶉野飛行場を訪問したのはひと月ほど前です。
飛行場内の遺構を見学し終わってsoraかさいに戻りました。
最初にsoraかさいを訪問したときはエントランスの紫電改と97式1号艦攻の見学をしただけだったので、あらためて館内を見学するために戻ってきました。
ここから見学したエリアは撮影禁止だったので画像はありません。
飛行場に関する映像の上映があり、さらに寄贈された当時の航空隊関係品などの展示がありました。
soraかさいに行ったら目当てにしているものがもうひとつありました。
ミュージアムショップ!
行く前にサイトをチェックしたら牧場ソフトクリームとかいうおいしそうな物体があると紹介してあったので、最後のお楽しみにしていたのです。
半日、館の内外で鶉野飛行場を学んだあと、最後にミュージアムショップに併設のカフェに行ってみました。
「あれ? メニューに牧場ソフトがないぞ」
おかしいな、と思って店員さんに聞いてみました。
「牧場ソフトありますか?」
「機械が故障しているんですよ・・・・」
「はあっ!?(;゚Д゚)」
大ショックだったのですが、気を取り直して珈琲フロートにしました。

アイス、おいしかったです♪
休憩した後はおみやげものを見て回りました。
「なんと! 97艦攻サイダーがある!!」
まあ、中身はふつうのサイダーなんでしょうけど、ラベルが97艦攻。
零戦とか紫電改はおみやげものとして普及しているかもしれませんが(※イメージです)、97艦攻ってめずらしくないですか?
サイダーは特に好きじゃないけど97艦攻好きのわたしとしては、これは「買い」だ!
と思って、1本お買い上げしました。
疲れた体には瓶のサイダーはちょっと重かったけど、加西から3時間、リュックに入れて持ち帰ってきました。
「写真撮ろう~(*´▽`*)」

って、リュックから出してみたらなんと! 紫電改サイダーでした!
いや、紫電改でもうれしいんですよ。
でも、97艦攻!と思って買って来たのが97艦攻じゃなかったときのショックorz
「ママのやつ、やっぱり紫電改と97艦攻の区別もつかなかったのか」
そこのあなた! そうじゃないです!
どうやらラベルは2種類あって、97艦攻ラベルを見て「買おうっ(*´▽`*)」となったのに、手に取ったのは紫電改ラベルの瓶だったというオチみたいですorz
絶対見間違いではない!
こちらは見間違いなく97艦攻手拭いを買ってきました。


開封していないけど、こんな柄が入っているらしい。
使えませんけどね💦
そうそう。オタクは同じものを3つ買うらしいですね。観賞用、保存用、使用用。
97艦攻手拭いも最低でも2つないと使えませんね💦

紫電改のケーキも買いました。
こういうの、パッケージだけそれっぽくして実は全然関係ないところで作っているものもあるでしょうが、これは地元加西の会社で製造販売しているみたいで好感度高いです。
食べたけどおいしかったです。
難点は、紙?の焼型に入っているので、ふつうに手で剥がして食べると紙にくっついちゃう分が残念ってことでしょうか。スプーンでガシガシ削って食べないといけないです。
箱は本の形をしていて、なんかちょっと『源田の剣』意識してそうなデザインですよね(※個人の感想です)
ちなみに『源田の剣』(新版)、(微)協力しています。
というわけで、昔の知人のおかげで本当に有意義な一日を過ごせました。
ありがとうございました。
ただちょっと心残りが。
時間切れでsoraかさい近くの鶉野飛行場資料館に行けなかったんですよね。
日曜しか開館していないって話で、わたしが行った日は開いていたのですが、1500閉館で間に合いませんでした。
あと、これもsoraかさいのすぐ近くに鶉野平和祈念の碑苑といって、戦没者や殉職者のお名前が刻まれた碑が建っていたようなのですがそこも行けていません。








