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香川県乙飛戦没者慰霊碑2017年11月29日 06時03分19秒

香川県高松市の田村神社に「海軍少年飛行兵之碑」という慰霊碑があるそうです。
予科練生のご遺族の方が写真を撮って送ってきてくださいました。



裏面には香川県出身乙飛戦没者のお名前が刻まれています。
氏名しか書かれていないので、手持ちの予科練名簿(知人のAさん作成)参照、わかった範囲で。
8期、9期、10期は同期生会誌参照。
※敬称階級略
※配置は操偵別のみ


【2期】
寺井 栄 19年6月15日 艦爆偵
新名善清

【3期】
川﨑 昇
佐野 進

【4期】
浜中 寛

【5期】
大林行雄 17年6月5日 ミッドウェイ 飛龍 艦攻操
武田忠義

【6期】
森下 武

宮武義彰 18年10月1日 ソロモン 582空 艦爆操

【8期】
林 忠雄 18年11月30日 ソロモン 751空

【9期】
大山輝一 17年4月4日 ポートダーウィン 高雄空 陸攻偵

四宮与三郎 18年7月1日 レンドバ島 251空 戦闘機

立井義春 18年11月8日 ソロモン 702空 陸攻偵

高橋兼春 20年4月12日 沖縄 951空 陸攻偵

鶴見堅三 20年4月5日 沖縄 攻撃703 陸攻偵

藤井国男 17年9月15日 ソロモン 東港空 飛行艇偵

【10期】
伊藤 勲 17年11月12日  582空  ソロモン 戦闘機

今田敏男 20年2月6日 ボルネオ 381空 戦闘機
川渕義秋 17年6月5日 ミッドウェイ 飛龍 艦爆偵

鎌田 久 20年4月24日 比島 操縦
金丸春男 19年5月1日 南洋群島 551空 偵
高橋通夫 17年10月25日 ソロモン 14空 飛行艇偵

平田義之 17年8月23日 ポートダーウィン 三沢空 陸攻操

【11期】
橋本満明
野口泰弘
立住一男 18年11月11日 ラバウル 翔鶴 戦闘機
藤川一郎
石川 庵
横井徳一
眞鍋綱夫
小西範秋
和泉 哲

【12期】
只野岩太郎 20年4月16日 901空 艦攻偵
丸尾政信
真鍋正範
山崎輝雄
竹本耕三
真鍋鶴夫
横山恒雄
横山 亨

【13期】
関 正信
中村芳春
宮本 泰
後藤 茂
玉茂礼弘
金山英敏 20年4月22日 奄美大島東方海面 252空K3

【14期】
田中義雄
岩崎幸夫
矢野文夫
池上信義
福田 操
福一 要
長井良一
松下小次郎
伏見 清 19年6月11日 サイパン 261空 戦闘機

【15期】
池田義行 19年2月23日 サイパン 201空 戦闘機
光行 明 19年8月2日 テニアン島 761空 偵察
横井正之 18年12月3日 タロキナ付近 582空 偵察
中山正雄 19年2月 マリアナ方面
松田 弘 19年10月 比島クラーク
河内司郎 19年7月8日 サイパン島 偵察
豊田 恵 19年9月2日 ダバオ 954空 操縦
徳永彰平 19年6月15日 テニアン北東海上 523空 偵察
藤田敏雄 19年1月7日 ニューブリテン島 204空 戦闘機
辻 照雄 19年3月7日 南洋方面 761空 操縦
音泉 昇 19年7月3日 301空 戦闘機
田中喜芳 20年8月9日 本邦南方海面 752空K5 偵察
景山 武 19年11月1日 本州南方 偵察
高橋三郎 19年4月19日 インド洋
三木正信 19年4月30日 トラック方面
佃 吉治 19年6月19日 マリアナ 652空 偵察
田中 巧 19年2月18日 南洋方面 偵察
松岡三夫 19年8月18日 東シナ海 931空 偵察 
宮本 弘
合田 武 19年6月2日 ニューギニア 381空 戦闘機
岡田寿恵義 佐伯空 操縦
尾野 勇 19年7月8日 サイパン島 
諏訪種彦 20年3月1日 851空 偵察

【16期】
宮武 薫
三谷健一
久住一美
今井義隆
津郷寿恵儀
磯崎定義
矢野義明
氏家 弘
植田久雄 19年10月11日 台湾方面 762空K708 陸攻偵
二川義弘
篠原芳郎
植村孝雄 20年4月7日 沖縄本島周辺 706空K405 陸爆偵
大西一夫 20年4月7日 沖縄周辺 K251 艦攻偵
多賀文夫
蜂須賀幸雄
小山照夫 20年2月21日 硫黄島周辺 601空K1
中川 勇
岩松繁己

【17期】
中桐一夫
山下幸信 20年6月22日 沖縄本島周辺 721空K708 陸攻偵
竹安末雄 20年6月28日 沖縄本島周辺 福山空 操縦
辻 忠弘 20年4月1日 沖縄本島周辺 721空K708 陸攻偵
遠山 明 20年8月9日 本州東方海面 601空K1 操縦
内海 清 20年4月21日 沖縄本島周辺 721空K708 陸攻偵 
竹原 修
篠原 修
川崎正行
土井 弘
勝浦繁信 20年4月27日 762空 陸攻
田中敏雄
篠原耕治
細川茂二郎
石田光則
喜久間諄造
北原幸一
川合 淳
奥野克夫
田中義一 
山崎正一 20年6月7日 沖縄 765空 戦闘機
鳥居一善

【18期】
大野 勇
森野繁夫
合田一二郎 ?20年4月12日 沖縄本島周辺 宇佐空 艦攻偵
大谷康佳 20年4月16日 沖縄本島周辺 姫路空 偵
河田忠男
森近浅太郎
上川安則 20年4月7日 601空K1
土井定美
東山 稔 20年4月6日 沖縄本島周辺 宇佐空 艦攻
富山 枝 20年4月16日 沖縄本島周辺 宇佐空 操縦

【19期】
齋賀秋吉

入江辰夫 ?

【3期】
佐藤茂行

【16期】
山下徳雄
多田輝市


データの「予科練名簿」はもう何年も前にもらったもので、もしかしたらAさんの方ではあれから追加修正などしているかもしれませんが、わたしのほうではこれ以上のことは把握していません。





この碑には殉職者は含まれていないようですね。
予科練の水泳授業中に殉職した10期の白川登さん(15年8月22日)や出水空で殉職した寺元繁雄さん(艦攻操、18年12月28日)のお名前はありません。
寺元繁雄さん



9期の桑島武一さん(戦闘機)も戦傷、のち兵役免除。郷里に帰った後で亡くなっているのでここにお名前はありません。


















春、桜の頃の様子も送ってくださいました。









全国には何か所か9期生のお名前が刻まれている慰霊碑があるのですが、香川高松の神社にこのような慰霊碑があることは知りませんでした。

香川はいままで25年ぐらい前に1度、職場の旅行で行ったきりです。
この慰霊碑のことを聞いて、行ってみたくなりました。






※画像は予科練生ご遺族、久保さんご提供

軍艦瑞鶴慰霊祭2017年10月25日 17時37分32秒

今日は橿原神宮で行われた軍艦瑞鶴の慰霊祭に行ってきました。

朝、御所の方で大雨警報が出ていたので心配しましたが、このあたりは大丈夫だったみたいで。


慰霊祭の前にお参り。


今回は会場で一緒になった、瑞鶴戦闘機隊経験のある搭乗員さん(故人)の息子さんと参列してきました。


最初はちょっと天気が悪かったですが、途中から陽がさして来ました。

瑞鶴の慰霊祭は橿原神宮が全面バックアップしています。
きっと来年も再来年も・・・・10年先も50年先もこの慰霊祭は続くだろうと思わせてくれる慰霊祭です。



慰霊祭後。


瑞鶴の碑

甲飛13期 殉国之碑

鎮魂之碑
駆逐艦若月 初月 秋月
第六〇一海軍航空隊
瑞鶴とゆかり深き諸霊茲に鎮まる
















2013年の慰霊祭には、マリアナ沖海戦のときに瑞鶴から発艦された藤本速雄さんと一緒に参列したことを思い出しました。

また、あるときは藤本さんは地元愛媛での特攻慰霊祭に参列されるため、瑞鶴慰霊祭は欠席。わたしが慰霊祭会場に向かっているときにお電話をくださって、「わたしの分もお参りして来て。みなさんによろしく」と言われていたことなど思い出しました。


瑞鶴飛行甲板の藤本さん(当時は池田さん)。



瑞鶴発艦。


今日10月25日は比島沖で瑞鶴が沈んだ日でもあり、藤本さんの誕生日でもあります。



去年末に亡くなられて、お墓参りもかなっていないので、今日は藤本さんのご冥福も一緒にお祈りしてきました。

乙3期 徳永有さん2017年09月27日 21時22分06秒

この人のこと、前にも書いています。


南昌飛行場に着陸して、敵機を焼き討ちにした小野了さんのことを書いたときに、小野機が故障したと思ったのか、自らの危険を顧みず助けるために同じように敵飛行場に着陸してきた僚機の操縦員が徳永有さんだったのです。



さらに、この人、9期の適性検査のときの教員だったらしく、藤代護さんが戦後に書いた手記に、
『(操偵適性検査時の)私の教員は、支那事変で敵の飛行場に強行着陸して、格納庫内の敵機を拳銃で焼き討ちした先輩四期の徳永一等航空兵曹であった。太い眉毛に、炯々たる眼光、その底に慈愛に満ちた笑みがたたえられている偉丈夫であった』
と、書いています。

「先輩四期」と書いていますが、3期です。

これを読んだときに、藤代さんの適性検査15班集合写真に一緒に写っている教員が徳永さんなのかな?と思ったのですが、よく見ると「太い眉毛に炯々たる眼光」という感じの人ではありません。
藤代さんと一緒に班写真に写っている教員。



「はて?」

と思っていました。


※現時点では、たぶん15班の面倒を見ていたのは↑この教員。が、藤代さんが適性検査で同乗してもらったのが徳永教員――という意味だったのだろうと解釈しています。






最近、島田さんの日記の適性検査のところを読んだのですが。

ありました!!

徳永教員の記述!

それも適性検査時ではなく、終わってからの話です。
14年6月10日で適性検査終了、霞空に帰隊。その翌日が日曜日で「休業」。
その日の日記です。

『午後外出。百遣の徳永教員と土浦にて合い倶楽部にて色々の事を話を聞いた。矢張り先輩だけに何となく其の気持が違う。ああ我等乙種予科練は先輩がいるので心強い。大いにやろう!! 徳永教員、後輩の私達を待っていてください』
※百遣・・・・筑波航空隊百里ヶ原分遣隊


よほど感激した様子であります。



ちなみに島田さんが操偵検査時のグループ写真で一緒に写っている教員は徳永さんではありません。
でも、藤代さんの例もあるので、もしかしたら同乗してもらったのが徳永さんという可能性は捨てきれません。

まあ、個人的に会ったというより、何人か(分隊員か班員か)で徳永教員と会って話を聞いた、って感じなのでしょうか。
徳永教員は後輩と話をするために、一人でわざわざ百里から出てきてくれたっぽいですよね。



じ、じつはですね(汗)
前日6月10日の日記を撮影し損ねていて、その内容がわからないのです(+_+)
まったくわからないわけではなく、紙がかぶさっている部分がわからない、と。
この紙に気を取られて、本文を撮影し忘れていました(T_T)
また見せてもらいに行ってきます。ホンマに何度もすいません(;´Д`)

この紙は何かというとですね・・・・。
ここには先任教員である先輩・2期の小山内末吉1飛曹の話が書いてありました。
この紙のこともまた書きたいと思います。




で、この内容がよくわからない6月10日の日記なんですが。
よく見ると「(先)輩の三期生・・・・」とか、「(殊)勲甲」とか、書いてあるんです。
これって徳永さんのことじゃないのか?
なんて思ったんですが、推測にすぎません。
ハイ、ちゃんと確認してからもう一度書きます。




ふだん予科練生が接している予科練の教員(教班長)はいろんな分野の人がいます。
砲術の人だったり、整備科の人だったり、機関科の人だったり。もちろん航空科の人もいたみたいですが、多くなかったみたい。
島田さんの日記に、二十三分隊教班長の階級・氏名が記載された箇所がありました。
それを見ると、航空科の人って8人中1人でした。

が、適性検査に行ったら、そこの教員たちはみな航空科の人ですからね。
しかも、直接の乙飛も先輩もいて、それこそ、
「よし! 自分たちも!」
と、先輩の姿に将来の自分たちの姿を重ねたことでしょう。

そんな中の一人、歴戦の勇士・徳永兵曹。

見つけました。

わたしのフォルダーの中に徳永さんとはっきり書かれた写真がありました!
↑いまごろかっ!?


それを元に、当時百里ヶ原で適性検査を指導した教員の集合写真から徳永さんを探しました。




前列イス席の右端。
「太い眉毛に、炯々たる眼光」 まさに!

これは予科練生、憧れますわ(´Д`)




ちなみに、上の教員集合写真の小山内先任教員。
あ、どうしてこの人が小山内さんだとわかったかというと、何年か前に当時ここで教員をされていた原田要さん(後列左から2人目、戦闘機)に教員集合写真を見てもらい、覚えている人のお名前を書き込んでいただいたのです。徳永さんは記憶されていませんでしたが、小山内さんは記憶されていました。








あと、これも徳永さんじゃないのかなあ?

と思ったのが、
羽藤さんたち12班の教員さん。


テキトーに言っているんじゃなくて、いちおう、うちにある適性検査集合写真に写っている教員を全部ばらして、一人ずつ照合してから言っています。

ただ、気になるのは、12班と一緒に写っている教員は教員の腕章をしていないんですよね(^^;)
しかし、集合写真に写っている分隊士・分隊長の顔ぶれを見ても、この人に該当する人はいないようなので、やはり徳永教員なのではないか?と。




この人、その後、どうされたんだろうな?

と思って、ネットで検索してみました。

そしたら、女子アナしか出てこなくてですね!(^^;)

困ってしまって、いつものKさんに助けを求めました。





「台南空の陸偵隊で、17年8月2日 東部ニューギニアで戦死されています」

とのこと。


「例の台南空本にも出ていましたよ」

とまで教えてくださいました。


例の台南空本!


・・・・!
この本、何回も読みましたよ!( ゚Д゚)


言われて探したら書いてありました。

『話を8月2日朝に戻そう。この日、すらりとした二式陸偵の1機がラエを発進してポートモレスビーの偵察に向かったが、0900少しすぎにラエ基地にはこの徳永有(たもつ)飛曹長機から敵機に遭遇との緊急通信が入電した。彼はこれがようやく同機により3回目の実戦飛行だった(同じペアで7月28日と29日にも偵察飛行を実施)が、彼と偵察員の班目昇1飛曹と電信員の森下八郎1飛兵が未帰還となった』
※本にはこれが2式陸偵3回目で7月28日と29日、同じペアでと書かれていますが、行動調書を見るとそうではないようです。


この本によると、撃墜した側の記録が残っているそうです。





なんともことばがありません。

上に出した教員集合写真と9期12班の適性検査集合写真。
あれ、羽藤一志さんのアルバムに貼ってあったものです。
羽藤さん――台南空の戦闘機搭乗員です。17年9月13日、ガダルカナルで戦死。

8月初旬、同じ隊ですよ、徳永教員と羽藤さん。
きっと同日中にも徳永教員の戦死は羽藤さんの耳に入ったはず。
羽藤さんだけでなく、このとき台南空には大勢の9期生たちがいました。
かれらも島田さんと同じ様に、予科練の先輩であり、適性検査時に指導してくれた徳永教員のようになりたい、と憧れていたのではないか。

目の前で徳永さんを失った衝撃はいかばかりだったか。



※画像は9期生ご遺族ご提供

一ノ瀬俊也『飛行機の戦争1914-1945』講談社現代新書2017年09月02日 17時34分16秒

おうち仕事の最中ですが。

先日、田中三也さんの『彩雲のかなたへ』と一緒に購入しました。

もともと本屋に行った目的はこの本でした。

9期の池田和義さんの姪御さんから、
「こんな本が出ていますよ」
ってメールをいただいたんです。

注目は帯の99艦爆!

「これ、33空の機体ですよ!」

って。

ホンマや!


池田さんの最初の実施部隊、33空。

最初、写メで見たときには「33-208」と書いてあるのかと思いました。
池田さんが「208号機」と一緒に写っている写真があるので、同じ機体か!?と期待しました。

で、買いに行って、スキャンしてみたわけです。
スキャンして拡大して見たら、尾翼には「33-203」と書かれているように見えます。

池田さんが愛機ではないかと思われる99艦爆と一緒に写っている写真が何枚かあるのですが、はっきり尾翼が見えている機体は「33-207」と書かれています。
ほかに、カウリング下に「8」の数字が見えている機体とも一緒に写っています。208号機ではないかと。



池田さんとは関係ないにしても、もし、この写真の持ち主が著者の一ノ瀬先生(埼玉大学の教授らしい)なら、連絡を取ってこの写真の来歴をご教示いただけないか・・・・とも思ったのですが、帯には「毎日新聞社/アフロ提供」と書かれてありました。


中身はまだ読んでいません。
パラパラとは見ましたけど。

彩雲さん、小説になる2017年08月31日 07時41分29秒

一昨日の夜、突然松山の彩雲さんから電話がかかってきました。

「彩雲さん」というのは、このブログ上での仮名みたいなもので、習慣的にそう呼んでいるだけです。みなさんご存じ「K上飛曹」と同じようなものです。


これは去年12月に久保さん宅を一緒に訪問したときの彩雲さんです。
ちなみにカメラをセットして取材している人は、先日N〇Kの特番(←空襲の)に出ていましたね、けっこうアップで。


「彩雲さん」は乙18期出身の電信員です。
偵察第4飛行隊で彩雲に乗っていました。
杉野さんといいます。


その杉野さんからの着信だったので、どうしたのかな?と思いました。

電話口の杉野さんはすごくお元気そうでした。


用件は――。
自分がモデルになった小説が出たので、よかったら読んでみて。
ということでした。

単行本ではなく、小説雑誌に掲載されているとのこと。

さっそくネットで検索して調べましたが、わかりませんでした(^^;)

本屋に行って調べてもらったところ、本屋では扱ってない本のようである、とのこと。
出版社に直接注文しないといけないみたいです。

入手したらまた紹介します。





で、その電話のときに、
「いま田中三也さんの『彩雲のかなたへ』を読んでいるんですよ」
って話をしたら、
「あー、田中さんは同じ隊の大先輩だよ!(^o^)」
と、田中さんの話をしてくださいました。
「偵4で生きているのも田中さんと自分だけじゃないかなー」
と言われていました。

友だちの友だちは・・・・じゃないけど、直接知らない人でも、自分の知っている人とつながっていると思ったら親近感沸きますよね~(勝手に)。

田中さんも杉野さんもいつまでもお元気で。