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神野正美『立教高等女学校の戦争』光人社NF文庫2022年01月22日 22時26分46秒

2012年に出た単行本『聖マーガレット礼拝堂に祈りが途絶えた日』の改題文庫本です。




去年の暮れに発行されていました。

短編集です。

収録短編のタイトルは、
・立教高等女学校の戦争
・オリオンに導かれた爆撃隊
・沖縄の空に消えた「第六銀河隊」
・定点気象観測船の戦い
・南極観測船「宗谷」南へ!
・赤十字飛行隊長――われ今日も大空にあり



自分の中では、この本のことは12月25日にここで紹介しようと思っていたのですが、そのころ腰痛が一番ひどいときでパソコンが開けず、今日になってしまいました。
12月25日は、攻撃501飛行隊の銀河が、せめて正月ぐらいはB29の爆撃から本土を守ろうと、サイパン爆撃を行った日だったので。



本人や戦友、ご遺族の方などに丹念に取材をして書かれた本です。
短編集ですし読みやすいです。



※画像は了解を得て掲載しています

蒼龍艦攻隊宴会写真が!2021年11月23日 11時18分25秒

今年は真珠湾攻撃から80年。


NHKのサイトに太平洋戦争80年の関連番組の案内が出ています。


↑リンクページの画像の中に、島田清守さんの遺品の蒼龍艦攻隊の宴会写真がカラー化されて掲示されています。

ビックリ!

まるで昨日撮ったかのようなあざやかさ。
すごい技術!

サイトをスクロールしていくと、歴史探偵「写真で迫る真珠湾戦争のリアル」という番組で使われるみたいですね。
※「真珠湾戦争」ではなく「真珠湾攻撃」ではないのか?(^^;)

スタジオ内で例の写真が大きなパネルになって使われているようです。
どんな話かな? ドキドキ。



元々の白黒写真はこちらで取り上げています。






BS1スペシャルの「真珠湾80年 生きて愛して、そして ~隊員900人の太平洋戦争~」(仮)も気になります。
タイトルを見ただけで目から汗が・・・・。

実際に2時間弱で900人の生を紹介するのはムリなので何人かピックアップして紹介する企画でしょうか。



同じくBS1スペシャルのガンカメラの番組もチェック。





録画容量を空けておかねば。

10月26日 橿原神宮2021年10月26日 20時37分29秒

今日は橿原神宮に行ってきました。


2015年の紀元祭に行って以来の橿原神宮前駅(乗り換え除く)。
駅前のロータリーに黄色いポストが設置されていたのが目についたので、
「なんだこりゃ?」
と覗きに行ってみたら、


こんな説明板が横にありました。
2016年の設置ですね。前に来たときはなかったのか・・・・。


2015年の紀元祭は甲飛13期出身の搭乗員さんに誘われて参列しました。
翌年の1月に亡くなられてしまったので、あれが最初で最後の搭乗員さんとの紀元祭参列になりました。





橿原神宮前駅で近鉄のご当地入場券をゲット。
飛鳥駅分。
橿原神宮前駅に売っているんですよ(^^;)





まずお参りして。
御朱印をいただいて。



いつもの場所で写真を撮って。


81年前。
飛練10期生(偵察)、北神門にて。


今日の目的地はこちらです。

瑞鶴の碑。


昨日、仕事で、慰霊祭に参列できなかったので今日来ました。

10月26日。
南太平洋海戦の日。




小山内末吉飛曹長(乙2)のお名前もじかに確認してきました。





甲飛13期の殉国の碑にもお参り。




神武天皇陵にもお参り。



ずいぶん前に買ってあった御朱印帳に御陵印を押してきました。

崇神天皇陵と景行天皇陵、垂仁天皇陵の分も。

事務所の人、エライ親切でした。

筑波海軍航空隊百里原分遣隊2021年08月12日 22時31分48秒

浅川さんの写真。

いままで人(海軍さん)が写っている写真を中心にメール添付で送っていただいていました。
が、先日、浅川さんの全データが郵送で送られてきました。


これがまたスゴイ!

人が写っていない写真もきっと見る人が見れば大発見があるんじゃないかって写真がけっこうありました。

わたしが見ても、ヘンなところで面白がるだけで宝の持ち腐れっぽいですが(^^;)



百里原分遣隊 一分隊作 庭園

「何!? 一分隊とな!?(;゚Д゚)」

百里原教員の杉尾茂雄さん(乙5)のところで引用した角田和男さん(乙5)の手記(『修羅の翼』(光人社))、
「(昭和14年12月15日の)翌日、百里原航空隊行の十一名はトラックで送られた。わたしはすでに一分隊に編入が決まっていた。山口兵曹長、西川一整曹、大坪一空曹、原田二空曹等、世話になった教員方が多かった。分隊長は関衛大尉、分隊士青木予備中尉、篠原空曹長、一色空曹長等の錚々たるメンバーに引き合わされた。飛行隊長は後に世話になった玉井浅一少佐であった。
百里原空は開隊されたばかりで、先着の杉尾茂雄や井上朝夫は、飛行場整理の土方仕事もだいぶ長くさせられたとのことだった」


角田さんが編入した一分隊が作った庭園!(・∀・)

ん? 庭園?(^^;)

白黒だとよくわからんですね。

じつをいうと、最初絵面を見たときいったい何の写真かわかりませんでした(/・ω・)/

じつをいうと、キャプションから庭園だとわかって拡大して見たんですが、それでもよくわかりませんでした(/・ω・)/


近すぎてよくわからんのですかね?
もうちょっと引いて撮ってくれはったら全景が見えて庭園の様子がよくわかったかも。


角田さんの手記には「飛行場整理の土方仕事」って書いてありますが、庭園まで造らされていたとは。




基地の空撮写真もありましたよ。

飛行機ヨリ百里ヶ原分遣隊ヲ臨ム
中央部分が航空隊の施設のようですな。
向こうに見えているのは筑波山。


中央部拡大
このどこかに教員室のある建物や一分隊作庭園があるんだろうな~



飛行場に面している格納庫みたいのは他の写真にも写っています。

右下の黒板のところにいるのは北島大尉。  ※他の写真から


角度を調整
格納庫。




格納庫、別角度から。


拡大
手前のキザキザ屋根の連なりは上の写真には写っていないようにあります。
新しい施設なのか?



これは兵舎から道場を見たところらしいです。
木の具合が出来立てほやほや感を出しています。



百里原はいままで滑走路?以外の基地の施設を見たことがなかったので、浅川さんの写真、すごく新鮮です。





最後に。
百里付近から筑波山夕景。       友人F氏撮影

百里原の教員や練習生たちもこんな夕景を見たかもしれません。



※画像は浅川さんご家族、友人F氏ご提供

偵練36期 伊藤心友さん2021年06月12日 23時10分25秒

伊藤心友さん、艦攻の偵察員です。

過去にブログに書いています。
9期関連です。

島田清守さん(瑞鳳)が17年3月15日に小笠原北方海域で悪天候のために行方不明になったときの偵察員が偵練36期の伊藤心友さんでした。

このかた、愛媛県出身の方です。
島田さんの件があったときに愛媛でお世話になっている方に伊藤さんのことをお願いしました。
まあ、結論を言うと墓参もかなわず、遺影も入手できませんでした。
事情はわかったので、伊藤さんのことはそこで追跡をあきらめました。

偵練出身の偵察員の方ですからね。
わたしなんかはなかなかご縁がないわけです。




しかし、以前からここに書いているように「海軍航空隊は狭い!」というのを改めて実感させられるできごとがありました。

書いたかもしれませんが、浅川さん、支那事変の頃は15空艦攻隊でした。
当時すでに善行章2線の一空曹。操縦班の班長さんだったんじゃないかな?

アジ歴に15空の搭乗員名簿があるのでダウンロードして眺めていました。
なんと!
同じ15空艦攻隊(第5分隊)の偵察員の中に伊藤心友一等航空兵(1空と略します)のお名前が!

 
浅川さんの残された写真の中には15空時代の写真もたくさんあります。
97式1号艦攻をバックに。艦攻隊(5分隊)集合写真。
ぱっと見ただけで渡辺初彦大尉(兵58)、北島一良中尉(兵61)や赤松作さん(乙1)などのお顔がみえます。

「この中に伊藤心友さんがいるんだよなあ」
と思いつつ、記名がないのでどの方が伊藤心友さんかまったくわかりません。
絞り込めるとすれば、おそらく兵階級の人は上着の下がジョンベラの中に来ているTシャツみたいな服。その中にいるんじゃないか?


これ以外にも15空時代の写真、たくさんあります。
97艦攻の尾翼の機番号をバックに搭乗員がひとりで、あるいはふたりでポーズをとって写っている写真や、指揮所の前でカメラにおさまっている写真などなど。
しかし、↑これだけいるんでね(^^;)
伊藤さんの注記のある写真はないなあ。





一昨日だったか・・・・。
ネガの中から伊藤心友さんの写真が出てきたんですよ!

いやいや、正確な話をすると、もっと前にわかっていた話なのにわたしが見落としていたというね(失態)。

浅川さんの写真はアルバムに貼られた写真状態のものと、ネガ袋に入ったまま息子さんも見たことがないというネガ状態のものと、あと箱に入っている写真状態のものがあるらしいのですが。
ネガ状態のものはネガ袋に浅川さん自ら中身の注記を入れているらしく、息子さんが先に注記だけリストにして送ってくださいました。
わたしはそれを見て、「じゃあ、〇番のこれこれを見たいです」って言って、先に「四期飛練小林二空曹」などはポジ化して送ってもらっていました。
その後は息子さんがご自分のペースでポジ化したものを送ってくださっていたのですが、一昨日の夜送られてきた中に「南京にて伊藤」という写真があり、
「えっ!?」
ってなりましたよ、「!?」って。

画像を開いたら精悍な感じの兵の方。
ペンネントは「大日本第十五航空隊」。
善行章1線、一等航空兵の階級章、操練か偵練の特技章。

15空にはもう一人、伊藤定夫三等飛行兵曹という偵察員の方がいてはって、「伊藤」だけではどちらの伊藤かわからないのですが、いつものKさんに伊藤3空曹ではないというお墨付きをいただきまして。
浅川さんの息子さんも階級が書いてある搭乗員名簿から伊藤心友さんだろうと推定されていました。

たぶん伊藤心友さんでしょう。
もしこれが伊藤心友さんでないとしたら、他隊の「伊藤」という人が15空の兵の人の軍帽を借りてコスプレしている説、あるいは名簿に載らないような短期間の転勤者で伊藤1空という別の人がいた説。
この写真、すごい精細なんですよ。
無精ヒゲの状態もよくわかります。瞳が光に透けている様子もよくわかります。ちょっと黒目部分が茶目っぽい人だったのかも。



この写真が出てきたので、5分隊集合写真から探してみました。
たぶんこの人ですね、伊藤さん。
他隊の人コスプレ説、消えました。
短期間だけいた伊藤1空説は残っていますが(^^;)




浅川さんの写真の中に、こんな5分隊写真もありました。
同じ写真がアジ歴の15空搭乗員写真の中にあるのですが、あちらは写真が非常にぼやぼや状態で誰が誰やらさっぱりわかりません。おそらく本人かよほど近しい人が見ないとわからないレベル。
ただ、幸なことにアジ歴の写真には全員ではないものの記名があるんです。

後になって気づいたのですが、この中に「伊藤」と書き込まれた人がいました。
下士官です。
なのでこちらが伊藤定夫3空曹なのでしょう。
Kさん、お手を煩わせてスイマセンでした<(_ _)>

こちらの5分隊写真には伊藤心友さんは写っていないように思います。




17年3月15日   瑞鳳  小笠原北方海域  索敵行動中悪天候により行方不明 4月4日戦死認定


操縦 工藤隆1飛
偵察 伊藤心友2飛曹
電信 島田清守3飛曹

もう1機(操縦 能住速雄1飛、偵察 上津原隆3飛曹、電信 原田三好2飛)とともに0535瑞鳳発艦。
その後急激に天候悪化したため横須賀に向かう旨打電してきて以降はまったく消息不明。
2機とも4月4日に戦死認定されました。





しかしホントに不思議な縁を感じます。
5分隊集合写真を見ていただいたらわかるとおり、けっこうな人数です。浅川さんの写真の中に15空個人写真が何枚かありますが、もちろん全員分はありません。
15空の予科練同期生、艦攻隊の仲良しの偵察員、あと兵の搭乗員の個人写真も何枚かありましたが、その中に伊藤さんの写真があるとは。

13年7月18日の南昌攻撃(←徳永さんたち15空艦爆隊が南昌飛行場を焼き討ちした)の編制表を見ると、浅川さんは渡辺初彦大尉の操縦員で(電信員は赤松作1空曹(乙1))、前の加賀時代からこのペアだったので、伊藤さんとはそういう仲でもなさそうなんですよね。

とにかく、
伊藤さんの写真を撮ってくださってありがとうございます。
伊藤さんの写真を残しておいてくださってありがとうございます。
「南京にて伊藤」の文字を残しておいてくださってありがとうございます。
です。

それに、息子さんがブログを見つけてくださって、連絡くださったこと、これに感謝感謝です。


※画像は浅川さんご家族ご提供