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筑波海軍航空隊百里原分遣隊2021年08月12日 22時31分48秒

浅川さんの写真。

いままで人(海軍さん)が写っている写真を中心にメール添付で送っていただいていました。
が、先日、浅川さんの全データが郵送で送られてきました。


これがまたスゴイ!

人が写っていない写真もきっと見る人が見れば大発見があるんじゃないかって写真がけっこうありました。

わたしが見ても、ヘンなところで面白がるだけで宝の持ち腐れっぽいですが(^^;)



百里原分遣隊 一分隊作 庭園

「何!? 一分隊とな!?(;゚Д゚)」

百里原教員の杉尾茂雄さん(乙5)のところで引用した角田和男さん(乙5)の手記(『修羅の翼』(光人社))、
「(昭和14年12月15日の)翌日、百里原航空隊行の十一名はトラックで送られた。わたしはすでに一分隊に編入が決まっていた。山口兵曹長、西川一整曹、大坪一空曹、原田二空曹等、世話になった教員方が多かった。分隊長は関衛大尉、分隊士青木予備中尉、篠原空曹長、一色空曹長等の錚々たるメンバーに引き合わされた。飛行隊長は後に世話になった玉井浅一少佐であった。
百里原空は開隊されたばかりで、先着の杉尾茂雄や井上朝夫は、飛行場整理の土方仕事もだいぶ長くさせられたとのことだった」


角田さんが編入した一分隊が作った庭園!(・∀・)

ん? 庭園?(^^;)

白黒だとよくわからんですね。

じつをいうと、最初絵面を見たときいったい何の写真かわかりませんでした(/・ω・)/

じつをいうと、キャプションから庭園だとわかって拡大して見たんですが、それでもよくわかりませんでした(/・ω・)/


近すぎてよくわからんのですかね?
もうちょっと引いて撮ってくれはったら全景が見えて庭園の様子がよくわかったかも。


角田さんの手記には「飛行場整理の土方仕事」って書いてありますが、庭園まで造らされていたとは。




基地の空撮写真もありましたよ。

飛行機ヨリ百里ヶ原分遣隊ヲ臨ム
中央部分が航空隊の施設のようですな。
向こうに見えているのは筑波山。


中央部拡大
このどこかに教員室のある建物や一分隊作庭園があるんだろうな~



飛行場に面している格納庫みたいのは他の写真にも写っています。

右下の黒板のところにいるのは北島大尉。  ※他の写真から


角度を調整
格納庫。




格納庫、別角度から。


拡大
手前のキザキザ屋根の連なりは上の写真には写っていないようにあります。
新しい施設なのか?



これは兵舎から道場を見たところらしいです。
木の具合が出来立てほやほや感を出しています。



百里原はいままで滑走路?以外の基地の施設を見たことがなかったので、浅川さんの写真、すごく新鮮です。





最後に。
百里付近から筑波山夕景。       友人F氏撮影

百里原の教員や練習生たちもこんな夕景を見たかもしれません。



※画像は浅川さんご家族、友人F氏ご提供

偵練36期 伊藤心友さん2021年06月12日 23時10分25秒

伊藤心友さん、艦攻の偵察員です。

過去にブログに書いています。
9期関連です。

島田清守さん(瑞鳳)が17年3月15日に小笠原北方海域で悪天候のために行方不明になったときの偵察員が偵練36期の伊藤心友さんでした。

このかた、愛媛県出身の方です。
島田さんの件があったときに愛媛でお世話になっている方に伊藤さんのことをお願いしました。
まあ、結論を言うと墓参もかなわず、遺影も入手できませんでした。
事情はわかったので、伊藤さんのことはそこで追跡をあきらめました。

偵練出身の偵察員の方ですからね。
わたしなんかはなかなかご縁がないわけです。




しかし、以前からここに書いているように「海軍航空隊は狭い!」というのを改めて実感させられるできごとがありました。

書いたかもしれませんが、浅川さん、支那事変の頃は15空艦攻隊でした。
当時すでに善行章2線の一空曹。操縦班の班長さんだったんじゃないかな?

アジ歴に15空の搭乗員名簿があるのでダウンロードして眺めていました。
なんと!
同じ15空艦攻隊(第5分隊)の偵察員の中に伊藤心友一等航空兵(1空と略します)のお名前が!

 
浅川さんの残された写真の中には15空時代の写真もたくさんあります。
97式1号艦攻をバックに。艦攻隊(5分隊)集合写真。
ぱっと見ただけで渡辺初彦大尉(兵58)、北島一良中尉(兵61)や赤松作さん(乙1)などのお顔がみえます。

「この中に伊藤心友さんがいるんだよなあ」
と思いつつ、記名がないのでどの方が伊藤心友さんかまったくわかりません。
絞り込めるとすれば、おそらく兵階級の人は上着の下がジョンベラの中に来ているTシャツみたいな服。その中にいるんじゃないか?


これ以外にも15空時代の写真、たくさんあります。
97艦攻の尾翼の機番号をバックに搭乗員がひとりで、あるいはふたりでポーズをとって写っている写真や、指揮所の前でカメラにおさまっている写真などなど。
しかし、↑これだけいるんでね(^^;)
伊藤さんの注記のある写真はないなあ。





一昨日だったか・・・・。
ネガの中から伊藤心友さんの写真が出てきたんですよ!

いやいや、正確な話をすると、もっと前にわかっていた話なのにわたしが見落としていたというね(失態)。

浅川さんの写真はアルバムに貼られた写真状態のものと、ネガ袋に入ったまま息子さんも見たことがないというネガ状態のものと、あと箱に入っている写真状態のものがあるらしいのですが。
ネガ状態のものはネガ袋に浅川さん自ら中身の注記を入れているらしく、息子さんが先に注記だけリストにして送ってくださいました。
わたしはそれを見て、「じゃあ、〇番のこれこれを見たいです」って言って、先に「四期飛練小林二空曹」などはポジ化して送ってもらっていました。
その後は息子さんがご自分のペースでポジ化したものを送ってくださっていたのですが、一昨日の夜送られてきた中に「南京にて伊藤」という写真があり、
「えっ!?」
ってなりましたよ、「!?」って。

画像を開いたら精悍な感じの兵の方。
ペンネントは「大日本第十五航空隊」。
善行章1線、一等航空兵の階級章、操練か偵練の特技章。

15空にはもう一人、伊藤定夫三等飛行兵曹という偵察員の方がいてはって、「伊藤」だけではどちらの伊藤かわからないのですが、いつものKさんに伊藤3空曹ではないというお墨付きをいただきまして。
浅川さんの息子さんも階級が書いてある搭乗員名簿から伊藤心友さんだろうと推定されていました。

たぶん伊藤心友さんでしょう。
もしこれが伊藤心友さんでないとしたら、他隊の「伊藤」という人が15空の兵の人の軍帽を借りてコスプレしている説、あるいは名簿に載らないような短期間の転勤者で伊藤1空という別の人がいた説。
この写真、すごい精細なんですよ。
無精ヒゲの状態もよくわかります。瞳が光に透けている様子もよくわかります。ちょっと黒目部分が茶目っぽい人だったのかも。



この写真が出てきたので、5分隊集合写真から探してみました。
たぶんこの人ですね、伊藤さん。
他隊の人コスプレ説、消えました。
短期間だけいた伊藤1空説は残っていますが(^^;)




浅川さんの写真の中に、こんな5分隊写真もありました。
同じ写真がアジ歴の15空搭乗員写真の中にあるのですが、あちらは写真が非常にぼやぼや状態で誰が誰やらさっぱりわかりません。おそらく本人かよほど近しい人が見ないとわからないレベル。
ただ、幸なことにアジ歴の写真には全員ではないものの記名があるんです。

後になって気づいたのですが、この中に「伊藤」と書き込まれた人がいました。
下士官です。
なのでこちらが伊藤定夫3空曹なのでしょう。
Kさん、お手を煩わせてスイマセンでした<(_ _)>

こちらの5分隊写真には伊藤心友さんは写っていないように思います。




17年3月15日   瑞鳳  小笠原北方海域  索敵行動中悪天候により行方不明 4月4日戦死認定


操縦 工藤隆1飛
偵察 伊藤心友2飛曹
電信 島田清守3飛曹

もう1機(操縦 能住速雄1飛、偵察 上津原隆3飛曹、電信 原田三好2飛)とともに0535瑞鳳発艦。
その後急激に天候悪化したため横須賀に向かう旨打電してきて以降はまったく消息不明。
2機とも4月4日に戦死認定されました。





しかしホントに不思議な縁を感じます。
5分隊集合写真を見ていただいたらわかるとおり、けっこうな人数です。浅川さんの写真の中に15空個人写真が何枚かありますが、もちろん全員分はありません。
15空の予科練同期生、艦攻隊の仲良しの偵察員、あと兵の搭乗員の個人写真も何枚かありましたが、その中に伊藤さんの写真があるとは。

13年7月18日の南昌攻撃(←徳永さんたち15空艦爆隊が南昌飛行場を焼き討ちした)の編制表を見ると、浅川さんは渡辺初彦大尉の操縦員で(電信員は赤松作1空曹(乙1))、前の加賀時代からこのペアだったので、伊藤さんとはそういう仲でもなさそうなんですよね。

とにかく、
伊藤さんの写真を撮ってくださってありがとうございます。
伊藤さんの写真を残しておいてくださってありがとうございます。
「南京にて伊藤」の文字を残しておいてくださってありがとうございます。
です。

それに、息子さんがブログを見つけてくださって、連絡くださったこと、これに感謝感謝です。


※画像は浅川さんご家族ご提供

航空母艦 加賀2021年06月06日 13時40分32秒

5日の夜中に一度アップしたのですが思うところあっていったん非公開にしました。
追加修正したうえでの再投稿です。


浅川さんの写真の中に昭和12年か13年ごろの加賀の飛行甲板で撮られたらしき集合写真がありました。


当時、浅川さんは加賀の艦攻隊。

どういうメンバーかは研究していません。人数が多いので艦攻隊だけではなさそう。

後ろは艦橋ですね。

白く塗りつぶしてあります。

「なるほど、軍機だな」

と思っていたのですが、先日ネットで見た同じころの加賀の飛行機隊集合写真ではばっちし写っていました。あれ?(´・ω・`)




下2枚も加賀(兵階級の人のペンネントが加賀)。

撮影場所は飛行甲板なのかな?
でも、同じ場所ではないようです。
写真の精度もだいぶ違うので、別の機会の撮影かなと思います。





昨日、予科練時代のアルバムの写真を送ってもらったのですが、その中に「航空母艦 赤城」と書き込みのある写真がありました。

三段式の飛行甲板。

「今日はミッドウェイ海戦の日だし、紹介させてもらおう」
と思って赤城と加賀についていろいろ調べていたのですが、

「赤城と加賀って、どうやって見分けるのかなー?」
↑いまさら感


で、「煙突」だと(^^;)

時事通信の記事を見つけました。まったく同じ写真だー。



これは加賀の煙突らしいです。

この煙突のせいで気流が乱れて着艦を困難にしたり、ダクトの内側の准士官の居住区が排熱で焦熱地獄になったんだとか。

一段式に改装された時に赤城と同じ煙突形式(うまく説明できないので検索してください)になったそうです。

浅川さんが加賀に着任された時はすでに改装後、焦熱地獄は解消された後だったみたいで、よかったです(まだ下士官ですが)。



浅川さんの写真、すごい精細ですよ。
20センチ連装砲と艦橋。


高角砲。

乗員が二種軍装なのもわかります。



のちに自分が勤務することになる加賀の写真を予科練アルバムに貼られていたわけです。
運命的なものを感じます。







わたしも勇み足で、6月5日ミッドウェイ海戦の日に『航空母艦 赤城』という文字を見てすぐにYさんに、
「浅川さんのアルバムに赤城の写真が貼ってありましたよ!」
って送っちゃいました。

が、返信が来る前に自分で調べて加賀だとわかったので、その旨、またメールしました。

そしたら、「正解、加賀」とのことで。

Yさんによると、煙突が一番わかりやすい相違点ではあるけれど、じつは形がまったく違っていて、見慣れてくるとぱっと見でわかるそうです(^^;)



で、ちょっと引っかかったのが、
「どうして浅川さんは加賀の写真に『赤城』って書いていたんだろう?」
ってことです。

わたしの想像。
・当時、加賀は海軍でも最高機密で(←大和みたいに)、予科練生ですらその姿を知らなかった。
予科練の教員に「赤城の写真だ」と言われて、素直に信じて「赤城」と書いて貼っていた説。

・加賀の姿を知っていたが、教員に「赤城」と言われて渡された。
予科練生にとって教員が「カラスは白い」と言ったら白である、「これは赤城である」と言ったら加賀も赤城である――。おかしいな、と思いつつ「赤城」と書いて貼っていた説。




今朝になって『航空母艦 赤城』の書き込みの謎は解決しました。

息子さんに「あれ、加賀みたいです」ってメールしたら、

「(赤城の書き込みは)私が後に追記したものです」

とのことでした。どうして赤城と書いたのか、いまとなっては思い出せないそうです。あるある。

そして「父ちゃん、ゴメン」のひとことが添えられていました。

わたしも、「教員さんたち、濡れ衣着せてゴメン」。



しかし、わたしの説も矛盾だらけです。
加賀が軍機なら、あんな細部がわかる写真を塗りつぶしなしで予科練生に渡したりしないですよね(^^;)


※画像は浅川さんご家族ご提供

乙4期 小林正さん2021年05月31日 17時22分33秒

以前に小林さんのことは書いたことがあります。


羽藤さんのアルバムに貼ってあった集合写真。
これに関しては何度も書いているんですが、もう一度書きますね。
『日本海軍戦闘機隊2』エース列伝の阿部健市さん(9期)の項に9期の飛練時代の写真で、前列が教員、後列が練習生、みたいな説明つきで掲載されています。

書籍ではよく見えないんで、「へえ、そうか」と思っていたのですが、羽藤さんのアルバムにオリジナル版が貼ってあったのでスキャンして拡大して見たところ、練習生と書かれている人たちも飛行服の中から軍服の詰襟が見えているのに気づきました。
「練習生ちゃうやん!」  ←中練当時の9期生たちはまだ兵階級でジョンベラ
となって、写っている方がたのお顔をちゃんと見てみたところ、戦闘機の原田要さんがいることに気づきました。

知人の紹介で直接原田さんにこの写真について尋ねることができました。

「昭和14年6月頃の筑波空の教員全員だと思います」
とのこと。
※筑波海軍航空隊百里原分遣隊
9期の操偵検査時の教員たちでした。

で、そのときに原田さんが覚えている方の出身期・氏名を書き込んでくださいました。

覚えてらしたのは、乙2小山内さん(末吉さん、先任搭乗員)、乙2?浅川さん(三雄さん)、乙3工藤さん(じつは徳永有さんだった)、乙4?小林くん、操練?林さん(操練26期林八太郎さん)。


乙4?小林くん
と書かれていたのはこの方です。





島田清守さんの少人数集合写真に写っている教員も同じ人じゃないかな?
という記事も投稿しています。


4期には小林正さんという方がいます。その人なのかどうか。
原田さんも自信がなかったようで、手紙にもその旨、書いてありました。
わたしも、「これが乙4期の小林さんだ!」という写真を見たことがなかったので、この人が4期の小林さんかどうかは保留状態でした。

小林さんのことをご存じの方がブログを見つけてくれて、「そうだ」とか「そうじゃない」と言ってくれることを期待して投稿した、という感じでした。

しかし、正直なことを言うと、まあ・・・・決着がつく可能性は極めて低いんだろうなと思っていました。







じつはですね。
4期の小林正さんのお写真、見つかったんですよ。



四期飛練 小林正二ク曹(二空曹)

これ、何かというと、ネガの包み紙です。

浅川三雄さんの残したネガの中にあったそうです。

最初これ、息子さんが包み紙に書かれた文字をリスト化して送ってくださったのを見たのですが、「四期飛練 小林正」という文字を見たときは声をあげてしまいました。
※この場合の四期飛練は乙4期の飛練のことです

「見たい、見たい」と焦がれていた方ですからね。

すぐに「見たい」と返信したところ(厚かましくてスイマセン)、データ化して送ってきてくださいました。
↑簡単に書いていますが、たいへんだったと思います。本当に感謝感謝です。



四期飛練 小林正二空曹




「あー、”小林くん”だー」



9期の操偵検査の集合写真に写っている小林さんも出しておきますね、同じ人ですね。


なんというか、感無量です。


浅川さんが小林さんの写真を残されていたのもとても驚きました。
予科練同期や大陸時代の同僚の写真は何枚もあるみたいですが、教員時代の同僚の個人写真って、見たのはこれが初めてです。
小林さんの写真をお持ちだったのは、わたしにとっては奇跡みたいな話で。








17年4月27日  3空  ダーウィン周辺の天候偵察時、敵戦闘機2機の追撃を受け――

『着陸ノ際顚覆衝激ニ依リ小林一飛曹戦死』

と行動調書に記されています。

九八陸偵の操縦員。
敵機と交戦した際、小林さんは重傷を負われたようです。
重傷を負ったまま基地に帰投するべく1時間半以上も飛行を続け、着陸と同時に顚覆、戦死された、と。
後席の偵察員(宮崎国三1飛)は何も注記がないのでご無事だったのでしょう。



この人のことを思うと、涙が出そうになります。
どんな思いで戦争をしていたのだろうな。

最後の日、重傷を負った身で後席の偵察員だけでも無事に基地に連れ帰って、得た情報を届けなければ――という一心だったのか。





※画像は9期生ご遺族。浅川さんご家族ご提供

第三期 飛行術練習生修業記念2021年05月09日 23時22分00秒

乙2の浅川三雄さんの写真の中にこんな写真がありました。



スイマセン、だいぶ前にメールに添付して送ってもらっていたのに、ダウンロードをし忘れていて、今日気が付いたのです(T_T)

はて、第三期飛練→乙3の飛練かな?

と思って拡大して見たら、練習生の階級章がバラバラ。

「こ、これは操練だ!(;゚Д゚)」

浅川さんを探したら、飛曹長で教官列にいらっしゃいました。


というわけで、この写真は新制度の飛練3期→操練54期でした。

操練54期の吉田一平さんの手記によると15年12月24日に中練教程(百里原)修業と書かれているので、おそらく上の写真はその時の写真ではないかと思います。




台南空の山崎市郎平さんが写っていましたー!
当時は一整。

他に台南空の岡野博さんのお顔も見えます。
水津三夫さんと山本健一郎さんもいらっしゃるのだと思うのですが、よう見つけないです。
水津さんはお顔を知りません。山本さんはわかるけど探せない・・・・。

教官列に山下正雄大尉(兵60)?
教員列に下士官姿の高塚寅一さん(操22)に似た人もいます。違うかな?



台南空で再会して、
「おー、久しぶり、元気かー?」
みたいな会話があったりしたのかな?(^^;)



浅川さんの教官(教員)時代の集合写真、他にも台南空の搭乗員が写っていました。
いろいろ「?」な写真でまだ出せていません。また今度。



※画像は浅川さんご家族ご提供