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水無月2023年07月01日 10時20分57秒

7月になっちゃっていますが。

先日、西大寺に行った目的の一つ。

虎屋の限定ういろ水無月。
1本1000円!!(゚Д゚;)

ふつうは買わんですけどね、こんな高級品。

近鉄は友の会があるからちょっとお高くても「まあいいか」って買ってしまいます(^^;)
以前は時計とかエアウィーブとか財布とか、数万円のほしいものがあって積み立てしていたんですが、いまは特にほしいものもないんでスイーツにちょこちょこ投入しています。


上に乗っている大納言あずき。やわらかくてふわふわ食感でした。
甘さ控えめで美味でした~



ういろ(ういろう)大好きなんですよ。
虎屋が来ていたら必ず買うってぐらい好き♪

とくに限定商品でなくても、ただ白いだけのういろでも茶色いだけのういろ(450円~)でも大好き💗


戦闘303の搭乗員たち@待機所前2023年07月02日 15時55分55秒

谷水さんにいただいた写真の中の1枚です。

鹿児島基地の搭乗員待機所の前でしょうかね。

前列の左は安部正治さん(丙16)。
後列の中央が谷水さん。

安部さんの後ろの方はお顔ははっきり写っているので、戦闘303の名簿写真で照合してみたのですがちょっと保留。
あとの方はピンボケで照合不能。○○さんだろうか?みたいな感じではいるのですが、これも保留で。





安部正治さんってわたし、おうちに遊びに行ったことがあるんですよ。ここに書いていると思うんですが。
知人に連れて行ってもらいました。
安部さん自ら車を運転して駅まで迎えに来てくださって(軽ワゴンだったかな)、それに乗ってご自宅に向かいました。

安部さんは19年から戦闘303におられたので、ご自宅では当時の飛行帽や写真を見せてもらいながら、西澤さんや松本勝正さんの思い出話をうかがってきました。




この飛行帽がそうなんだろうか?

かぶっていいよ、って言われたんですが、おそれおおすぎてかぶれなかったですよね、たしか(^^;)




安部さんからいただいた「戦画」っていう私家版の冊子もあります。
海軍時代のいろんなことがイラストで描かれています。
イラストというか、マンガみたいな感じです。
比島時代の話で、長田飛曹長に呼び出されて「特攻に行ってくれ」って言われたときの状況も描かれています。

「一」ってことはもしかして「二」もあるんでしょうか。わたしは「一」しかいただいていないんですが。


操練54期 山崎市郎平さん2023年07月04日 11時10分16秒

山崎さんは〔山崎市郎平〕カテゴリがあるのでそちらを見てもらえばいいんですが、↑このタイトルでは書いていなかったなーと思って。


大正9年生まれ、東京都出身。
12年志願兵(水兵、整備兵)、操練54期(飛練3期)、戦闘機。
飛練卒業後は横須賀空、4空、台南空、251空。

中練、百里原航空隊修業記念。



これは16年5月1日に下士官に任官したときの記念写真かなと思います。袖の特技章がまだ整備のものです(3等整備兵曹)。
5月26日に操練(飛練3期)を卒業してようやく3等航空兵曹に。

これは大分空で戦闘機の実用機訓練をやっていたころの写真ですが、このころの山崎さんはクラスの”期長”です。
同期の吉田一平さんによると、
『山崎期長は大変温厚な、そして人情味のあるやさしい方であった。少々早とちりでそそっかしいところはあるがそれは愛嬌』だそうで(笑)



想像ですが、16年の夏ごろかなあ???


【台南空時代】
ラエ。

ラエ。

ラバウル、8月4日集合写真。

山崎さんはこの写真↑のあと負傷→病気→内地送還されたために11月の251空集合写真には写っていません。



17年冬~18年春ごろでしょうか。



山崎さんといえば4空時代のニューギニア島での遭難生還事件が有名です。
同隊で同年兵だった石川清治さんが戦後に書かれた手記に詳細が書かれていて、それを読んだときに山崎さんの誠実さや二人の友情などに感動したものです。

のちにその一件に関して、山崎さん本人が書いた手記がご実家に残っていることがわかりました。
以前、ブログで取り上げています。


※一部現在使われない用語があります。当時そのままの表現で書いています。


たぶん、これ、遭難からそう遠くない時点で山崎さん本人が書かれたものだと思うんですよね。
こんなん言ったら怒られるかもしれませんが、戦後、何十年も経って書かれたものは記憶違いなどもあるかと思いますが、当時書いた日記とか報告書を兼ねた手記はかなり正確に書かれているんだと思います。

その後、さらに驚くことがあって。
当時山崎さんと同隊だった方にお話をうかがう機会があったのですが、この遭難事件のことを覚えておられて。というか、山崎さん本人から事の顛末を聞かれたようで。
「こうだったらしいよ」
と話してくださったのですが、生還記の内容をご存じないその方が話されることがいろいろと一致していて鳥肌が立ちました。さらに、生還記に書かれていないことまで言われていて(本人から直接聞かれたのでしょう)、ホントにビックリしたことがありました。
いかだ※下りの途中に小さな滝があって何とか落ちずに済んだが落ちていたら命がなかったって山崎さんが話をしていたそうです。 ※生還記では丸木舟




ちなみに「市郎平」という名前ですが、本人は「イチロー」と呼んでくれと周辺にお願いしていて、なのに仲間は「イチロベー」と呼んでいたらしいですが、ご遺族の方によると「イチロヘー」らしいです(^^;)

温厚なやさしい人だったようです。
山崎さんの性格に関してまとめた記事はこちら





18年7月4日  251空  ソロモン(コロンバンガラ島)


朝起きて仰ぐ青空ラバウルのガダルカナルの攻撃日和







※画像は山崎さんご遺族、丙3本田秀正さんご遺族、浅川さんご家族、武田信行氏ご提供

300均泡立て器2023年07月06日 11時48分10秒

先日、長年愛用してきた泡立て器が突然消失しました。

どこいっちゃったのか、まったくわからない(´・ω・`)

いつも入れているところになかったので、間違えて他の場所にしまったのかと思ってあちこち探したのですがありません。

何かの拍子にゴミ箱に入っちゃったんだろうか?

いつかひょっこり出てくるかもしれませんが。


といって、「いつかひょっこり」がいつになるかわからないので、新しい泡だて器を購入しました。

300均の。
握り棒のところを持って、上から押さえつけると泡立て器部分がくるくる回って簡単に泡立てられますよ、みたいな画期的泡立て器でした。


「すげー! 弥生人の火起こし器みたいだー(・∀・) よし! 今夜試すぞ!(・∀・)」

張り切って生クリームを買って、家で珈琲ゼリーを作りました。

晩ごはんの後で泡立て器を使ってみたのですが、全然泡立たない( ;∀;)

保冷剤を下に敷いて、たぶんいままでの人力泡立ての2倍ぐらいの時間やりました。
それでも全然泡立たず疲れ果てて断念。
上からぷしゅぷしゅ押さえつけるだけで疲れ果てるって相当ですよ。

こんな感じ(´・ω・`)


楽できると思って買ったら全然でした。


100均でフツーの泡立て器(人力)買ってこよう。

島田さんの掲示板その後の話2023年07月06日 21時14分59秒

数日前にたまたま島田さんのことで検索していて、掲示板を動画にまとめたものが数ヶ月前にYouTubeにアップされていたのに気づきました。
こういうのっていいのかどうかわたしにはわからんのでアドレスとかは貼りませんが、コメント欄を興味深く拝見させていただきました。

掲示板本体を知らずに動画だけ見たと思われる人たちが、博物館に寄贈したら? とか、テレビに取材してもらったら? みたいなことを言っていて、
「その後、どうなったか知らない人からしたらそう思うかもなー」
と。


動画でうちのブログのタイトルを何回か声に出して言っているんですが、その割にはうちはその時期にアクセス数が増えたってことはないので、どうも動画視聴者はここは見ていないみたい(笑)



ふだんからここを見ている人はおおよそその後のことも把握されているんじゃないかと思いますが、ざっと書いておきますね。






2016年11月  9期島田清守さん遺族(仮称イッチ)が蔵探検の掲示板を立てて蒼龍新聞や真珠湾時の日記などが出てきて一部ネット民の間で話題になる。

→なんとかわたしも連絡を取って、戦史研究家のYさん(これは匿名ではなくここでの愛称です)とふたりでご自宅にうかがい遺品を見せてもらう



2017年5月  土浦の予科練平和記念館で遺品の一部を公開。蒼龍新聞(一部)のコピー配布(9期ご遺族の方の企画の写真展)。



2017年12月  真珠湾の日に合わせて共同通信社から蒼龍新聞・日記発見の記事配信(地方紙とネットニュース)。


2021年12月  NHKの真珠湾80年のスペシャル番組で島田さんの出撃直前の蒼龍艦攻隊宴会写真が取り上げられる。→イッチ本人がテレビに登場
→テレビ放送に合わせて真珠湾時の日記全文を公開(ブログにリンクあります→ブログ本文の右)


2022年2月  フジテレビの何だコレ!?ミステリーの掲示板再現ドラマで島田さんの掲示板の再現ドラマが放送される。→イッチ、声だけ出演

→わたしも登場するんだろうかとワクワクして見ていたけどかすりもせず。



この間、まとめ掲示板とかYouTubeで、元の掲示板をまとめたものが数件あるようです。







島田さんの遺品は現在は公立の施設に保管されています。

わたしが知る限りは今後の予定は未定です。
個人的には残る蒼龍新聞が気にはなりますが。ご遺族のご意向のままに、って感じです。
公開にしろと非公開にしろ、ご遺族の方が望むようにされたらよいと思います。



ちょっとこれはわたし個人の思いなんですが。
たまに戦没者の遺品として歴史的に貴重なものが出てくると、「博物館に寄贈して」という方がいますが、わたし個人はご遺族の意向第一でよいと思っています。
自宅で保管は荷が重い、ということであればどこか(博物館など)に相談されたらよいと思いますし、故人が大事にしていたものならそばに置いておきたい、というならそれでいいと思います。
もっというと、捨てるとか燃やすとか言われたとしてもわたしはそれでもいいと思っています。
中には「わたしが死んだらこれらの遺品は一緒に棺に入れて」と一緒にあの世に持って行かれたご遺族の方もおられるのではないかと(親や奥様とか)。それでいいと思います。

もちろん、できることなら後世に残してほしいとは思いますが、ご遺族の方がそれを望むのなら、それでいいのかなと思います。

戦没者の遺品にかんしては他人がとやかく言うことではないかなと。