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生還記22012年11月18日 00時08分39秒

生還記、つづきです。       →「生還記1」


遅々として進まず朝の八時頃より夕方五時頃までさ迷っている中に、大きなジャングル地帯に辿り着いて、ホッとした気持ちになった。もう夕方だ。あたりを見廻すと、真っ白な大きな豚がハネ廻っている。附近には野生薩摩薯や里芋がある。今の自分にとっては、之とても命の親だ。食べようと思って、掘っても、掘っても、芋は出て来ない。何物かが掘って処分した後だ。ことによるとあの豚かも知れない。その中に、だんだん暗くなるし、歩くことは出来なくなったし、どうすることも出来ないので、此の人跡未踏の地の、独特の大木の根本の、らくだの背中のようにゴツゴツとしているその間へ、一夜の宿を頼んだが、全身は濁水に漬ったままだ。その上、蚊と虻が総攻撃を開始した。之には流石に閉口した。夜中に大雨も降り出したが、どうすることも出来ないので、ジッとしていた。疲労しているので眠ったのかも知れない。懐かしい故郷に居るお母さんの顔がハッキリ見える。お父さんの顔も、弟の顔も、妹の顔も見えた。


山崎市郎平兵曹
台南空時代 17年6月



この、ジャングルをさ迷った下り(初日)は石川さんの手記には出て来ません。

野豚に先に芋を食べられちゃった山崎さん・・・・(T_T)   ※山崎さん推定

こんなジャングルの中でたったひとりで夜を明かさなければならない・・・・。

自分が山崎さんの母親だったら、このシーンは泣いちゃいます。
いや、母親じゃないのに泣いちゃうんですけどね。

ホリブンも一人で海に浮いているときに故郷や両親のことを思い浮かべたって手記に書いていました。
死にそうな目に遭っているときにふと静かな時間が訪れると、自然と故郷や両親きょうだいのことなどを思い浮かべてしまうのかも知れません・・・・。



山崎さんの「懐かしい故郷」


『親弟妹ニ對シ何時如何ナル場合ニモ和顔愛語ヲモツテ仕ヘルコト他ニ比類ナシ』


山崎さんは9人きょうだいの長男です。

すぐ下の弟さんは山崎さんと同じ海軍の飛行機乗りになりたかったようですが、山崎さんに強く反対されたようで、
「おれの戦闘機を整備せよ」
と言われ、整備に進まれたようです。

配属された先は中攻隊である705空。
18年の4月からラバウルに。

向こうで兄弟の対面があったかどうかはわかりませんが・・・・。

戦後もご健在だったその弟さん(故人)は、お兄さんの大変なファンだったそうです。


その弟さんがお持ちだった『第705海軍航空隊史』。

整備科の集合写真の中に、矢印の引いてある人が・・・・。これが弟さんのようです。
あまり鮮明ではないのですが、子どもっぽく見えます。
山崎さんもこんな弟さんが戦地にいると思うと気が気ではなかったのでは・・・・と想像します。


本の最後に「第705海軍航空隊行動図」という地図が挟み込んでありました。
そこには「○○(弟さんのお名前)の歩いた戦」と書き込みがあり、地図上に赤線が引いてあります。

そして、山崎さんが戦死したソロモンの海に、
「兄戦死 18-7-4日」。
書いては消し、書いては消しされた痕跡がありました。




つづく

※画像・資料提供は山崎さん関係者の方

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