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生還記12012年11月08日 18時31分07秒

※修正しました

関係者の方からいただいた山崎さんの資料の中にあった手記です。

縦の罫紙に手書きされています。

何の目的で書かれたものかわかりません。

字を間違えたところを斜め線でテキトーに消して書き直していることから、提出用の報告書には思えません。もしかしたら、その下書きかも知れません。

自分用の日記にしては、ちょっと”クスッ”な箇所があったり、気合いの入ったことを書いている箇所があるので、誰かに読ませる(読んでもらう)ために書いたのではないかなとわたしは感じています。

体験した人にしかわからないような妙にリアルな内容であることと、書き損じの直し方がいい加減(笑)なところから、誰かがあとで書いたとか、誰かが山崎さんの書いたものを書き写したということではなく、おそらく本人自筆の手記だろうと思っています。




   生還記 昭和十七年三月二十八日 三飛曹 山崎市郎平
昭和十七年三月二十二日午前七時 敵ロックヒード爆撃機の空襲により自分は之を撃墜すべく、直ちに離陸〇〇飛行基地
(ラエ基地)より約二百六十度の方向に追跡すること約二十分、三回に亘り射撃を加へ右翼根より燃料を噴きつつ逃走するをもう一撃と右側方より射撃せし時より小癪にも、敵弾に我がエンジン及び胴体、燃料タンクを射抜かれたれば、最(早)是迄と、自爆を決意せしも、天命尚我に有りしか、何気なく後方を振向くと〇〇河(マーカム河)上流の大平野らしきもの、眼に映じたれば此処に不時着したらならば生きて再び御奉公出来ないこともあるまいと判断して、平地の所と思はれる所を選んで不時着を決行せり。此の時相当なショックがあったが、身体には何等異状なきを得たれども愛機は大破せり。よって、羅針儀を取はずし愛機を涙の中に焼却せり。上空で見た時は、大分よい土地である筈だったのに、意外〇〇独特のとげの有る草とも木とも名のつかないもの密生す。其の根元には濁水あり。手も足も出せない。羅針儀を頼りに、進まんとすれど、此の難地を持ち歩くことも出来ねば、破壊して、うっちゃり、是より後は専ら、太陽により大体の方向を知り、自分のカンで、此方と思う方向東北方へ東北方へと目指して進まんとすれども、其の格好恰も水におぼるる犬と思えば似て遠からず。

※細字はママ注



山崎市郎平兵曹
台南空時代 17年6月


手記は17年3月28日の日付入です。
山崎さんが不時着遭難したのは3月22日の朝。25日にラエ基地に生還したので、その3日後に書かれたということになります。

同年兵で当時同じ隊だった石川清治さんが戦後書かれた手記に、山崎さんが同僚に語ったとされるセリフが書かれてあります。
上の部分に該当する箇所。

『敵機を追跡して交戦中に被弾して飛行不能になり、ジャングルの中の草原のようなところに不時着した。ところが、そこは湿地帯で腰まで水につかり・・・・』

一致している点。
不時着の原因はエンジン不調や燃料切れではなく、本人もハッキリと「被弾」と書いています。
しかも「エンジン」「胴体」「燃料タンク」と派手に撃たれたよう・・・・(゜Д゜)
本人がご無事で何よりでした。

一致していない点。
”飛行不能”になってその場に不時着したのではなく、山崎さんは自分でここと決め、機を操縦して不時着しているようです。
『不時着の神様』なのだから、”たまたまそこに降りた”より”狙ってそこに降りた”の方がふさわしいですよね(^o^)



不時着地点ですが。
以前一度出した地図、上が北。

翌年(18年)3月に郷里で語った「基地から三十里ばかり離れた所で」というのが正しいとすれば、マーカム河の最上流の当たりになるわけですが、そうなると、今度は山崎さんが書いている方角が違っているのでは?という気がしました。

パパが方角を間違えても、海軍の搭乗員が方角を間違えるはずはない!( ^o^)ノ

ので。
山崎さんが言っている方角にマーカム河の支流でもあるのだろうか・・・・と思って地図で探してみたところ、上の図の中流当たりにちょこっと下に出ている支流が、地図を拡大したら実はもっと南方にびよーんと伸びていることがわかりました。

わたしは当初、灰色の○の当たりに不時着したのだろうと思っていたのですが、
山崎さんの手記(ラエから260度の方角、三十里ばかり離れたところ)からすると、緑の○周辺かなあ????

あとで川幅の話も出てくるので、それも照らし合わせると、やはり本流の上流ではなく支流の上流に不時着したと考える方が妥当なようです。

つづく

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