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築山古墳2024年08月04日 08時33分06秒

一昨日、古墳を見に行ってきました。

めちゃめちゃ暑かったんですよ。
命がけで古墳を見に行くほどの熱意はないので、とにかく倒れないよう、気をつけながら行ってきました。


大和高田市の築山古墳です。
周濠のある前方後円墳。墳丘長210m。
この古墳、奈良県の墳丘長ランキング(wikiや堺市サイトを参照)によると、16位です。
200m超えているのにベストテンどころかベスト15にも入れていない!( ;∀;)
おそるべし奈良県!

馬見古墳群の中のひとつで、南群と言われる支群の盟主墳らしいです。
ちなみにwikiによると北群は、先日横のうどん屋でランチしたよの川合大塚山古墳のある一群、中群が去年だったか田原本から自転車で見に行った河合町馬見公園にある一群らしいです。

地図で見た感じでも、自分でうろついた感じでも、同じ古墳群って感じではないんですけどね(^_^;)
南北7~8キロぐらいあるんじゃないだろうか?
同じ古墳群の中の3つの支群という形でとらえていいんだろうか。
歴史的背景からひとつの古墳群というとらえ方なのかもしれないですね。わたしはここらへんは勉強していないのでよくわからないです。

先日、読んでいた論文にまたまた築山古墳が取り上げられていました。
必要があって真剣に読んでいた論文ではないのでどなたの論文だったかも覚えていないのですが、築山古墳を含むこのあたりに天皇陵の可能性がある古墳があるとか何とかそういう論文でした。
(たぶん、文献史学の方の論文だったような。築山古墳は現在陵墓参考地)
現在の治定が間違っているんじゃないかみたいな話でした。
論文がいま手元にないので確認できませんが。

とにかくそれを読んで、
「そういえばまだあそこは行っていなかった」
となり、なぜかこの酷暑の中、出かけていったわけです。



しかし、安全のため、現地到着は4時ごろ。
それでも暑かった!💦

日傘を差して、うちわであおぎつつ、10分おきぐらいに水分補給。


古墳は近鉄大阪線築山駅のすぐ近くです。

西(後円部側)から。
周濠があり、その周辺を歩けます(一周はできません)。


古墳のところからはこんなでっかい二上山が!
美しい姿を見ることができます。
見る方角によって形が変わります。ここからの二上山はラインが美しいです。


後円部と前方部の境あたりから西方向を望む。二上山の雄岳だけ見えました。




前方部側からの暑すぎる築山古墳もアップしておきますね。

大きすぎて、古墳の周濠のすぐ外からでは全景入らなかったんですよね(;´・ω・)

住宅街の中にあるので、全景入れるのはあきらめました。





築山古墳の次は、銅鏡で有名な新山(しんやま)古墳に向かうことに。
ここから北方に少し歩いたところです。
”少し”と思って歩き始めたんですが、数百メートルも歩かないうちに、
(これはヤバいかもしれない)
という雰囲気に。クラクラしてきました。

幹線道路に出たら、すぐそこにガストが見えたので、
「緊急避難だ」



冷房でキンキンに冷えた店内で、かき氷を食べて回復!

汗まみれだったので、逆に寒くて震える結果に。




お店から出たら、ちょうど目の前に築山古墳が。
すぐ目の前が近鉄大阪線の線路です。架線が邪魔っちゃー邪魔なんですが、近鉄ですから許してください。
その向こう、画面左半分のこんもりが築山古墳。左が前方部で右が後円部ですね。
画面右端には二上山も見えています。





高田川沿いに北上したらこんもりが見えてきました。
この高田川、このまま北上したら曽我川と合流してやがては大和川に合流します。

ここから見たら、めっちゃ川に近いところに築かれているように見えました。
当時から川筋はここだったのかな? それとも後世に流れが変わっているのか?

「よーし! 新山古墳、見学するぞー」
と張り切って歩いていたら、春海から電話。

じつは春海と待ち合わせしていたんですよ。

「(待ち合わせ場所に)もう着いてるで」
「え? 時間早いやん」
「今日は早かった」

仕事終わりの時間に合わせて待ち合わせ場所に向かうつもりだったのに、予定より早まってしまいました。
「まだ古墳見てないけど、そっち行くわ」

しかたがないので、写真だけ撮って撤収。
古墳と川の間に周濠らしきものがありました。

この古墳、前方後方墳なんですが、形すらわかりませんでした。
報告書あるかな? 探してみよう。

また出直しますわorz
もう少し涼しくなってから。


というわけで、新山古墳はほぼ見ないまま春海との待ち合わせ場所に向かい、車に同乗して晩ごはんを食べに行きました。

パパがこの日は職場の宴会だったので、春海と二人で晩ごはんは外食に行きました。

天理市西乗鞍古墳2024年07月28日 09時24分27秒

昨日は暑い中、お昼からお出かけしていました。

春海の車の点検つづき。

それから三輪さんお参り。

それから天理市の西乗鞍古墳。
何日か前のニュースで、周辺にひまわりを植えているとやっていたので。

ひまわりって太陽のほうを向くのかと思っていたのですが、そうでもないんですね。
ここのひまわりは太陽とは逆を向いていました。
わたしが立っている位置から古墳の方角が南です。


ちなみに、同じ位置から春の西乗鞍古墳。
あのときは菜の花畑でした。

墳丘自体は桜で埋もれていました。




ほぼ同じ位置から、東乗鞍古墳とその向こうは竜王山。
ひまわりは竜王山のほう(東)を向いていました。


6時ぐらいまでなら歴史芸術文化村の多目的ホールで涼んで、春海おすすめのパイトンというラーメン屋さんで晩ごはん。
春海おごり。


しめは映画。
『キングダム 大将軍の帰還』を見に行きました。
キングダムを劇場で見るのは初めてです。
王騎将軍の「んふっ💛」と吉沢亮くんの美しさに惹かれていつも見ているのですが、今回は要潤にしびれました。

近つ飛鳥博物館『5周年!すごいねん!!百舌鳥・古市古墳群!!!』2024年07月21日 21時32分05秒

14日の話です。

近つ飛鳥博物館に、百舌鳥・古市古墳群世界遺産登録5周年記念の特別展を見に行ってきました。

↑キムタクの階段




相変わらずの春海さん。
近つ飛鳥に行くと必ず館内の子ども用?考古パズルで遊びます。

しかし、アレですわ。
横で見ていたらとんでもない手順で組み立てていました。
行き当たりばったり法。
まずは部位ごとに分けてから組み立てよう。



春海が再会を楽しみにしていたある動物埴輪が!!(;゚Д゚)
いない!!
逃亡!?
イノシシさんです💛
ひづめのあと♪

「どこ行った!?(;゚Д゚)」
と思ったら、札に「ただいま特別展示室で展示しています」と書かれていました。





特別展示室


いました、青山4号墳(古市古墳群)の猪形埴輪。


ひづめ。




百舌鳥・古市古墳群の最近の調査成果も展示されていて、たいへん興味深かったです。


世界遺産登録認定書のレプリカも展示されていました。


近つ飛鳥博物館の特別展サイトに音声案内なども出ていますので、興味のある人はぜひ。



百舌鳥・古市古墳群が世界遺産に認定されて半年後にはコロナ禍に突入してしまい、あまり大きなイベントもなかったですよね。
「え!? もう5年!?(;゚Д゚)」
って感じです。

天理参考館 布留遺跡の歴史2024年07月20日 22時51分47秒

今日は天理参考館に「布留遺跡の歴史」展を見に行ってきました。

パパと春海も一緒に行ったんですが、かれらは興味なかったようで、エントランスのソファで涼んでいました(入場せず)。



わたしだけ見てきました。

布留遺跡と言われると、古墳時代前期の代表的な土器様式「布留式」の名前のもとになった遺跡として有名ですが、旧石器から近世まで栄えていたんですね。知りませんでした。

たぶん、写真を撮って大丈夫と思ったのですが、係の人がおられず(展示室は3階、受付は1階)、今日はもう目に焼き付けるだけで帰ってきました。
図録も買わなかったので、見たかったらまた見に行こうかと思います。


この展示の図録は買わなかったんですが、受付にあったほかの図録?を買ってしまいました。
『天理の古墳100』!!

これ、古墳めぐりするガイドブックによいですよ(´▽`*)
所在地も地図でバッチリわかるし、各グループごとの変遷図もあって前後関係もわかりやすいです。
各古墳の墳丘実測図や出土遺物なども掲載されていて、
「もっと早く入手したかったぞー!」
って1冊です。

集落遺跡のことも載っていて興味深いです。






展示を見た後は買い物したり、クレーンゲームに行ったりしました。
春海、自腹&自力でモモンガゲット(・∀・)

呪術廻戦の脹相はほとんどそうじゃないからね(笑)

古墳を見ながら食事ができるうどん屋2024年07月15日 22時14分25秒

昨日のお昼ごはんは古墳の横にある香の川うどんに行きました。



古墳。

これ、河合町の大塚山古墳なんですが、てっきり「河合大塚山古墳」と思っていたら、住所は河合町川合らしく、「川合大塚山古墳」なんだそうです💦
(前回のブログにはちゃんと「川合」って書いているじゃないか!)



200メートル級の大古墳です。
ただ、同時期に百舌鳥古墳群のほうでもっと大きい古墳があるので、王陵というわけではないです。

造られている位置がいい位置なんですよ。
県内の大和川支流が集まってきて大きな「大和川」になる場所の南岸に造られています。まさに交通の要衝という場所ではないでしょうか。現在では西名阪道の法隆寺インターのところです。
大和川水系の根元を抑えていたということで、けっこうな権力者が眠っているのでは。

陵墓や陵墓参考地に指定されておらず、自由に出入りできるんでしょうか、わたしは入ったことはないですが。
数年前に埴輪の盗掘騒ぎがありましたね。

ダメですよ~