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平城宮跡2023年11月24日 23時30分43秒

今日は平日ですが、パパは休みでした。
なので平日ランチのあるところにお昼ごはんを食べに行きました。
ステーキガスト。初めて行きました。
食べ過ぎておなかいっぱいになったので、
「歩こう!」
と、平城宮跡に行きました。

見学の前に痛恨のミス!(ノД`)・゜・。
平城宮跡の中に無料駐車場があちこちあったのに、間違って道を挟んだ有料駐車場(500円)にとめてしまいました。くー!(>_<)



まずは平城宮跡いざない館。
いざない館の前から朱雀門を望む。

いざない館って、以前、電動レンタサイクル旅の途中で見学しました。
今日はパパと春海も一緒に。




↑これやっているの、知らなかったんですよ。
「飛鳥のモティーフ ~葬りのカタチ~」
明日香の終末期古墳の展示。
キトラ古墳の壁画関連や牽牛子塚古墳(斉明陵か?)の出土品、野口王墓(天武持統合葬陵)の復元などがあってなかなか興味深い展示でした。




歩き足りなかったので、東院庭園に行くことにしました。
東院庭園は平城宮跡の東側に張り出した位置にあり、朱雀門からは15分ほど歩かなければなりません。

朱雀門。


平城宮跡の東南隅ぐらいのところに燃えるように紅葉したもみじがありました。


まともに紅葉しているのを見るの、今年初めてかも。
職場のもみじはなんか茶色っぽくなっていてあまりきれいじゃなかったです。


東院庭園。
ここももみじ、きれいでした。





帰りは宮内を通り抜け朱雀門のほうへ戻りました。
これは最近できた大極門。向こうに見えているのは大極殿で、南から朱雀門、大極門、大極殿が一直線に並んでいます。
大極門の横では東楼を作っているようでした。



朱雀門まで戻ってきて休憩~。
カフェで大和茶と植村牧場バニラのミックスソフト。

8000歩ぐらい歩きました。


このあと、春海の推し活の付き合いでファミマ、しまむら、ダイソーとまわってから帰宅しました。

太安萬侶展2023年11月18日 20時43分15秒

今日のランチは大和高田で喜多方ラーメンを食べました。

坂内という店。数日前にパパが検索で見つけたんですが、これが最初で最後になりそう。
11月26日で閉店の張り紙がありました。


今日の本来の目的は橿考研博物館で開催中の「太安萬侶」展。

招待券があった&26日まで
ということで「今日行かないと!」と慌てて行ってきました。


行ってみたら「関西文化の日」とかで無料デー。
ほんで、いままで見たこともないぐらいヒトがいてビックリ!(゚Д゚;)

わたし的には、多少お金がかかってもヒトが少ないほうが好きなんですけどねー(^_^;)


古事記編纂の太安万侶展だったので神話的な展示もあるのかと思いきや、めっちゃ考古的な展示でした。当たり前か(^_^;)

火葬墓とか骨蔵器とか。

平城京出土の土器類とか。


今日はあまり写真を撮っていないです。
多神社の太安万侶神像。

田原本の多神社、パパと行っているんだけどブログが出てこないです。
書いていないのかな?


墓誌や一緒に見つかった真珠も展示してありました。




常設展示室の太安万侶墓の模型。







田原本の多神社ですが、ブログを遡って見てみたところ、どうやら書いていないようです。
行ったのは2021年5月15日。

唐古・鍵遺跡で有名な田原本町に”多(おお)”という集落があります。弥生遺跡もあるんですよ。
多神社はそこにあります。正式には多坐弥志理都比古(おおにいますみしりつひこ)神社。

多は太安万侶ゆかりの地です。



太安万侶もご祭神のおひとりです。


まろちゃん。





多神社の道を挟んだ南側にある小杜神社。
こちらのご祭神は太安万侶。







墓誌が見つかった墓は奈良市此瀬という、奈良盆地東方の山中なんですが、多集落にも太安万侶墓の伝承地があるみたいです(行ったことないですが)。
上の常設展示室のお墓の模型を見てもらったらわかるんですが、木炭槨があるでしょう? 
放射性炭素年代測定したところ、安万侶没後しばらくたっての年代が出たらしく、そのことからこの墓は改葬墓説があるそうです。
地元の伝承地が初葬墓なんですかね。
だとしたら、地元の人たちの太安万侶に対する思いの深さが知れます。お骨を移動させた後も千数百年伝え続けているという・・・・。

先月の斑鳩2023年11月17日 15時17分48秒

ひと月ぐらい前の話なんですが。


レンタサイクルを借りて斑鳩をめぐってきました。


今回の相棒は”ハッピーマシーン”号。
電動アシストサイクルにも相性があるのか、今回のはけっこうしんどかったです(^_^;)
絶対外れナシは田原本のレンタサイクル。
明日香は車体によってはチョーらくちんなのと、けっこうしんどいのがあります。

しかし、ママチャリに比べたら全然らくちんです。


20年近く前に春海を後席に乗せてママチャリで法隆寺に行って以来の自転車旅です。



途中法起寺に立ち寄ってコスモスを楽しみました。
平日の午前中だったのですが、すでに駐車場は満車。
自転車で行って正解でした。




法起寺から法隆寺に行く途中、道をそれたところにある法輪寺。
お初です。

いつも、法輪寺こっち、という看板だけ見ていたのですが、奈良に住んで30余年、初めて”こっち”にそれて立ち寄ってみました。


こじんまりした境内でした。

画像の左側の三重塔は7世紀末の建立で、明治には国宝に指定されていたそうですが、終戦直前に落雷で焼失しちゃったそうです。現在は再建三重塔。



法輪寺から法隆寺へ。
幹線道路に戻らず、裏道みたいなルートを走ってみました。


走っていたらたまたま神社の前に出ました。斑鳩神社。


天満宮だそうで。
お参りしてきました。かしこくなーれ。




お昼時間になったので、ランチ♪

スマホでいろいろ探してみたんですが、行ってみたら休みとか、メニューに食べられるものがないとか、そんなんでなかなか見つからず、気が付いたらJR法隆寺駅の近くまで来てしまっていました。

「お! 行列発見!」

洋食屋さんでした。
とりあえず名前を書いて行列に並びました。

レストラン若竹。

その日のランチ、「メンチカツと焼きそば定食」だったんですよ。
めっちゃおいしそう!と思ったのですが、
「(量的に)食べられないかもしれない」
と思ったので、無理をせず食べられそうなナポリタンスパゲティにしました。


それでもけっこうな量でした(^_^;)


お昼ごはんの後は、近くの丸珈珈琲さんでひと休み。
うまうま(*´ω`*)


珈琲屋さんのあとは藤ノ木古墳見学(外から見るだけ)。

「よし、また埋文センターに行こう」
前回来たあとで明日香の天皇陵(級)巡りをし、そのために勉強?もしたので、きっと見方も変わっているだろう、と思って立ち寄ってみました。
「ガーン!(゚Д゚;)」


休みならしかたがないので、次の目的地、法隆寺へ。
何が見たかったかというと↑これ。

古墳です!!(*´▽`*)

このトイレの前のシートをかぶせられているこんもり、古墳なんですって!!

ちょっと前に新聞でも話題になりました。
「ずっと駐車場の生垣だと思っていたら、なんと古墳だった!」
みたいな?

有料記事なんで途中までしか読めませんが→朝日の報道

人知れず駐車場内に古墳が保存されていたとは。
恐るべし法隆寺。


駐車場横の観光案内所の一室でパネルによる発掘速報展みたいなものをやっていました。







せっかく来たので境内にも入ってみました。


個人参拝者はそうでもなかったですが、修学旅行生がめっちゃ多かったです。
この画像も下部分カットしています。修学旅行生がうじゃうじゃ写ってしまっているので。


夢殿で秘仏救世観音の御開帳があるというので来てみたら、一週間間違えていました。あはー

秘仏御開帳にしてはなんか空いていると思ったんですよ。
秘仏御開帳をしていたらたぶん、こんな人が写っていない写真は撮れないはず。

結局、翌週は気力がもたなくて行けなかったです。




最後は法隆寺南側の奥田精肉店で店内揚げたてコロッケを買って帰りました。

いやー、帰りはホンマきつかったです。電動アシスト、充電のパーセントはたっぷり残っていたのに重い、重い(;´Д`)
激疲れしてしまいました。

お墓参り 西都原考古博物館2023年09月19日 21時46分25秒

9年半ぶりの帰省だったのでお墓参りに行きました。


まずは父方の。

集落の隅にひっそりある小さな墓地です。

入ってすぐにうちの本家の墓(父方の祖父母、父親の長兄一家)があります。
その延長線上に見覚えのある姓の墓石を見つけました。
3列後ろ。
他の墓石はわりと新しめだったのですが、その家の墓石だけ色が違っていて(古そう)すぐに目が行きました。

「え? まさか」
と思いました。うちの墓参りを済ませてちょっと近づいてみました。
横に設置されている石板に刻まれたお名前の中に昭和17年に戦死されたある予科練生のお名前が。お名前も戦没日も一致。
しかし、お墓自体は先端が尖った戦没者のお墓ではなく、故人の経歴なども一切刻まれていませんでした。刻まれていたのは横の石板にお名前と没日、没年齢だけです。ほかのご家族とご一緒に。

その方、父方と同じ集落なのは知っていましたが、地域が違うのでまさか同じ墓地にお墓があるとはまったく考えていませんでした。
これも何かのご縁なので勝手にお参りさせていただきました。



ちなみにうちの実家墓(予定)。
子どもたちは2人とも関西だし、どうするんだろうね?



お参りを済ませ、母方のお墓詣り。




それから宮崎県立西都原考古博物館へ。
リニューアルしたって噂を聞きましたが。
わたしが前に行ったときはリニューアル前だったのかな?
館内の記憶が一切ありません(笑)


館内は暗くて、目が悪いわたしにはちょっと危険な空間でした。
説明もよく見えんので、モノだけさーっと見て回りました。

春海はハニワ探し。
春海、ハニワ=馬のハニワ、踊るハニワ

「ハニワがおらん!(;´Д`)」
と騒いでいました。

母「西都原のハニワといえばコレやで」↓


春海「これじゃないねん(;´Д`)」

母「はーちゃんが求めているハニワはお土産屋か公園に行けばあるわ」




「ママ―! 三角縁神獣鏡があるで!」
最近邪馬台国ニュースがわらわら出ているので春海ですら知っている三角縁神獣鏡。

西都原からも出ています。

ちなみに、地元奈良県の桜井茶臼山古墳からは81面以上の鏡が出土していたってのは以前から知られていたのですが、破片の観察をすすめた結果、じつは103面以上あったことが最近判明したってニュースになっていました。盗掘を受けた上で残っていたのが103面以上ですから、もともとどれほど埋納されていたのか・・・・(;゚Д゚)
103面中26面が三角縁神獣鏡らしいです。
ただ「三角縁神獣鏡26面」っていったら「すげー!(;゚Д゚)」ってなりますが、「三角縁神獣鏡26/103面」って聞くと、「三角縁率低くね?(;´Д`)」って思ってしまいます。
いやいや、三角縁以外の鏡種も専門家から見るとなんかおもしろそうですよ。
初期大和政権の内容解明がすすむとよいですね。
それにしても、指先みたいな鏡片だけでもともとの鏡がどれかわかるってすごい。






ミュージアムショップで古墳グッズを買いました。

西都原と言えば鬼の窟古墳と男狭穂塚・女狭穂塚古墳。
どこにでもある古墳グッズじゃなく、オリジナルがほしいですよね♪




この日も暑かったです。
古墳群の中の休憩施設で宮崎マンゴーサイダーを買って飲みました。

三輪山山麓をうろうろ2023年07月10日 15時40分22秒

ブログの画像アップロード、復活しました!(*´▽`*)



今日は家から出られんので、たまっていた電動自転車旅をせっせと更新。
――するつもりだったのですが、こんな時間になってしまったので”せっせと更新”はもうしないかなと思います。



6月16日。舒明天皇陵、赤坂天王山古墳。長谷寺――からの続き。

帰り、途中から裏道にそれて海柘榴市(つばいち)や金屋の石仏を見に行ってきました。

初めてです(*´▽`*)
海柘榴市の案内板。

ここから金屋の石仏はすぐだったのですが、途中に工事車両が止まっていて、道が狭すぎて自転車すら通り抜けられないほどだったので大きく迂回して金屋の石仏に行きました。
自転車は小回りがきくからイイね!(*´▽`*)







右側の石は石棺の蓋ではないかと書かれていますね。
たまにあるんですよね。古墳に入っていた石棺を何か他のモノに転用しているって。神社の手水鉢とか。

わたしみたいなのが見てもよくわからんですけどね。
言われてみてもよくわからんですけど(^^;)

でも、言われなくてもわかるようなものが無造作に置かれていました。
石仏の覆い屋の高床の床下部分に。





「家形石棺の蓋じゃないのか!?(;゚Д゚)」
と思ったのですが、これだけ天気いいとスマホで検索してもスマホ画面が見えんのですよ( ;∀;)
まさかこんなところにと思いつつとりあえず写真だけ撮って帰ってきました。

帰って来て検索したらやはり家形石棺の蓋らしいです。
ネット情報によると『金屋弥勒谷石棺』と呼ばれているそうですが、いったいどこから出土したものか・・・・。





ここまで来て素通りするわけにもいかんのでお参り。

大神神社。


今回初めて境内のささゆり園とやらに入ってみました(無料)。
もう、ほとんど終わりでしたが、ちょこっとだけ残っていました。





ちょっと箸墓まで行ってみるかー。
大神神社の参道近く、南から。



箸墓にかなり接近して、南から。
山のよう(^^;)




檜原神社に行こうと思って箸墓から東方向に向かったら、ホケノ山の看板がありました。
「こんなところなのか」
行ったことがなかったので(笑)、行ってみることにしました。

ホケノ山墳丘墓。

右奥に見ている緑濃いこんもりは箸墓古墳です。

立地的には箸墓よりちょっと高い場所です。
なんなら見下ろしていると言ってもいい。
んー、こっちが先なんですよねー。あえて箸墓はホケノ山より低い場所に作ったのか。
あるいは、すでに築造中の箸墓を見下ろせる場所にホケノ山を作ったのか(ホケノ山の方が先にできちゃった)。
ここに立ってみたら、箸墓の被葬者とホケノ山の被葬者の関係がとても気になりました。
箸墓に比べたら小さいですが、ホケノ山の被葬者もただものではないことは明らかです。親子とか、2代続きの首長(大王クラス)とか。
箸墓の西の方に墳丘墓群みたいなところがあるんですが(古墳のたまごみたいな墳墓群)、そこを「ホップ」としたら、ホケノ山は「ステップ」、箸墓が「ジャンプ」、ってところかな。
ジャンプした先は古墳時代です。



道細いです。
いちおう駐車場はありましたが、行くなら歩きか自転車がおすすめです。





檜原神社に向かいます。
時間が押していてここらへんもう焦りまくっています(^^;)
だいぶのぼってきたところで二上山。



檜原神社(大神神社摂社)。


檜原神社の鳥居越しに二上山。

この前、クローズアップ現代の吉野ケ里特集で星座の話とか季節と方角の話とかされていた先生がいましたが、奈良の遺跡も方角のことをいろいろ言っている人いますよね。
先日ちょっと壷阪寺に行ったのですが(まだ書いていない)、壷阪寺と藤原京と何かが一直線になるとかなんか説明板に書いてありました。
わたしも以前、自転車でまわったところの地図を作っていて、西殿塚古墳と唐古・鍵遺跡がほぼ東西一直線なんやなと思ったことがありました。
「我ながらムーっぽいな、時期ずれているよな」
と思ってすぐに引っ込めましたが。

あー、いや、二上山の雄岳山頂と大神神社もほぼ東西一直線よなーと思って。
ここから春分、秋分の頃に二上山に沈んでいく夕陽が見れるという話も。わたしは見たことないんですが。




早く帰らないと時間切れになってしまう!
というので、焦って檜原神社を後にしました。

幹線道路を避けて走ったら、なんか前(東田大塚に寄ったとき)と同じルートで帰ってきてしまいました。「この池、見覚えがある!」「この神社、前は立ち寄ってお参りした(今回はスイマセン💦)」みたいな?(^^;)
たぶん纏向の辺りから田原本に戻ってくる最短ルートなんだな。


なんとか15分前に自転車返却ー!
暑かったので事務所でメロンジェラート買ってひと休みしてから帰りました。


BBAのくせに詰め込み過ぎだっちゅーの。

あ、スイーツの話じゃなくて訪問地のことですよ。