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訂正・9期生の生年月日範囲2017年12月16日 08時14分19秒

前に9期の生年月日の範囲を話題にしたとき、こんなことを書いています。

『「入隊年の12月1日時点」で「満15歳以上、満18歳未満」だそうです。

昭和13年6月1日入隊の9期の場合、「昭和13年12月1日時点で満15歳以上満18歳未満」ということになり、誕生日でいうと大正9年12月2日~大正12年12月1日ってことになるんでしょうかね。  ←こういうの苦手(^^;)』



間違いがあったので訂正します。



島田清守さんの遺品の中に、『昭和十三年度 海軍志願兵の栞 海軍省』というプリントがありました。

その中に「志願者の年齢は各兵種に依り定められ、採用の年即ち昭和十三年十二月一日現在で計算するもので詳細は左表の通りである」という項目がありました。


まさにこれ!!

航空兵(乙種飛行予科練習生志願者)

13年の12月1日現在で満15歳以上、満18歳未満という部分はKさんご教示の通りだったのですが、

「誕生日でいうと大正9年12月2日~大正12年12月1日ってことになるんでしょうかね。」

と、わたしが推測して書いた部分が間違っていました。

正しくは、

「大正9年12月3日~大正12年12月2日」までだそうです。

大正9(1920)年12月2日生まれの人は、昭和13(1938)年12月1日時点ではまだ満17歳のはずですが、9期に志願できなかったということですね。

大正12(1923)年12月2日生まれの人は、昭和13年12月1日には満だと14歳のはずですが、これは志願できたと。

――ということですかな?



時間の計算ができないJKをあまりバカにできん状況なのか、年齢の計算が理解できない(-_-;)





いま把握している中では、わたしに理解できないこのきわどい誕生日の人はいません。
最年長が大正9年12月20日生まれの遠藤桝秋さんで、最年少が大正12年11月11日の宮本一さんです。

今日のランチ2017年12月15日 15時23分29秒

今日は百貨店に行ってきました。

まずは腹ごしらえ。

今日初めて言われたんですが、+200円でデザート(ゼリー)をソフトクリームやシュークリームに交換できるとか。

お得なのかどうかわからなかったのですが、ここのソフトクリームは未体験だったので、頼んでみました。


激うまだったです!\(^o^)/

はちみつソフトらしいですが。
食感はアイスクリンをソフトクリーム化したような?
めっちゃ好きな味&食感でした。

定価でも食べたい。

ぐらい♪





今日はダウンコートを買おうと思っていたんです。  →ギリギリになってもったいなくなり買わなかった

ネックウォーマーも欲しかったんです。  →思った以上に高くてやめた

カードにたまっているポイントをクーポンにかえようと思っていたんです。  →6階まで上がるのが面倒でかえなかった

ルーズリーフも買おうと思ったんです。  →文具屋が見つけられず買わなかった





何しに行ったんやって話(´・ω・`)


え? ソフトクリーム? そうですなー、そうですなー。

春海、練習用水着をゲットする2017年12月14日 17時05分04秒

ちょっと前に、ママが金額に制限をつけて提示した何枚かの練習用水着は、春海は気に入らなかったようでそのときは買いませんでした。


今回、記録会で「4フリ4分40秒」と言ったら、37秒台で泳いできたので、パパが値段制限なしで買ってくれました!(゚∀゚)


春海が「これ」というのをネット注文し、今日届きました。


これだそうです。



目がチカチカするーーーー!!(>_<)




ちなみにこのときの4フリ、15歳以上クラスで優勝?だったそうです。

本人は、
「全校生徒の前で表彰だ~(´▽`)」
と喜んでいます。

あんまないことなんでね(2度目)。

ママ、Wikipedia作成を依頼される2017年12月14日 10時04分35秒

昨日のお昼は初めてのラーメン屋さんに行きました。

みそラーメン680円です。※チャーシューはいつものように抜いてもらいました
680円で味玉がついているのは、ここら辺ではリーズナブルな方の部類です。

わたしにはちょっと塩分が濃かったです。







仕事で郵便物を出しておくように上司に言われて、住所と氏名の書いた紙をもらいました。
その住所が自宅なのか職場なのかわからなかったので、ネットで検索したら、その人のwikiが出てきました。

「へえ・・・・この人、wikiあるんや・・・・」

上司の同業者でWikipediaがある人、けっこういるんですよ。

ちなみにうちの上司はありません。

その話になってですね。

上司に、
「ママさん、作ってよ」
と言われました。
どう考えても冗談と思いますが(上司はわたしがITオンチなのを知っている)。

上司は職場のサイトに、顔写真付きで詳細に経歴や業績が出ているのでwikiは必要ないそうです(^^;)

スゲー爽やかスマイルの写真が使われています。







わたしが上司のwikiを作るとしたら、裏の顏担当で(笑)

好きなお菓子――おっとっと、ポッキー、ビスコ、きのこの山

ここらへんは外せない。

上司、コワいものがあるんです。ネットに書いていいんかどうかわからんけど、巷では有名な話です。wiki作るならそれも書きたい( *´艸`)


しかし、wikiって参考文献がいるとかなんとか・・・・。

ダメじゃん(´・ω・`)

乙9期 操偵適性検査2017年12月13日 07時05分41秒

この話題だけで本でも書けそうな勢いです。
この1記事に、4、5記事分ぐらい書いてしまいました。
いつものようにさらっと読めない分量なので、覚悟して読んでください。




「予科練」というと、飛行機の操縦訓練をする過程だと勘違いしている方もおられると思いますが、じつは、予科練時代はほとんど飛行機に乗ることはありません。
9期の場合、予科練時代で飛行機に乗ったのは、入隊後ほぼ1年目に10日間ほど行われたこの「操偵適性検査」のときのみです。

ここで操縦と偵察の適性を見極められ、2学年からはそれぞれの過程にわかれて専門の勉強をし始めるのです。

そして、予科練を卒業して初めて「飛行練習生」課程に進み、本格的に飛行機に乗る訓練を始めます。




かれらにとってはただごとではない運命の操偵適性検査。

ほとんどの練習生が操縦に進むことを夢見て予科練に入っているんだとか。

が、現実には希望するコースに全員を進ませるわけにはいかず。

どうしても不本意なコースに進まざるをえない練習生も出てきます。

この検査でその後の搭乗員人生が決まってしまうのです。
かれは異様なほどの緊張感と張り切りで操偵検査に臨みます。





以前、9期の適性検査は筑波空と百里原空(島田清守さん、石川茂さんは「百里ヶ原」と記述)の2ヶ所で行われたものと誤解していました。

どうもそうではなく、当時まだ筑波空の分遣隊だった百里原に於いて、23分隊(前の分隊:1~8班)と24分隊(後ろの分隊:9~16班)で日程をずらして行われたようだと。

ただ、正確な日程がわかっていませんでした。


9期生存者の藤代護さんの手記に、
『昭和十四年五月、二年生になる前に、われわれ同期は操縦と偵察に分けられるため、百里原海軍航空隊で、適性を検査すべく初等練習機に乗ることになった』
と書かれています。

羽藤さんがアルバムに貼っていた操偵検査の写真の1枚に、「昭和十四年六月八日木曜」と書かれた黒板が写っていました。

これらのことから、「14年の5月6月頃」ぐらいの感じで思っていました。




島田清守さんの日記で、操偵検査の正確な日程がわかりました。

以下、先日、操偵検査写真の水たまりについて書いた記事から転載。

5月29日 曇  地練(地上練習機)  @霞ヶ浦海軍航空隊
5月30日 曇  地練・心理検査
5月31日 晴  心理検査
6月1日  雨  移動 初めて飛行服を着る  @筑波海軍航空隊百里ヶ原分遣隊
6月2日  晴  (飛行場で?)初めて飛行服を着る
6月3日  曇  飛行作業中止 口頭試問
6月4日  曇  行軍
6月5日  晴  初めて飛行機に乗る
6月6日  晴  飛行作業
6月7日  曇  午後飛行作業(検定1日目)
6月8日     飛行作業(検定2日目) 終って写真を撮った 午後口頭試問、相学
6月9日  曇  (記述ナシ)
6月10日 晴  飛行作業 適性検査終了 霞空に帰隊

これは島田さんが所属していた23分隊の操偵検査の日程です。


さらに島田さんは24分隊の操偵検査のこともちょっとだけ書いてくれていました。

6月10日 2時半頃24分隊が(百里ヶ原に)入隊
6月20日 24分隊適性検査より(霞空に)帰る

24分隊の方が1日百里ヶ原在隊が多いですね。
23分隊が百里にいる期間の日曜日は6月4日だけです。
休業にはならず、行軍をやっています。
24分隊が在隊していた期間は11日と18日、2回日曜日が入っているので、それで一日多いのかもしれません。
まあ、でもたぶん休業ではなく何かやらされていますよね(^^;)


日程的にはおそらく24分隊も霞空の本隊で地練や心理検査を済ませてから百里に行った可能性が大だろうと思っています。
7、8、9日が霞空本体で地練と心理検査で10日から百里ヶ原――ではないかな?
どこにも記載がないので、23分隊の日程からの想像です。
藤代さんは百里ヶ原で地練をやったと書いていますけどね。



今日は家にある操偵検査時の画像を全部出します。

【23分隊集合写真】
坂田清一さん(1班)所有

藤原国雄さん(5班)所有




【24分隊集合写真】
池田和義さん(10班)所有

島田直さん(11班)所有

羽藤一志さん(12班)所有

石川茂さん(15班)所有





【班写真】
1班 隅倉慧さん所有

1班 坂田清一さん所有

5班 藤原国雄さん所有

11班 島田直さん所有

12班 羽藤一志さん所有

15班 石川茂さん所有





【少人数グループ写真】
前列左から萩谷幾久男さん、教員、野村茂さん
後列左から筒井富雄さん、永田慶士さん、繁富悦行さん、川原与三郎さん

島田清守さん、高島巌さん

前列前から松本勝正さん、原田要教員、米盛朴さん
後列左から今村文三郎さん、山口浜茂さん、志村実さん、中門清司さん

前列左から松本勝正さん、国本力さん
後列左から上原定夫さん、前川重美さん

前列左から柳川健さん、小林正教員、亀山一郎さん
後列左から熊谷賢一さん、島田清守さん、轟木サトルさん、山田一作さん

前列左から藤原国雄さん、森健次さん、原精二さん
後列左から谷口十七夫さん、前川重美さん、教員、関口一男さん

このタイプの少人数グループ写真はいまのところ23分隊のものしか見たことがありません。



【個人写真】
加藤哲夫さん(1班)

隅倉慧さん(1班)

坂田清一さん(1班)

本城秋生さん(1班)

大西要四三さん(2班)

岸川正人さん(2班)

大石芳男さん(4班)

藤原国雄さん(5班)

松本勝正さん(6班)

国本力さん(6班)

河村徳市さん(9班)

池田和義さん(10班)

池本忠清さん(10班)

笠井繁雄さん(13班)

清水巧さん(15班)







【その他】


整列して何やら訓示か注意か受けているようです。

こちらはわりとごちゃっと集まって話を聞いている様子。
24分隊だと思います。木原辰雄さん、新井正美さん、都築国雄さん、仲野修さん、福山清武さんらしきお顔が見えます。
エンジン始動中でうるさいのか、耳に手を当てて聞いている練習生が何人かいます。

待機中?
23分隊です。
 
こちらも待機中でしょうか?
24分隊。

上の写真を逆方向から撮っています。


これが14年6月8日の日付のある黒板。
手前の黒板に「甲班」、向こうの黒板に「乙班」と書かれています。なんだろう?
以前この写真の白い作業服の右の人を、「羽藤さんに似ている」と書いていますが、6月8日に操偵検査をしているのは23分隊なので、24分隊の羽藤さんではありえないですね。撤回します。


この機械、何だろうな?

と思ったら・・・・卒アルにこんな風に加工されて掲載されていました。
「二十三號歸ッテ來マス」

望遠鏡でしょうかね?
どこを向いているんだろう?(^^;)


練習機の列線。筑波空の所属機。
ここらへんで、「筑波空と百里ヶ原空の2ケ所でやった」と思い込みが深まり・・・・(;´Д`)
筑波海軍航空隊百里ヶ原分遣隊なので、筑波空マーキングの飛行機なんですよね。
(14年12月1日筑波空から独立して百里原海軍航空隊に)





卒アルによると同乗出発の申告だそうです。
向こう側の人は大山輝一さんかも?

池田和義さん。
操偵検査時だとしたら、これはレアです。
操縦席で撮られた写真はいままでこれ1枚しか見たことがありません。



【教員】
羽藤さんのアルバムに貼ってあった集合写真。

『日本海軍戦闘機隊』【エース列伝】の阿部健市さん(9期)のところに「乙9期の飛行練習生時代」と書いてあったのでそうなんだろうと思っていたのですが(←9期のことを調べ始める前)、羽藤さんのアルバムの写真でちゃんと見たとき、飛行服の襟元の詰襟を発見。「下士官やんか!」
さらに原田要さんを発見したことから、ご本人に見ていただきました。

この写真は、
「昭和14年6月頃の筑波空教員全員と思います」
とのことでした。

その際、数名の教員に、氏名と期を書き込んでくださっていました。




前列左から、
不明

浅川三雄1空曹(乙2)
原田さんが「浅川さん 乙2期?」と書き込んでくださっていました。

小山内末吉1空曹(乙2)
先任教員。戦闘機。
原田さんの書き込みもあり、さらに他の集合写真で小山内さんと書かれている方と一致していました。
17年10月26日  瑞鶴  南太平洋海戦 

林八太郎さん?(操26?)
原田さんが「林さん 操練?」と書き込んでくださっていました。
戦闘機。

徳永有1空曹(乙3)
12班班写真の教員。
原田さんはここに「工藤さん」と書かれていたのですが、他の写真でこの方は徳永さんであると確認しました。
艦爆、陸偵。
17年8月2日  台南空  東部ニューギニア  


後列左から、
不明

原田要さん(操35)
戦闘機。

工藤修1空曹(乙2)
徳永さんのところに「工藤さん 乙3期?」と書いてあったのですが、『日本海軍戦闘機隊』【エース列伝】の工藤さんの写真から、こちらの方が乙2期の工藤修さんだろうと。
17年3月3日  3空  ブルーム攻撃  

不明

不明

不明

不明
15班班集合写真の教員

不明

不明
萩谷さんのグループ写真の教員

不明
藤原国雄さんグループ写真の教員

不明

小林正さん(乙4)
「小林くん 乙4期?」と書かれていました。
島田清守さんのグループ写真の教員です。
陸偵。
17年4月27日  3空  敵機と交戦重傷、デリー基地に不時着の際、機体転覆


ここまで筑波空百里ヶ原分遣隊の教員(操縦教員)に関して書きましたが、実はこの操偵検査には予科練の教班長(教員)も同行しているようです。

前分隊の集合写真に一種軍装のまま写っている集団がいます。


なんか見覚えがあるんですよ。
たぶん予科練の教班長と思います。

右端でしゃがんでいるのは6班の池田教班長かな。

機会があれば他の人もちゃんと照合したいと思います。


ということは、後ろの分隊もついてきているわけで。




10班の教班長とか(作業服の前列の左端)。

よくよく見ると前分隊は軍服が一種。後ろ分隊は二種(椅子列の幹部の人たち。教班長たちは作業服ですが軍帽に日よけのカバーがついています)。
この2枚の集合写真撮影の間に衣替えがあったんだな、と。

23分隊と24分隊の操偵検査の時期がずれているということは、ここで気づくべきでした・・・・orz

後ろ分隊のスナップ写真に写っている教班長たちが一種姿のものもあります。
後ろ分隊は操偵検査に入ったときは一種、終わったときは二種――ということなんでしょうね。

衣替えの件に関しては島田さんが日記に書いてくれているんですけどね(^^;)
操偵検査を終えて霞空に戻ってきた直後の6月12日の日記に「軍服、夏襦袢、軍帽ノ交換有り」。
百里の人たちも同じ日にやったのかな。

1班と11班の班集合写真に写っている一種の人も予科練の教班長です。
1班はいいとして、11班の教班長が一種で写っているので、あの班集合写真と、軍帽に日よけカバーがついている分隊集合写真は、違う日に撮っている可能性が高いということです。



ちなみに筑波空教員全員集合写真は、
・地面が濡れている
・飛行服の襟元から見えている軍服が一種
であることから、23分隊が写真を撮ったとき(6月8日)に一緒に撮られたものだろうと想像しています。



ずいぶん前にどなただったか、知り合いの搭乗員さんに衣替えの時期のことを聞いたことがあるんですが、
「覚えていない」
と言われました。70年以上前のことですからね。わたしも学生時代のことはほぼ覚えていません。

島田さんの日記には、わたしが関心があっても未解決のままだったことの答えがあちこちに書かれています。
島田さまさまです。





【島田清守さん日記より】※句読点は読みやすいよう、わたしが加えたところもあります

五月二十九日(月) 曇 寒
前々カラ待ッテ致タ我等ノ適性検査モ来タ。午前八時ヨリ地練デ練習。午前ニ水平飛行ノ練習、午后一時ヨリ又練習。今度ハ旋回シテ水平飛行ダ。見テ致テハ易イ様ダガ自分デスルトナカナカ上手ニ行カン。今日モ二度地練デ練習。一寸此レデ飛行機ノ操縦ハコンナモンカ見当ガ着イタ。
八期生モ今日ヨリ後期ノ試験ガ始マッタ。

五月三十日(火) 曇 暖
七時半本隊ニ向フ。「今日ノ検定コソ・・・・」ト言フ意気ダ・・・・。午前中地練ノ検査ガ有リタ。思フ様ニ行カナカッタ。又或ル者ハ心理検査ダ。午后ハ仕事ガナカッタ。地練、心理検査ノモノモ有リタ・・・・。アアコレデ地練ノ検定モ終ッタ。矢張操縦ニナリタイ。

五月三十一日(水) 晴 暖
心理検査・・・・二次検査ト同様デアッタ。
六ツノ検査ガ有リタ。午前中終了。
午后自習。
福本教官ヨリ
「教班長ト言ッテ致タガ今后ハ班長ト改メル――当直練習週番練習ニ関シテ話サレタ。今迠ノ伍長ハナクナリタ」
明日ノ用意デ先教
(先任教員?)ヨリ話ガ有リタ。

六月一日(水) 雨 寒
四時半総員起シ。毛布ノ移送準備デアッタ。午前ハ準備デアッタ。午后一時ヨリ自動車七台ニテ筑空百里ヶ原分遣隊ニ向ッタ。雨ナノデ苦シイ中ニ着イタ。マダ百遣モマダ新築中予科練ノ様ダ。其レヨリ兵舎ニオサマリテ釣床ノ整備デ兵舎中ノ整頓デアッタ。食事后酒保ノ菓子モタベル。温習ナシ。飛行服モ渡サレタ。始メテ着ルモノデ何ニカラ何迠珍ラシイ。先輩ガ大方教員ダ。七時釣床卸セダ。新シイ釣床デ苦労スル。タダ祈ルハ明日ノ天気ダ。乗レル、飛ブテ心ガ!!
十一期モ入隊。甲種四期一等ニ兵進級シタ。


六月二日(金) 晴 暖
午前ハ杉浦大尉ヨリ操縦座学デアッタ。本デ教ハル事総テガムヅカシイ様ダ。明日ノ事総テヲ話サレタ。
午后ハ飛行場ニテ整備員ヨリ飛行機取扱方ニツイテ話ガ有リタ。終リテ操縦教員ヨリ各組毎ニ総テニツキ説明有リタ。始メテ飛行服モ着テ生レテ始メテダ。一人前ノ操縦員ニデモナッタ様ダ。別科ハ訓育ノ予定ナレドモ体技ニ変更。格納庫前デ野球排球等ヲシタ。
温習有リ。飛練出ノ操縦教員ヨリ当直班デ掃除后・・・・仕事ヲスルニ静粛ガカケテイル、モット気ヲツケル様ニ!!


六月三日(土) 曇 暖
午前飛行作業ノ予定ナレドモ霧ガ大クテ午前七時飛行服ニ身ヲカタメテ「今日コソ」来いト言フ意気デ致タ。飛行機ニ整列シテ試運転中ダ。所ガ指揮官等ガ来ラレテ「中止」トナリタ。皆気落シタ!!其レヨリ口頭試問デアッタ。飛行長ヨリ「操縦偵察トテドチラガヨイカ? スキナ学科、霞空ヨリ本隊迠ノ距離等ヲ問ハレタ・・・・。午后大掃除ダ。二時三〇分休メ。其レヨリ体技ヲシタ。角力等デアッタ。今年ノ角力モ始メテダ。アア今日天気ガ良カッタラ飛行機ニノレタモノヲ・・・・。
筑空ノ兵隊ハ非常ニ温和デアリマタ親切ダ。マヅマヅ感ジダ。霞空ヨリ此ノ点ガ勝ッテ致ル様ダ。

六月四日(日) 曇 暖
行軍・・・・。午前七時出発。分隊士ヲ始メトシテ何ニモ何ニモ見ル物、聞クモノナキ此の地。唯気力胆力ノ養成ト言フ様ナ分隊士ノ要求デアル。唯自分ガ歩ケルダケ歩イテ見ロト言フ様ナ意気ダ。白河村榎本等ヲ経テ小サナ町トモ言ヘナイ様ナ玉造町ヲ経テ八木蒔ヲ通リ立花ノ小学校デ開散。二時迠ニ桃浦駅手前ニ集合デアッタ。東与沢ヲ経テ帰隊シタ。途中軍歌デアッタ。・・・・多イニ胆力気力養成ニナッタ。
温習ナシ。


六月五日(月) 晴 暖
青空ヲ眺メテ「今日コソ飛行機ニ乗レル」ト言フ意気デ総員起シ・・・・。皇居遥拝終リテV
(飛行)機ノ搬出ニカカッタ。アア此のV(飛行)機ニ乗ルト言フトV(飛行)機ガ致ッテナツカシイ。終リテ朝食・・・・。七時ヨリV(飛行)始メ。分隊長・飛行長ノ訓示ヲ受ケテ感■カッタ。各組如ニ各機ニテ教員ヨリ注意。順番ニ飛行ガ始マッタ。早イモノハ皆V(飛行)機ニ乗リ大空ニ行ッテイル。乗ッテ「エンヂン」ノ音ガブンブンシテ致テ始ネハ一寸変ンナ気持ダガナレテ非常ニ気持ガヨイ。「舵ノ効果、水平直線V(飛行)」ヲ練習シタ。。二十分間ノV(飛行)モ短イ。午后ハ「各種水平V(飛行)」何ガ■カムツカシイ。教員ヨリ始メカラ終リ迠注意ヲウケドウシ・・・・。マダマダ元気ガタラナイトカ、カタクナリスギル」トカ注意ヲウケ二十分間。V(飛行)機モコレデ四十分間ノッタノダ。面白カッタ。

六月六日(火) 晴 暖
昨日モ乗リテ今日モマタ上天気ダ。「今日モ乗レル」ト言フ意気ダ。昨日ト同ジ様ニV
(飛行機?)改ムル。「各種直線飛行及旋回」デアッタ。ナカナカ思フ様ニ操縦モ出来ン。ダガ教員ガ手ヲ放シ自分一人デ操縦シテ致ルト思フト嬉シカッタ。自分一人デ大空ヲ飛ブト思フトマタ親ニモ見セテヤリタイ様ダ・・・・。午后モ午前ト同ジ教員ガV(飛行)ガ終ッテ「昨日ト比ラベテ大分上手ニナッタ」ト言ハレタ。嬉シカッタ。飛行機ニ乗ルニモ馴レテ何ントモ感ジナイ。

六月七日(水) 曇 暖
午前飛行作業ノ予定ナレドモV
(飛行)用意シテ飛行場ニ出タケレドモ霧等ガ悪クテ午后ニ飛行作業ニカヘル。カワッテ温習。一部ノ者ハ口頭試問デアッタ。午后一二四五V(飛行作業)開始・・・・。今日ハ愈々検査ダ。二分隊士ト乗ッタ。水平飛行、水平旋回デアッタ。飛行長・分隊長等モ乗リ始メタ。「大体ウマイガバンクガ多イ。少シ傾ク」ナド言レタ。V(飛行作業)ガ終リテ分隊士ガ駈足ヲサセタ。ナカナカ骨ガ折レル。「飛行機ガ不時着シタラマダカケルノダ」ト言ハレタ。七班長着テ教員ヨリ注意ヲ受ケタ。「モウ少シ緊張シテ練習生トシテノ本分ニ邁進シテ行カナケレバナラナイ・・・・。矢張ダラケテイルノダ。緊張シテ行カナケレバナラナイノダ・・・・」

六月八日(木)
午前飛行作業・・五分隊士ニ同乗シタ。検定二日目デアッタ。乗ラン者モイタ。終ッテ写真ヲ撮ッタリシタ。
午后一部ノ者ハ口頭試問。又一部ノ者ハ相学デアッタ。適性検査ニ来テ相学トハ思ヒモヨラヌ事ダ。

六月九日(金) 曇 暖
本文記載なし

ここに挟んであった紙
先任教員(小山内一V(空)曹)ノ話
夜温習ノ際来テ飛行機ニ関シテ質問シ其レガ終ッテ予科練出身ハ矢張「純真」ト言フ所ガヨイノデアル。私ハ二期生ダ。予科練出身ハ矢張評判ガ良イノダ。ダカラ私等ノ後ヲ継グオ前達ガシッカリセントダメダ。或ル上層マデ来テ始メテ予科練トシテノヨイ所ガ見ラレルノデアル。ダカラ今ノ所大イニ勉強シテ立派ナ予科練ヲノバサナクテハナラナイ。特ニ私ハ此レヲ希望シテオク」ト!!矢張同ジ後輩ト思ヘバ其フイフノダ。先輩ノ心モ深ク察シタ、全ク真剣ノ色ガ見エテイル

六月十日(土)晴 暖
午前飛行作業。乗ル者乗ラン者有リテ皆クサクサシテ致ル。十時頃終リテ待望ノ適性検査モ夢ノ如ク終リテ今日■帰隊。午前中飛行衣服ノ還納デアッタ。マタ十時半頃ヨリ飛行長ノ「口頭試問ニ関シテ注意ガ有リタ。午后ハ各所ノ大掃除。一時頃終リテ其レヨリ先輩ノ三期生徳永一V
(空)曹ヨリ実戦談ヲ聞ク。殊勲甲ダ。矢張先輩ハヨイ。恣(知?)ッタリスルノモ先輩、実戦隊ヲ話シテ下サルモ先輩。予科練ノ伝統ヲ何事ニモ持チ出スノダ。先輩ノ有難サヲ真ニ知ッタ。二時半頃二十四分隊ガ入隊。当(同?)時ニ退隊シタ。分隊長ヨリ「操偵ノ云々ハ言ワヅニ大イニ学力体力ヲ練リテ来イ。俺ハオ前ノ来ルノヲ待ッテイル。将来ノ航空界ハオ前ニヨッテ・・・・」ト!!四時帰隊シタ。此レヨリ大イニ勉強シヨウ!!





※画像は9期生ご遺族ご提供