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土浦海軍航空隊時代の写真@小船井写真館2017年06月11日 14時54分42秒

9期が土浦海軍航空隊にいたのは15年11月後半のほんの2週間ほどの短い間です。

9期の写真、たくさん手許にありますが、土浦時代の写真は数えるほどしかありません。


そんな中。

先日、松本さんのアルバムの中に、見たことのない土浦時代の写真が貼られているの気づきました。


感激して叫んじゃいました。


土浦海軍航空隊のペンネントをつけて小船井写真館で撮られた9期生の写真。

小船井写真館の刻印はありませんが、写真の雰囲気、小道具(イス)、さらに前列中央に写っている少女が小船井家の末の娘さんであることから「小船井写真館撮影」と判断しました。



写っているのは、前列左から、
植木愛雄さん(偵、水偵)

谷口十七夫さん(操、中攻)

小船井家のお嬢さん


宅間広正さん(偵、艦上機)

清水巧さん(偵、艦上機)

後列左から、
白木令一さん(操、不明)

前川重美さん(偵、中攻)

本城秋生さん(偵、水上機)

松本勝正さん(操、戦闘機)

遠藤桝秋さん(操、戦闘機)


みんな、かっこよすぎるぞー!!


ってのが第一印象です(^^;)

清水巧さんが小船井写真館に入り浸っていたのは周知の事実(!?)ですが、小船井写真館で撮られた写真はこれが初めてでした。感激しました。
気のせいではなく気取っています(笑)
ご遺族の方にもすぐに送りました。

遠藤さんもたくさんお写真ありますが、写真館撮影の写真はこれが初めてではないかな? 
さすが、同期生(男)も認めるイケメンだけあって素敵だ。





ところで。

この写真を見てすぐにピンときた写真がありました。

松本さんの書簡集にも掲載されているこの写真。

ペンネントは土浦海軍航空隊で、刻印はありませんが写っているイスが上の写真と同じイスです。
写真の雰囲気から小船井写真館でしょう。

さらに、メンツ(松本勝正さん、白木令一さん、前川重美さん、谷口十七夫さん)から、上の写真と同じ日に撮ったのではないかと。


この写真も。
谷口十七夫さんと前川重美さん。
ペンネントは土浦海軍航空隊。
これには小船井写真館の刻印が入っています。



島田清守さんの日記によると、土浦に移転して外出許可が下りているのは、
11月17日・・・・休業 土浦市に行く 卒業前というので班会、同県人会が多い
11月23日・・・・午後一時頃外出許可 卒業前で班会とか何とかで皆愉快になった
11月24日・・・・外出許可 今日が土空最後の外出だ


で28日に卒業式を迎えています。そのまま次の任地に移動しているでしょう。

ということは、上の写真は11月の17、23、24日のいずれかで撮られたのだろうな。

例えばの話、このとき「各人一人で」とか、「宅間さんと清水さん」とか、「偵察専修生だけで」とか、いろんな組み合わせで撮っているんではないかと想像しています。
そのうち出てくるといいな。







9期生という以外、メンバーに特段の共通点はありません。

操偵まじっていますし、出身県もバラバラです。

3学年時の班ということでいえば、谷口さんと遠藤さんが同班。
松本さんと白木さんが同班。
偵察の方の3学年班はちょっとわからんです。同班メンバーなんだろうか?

1学年時ということであれば、松本さん、谷口さん、前川さんは同じ班です。

このメンバーでしめしあわせて隊を出てきたのか、あるいは写真館でたまたま一緒になって一緒に写真を撮ったのか、よくわかりません。






※画像は9期生ご遺族ご提供

零戦”搭乗員”会2017年06月05日 07時10分33秒

いつものことですが、話があちこち前後してスイマセン。

予科練戦没者慰霊祭のことも、まだまだ書きたいことが山のようにあるんですが。





土曜日はタイトルの会合でした。

が、とうとう零戦の”搭乗員”の方が「0」という搭乗員会になってしまいました。

といっても安心してください。K上飛曹は急用で来れなくなっただけで、電話で話した人によると、「お元気そうだった」そうで(^^;)

他の方々も、別の用事と重なったり、家から出るのはちょっと・・・・だったりで、搭乗員さんの出席「0」ということに。
しかたないですけどね。

しかし、搭乗員のみなさんのお元気な姿を拝見したい、お話したい、と遠方から来られる人もいるわけで。
そういう意味では残念でした。




そんな中。

今回は陸軍の特操出身の方が最年長ということで。
いつも来られているのは知っていたのですが、今回、会の前に、初めて親しくお話させていただきました。
飛行機に乗る前に終戦になってしまった、と言われていました。滋賀県の八日市で訓練したらしいです。
スマホを操られるんです、ビックリ!
大学生ぐらいのお友だちがたくさんいて(趣味関係?)、メールでやりとりされているそうです。
あの当時、飛行機に乗ろうって方たちなので頭も心も柔軟なんですね。


初参加の方もいらして。
わたしが知っている限り最遠方の方々。女性の方3名。
ある戦闘機隊隊長のご遺族の方が、お友だちと一緒に参加してくださいました。


ある戦闘機隊隊長のお写真現物。
写真立てに入れて持って来てくださっていたんですが、出して撮らせてくださいました。
ブログの掲載許可はいただいています。
他の画像もですが、無断転載はご遠慮くださいね。

みな、この写真に感激して写真を撮らせてもらっていました。
わたしはまさかこのような貴重なものと対面できると思っておらず、カメラがスマホしかなく、しかもスマホの影が・・・・orz
ド下手でスイマセン!( ;∀;)

写真はド下手ですが、たぶん、撮らせてもらったのはわたしが最初でした!  
隊長にならってわたしも指揮官先頭だ!(ドヤ)
いや、違う(-_-;)


スイマセン、感激が伝わっていませんね。

この写真、書籍などでご覧になられたことがある人も多いでしょう。

しかし、書籍の写真とはまた違う、遺品であろう写真を目の前にしたときのなんともいえない気持ち。

歴史上の遠い人ではなく、この写真が撮られたときにはたしかにここにいた人であることを強く実感します。


ちなみに春海の感想。
「モデルさんみたいやなあ」

いい写真です。









もうひとつ感激したことが。
真珠湾攻撃時の加賀艦攻隊分隊長、鈴木三守大尉(兵64期)のお写真。


わたしが、島田直さん(乙9期、開戦時加賀艦攻隊)の遺品にあった集合写真からトリミングして送ったものを写真立てに入れてくださっていました。


鈴木大尉のことが書かれた、没後69年追悼の資料も持って来てくださいました。

わたしは鈴木大尉のお名前を見ただけでじわっときてしまうんですが、内容はさらに・・・・でした。


生い立ちや人柄、真珠湾から引き上げられた鈴木機の画像なども。

さらに鈴木大尉の個人的なこと(海軍軍人としては個人的なことではないんですが )まで書かれてあり・・・・。
残された者にとってはそこで終わりではなく、そこからまた生きていかなければならないわけですから。



一緒に来られたお友だちの方ともお話できてよかったです。
しかし、自分のことばかりしゃべっていたような?(^_^;)
もっとお話を聞かせてもらえばよかった。

いつも時間が足らんのです。

遠いので無理は言えませんが、また来てくださるといいな。


今回は二次会にも行かなかったので、あいさつぐらいで終わった方も。
それは残念でした。


乙8期 小澤芳平さん2017年06月02日 15時55分42秒

8期生のカテゴリがないので、とりあえず[海軍]に入れておきます。[乙8期]新設の暁にはそちらに移します。



去年の慰霊祭から、前泊する人たちで前夜懇親会が開かれるようになりました。

去年は40名ほどでしたが、今年は90名だったとか!?

去年も今年もわたしは9期のご遺族の方々と同じテーブルに席がとってありました。
同じテーブルに、ご遺族の方は森田守さん弟さん、池田和義さん姪御さん、萩谷幾久男さん甥御さん(以上9期)、あと、8期の小澤芳平さん弟さんがいらっしゃいました。

小澤さん、わたしは初対面でした。
あとで話をした口ぶりでは今年初めて参列されたのではないか・・・・? という感じでした。


わたしは8期生のことはまったくわからないですが、手元の9期写真に何枚か8期生が写っている写真があります。

弟さん、お写真をお持ちではないかな?

と思い、わたしの方から声をかけさせていただきました。

が、

「あー、今日は持っていないねー」

とのこと。

機会があれば見せてくださいね、なんて話のあと、

「どちらのご出身なんですか?」

と尋ねたら、

「長野です」

「長野ですか!?」


長野といえば、藤原国雄さんの遺品の中に長野県出身乙飛生集合写真があり、8期生ならそこに写っているはずです。
さらに長野といえば先輩6期の山岸昌司さん、7期の西澤廣義さんの写真などもあります。


「もしかしたら、わたしが持っている写真に写っているかもしれません。持ってくるので見ていただけますか?」

「いーよ、いーよ」

ダッシュで部屋に戻り、パソコンを取ってきました。



写っていました。
古い方からいきますね。

これは横須賀時代に撮られた長野県出身乙飛生集合写真。
6期の山岸さん(前列左から3人目)が写っています。あと7期の西澤さん(○印)、そして8期生まで。
階級章が見えないんですよね。12年の6月初か秋・冬ぐらいでしょうか。

これが小澤芳平さんです。
後列左端。



これは藤原さんの遺品の長野県出身乙飛生集合写真。
7期生から9期生まで写っています。13年夏。横須賀。

小澤さんは前列右端です。左隣りは西澤さん。


これも長野県出身乙飛生集合写真。
14年夏。霞ヶ浦海軍航空隊。
8期生~11期生まで写っています。

小澤さんは前列左から4人目。




パソコンで見ていただいた中で、弟さんが芳平さんを認識したのはこの写真です。この前に見ていただいたのは、
「ちょっとどこにいるかわからないねえ」
と言われていたのですが、この集合写真を見せた途端、

「あ!! これだ! これが兄貴です!」

と指を差されました。
弟さんの心の中に残っていた芳平さんのお姿に一番近かったのでしょうか。

この写真を見るのは初めてだそうです。

「わたしに似ているでしょ?」

と言われていました。

じろじろと見比べてみたところ、たしかに似ていました。

この写真の芳平さんが70数年経ったら、弟さんのようなおじいちゃんになる・・・・
逆に、弟さんを70数年若返らせたらこの写真の芳平さんのようになる・・・・






パソコンの画面いっぱいに拡大してあげたところ、画面に手を合わせ、

「慰霊祭に来れば兄貴に会えるような気がしていました。まさか、本当に会えるとは思っていなかった、よかった、よかった」

と涙を流されました。




「この写真、もらえないですか?」

とのことだったので現像してお送りしました。


写真の持ち主である9期のご遺族の方々からも、

「写真をお持ちでないご遺族の人が見つかったら渡してあげて」

と言われているので。





2次会が終わって部屋に戻って手持ちの写真を探したところ、他にもありました。
なぜか9期生が持っていました、8期生の授業中の写真。

9期生は一人も写っていないんですよ。

名札がついているので、名札が読める人はわかります。
本間猪佐夫さん、犬塚教市さん、古谷喜代一さん、金子一郎さん、奥富梅次さん、豊田三夫さん、東さん(複数いてどの東さんかわからない)、などは名札が見えています。

名札が見えていない中に小澤さんがいました。
真剣な表情で授業を受けています。




倉町秋次先生の『予科練外史』にも小澤さんのことが少し書かれています。
8期の操偵検査時の記述です。

霞ヶ浦航空隊分遣隊友部飛行場(のちの筑波航空隊)に到着し、飛行場見学をしたときの話です。飛行場に雲雀の巣があったようでそのことに関して8期生たちのエピソードがいくつか書かれています。

『小沢芳平練習生は、心の中で、故郷の父母に向って、「私は一生懸命やります。」そして、「小鳥よ、草木よ、明日会おう」と呼びかけていた』

文脈的には唐突に小澤さんが登場するんですが(^^;)
たぶん、倉町先生は、かれらが横須賀に帰隊後、操偵検査の所感を書いて提出させたのではないか? そこに小澤さんのこのときの感想が残っていたのではないか? と想像しています。

――心根の優しい小沢芳平練習生は、長野県出身。やがて一式陸攻の操縦員と育ち、高雄空に所属、昭和十七年九月二十八日、ガダルカナル島飛行場爆撃直後、高角砲弾の直撃を受けて散華した。


ここまで『予科練外史』に書かれています。


8期生の戦後の同期生会誌。
『何時も笑っている様な顔をしていて誠実に溢れ教班長当番等に当たると誠心誠意役を果たし責任感に燃えていた』


弟さんから。
「兄とは10ほど年が離れていて、自分が末っ子だったからとてもかわいがってもらった。毎月、幼年倶楽部と少年倶楽部を送ってくれていた」
※芳平さんは大正10年(1921年)生まれ、弟さんは昭和5年(1930年)生まれ


17年9月28日  高雄空  ソロモン








実はですね・・・・。

懇親会で弟さんに芳平さんの部隊のことや機種のことを聞いたのですがもひとつよくわからなかったんです。
木更津にいた、ソロモンで戦死した、ということはわかりましたが。

で、2次会が終わって部屋に戻ってすぐに、いつも助けてもらっているKさんに、
「8期の小澤芳平さんの情報って何かお持ちではないですか?」
とメールしたところ、すぐに返信がありまして。

横須賀空、木更津空、高雄空を経験した中攻の操縦員だということがわかりました。

そのときのメールに、

「小澤さんは9期の二階堂信治さんが戦死されたときのペアの操縦員ですよ」

と書かれてありまして。

ビックリしてすぐに調べたらその通りでした。

二階堂信治さんのことはここに書いているのでどうぞ。

二階堂信治さん。大分時代(16年秋)。

一式陸攻は基本7人乗りです(主・副操縦員、主・副偵察員、主・副電信員、搭乗整備員)。
二階堂さんが戦死されたとき、その主操縦員が小澤さんで、二階堂さんは主電信員でした。

ペアというのは死ぬも生きるも一緒。
乙飛の先輩後輩だし、二階堂さんは小澤さんを頼りにし、小澤さんは二階堂さんをかわいがっていたのではないかと想像します。
※しかし、年齢は二階堂さんの方が上なのです(^^;)

今回、二階堂さんが戦死前日に書かれた家族に宛てられた遺書全文を読ませていただくこともできました。








――という不思議なご縁が慰霊祭でありました。

さきほど、弟さんから、

「写真届きました、ありがとう。仏壇にお供えしています」

とご丁寧なお電話をいただきました。

芳平さんも弟さんのもとに戻れて喜んでいることと思います。



※画像は9期生ご遺族、武田信行氏ご提供
海原会の方にはいつも便宜をはかっていただき感謝しています

モデルカステン ピクトリアル 巡洋戦艦”金剛”回航記録写真集2017年06月01日 15時29分31秒

知らない間にこのような写真集が出ていました!!

金剛。

イギリスで作ってもらって、日本海軍が取りに行ったんです。



前書きをちょっと引用させてもらいます。

「1911(明治44)年1月17日に起工され、翌年5月8日に進水して艤装に取りかかり、公試を進めたうえで、1913年8月16日に竣工、引き渡された。
あらかじめ派遣されていた日本海軍の艤装員=回航員たちの手によって操艦された「金剛」は8月26日にプリマス港を出港、喜望峰、印度洋を経て11月5日朝、横須賀沖にその姿を現した」



なんで9期のカテゴリに入っているんだ?



金剛の回航員の中に9期の池田和義さんのお父さん・池田平作さんがいらして、お父さんが保管されていたアルバムを元にこの写真集が作られました。

というわけで、9期カテゴリ。


この写真集は回航員に配られた記念写真集をもとにしているので、池田さんのお父さんの個人写真は出ていません。

この方です。
軍帽のペンネントは「大日本軍艦金剛」。



これもペンネントは金剛です。

一緒に写っている少女は外国人です。
まさに金剛を受けとりに行った先で撮られた写真かも知れないですね。



これは時期不明。
かっこいいですね♪


首から聴診器みたいな紐をぶら下げているでしょう?
これは予科練生の写真では見ないものです。

もちろん聴診器ではありません。
船に乗る水兵さんたちはこの先に折り畳み式のナイフ(折メス)をぶら下げて携帯しているらしいのです。ナイフは胸ポケットの中です。

以前、知人でこういうのに詳しい人が写真と一緒に説明を送ってくれました。
その説明、以前のパソコンに入っていたようで行方不明です(+_+)
おぼろげな記憶では、甲板で作業中にロープが絡まると危険だからすぐに切れるように携帯していたと書かれていたような・・・・? スイマセン、もしかしたら間違っているかもです(^^;)


航空隊の人はこれをぶらさげていません。
航空以外の人でも昭和10年代の人がぶらさげているのは見た記憶がありません。
兵種によって違うのか、時代によって違うのか?
調べたことがないのでわかりません。


日露戦争時だと、水兵さん写真でぶら下げている人がいます(旅順港閉塞作戦の集合写真とか)。これが写っているのを見ると、「古い写真だなあ~」という感想を持ちます
※あくまでイメージです




個人写真は掲載されていませんが、回航員名簿が巻末についています。
おもしろいですよ。
「割烹」とか「従僕」とか「剃夫」、「給仕」、「洗濯屋」とか乗っているんですよ。これって一般人ってことですよね。
海軍自前でやらないんだな、と。興味深いです。




ちなみにこの写真集はいつもお世話になっているYさんの手によるものです。
Yさん、島田さんの遺品を見に行ったときに名前を出してもいいと言われたのですが、ここではずっと「Yさん」なのでそのままYさんで載せています。「K上飛曹」みたいなものです。全然隠してねー(゚∀゚)



※画像は9期生ご遺族ご提供

保立の天丼2017年05月29日 07時20分29秒

27日はいつものメンバーで土浦市内のホタテ食堂の天丼を食べてきました。

島田さんところのイッチが行ったと言っていたので、

「わたし、行ったことないんだよなー」

猛烈に行きたくなったのでした(^^;)





「天丼食べたい」ってYさんを誘ったらいつものメンバーになりました(笑)

いつものメンバーというのは、6期山岸昌司さんの姪御さん、9期池田和義さんの姪御さん、Yさん、わたし。









予科練生たちもここに来たんだなあ~


なんだか当時にタイムスリップしたような店内でした。