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乙9期 宮沢政雄さん2018年06月09日 10時12分14秒

山梨県出身、偵察、中攻。

1学年15班。

15班は藤代護さんがご自身の手記『海軍下駄ばき空戦記』に氏名入り班写真を掲載してくれていたおかげで、わりと早い時期にお顔とお名前が一致していました。


15班だった石川茂さんがアルバムを残してくれていたおかげで、写真も多いです。
15班班写真。


超レア写真。
葉山自転車行軍15班。

いままでけっこうな量の9期関係写真を見ているつもりですが、自転車行軍の写真はこの1枚だけです。
自転車に乗った班写真もこれしかありません。
しかも、みんなめっちゃ楽しそう♪

宮沢さんは中央の班長・赤松教員(下士官)の左です。



操偵検査@百里原
14年6月。






石川さんのアルバムにあった運動会写真。
14年10月23日。
たぶん体操部メンバー。
前列左から古田保雄さん、石川茂さん、宮沢さん、後列左から谷口十七夫さん、伊藤誠一さん。




飛練・鈴鹿時代は藤原国雄さんと同じ班だったので、その関係でけっこう写真があります。
運動会。



鈴鹿時代の班写真。
時期、場所不明。



鈴鹿時代班写真。
おそらく鈴鹿航空隊にて。
時期も、一緒に写っている小薬武さん(8期、最前列中央左寄りに立っている)がすでに下士官に任官しているので(帽子に線)、16年5月1日以降、ということがわります。
一つ上の写真では小薬さん(前列右から2人目)がまだ1空(兵)なので、それ以前ということです。
ちなみに同じ8期の古寺慶三さんもこれら2枚に写っていますが、上の写真では後列左端(すでに下士官に任官)、下の写真では右端(帽子に線)です。




実用機、大分航空隊。

大型機講習、木更津航空隊。



「おもいで」
鈴鹿飛練時代のスーパーへトロダイン方式の理論は卓越していたね。

色白面長で整った容姿はむしろ女学生にしたかった。山梨産という印象ではないね。

土浦に移った直後、どこへ行く当てもない外出日、デパートで君は叔母さんが面会に来て大いに我々を羨ましがらせたね。

入隊時同班。モールスには苦労したね。いつも淡々とした君の態度を尊敬していたのに。




大型機講習後、千歳空、703空。



17年11月12日  703空 ソロモン




703空 「グァダルカナル」「ルンガ沖」敵輸送船雷撃
1小隊1番機  「グァダルカナル」島不時着
    2番機  行方不明
    3番機  「グァダルカナル」島不時着(主操・8期岡宮祐上飛曹)
2小隊1番機
    2番機  行方不明(主電・宮沢政雄1飛曹)
    3番機  行方不明
3小隊1番機  行方不明
    2番機  行方不明
    3番機  行方不明(副操・関口一男1飛曹、主電・浅沼正信1飛曹)

9機出撃して基地に戻って来たのは1機です。
「行方不明」が並んでいます。
中攻ですから、1機に最低7名乗っているのです。
戦争とはいえ・・・・。


※画像は9期生ご遺族ご提供

堂前清作さんの航空隊2018年06月07日 21時14分37秒

ブログを見てくださったらしく。

堂前さんの航空隊、いつものあのお方がごぞんじでした。
ありがとうございます。

博多卒業後、翔鶴→瑞鶴→大井空→634空、みたいです。
大井空は写真の時期(18年夏、18年12月)にはおられたようです。

飛練卒後すぐに翔鶴に着任しているということは、出撃はしていないけどハワイ作戦にやはり行っているということですかね。


出撃はしていないけどハワイ作戦に同行している9期生。
益田増雄さん(赤城)※島田さん日記
平山繁樹さん(加賀)
島田直さん(加賀)
島田清守さん(蒼龍)
佐々木隆寿さん(蒼龍)
清水巧さん(飛龍)
持田竹雄さん(飛龍、8期)
堂前清作さん(翔鶴)
大塚孝平さん(翔鶴)
野田実さん(翔鶴)
坂田清一さん(翔鶴)

乙9期 堂前清作さん2018年06月07日 13時52分55秒

北海道出身、偵察、艦上機。


1学年1班。


辻堂演習。

操偵検査。



習志野演習。




飛練鈴鹿。
運動会では活躍されたそうです。


倶楽部かな?
立っている左から3人目は堂前さんではなかろうか?



その後、実用機は宇佐。


飛練卒業後は翔鶴、のち瑞鶴。
17年10月26日、南太平洋海戦に瑞鶴隊艦攻電信員として参加して生還、
そのときのペアの偵察員が金田数正特務少尉。
金田さんのことは以前ここに書いています。
阿部芳包さんのところ。
操縦。艦攻→銀河

(19年)11月25日 第5神風特別攻撃隊疾風隊【クラーク発1143】
操縦:川田茂久上飛曹    1340グラマンと交戦自爆
偵察:前田操上飛曹
電信:竹崎正意上飛曹

操縦:生駒重光上飛曹    1340グラマンと交戦自爆
偵察:中野龍郎上飛曹
電信:鈴木光雄上飛曹       ※この方は乙16期で、9期の鈴木光雄さんとは別人

操縦:阿部芳包上飛曹    1344グラマンと交戦、敵を見ず1530帰投
偵察:金田数正大尉
電信:東行雄上飛曹

操縦:藤井鎮上飛曹     1620アパリに不時着大破
偵察:堀内芳武上飛曹
電信:岡本嘉治上飛曹

特攻出撃しているのですが、生還しているので下の2ペアは特攻名簿には記録はありません。
神野正美さんが書かれた『攻撃501飛行隊の記録』に書かれていました。

このときの阿部さんのペアの偵察員がベテランの金田さんでした。



瑞鶴のあと、大井空の教員になられたのではないかと思いますが、間にどこか着任しているのか、瑞鶴から直接大井空なのかはつかんでいません。
※18年6月7日2013
堂前さんの航空隊、Kさんがごぞんじでした。
博多卒業後、翔鶴→瑞鶴→大井空→634空でした。



丙16期長渡良雄さんのアルバムにあった写真。
この写真、裏書に「昭和十八年十二月二十四日」の書き込みがあり、そこに練習生の名前にまじって「堂前班長」と書かれていました。
長渡さんにとっては飛練(大井空)卒業記念の写真みたいです。

堂前班長。

堂前さんがこの時期に大井空で教員をしていたかどうかの裏は取れていません。
ただ、わたしが見て、「これ、9期の堂前さんやろ」ってだけの話です。


もう一枚、長渡さんのアルバムから。
大井空の教員たち。
たぶん18年の夏。

立っている左端が堂前さんだと思うんですよね。


「おもいで」
「鈴鹿で十六年春期運動会に我がクラスが甲飛その他のクラスを押えて総合優勝したが、君の両腕が忍対競技での高得点を挙げ優勝への距離を一挙に縮めた」

「腕っぷしが強く(片手で三八小銃を水平に支えた)骨がゴツかったなあ。柔道で君の足払いを食うと俺はしゃがみこんだっけ」

「体の割に力が強く体の大きい俺もお前には腕相撲もかなわなかったっけ。色の黒い顔面から何時も汗をかいて恐くても仲々愛きょうがあった」



19年6月7日    634空  岩国にて事故殉職


殉職の詳細は把握していません。

※画像は9期生ご遺族、長渡さんご家族ご提供

乙9期 本城秋生さん2018年06月02日 16時37分21秒

大分出身、水上機偵察。

本城さんはわたしは氏名入り班写真が出てくるまでわかっていませんでした。


この人でした。
1学年時1班。

なぜ、特定が遅れたか。
1学年時13班の阿部健さんが「入隊時同班の伍長だった」と書かれていたので。
「13班のあのメンバーの中に本城さんがおるんか?」
と。

結局阿部さんの記憶違いなのか、同期生会誌印刷時の誤植なのかわかりませんが。
本城さんは1班でした。



1班。


辻堂演習1班の一部(と8期生)。




本城さんが写っている写真で、めっちゃ好きなの↓


土浦海軍航空隊のペンネントなので15年11月の後半です。予科練卒業間際。
小船井写真館のお嬢さんを中心に、操偵まじった9期生たち。
この写真、めっちゃ好きです。



島田清守さんのところに、本城さんの個人写真がありました。
これ、掲示板にもアップされていましたよね。
操偵検査時の本城秋生さん。


これはペンネントが大日本帝国海軍、善行章がついていて、階級は1等兵。
うらに「延長教育当時」と書かれていたので博多時代の8月9月初ぐらい?
写真館の刻印もないのでどこで撮られたのかはわかりません。


博多飛練卒業。





おもいで
「江副教員からよく可愛がられていた。かげにかくれてよい事もやっていた。ショートランド基地で目と鼻のところにいたが遂に語りあえず残念だったぞ」

「入隊時同班の伍長だった君に同県人として大いに意を強くした」

「秀才、でも少しさぼったか、いつも余裕のある生活態度はやはり優等生であったネ。中庸を行く、孔子の言がぴったりする「徳」を持っていた君。偵察専修になって同班だった」

「酒保代が俸給より多くそれ以上食えぬので勝手に俺の帳面で食っていたっけ。文句を言ったらしるこ札二枚返したね。どれ位食はれたか知れないよ。随分酒保代が多かった。入隊時同班、皆のいやがる作業員は何時も俺を指名し重宝されたっけ」



17年12月3日   千歳  ニュージョージア島



※画像は9期生ご遺族ご提供

昭和13年6月1日2018年06月01日 08時51分18秒

昭和13(1938)年6月1日、かれらは第九期乙種飛行予科練習生として、横須賀海軍航空隊に入隊しました。

ちょうど80年前の今日です。
横須賀の予科練庁舎。




これから軍隊生活。
支給された軍服に着替え中です。
「服ニ体ヲ合ハスンダ」
写っているのは誰かわかりません。


手前のテーブル、左端でカメラ目線なのは藤島光夫さん。
二人おいてお顔がはっきり見えているのは北村彰男さん。
ということは、このテーブルはたぶん4班。
藤島さんの右は島田清守さんかも知れません。その右の目元だけ見えているのは横山孝さんかな?

一つ向こうのテーブル、学生服に軍帽姿で立っている左は綿村亀次さん、その横が川原与三郎さん。
3班のテーブルのようです。







13年6月1日に入隊した時点での9期生。
ここには初めて書きます、入隊時点での兵籍番号順です(一部わたし推定)。
『予科練外史』に名前が出ていない人はイニシャルにしてあります。敬称略。

【横須賀】
西村徳恵
鈴木光雄
植田武雄
森田勝
北村貢
岡本清見
中尾鶴蔵
二階堂信治
堂前清作
今村文三郎
清田進
浅沼正信
ST
野口義徳
国見新太郎
福島増蔵
嶺岸友三郎
菊地平
松沢正二
石井三郎

後藤龍助
井原大三
鹿島長重郎
山田一作
皆川彰
関川文雄
坂田清一
桜井正夫
石塚猛
島田清守
高坂浪次
木村裕
仲野修
田中茂雄
益田増雄
石井雄
山口浜茂
関口一男
新井誠二
野村茂
藤代護
笠井繁雄
紺野高司
萩谷幾久男
木下光三
篠原藤市
大石芳男
志村実
杉本栄
亀山一郎
池田和義
伊藤誠一
宮沢政雄
宅間広正
井上常夫
本間秀人
大塚孝平
牛澤四郎
藤原国雄
河合敏
上沼周龍
村上守司
山田茂雄
佐々木隆寿
阿部芳包
鈴木俊夫
宮本一
金成懿
三浦光雄
遠藤桝秋
川村幸雄
熊谷賢一
川原与三郎
山田清
茂木義男
佐藤昇
佐々木武治
鈴木文亮
小笠原武夫

【呉】
関明水
北村彰男
高島巌
森田豊男
新井正美
山下員雄
蒲田栄作
西山昇
植田竹治郎
前川重美
鈴木松己
清水日出夫
横山孝
藤谷周覚
加藤勝正
都築国雄
中野釥
野田実
大西要四三
白木令一
加藤哲夫
牛王正明
谷口十七夫
中門清司
南弘明
小林為雄
上田伴則
西本宗方
岡吉郎
武田清
畑中嘉夫
井上春男
柴田勉
戸川衛
山内敏昭
国本力
上原定夫
柳川健
繁富悦行
香川数郎
髙田忠勝
兼藤二郎
加村外三
西谷芳数
綿村亀次
松村政人
河村徳市
石田勝
松本佐市
上原信之
吉屋清
村田耕一
大畠久利
竹田俊司

【佐世保】
岸川正人
酒村健三
森田守
岡本久
下釜又男
一瀬一之
川崎助男
植松繁
徳渕清蔵
森健次
久米武男
木原辰雄
井上三千人
都地肇
谷村博明
井野久雄
植木愛雄
平山繁樹
Y
杉野憲市
荒木怜
島田直
森浦東洋男
隅倉慧
永田慶士
上田誠
古田正直
山下栄松
池本忠清
米盛朴
大原義一
中名主巽
島子栄二
黒木勇三郎
山村喜郎
永田正
原精二
轟木さとし(りっしんべんに省)
吉田俊光
金田吉武
本城秋生
阿部健市
福山清武
遠藤秋章
羽藤一志
松本勝正
石川茂
和田邦介
岡田温次郎
安達繁信
鶴見堅三
桑島武一
四宮与三郎
立井義春
下浦忠義
藤井国男
高橋兼春
斎藤理吉
大山輝一
大正谷宗市
岸本正好
藤島光夫
岸田良親
筒井富雄
古田保雄
清水巧

書籍やネットには9期は200名入隊と書かれていますが、現時点でわたしが存在を把握しているのは199名です。
ただわたしも「絶対に199名、間違いない」とは断言はできません。








入隊式。


辞令上は13年6月1日に横須賀海軍航空隊に入隊、4等航空兵を命じられていますが、入隊式の横鎮司令長官の訓示の日付けは6月3日になっています。



諸子特ニ選バレテ乙種飛行豫科練習生ニ採用セラレ本日茲ニ入隊式ヲ擧行スルニ當リ一言訓示ス
抑々帝國海軍ハ畏クモ
大元帥陛下ノ親シク統率シ給フトコロニシテ過去累次ノ戰役事變ニ克ク外敵ヲ殲滅シ以テ皇謨ヲ扶翼シ奉リ國運ノ隆昌ニ力ヲ致セリ
諸子ハ此ノ光輝アル帝國海軍ノ後継者トシテ国防ノ重責ニ任ズベキモノナルコトヲ肝銘シ殊ニ海軍航空兵力ガ将来作戰上益々其ノ重要性ヲ加フベキモノニシテ我海軍ガ諸子将来ノ活躍ニ期待スル所極メテ大ナルモノアルヲ稽ヘ凪夜聖訓ヲ奉體シ一意心身ノ陶冶ト學術技能ノ錬磨トニ努メ以テ帝國海軍軍人タルノ本分を盡スニ遺憾ナキヲ期スベシ
 昭和十三年六月三日
  横須賀鎮守府司令長官 長谷川 清




いつも書いていますが、残念ながら入隊時の総員集合写真はまだお目にかかったことがありません。




かれらが入隊したのは支那事変勃発後。
ある程度の覚悟はしたうえでの志願入隊だったと思います。
空に憧れ、志がありながらも不安もあるスタートだったことでしょう。
それから3年半でアメリカとの戦争が始まり、戦争が終わったのは入隊から7年2か月後。
戦争が終わったとき、生存していたのは27名でした。




※画像は9期生ご遺族提供卒業アルバムから
※終戦時生存者27名には、予科練途中で辞めた人は含まれていません。かれらは安否不明。