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松本さんがイヌだった件2020年10月17日 22時58分10秒

松本さんというのは、9期の松本勝正さんのことです。

松本さんがワンちゃんと一緒に写っている写真がありまして。

これは書簡集にも掲載されている写真なのでご存じの方もいるでしょう。


眉を描いたりしてね(笑)


これも同じワンちゃんですね。


子ども時代に犬と一緒に写っている写真もありました。


こんな写真もあったりして。

どこにワンちゃんいるん?

ここです、飛行靴に「犬」って書いています(笑)


「そんなに犬が好きなのか、松本さんっ!?」

って驚いたわけですが。





先日、西条のI先生からお電話をいただきました。
電話をくださった用件は別のことだったのですが、話しているうちに松本さんの話になりました。
松本さんの生まれ年の話になって。

I先生「たしか大正11年だったな」

ママ「そうでしたかね」

I先生「松本さんはイヌだからねえ」

ママ「え?」

I先生「あの人、戌年生まれだったはず」

ママ「えええっ!?(゚Д゚;)」


大正11年と戌年がまったく結びついていませんでした。

大正9年生まれがサルってのはちゃんと頭にあるんですよ。西澤さんがサルなんで。わたしもサルです。


松本さんの飛行靴の「犬」ってのは、自分が戌年生まれだって主張なんですかね?(^^;)
目からうろこ的に何かストンと腑に落ちた感じでした(喜)



※画像は9期生ご遺族ご提供

集中力の無さが幸いした話2020年10月11日 08時23分23秒

わたし、自慢じゃないんですがまったく集中力がないんですよ。
病院に行ったら何か病名がつくんじゃないかと思うぐらい、ひとつのことに集中できません。
注意力散漫と言うか。
持続力なしと言うか。



元々何をしようとしていたのか、いまとなっては思い出せません。

松本勝正さんの写真を見返していたことには違いありません。←何か理由があったはず

厚木か203空時代の写真の中に長野喜一さんを見つけて喜んでいた
→その中の1枚に戦闘301の清水俊信さんが写っているとKさんに指摘されて喜んだ
→他に写っていないか探しているうちに厚木時代の大人数集合写真に気づいた
→他に清水さんがいないか探していて甲6の長操さんを見つけた
→そういえば松本さんの後ろに写っている黒板に「長」という表記があった
→その黒板のことを調べていたら同期の甲6秋月清さんのことが気になりだした。


とりあえずここまでのことを画像で説明しましょう。



これ、長野さんじゃないのー?

もしかしてこれの2列目左から3人目も長野さんか?

となって、Kさんにこの写真を見てもらったら記名のある人たちのフルネーム・出身期を送ってきてくださいました。

後列左から3人目が戦闘301飛行隊長菅野直大尉の列機で、20年4月21日に戦闘407飛行隊長林喜重大尉と一緒に戦死した清水俊信さんとのこと。


他に写っていそうな写真はないかと探していたら、この写真の一部の人が名札が読めることに気づきました。
Kさんに見ていただいたところ、何人か士官列の人が判明しました。
これに関してはまた今度。



他に写っていないかと探していたら、
この写真の右の人、名札が読めるのに気づきました。※左の人は不明

名札には「上飛曹  長  六分隊」と3行にわたってかいてあります。

どうやら甲6期の長操さんらしい。

長さんのことを書こうと思って、他に写っていないか探しました。
じつはけっこうあるんです、長さんの写真。
松本さんと仲良しだったのかな?

長さんのこともあらためて。




「そういえば、搭乗割にも名前があったな」

これなんですけどね。松本さんの後ろに写っている黒板に搭乗員の姓の一文字目だけ漢字で書かれています。
∧がついた「長」って表記があるんです。
この黒板のことも別途書こうと思っています(書こうとして調べていて別のところ行っちゃっています(^^;))

この黒板に書いてある搭乗員のことを調べました。
∧つきの「秋」ってのがありましてね。
たぶん長さんの同期生、甲6期の秋月清さんのことだと思うんです。


で、秋月さんも松本さんの写真に写っているんじゃないかと思い探しました。

いやいや、まず秋月さんのお顔を知らないので、そっちから捜索しました。

見つけました。
『日本海軍戦闘機隊』【戦歴と航空隊史話】の802空(水戦隊)の集合写真と205空の集合写真に写っていました。
その中でも802空の集合写真はお顔がわかる状態で写っていました。

「よし、この人だな!」



見つけましたー!
たぶん厚木空か203空の練成中のある日。

折りたたみイスに腰かけている3人のうち右端が松本さんです。
その左が秋月清さんだろうと思います。
802空の集合写真の人と同一人物に見えます(←わたしには)。


わたしの集中力の無さ、これで終わりじゃないんです(笑)


「あれ? この人・・・・」

この写真を拡大して見ていて、別のところに目が行ってしまいました。

黄色い矢印の人です。

言っちゃ悪いですが、いままでまったく気にも留めていませんでした。

つーか、顔、半分以上見えないんです(^^;)


「西澤さんじゃないっすかー!?( ;∀;)」


たぶん10人中9人ぐらいは、

「いつもの思い込み(願望)」

って言うと思いますが、1人ぐらいは賛同してくれるんじゃないか?



ちなみに座っているイス、
同じ場所で撮られた別の写真にたくさん写っていますが、たぶん同じ規格です。

若干の高低差はあるかもしれませんが、たいした差じゃないだろう、と。
一脚だけ特別座面が高いってことはないだろうと思います。


黄色矢印の人、座った状態でめちゃデカいですよ?

あのまますっと立ち上がったと想像してみてください。
囲んでいる搭乗員たちを完全に見おろす高さになります。

西澤さんだ。

西澤さんに違いない。

と、わたしの中で歓喜の嵐\(^o^)/



というわけで、長さん、秋月さん、搭乗割の黒板、厚木の集合写真に関してはもうしばらくお待ちください<(_ _)>


※画像は9期生ご遺族ご提供

343空戦闘301 清水俊信さん2020年09月29日 08時28分40秒

ちょびちょび書き足していたらホンマにまとまりのない文章になってしまいました。ご容赦<(_ _)>




先日、
「長野さんが写っていた!」
とブログで紹介したこの写真。


Kさんに長野さんの配属先と階級をお尋ねしたので、この写真をメールに添付して送りました。

そしたらですね・・・・。

記名のある方の詳細を送ってきてくださいました!
野々宮正義さん(乙14)
菊池多喜美さん(乙14)
石川菊一さん(乙14)
秋武大治郎さん(丙11)
清水俊信さん(丙11)
だと思います、とのこと。

石川菊一さんはのちに343空戦闘701、20年3月19日松山上空の空戦で戦死されています。




清水俊信さんのことはわたしここに何回か書いたことがあります。
やはり343空の方で、戦闘301、20年4月21日に戦死されています。


すぐに戦闘301集合写真で確認しました。たしかに清水俊信さんと書かれた方と同一人物でした。
書籍でよく紹介されている写真なのでお手元にある方はご覧になってください。前から3列目の右端です。



「何回か書いた」というのは――


K上飛曹が初めてホリブン(堀光雄さん(乙10))に会った日のことを回想してくださったときのこと。
343空が初対面ではなく、19年夏に菅野大尉に率いられて中島飛行機に零戦を取りに行ったとき、高雄空教員の堀さんが横山友一さんと清水俊信さんを連れて零戦を取りに来ていて、それが初対面だった――って話です。

のちに堀さんは高雄空から343空戦闘301(菅野さんやK上飛曹の飛行隊)に転勤してくるわけですが、そのとき一緒に転勤してきたのが横山さんと清水さんだったそうです。

Kさんにも確認しました。
清水さん、19年夏ごろは高雄空で教員勤務。



2010年夏、阿久根の折口浜の林喜重少佐の慰霊碑にお参りに行きました。
慰霊碑の碑文に一緒に戦死した清水さんのお名前がありました。

林さんの戦死之地の碑。
この慰霊碑に関してはここにも書いています。


奥に設置された石碑。







林大尉戦死の日のことは『源田の剣』(高木晃治 ヘンリー境田、双葉社)に詳しく描かれています。

4月21日、早朝からB29来襲、紫電改23機が鴛淵孝大尉(戦闘701)指揮で国分を発進。
戦闘701(鴛淵孝大尉) 10機
戦闘407(林喜重大尉) 4機
戦闘301(菅野直大尉) 9機

途中の経緯は省略。

『林大尉区隊は、鴛淵大尉直率の編隊とは離れて戦闘に入っていた。福山(国分南東)上空高度六〇〇〇で北西進するB-29の一群を発見攻撃のあと、林大尉は単機分離して追撃し、〇七四〇、戦闘三〇一菅野区隊三番機の清水俊信一飛曹(丙11)と協同した。清水一飛曹は、天草上空で主隊からはぐれて出水付近で哨戒中、戦闘四〇七隊長機がB-29の一群を反復攻撃しているのを見て協同したのである。林大尉は、清水機との協同攻撃で一機撃墜を報じたあと消息を絶った。同機はエンジンに被弾して南九州西側の阿久根折口沿岸の海上に墜落し、大尉は頭蓋骨骨折で戦死した。林機は海面に不時着水を企てたが増槽を付けていたので、機首から突っ込んだといわれる。大尉の遺体は地元有志の手により回収され、現地陸岸で荼毘に付された。清水機はエンジンを撃たれ蕨島西方海面に自爆した(志賀少佐『隊誌』記事)』


関係地(わたし作製)
志賀さんは清水さんの戦死地を「蕨島西方海面」と書かれているようですが、こちらで把握した戦死状況が「蕨島北方二〇〇〇米ノ海中突入戦死」だったので、その位置を入れました。
※清水さんは海中突入したときに機体のコントロールができる状態だったのかどうかわからないので「墜落地」にしました。林さんは不時着水を狙った(コントロールできる状態だった)と判断して「不時着地」にしました。



清水さんは3月19日の空戦以来、ずっと菅野さんの列機ですね。


前にKさんが作ってくれた343空飛行隊長の履歴資料があるんですが、
林喜重さん  18年11月5日  厚木空(203空 19年3月まで)
菅野直さん  18年9月15日  厚木空(19年1月1日まで)
おふたりとも、清水さんが厚木にいた時期(18年5月~12月初)、厚木にいらしたようなんですよね。林さんはラバウルからの転勤なので実際に厚木に着任したのがいつかわからないんですが・・・・。
まったく接点はなかったか、あるいは名前や顔を知っているような間柄だったか、それはわからないんですが・・・・。




松本さんが写真に書き込んでいる「戦闘機第一期生」というのがちょっと不明なんです。
11人写っている写真の中で松本さんが名前を書き込んでいるのは上に書いた5名です。
乙14の3人が下士官服、丙11の2人がジョンベラです。
乙14の石川さんは両袖が見えていて左袖に特技章、右袖に善行章1線と1飛曹の階級章がついています。
乙14の野々宮さんも階級章は1飛曹です。袖が見えていない菊池さんも1飛曹でしょう。
丙11のおふたりは特技章は見えませんが階級章は飛長です。清水さんは筑波で中練、大分で実用機を済ませているので特技章はついているでしょう。おふたりともついているとみなしていいでしょう。

この件に関してもKさんと少し話をしました。
「戦闘機第一期生」は飛練生ではないです。
海軍の制度としては一人前の搭乗員のはず。
厚木で戦闘機搭乗員として練成中だったのではないか。
その頃には、飛練を出ただけでは戦地で通用しないような状況になっていたようです。
わたし自身がヒトに説明できるような状況にないですが、まあ、なんとなくイメージとしてはとらえられているようなないような?(^^;)









松本さんの昭和18年11月という集合写真に写っている「清水」が清水俊信さんであるとわかってから、あらためて松本さんの写真を見返してみました。


左、清水さんだよなあ?  ※右は松本さんです。階級章は上飛曹。

清水さんらしき人、飛行手袋にお名前が書いてあるようなのですが何と書いてあるのかわかりません。
あと、左袖には特技章。

この写真、いい写真ですよね。
松本さんの貫禄(?)もよく出ていますしね。
清水さんは椅子には座っておらず、床に膝をついて松本さんの椅子のひじ掛けに腕を乗せているのではないかなと思います。
おふたりは上飛曹と飛長なので、清水さん自らこのポジションになったのではなく、松本さんか撮影者がこのポーズをとるように清水さんに指示したのかなという気もします。




これは時期も場所もわからないんですが、似ているような気がするので出してみます。

居並ぶ練習生らしき人たちの中ほど、目を伏せているのでちょっとわからないんですが・・・・。
こちらに背を向けている背が高いのが松本さんなのかな?


上と場所が違うような気もするんですが

やはり真ん中あたり。違うかな?
右手前に立っている背が高い横顔が松本さん?



松本さんと清水さんが一緒に写っているとしたら18年秋ごろの厚木じゃないの?
って最初思ったんですが、Kさんご教示によると清水さんは飛練(中練)は筑波だそうで。17年7月末から半年ほど。
ちょうどその時期、松本さんも筑波で教員をしているんですよね。

もしかしてその頃から縁があったとか? ※想像です

写っている人たちの階級章などが見えないので時期がまったく絞り込めません。

筑波の可能性もないわけではないのかな?
背後の建物も、わたしが見てもどこの航空隊かわからんのです(´・ω・`)

現時点では「筑波かなあ?」に傾いています。
わたしの印象なんですが、飛練生はマフラーをしていません。特技章をもらったら練成中でもマフラーをしているんじゃないか?
上の2枚に写っている左側の居並んでいる人たちはみなマフラーをしていないです。飛練中なんじゃないか?
右の人はマフラー(襟巻?)もしていて、腕に腕章をつけているので教員だと思います。体格から松本さんではないかと。



確実に「清水俊信さん」なのは記名がある分だけで、あとはわたしが「似ているよな?」と思っている写真です。




松本さん、実家への書簡に何か書いていないかと思って見てみたところ(『ジュンちゃんへ・・・戦争に行った兄さんより』武田信行編、風媒社)、筑波発18年1月21日付の書簡にこんなことを書いていました。
『漸く練習生を一クラスの一部を無事何の事故もなく卒業させる事が出来ました。今日が卒業式です』
清水さんが筑波の次の大分空(実用機)に辞令が出ているのが18年1月23日なので、1月21日、筑波の卒業式だった可能性は大です。やはり松本さんはかれらのクラスの担当教員だったのかも。直接清水さんを担当したかどうかはわかりませんでしたが。

厚木発18年12月31日。
『わたしも軍隊に厄介になって丸五年七ヶ月、多少なりとも軍人にならうと努力して来ました。人に笑われる様な事、恥づかしい事は一度だってした事はありません。戦友にも、下宿の人にも、分隊長、分隊士にも可愛がられて来ました。これで人間として男としての最大の幸福と思ひます。一人前に育てた後輩と共に大東亜戦完遂の為に働かうと決心しております』
すでに清水さんが松本さんの元を離れている時期の書簡ですが(清水さんの転勤先は301空なのでもしかしたら厚木にいたかも)、「一人前に育てた後輩」の中に清水さんが含まれていることはたしかでしょう。


こうして先輩が後輩を育てて・・・・という繰り返しですね。



菅野さんの列機だった清水さんが、松本さんから操縦を教わっていたというのはなんだか不思議な気分です。
菅野さんと松本さんには直接の接点はないと思うのですが(同時期に厚木にいたようですが)、清水さんを通して縁があったような気分になりました(無理矢理感)。


こういう、「じつは・・・・」って縁、たくさんあるんでしょうね。


※画像は9期生ご遺族ご提供

長野喜一さんらしき写真2020年09月25日 19時26分38秒

何度かここに書いている長野喜一さん(操練56期)。
戦闘機搭乗員です。
582空時代のエピソード(乙5角田和男さん手記から)とか集合写真(丙3大澤芳夫さん所有)に写っていたとか、9期の松本勝正さんとツーショットがあったとか、過去にそんなことを書いています。



おさらい。


大澤さんのアルバムにあった集合写真。メンバーから582空戦闘機隊若手とみなしました。

これ、長野さんやんなあ? 満面笑み。
笑顔の写真って、見つけるとめっちゃうれしいです。


これも大澤さんのですが、書籍にも掲載されている写真なので見たことがある人もいるでしょう。





これも大澤さんの。書籍でもよく見る写真です。角田さんの離任に際して撮られた写真だそうです。


ここまで582空です。




で、これが松本さんのアルバムにあったツーショット。

厚木時代か203空時代でしょうか。
18年後半から19年4月ごろまでかなと思っています。

『日本海軍戦闘機隊2』【エース列伝】(大日本絵画)の長野さんの項にはこの写真が使われています。
松本さん部分(左半分)をカットして使用していることに関してはわたしは多少怒っています。





ここまではいままで出していた写真です。


今日、別件で松本さんの写真を整理していまして。


「あれ? もしかしてこれ長野さんじゃないの?」
って写真を見つけました。
(「またいまごろかいっ!?」の突っ込みは受け付けます)


以前から何度も見ている写真なんですよ。
いままでまったく気が付かなかったんです。
笑顔の教員さんをみて、ラバウルの長野さんの笑顔がもわんと浮かんで、
「もしかして長野さん!?」
たぶん、大澤さんのこの写真を見ていなかったらこの先もずっと気づかなかったんじゃないか。


同じ時に撮った「笑っていないバージョン」もありました。


どうでしょうかね、長野さんに似ているように思うんですが。

略帽が永沢くん感というか、富士山感を出していますが、長野さんも(?)静岡県出身のようです(だからなんだ)。






探したらまだありました。
後ろにマフラーをしていない搭乗員が写っている&腕章をしている人がいる(教員?)ことから、厚木空・練習航空隊時代かなと想像。

中央の人がね、
長野さんに似ています。
たばこ休憩中。
左手前の横顔が松本さんではないかと思います。




そしてもう1枚。
松本さんが書きこんだのだろうと思うのですが、
「昭和拾八年拾一月 厚木海軍航空隊
            戦斗機 第一期生ト寫ス」

全員の氏名は書いてありません。

「ふーん」
って、松本さん(前列右端)を見て、氏名の書かれている人を見て、分隊長?の顔を見て、それから氏名の書かれていない人の顔を見て、
「他に知っている人は写っていないな」
で終わっていました。

今日、教員室での教員写真に長野さんらしき人が写っているのに気づいて、
「もしかしてあの写真にも写っているんじゃないか?」
と再度見てみたところ、
中列右から2人目の人。

「おいおい、長野さん・・・・?(;・∀・)」

歴戦の搭乗員らしく軍帽もとんがっています。※イメージです


この人、袖の階級章が見えています。
1飛曹。

ちなみに松本さんは18年11月1日に上飛曹に進級しています。


Kさんに18年11月の長野さんの配属先、階級を尋ねてみました。
長野さんは厚木空で1飛曹だそうです。


というわけで、たぶん長野さんだと思います。


このあと203空、戦闘304飛行隊。

19年11月6日 比島バンバン飛行場で米艦載機の邀撃に上がり戦死




※画像は9期生ご遺族、大澤さんご家族ご提供

乙9期 下釜又男さん2020年09月19日 14時23分02秒

長崎県出身、偵察、水上機。



1学年6班、氏名入り班写真。




横須賀、6班班写真。
松本勝正さんが書き込んだと思われる各自氏名入り。




辻堂演習。
宿泊していた民家の庭か?




霞ヶ浦の6班。



操偵適性検査。





何の行事かわからない操偵入り混じった写真。




艦務実習山城。



おそらく卒アルで使うつもりだったのではないかと思われる一枚。
萩谷幾久男さんの遺品のアルバムに貼ってありました。他に数名分。3学年時の同班員か?



これも萩谷さんのアルバムにあった写真。
座っているのが下釜さん。たぶん手にしているお人形は先日紹介した三浦光雄さんが握っていたお人形さんと同じ物。小船井写真館か?
後ろは左・岸川正人さん、右が萩谷さん。







飛練鈴鹿。

奈良行軍、橿原神宮。




班員や教員と飛行服で。




飛練博多。
16年10月末。



卒業後は君川丸、串本空、903空。






下釜さんに関しては、お人柄など、わたしは把握できていないんですが、島田清守さんの日記に下釜さんのお名前が出ていたので紹介します。

昭和15年8月29日、水泳競技の予選。
選手たちの予選結果が日記に書かれています。
『八百米継泳 一着  (永田、下釜、本間、植松、米盛、髙橋、藤代、谷村)』
800mを8人でリレーしているので一人100mのリレーですね。

1000mのリレーもあったみたいなんですが、800と同じメンバーだったのかどうか?
どちらも予選では1位でしたが、翌日の本番ではどちらも2着だったそうで(^^;)

ちなみに総合優勝は10期の23分隊(操縦)でした。


下釜さん、おそらく偵察分隊では自由形短距離は上から8人に入る泳ぎ達者だったのでしょう。




終戦時飛曹長。



※画像は9期生ご遺族、ご家族ご提供