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羽藤一志さん 下士官一種2018年02月08日 22時05分17秒

前に、写真で撮って送っていただいた羽藤さんの下士官一種の写真、スキャンさせてもらいました。

16年10月1日以降。



背景が南国風ですが、格好は一種。

善行章1線と3等飛行兵曹の階級章を右袖につけています。



大分時代か、直後の台南空時代か。

パラオとかラバウルだとこの格好はちょっと考えづらいかな?




※画像はご遺族ご提供

先輩たちのラグビー写真2018年02月01日 14時55分52秒

わけがわからないまま書いてしまいます。

というのも、いつわかるのか、自分でもわからないからです。



インフルで寝込んでいる間に、7期の山口良一さんのご遺族の方から連絡をいただきました。
いっぺんに元気になりました!(・∀・)


最初のメールは、
「良一さんの情報をお持ちではないですか?」
というようなメールだったのですが。

申し訳ない話ですが、わたしは7期生のことはほとんど無知で、山口良一さんのことも存じ上げませんでした。
で、すぐにいつものKさんに情報を求めたところ、中攻の操縦員であるということと、出身地情報をいただけました。

ご遺族の方には、
「お顏がわかる写真(複数)や履歴(勤務航空隊など)があれば見せていただけないでしょうか」
と返信したところ、すぐに撮っていろいろ送ってきてくださいました。

その中の一枚がこれです。

予科練時代のラグビー部写真だそうです(添え書きあり)。

後列左から4人目が良一さんで、さらにご遺族の方は、
「後列右から2人目に鈴木軍治さんも写っています」
と。

「あっ!?( ゚Д゚)」

ホントだっ!

鈴木さんだ!

ラグビー部だったのか!


なんで鈴木さんがわかったんだろう?
とも思ったのですが、あとでいろいろ判明しました。
他にも良一さんと鈴木軍治さんが一緒に写った班写真(名前入り)をお持ちで、さらに、良一さんが鈴木要さんという同期生と一緒に写った写真もお持ちで、「7期の鈴木さん」に詳しくなられていたのでした。
※7期にはもう一人鈴木文雄さんがおられます



わたしの方も、良一さんが写っていそうな写真を探して送らせてもらいました。




そのときはそれで終わっていたのですが、翌日、この写真を見返していて、大変なことを見落としているのに気付きました!

またかいっ!

と突っ込みましょう。








同じ写真をわたしも持っていました!!w( ̄▽ ̄;)w

7期なら、西澤さんの遺品だな?

いえ、違うんです。

西澤さんはたぶんラグビーしません。いや、わかんないけど。 ※イメージです


これは実はですね。
6期の岩井勉さんのアルバムに貼ってあった写真なんです。
戦闘機乗りの、『空母零戦隊』の。

後列左から5人目、岩井勉さんなんですよ。

岩井さんの方はアルバムに添え書きはなかったように思います。
スキャンしてきた範囲では見当たりません。

なのでこの写真、てっきり6期のラグビー部だと思っていました。

しかし、山口良一さんのご遺族の方から「良一さんと鈴木軍治さんが写っています」と送られてきた写真と同じもの・・・・。


山口良一さんと、

鈴木軍治さん。




「そうか! 濃いジャージが7期生で、薄くて横線が入っているジャージが6期生だな!」

と、自分で納得しました。


ところがですよ。

よく見るとなんか岩井さんだけジャージが違うんです。
胸に横線が入っているように見えないし、ズボンも白いズボンをはいているように見えます。
※横線組のズボンは黒っぽい。

「もしかして岩井さんは審判で入ったのだろうか?」


横線ジャージの人たち、一人もお顏がわからないんですよ。

『予科練外史』によると6期と7期は対外試合の記録がないらしいので、予科練以外のチームの可能性は低いです。
横線ジャージには胸にかわいい飛行機マークが入っています。アップリケ?
たぶん予科練でしょ、これ。
甲1の可能性もあるのかナア?


8期ラグビー部が同じデザインの横線ジャージを着ている集合写真があるんですが、お顔が当てはまらないし・・・・。
予備学生との試合らしいです。
10期の藤本久夫さんのアルバムに貼られていました。

8期、井手峰雄さん。


『予科練外史』にもこれと似たようなジャージを4期生が着ている写真が載っているので、予科練伝統のジャージなのかもしれません。


ちなみに9期がこのジャージを着ているのは見たことがありません。
9期ラグビー部、村田耕一さん。
9期は良一さんや鈴木軍治さんが着ている単色タイプのジャージです。





いまのところ、自分の中では、濃いジャージも横線ジャージも7期で、岩井さんは審判・・・・みたいなところに傾いています。

お一人ずつお顔を照合して〇〇さんに違いない、とやらないとわからんですわ(;´Д`)

わかったらまた書きます。



最初は「良一さんの情報をお持ちではないでしょうか?」というメールだったのですが、いまはこっちがいろいろと7期生のことを教えてもらっています(^^;)



山口良一さんに関しては個人記事を書きたいと思っています。

鈴木さんも、今回ご提供いただいた情報も加えて早く出せるように。



※画像は6期生ご家族、7期生・9期生・10期生ご遺族ご提供

7期生のこと2018年01月27日 22時36分47秒

今日は6期と7期のことで書きたいことがあったのですが、「なんでや?」「なんでや?」と調べているうちに自分でわけがわからなくなってきました。



7期卒業写真。





ある程度の見通しが立ったらちゃんと書きます。





よく考えたら「7期」ってカテゴリー、ないんですよね。
西澤さん以外の人のことも書きたいので・・・・。
作ろうかな。




※画像は9期生ご遺族ご提供

仲の良い友達2018年01月19日 16時30分14秒

ちょっと前に、必要があって松本勝正さんの書簡集を読み直していました。

昭和16年の紀元節前日に家族に宛て書かれた書簡に、こんな一文がありました。

『筑波の友人と撮った写真が出来ましたから同封して送ります』


「あ、あれか!」
左、松本さん。右、谷口十七夫さん(中攻操)。

小船井写真館の刻印入りの写真です。

松本さんが「谷田部海軍航空隊」、谷口さんが「筑波海軍航空隊」のペンネントをつけています。

たぶん、この写真のことだろうと思います。

ということはこの写真は15年12月~16年2月上旬ぐらいの間に撮られた写真なのだろうな。

同じ書簡に、

『仲の良い友達は鈴鹿と筑波へ分かれてしまふ―。今ぢやうまいものでも友達にして・・・・』

と書いています。

のちに飛練の航法実習で鈴鹿に行ったときに「親友前川君と久し振りで面会」と書いているので、鈴鹿や筑波に行った仲の良い友達というのは、前川さんや谷口さんのことなんだろうな、と。
1学年時に6班で同班だったんです。

小船井写真館にて。予科練時代。
谷口十七夫さんと前川重美さん(中攻偵察)。

松本さんのアルバムに貼られていました。


※画像は9期生ご遺族ご提供

訂正・9期生の生年月日範囲2017年12月16日 08時14分19秒

前に9期の生年月日の範囲を話題にしたとき、こんなことを書いています。

『「入隊年の12月1日時点」で「満15歳以上、満18歳未満」だそうです。

昭和13年6月1日入隊の9期の場合、「昭和13年12月1日時点で満15歳以上満18歳未満」ということになり、誕生日でいうと大正9年12月2日~大正12年12月1日ってことになるんでしょうかね。  ←こういうの苦手(^^;)』



間違いがあったので訂正します。



島田清守さんの遺品の中に、『昭和十三年度 海軍志願兵の栞 海軍省』というプリントがありました。

その中に「志願者の年齢は各兵種に依り定められ、採用の年即ち昭和十三年十二月一日現在で計算するもので詳細は左表の通りである」という項目がありました。


まさにこれ!!

航空兵(乙種飛行予科練習生志願者)

13年の12月1日現在で満15歳以上、満18歳未満という部分はKさんご教示の通りだったのですが、

「誕生日でいうと大正9年12月2日~大正12年12月1日ってことになるんでしょうかね。」

と、わたしが推測して書いた部分が間違っていました。

正しくは、

「大正9年12月3日~大正12年12月2日」までだそうです。

大正9(1920)年12月2日生まれの人は、昭和13(1938)年12月1日時点ではまだ満17歳のはずですが、9期に志願できなかったということですね。

大正12(1923)年12月2日生まれの人は、昭和13年12月1日には満だと14歳のはずですが、これは志願できたと。

――ということですかな?



時間の計算ができないJKをあまりバカにできん状況なのか、年齢の計算が理解できない(-_-;)





いま把握している中では、わたしに理解できないこのきわどい誕生日の人はいません。
最年長が大正9年12月20日生まれの遠藤桝秋さんで、最年少が大正12年11月11日の宮本一さんです。