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偵27 藤波貫二さんの写真 龍驤艦爆隊2023年07月18日 17時58分37秒

今回送っていただいた藤波さんの写真の中にただ1枚だけあった飛行機隊の集合写真。
ひとめ見て「古いな(^^;)」って写真です。







書き込みもないので、いつの、何の集合写真かわからなかったのですが、ヒント見つけました。
一緒に写っている兵のペンネント、「大日本軍艦龍驤」!!



「そーか、藤波さんは龍驤にもいたのか!」


装備や写っている飛行機がなんか古そうだったので、多摩の前の勤務先かなと思ってとりあえずあてずっぽうで「龍驤 昭和11年」でアジ歴検索したら出てきましたー。

あまりよろしくない。
事故調書。


ひとつひとつ開いていったら、昭和11年5月21日、笠ノ原基地で作成された94式艦上爆撃機の事故調書に藤波さんのお名前が(゚Д゚;)

事故発生年月日及場所    昭和十一年五月十日午前十時四十七分九州東方海上足摺岬一四〇度八〇浬

航空作業種別   聯合艦隊第二回応用教練 敵空母第二次空中攻撃

搭乗員 
操縦員 官(職)階氏名  海軍一等航空兵 玉置次郎 総飛行時数四ニ八時間五分 事故発生機飛行時数 一三四時間二五分
経歴(操縦ニ関スルモノ) 第二十四期操練 大村海軍航空隊 艦攻操縦員 昭和十年十月二十六日以降龍驤九四式艦爆第四小隊三番機操縦員 既往ニ事故ナシ

同乗者 官(職)階氏名  海軍一等航空兵 藤波貫二 第二十七期偵練
経歴概要 館空 艦攻偵察員 昭和十年十月十八日以降仝右偵察員既往ニ事故ナシ

(機体、発動機に関する記述、略)

損傷程度  搭乗員  操縦者肺ニ海水ヲ吸込ミタルモ経過良好 偵察者異状ナシ
        器材   大破沈没

事故概要     別紙
一、天候気象其ノ他四囲ノ状況
二、搭乗者・任務又ハ指揮者ノ与ヘタル命令注意事項等(事故ト関係アルモノ)
三、経過
四、事故発生時及其ノ直後ノ処置
五、其ノ他必要ト認ムル事項

事故原因
原因二以上ノ場合ニハ第一第二原因等又ハ直接間接原因等ノ如ク併記ス
原因明確ナラザル場合ニ推定原因ヲ記ス

推定原因
(一)、急降下侵入時機首ノ下ゲ方急激ニシテ発動機ヲ停止セシメ燃料過多又ハ過■ト発動機過冷ニヨリ再起動セザリシカ
(二)、着水迄燃圧0ナリシコト確実ナル所ヨリ見レバ「エアロック」ヲ生ジタルカ調圧弁又ハ燃料ポンプ不作動ニ依ルモノト認メラル

責任ニ関スル事項
責任ニ関スル所見処置ナドヲ記ス

(一)、技倆未熟或ハ機構上ノ故障ニシテ事情ヤムヲ得ザル事故ト認ム
(二)、発動機ノ取扱ヒ法及浮泛装置ノ取扱法ニツキ教示ス


所見
本事故ニ鑑ミ必要ト認ムル対■其ノ他意見等ヲ記ス
急降下引起し時発動機停止原因ヲ探究シ対策ヲ講ズルヲ要ス

記事   ナシ





別紙
事故概要
一、半晴 風八〇度六乃至八米 海上波浪アリ
二、敵空母急降下爆撃(擬襲)
  急降下爆撃注意事項
  (イ)敵を発見セバ主槽ヲ使用シ接敵開始時高々度把柄ヲ全閉トナセ
  (ロ)接敵ハ前続機ノ通跡ヲ進ミ急降下進入前燃料加減柄ハ全閉トシ高度一五〇〇米ヨリ次第ニ七〇度トナセ
  (ハ)引起シハ機首ノ水平線ニ達スルマデ全力ヲ用ヒ且直進 然ル後燃料加減柄ヲ静ニ出セ
  (ニ)再起動セザル時ハ加減柄ヲ一杯絞リタル後更ニ静ニ出セ
  (ホ)不時着ノ処置ヲ早目ニナスコト 即チ海上ニテハ浮泛装置ノ嘴ハ開トナシ置クコト 故障復旧ニトラワレズ浮泛装置ヲ直ニ作動シ風ニ向ヒ良好ナル着水トナスコト
三、昭和十一年五月十日午前八時四十分笠ノ原出発 午前十時ヨリ主槽使用燃圧計〇、一八ニテ振ナシ 午前十時四十分敵加賀ニ接敵開始 高度二〇〇〇 高々度把柄全閉 高度一五〇〇ヨリ加減柄全閉 急降下ニ入リ十時四十分爆撃(加賀ヨリ望見セル者ノ言ニ依レバ急降下中機尾ヨリ白キ尾ヲ引キタルモノ九機中二機アリタリ 其ノ中ノ一機ハ本機ナルガ如シ)機首ヲ水平ニ起シタル後加減柄ヲ出シタルモ爆音聞エズ 高度四〇〇米 気速一一〇節 回転八〇〇 燃圧〇 直ニ加減柄ヲ絞リ更ニ静ニ出スモ起動セズ 燃圧ハ手動ポンプヲ作動シタル時ノミ瞬間的ニ上ルモ常ニ〇ヲ示シ回転又八〇〇付近 遂ニ冷静ヲ失シ起動発電機ヲ廻シ注射ポンプヲ衝ク等不要ノ応急操作ヲナシ浮泛装置ヲ作動スルヲ忘レ又追風着水ノ已ムナキニ至レルハ遺憾ナリ
四、十時四十七分不時着水転覆 機体ハ約三十秒後沈没 十時五十七分波間ニ漂フ搭乗員ハ追風ニ救助セラル 其ノ救助振ハ誠ニ機敏ナリ



浮泛装置(ふへんそうち)・・・・艦上機の後部胴体内および主翼付根付近に装備されるゴム布製の装置であり、不時着水した際に機体がすぐに沈没しないよう、浮の役目を果たすものである。エンジンの火災消火用に装備されている炭酸ガスボンベと繋がっており、不時着水の直前にガスを注入して浮嚢を膨らませる構造のものが多用された(柴田武彦2007「日本海軍における搭乗員の安全対策について-救命用装備品の変遷を中心として-」より)。

追風・・・・追風着水は向い風に対する「追い風」。
      追風に救助せらるは「駆逐艦 追風(おいて)」のことと思われる




表形式・縦書きのものをずらずらと横書きで書いたので読みにくいかと思います。
表形式のまま手書きを活字に直したものを貼っておきます。
※アジア歴史資料センターHPより活字化






おふたりとも大事に至らず何よりでした。
他の事故例などを見ると不時着水時の衝撃で大怪我、あるいは死亡、また機と一緒に沈んでしまった人などもいるようで、一歩間違えたら・・・・というところだったのではないでしょうか。

事故原因に関しては搭乗員お二人に責任はなさそうですが、機体変調後の対処のしかたにやや問題があったようで「遺憾なり」と書かれてしまっています。
冷静を失し不要の応急操作をなし浮泛装置を作動させるのを忘れてしまい追い風で着水してしまったとか何とか。
浮泛装置の件は操縦員、偵察員、どちらの仕事なのかなと思って調べてみたところ、単座だったら操縦員の仕事になるのですが、複座の場合、上の柴田氏の文献で挙がっている例「昭和 9(1934)年 3 月 6 日に大村海軍航空隊の八九式艦上攻撃機がエンジントラブルで海上に不時着した際には、浮泛装置を作動させようとして偵察員が瓦斯壜の「トグル」を引っ張ったが堅くて動かず、更に力を入れると「トグル」がワイヤーから離脱したため浮泛装置を膨張させることができなかった。」とのことで、この場合は偵察員が作動を担当したようです。
後には改良されて操縦席での簡単な操作で作動させることが可能になったとのこと(のちの97艦攻)。
94式艦爆の場合はどんな機構なのか、わたしにはわかりませんでした。


しかし、こういうことを経験して、いずれどんな修羅場にも冷静に対応できる搭乗員ができ上っていくのだろうなと思いました。



龍驤艦爆隊集合写真に写っている飛行機ですが、Yさんに確認してもらったところ、
「94式艦上爆撃機で間違いないでしょう」
とのことでした。

ちなみに藤波さんのペアの操縦員・玉置1空がどの人なのかはわかりません。



※画像はご遺族ご提供