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生還記6 最終回2013年03月25日 09時43分42秒

17年3月22日に敵機邀撃に上がり、被弾不時着、ジャングルの中をさまよったあげく、原住民に助けられて生還した山崎市郎平3飛曹(4空)が書き残したらしい手記です。

今回で最後。
→いままでの分はこちら

原住民たちと”カグ”という丸木舟に乗って川下り中です。


下り下って向こう岸に部落が見える所まで来たら急に突き倒されて毛布を引き掛けられた。一体どうなることかと不安でならぬ。向こう岸から叫び声が聞こえる。 「バナナー、バナナー」と返答する。ウンソーカ親米英部落だな、俺を荷物に見せかけてカバッテ呉れるんだ、彼等も米英を敵として居りながら力が無いのか、 今こそ撃ってやらなくてはならぬ、彼等とて皇恩に浴する時は、きっと善き協力者となる。米英を撃滅しなくてはならぬ。
再起だ、再起だ、やるぞ、やるぞと決意は固まる許りだ。かくて、此の部落を無事に通過することが出来て午前十一時頃〇〇飛行場へ帰還。帰還報告後、彼等の欲したジャパンライスと煙草を与えて呉れるよう願いながら、自分は倒れてしまった。
彼等は皇軍の一員を救ったという誇りと、ジャパンライスと煙草を得た喜びとで、今までの労苦を忘れ、さも満足そうな顔だ。陸路トラックで送り帰される彼等と自分は、お互いに見えなくなるまで手を振りあった。
惟えば、自分が日本人でなかったら土人は救っては呉れなかっただろう。日本 有難い国だ。勝って大東亜の指導者とならなくてはならない国だと今更ながら感じながら此の生還記を書いた。終り



別の手記には、「今までに三回死線を越えました」として、このときのことが、
第一回目は昭和十七年三月二十二日ニューギニヤの基地から三十里許り離れた所で愛機が負傷したので、不時着、土人に助けられて四日目に、奇跡的に生還しましたが、此の時は既に私物は遺品として整理されていました。
と書かれています。


石川さんの手記の、生還記最終回該当部分は、
『(一 日たち、二日たち)四日目になり、戦友をなくした悲しみをこらえて同年兵の米川君と遺品の整理をしていると、「山崎兵曹が、かえってきました!」と報告にきたものがある。わたしたちは、「なに、ほんとうか!」とさけんで飛行場へかけだした。なるほど指揮所前に、まぎれもなく山崎が十人ばかりの原住民とともにたっている』


遺品整理の最中に山崎さんが戻ってきたというのは、どうやら本当のようです。
戻って来てみたら自分の遺品が整理中で驚いた山崎兵曹。
戦死したものと諦めて遺品を整理していたら本人がひょっこり戻ってきて歓喜に沸いた戦友たち。
「遺品整理中に戻って来た」というのは、どちらにも印象深い出来事だったようです。


石川さんが山崎さんから聞いたらしい顛末。
『(略)腹がへっていること、ラエまでつれていってくれれば、”ジャパンライス”と反物をやる、と身ぶり手ぶりではなした。すると、酋長は心よくうけてくれて、四日目にかえってくることができた』


山崎さんが原住民たちに渡したのは、本人手記だと「ジャパンライスと煙草」。石川さんの記憶だと「ジャパンライスと反物」。
ジャパンライスは確実に渡したのでしょう。
煙草も、本人が生還直後に書いた手記でそう述べているのだからたぶん渡したのでしょう。
反物はちょっとわかりません。


石川さんは書いています。
『わたしたちは、山崎の生還に手をとりあってよろこんだのはもちろん、窮地においこまれても、最後まで原住民との約束をはたした誠実さ、そして不屈の精神力に敬意を表した。
海軍が発明した零戦もほこりにおもうが、それ以上にこんな山崎のような人間がいたことをわたしはもっともほこりにしている』

石川さんは山崎さんから聞いた話として、ジャパンライスを渡す約束をしたから助けてもらったように書かれていますが、山崎さんの手記を読んだ印象では、原住民たちはジャパンライスがほしくて助けたんじゃないような気がします。

どーみても、原住民たちは山崎さん自身を気に入った様子!(・∀・)

酋長「ぜひうちの娘の婿に!!」

山崎「い、いや、それは困ります!」

酋長「ならせめて一週間だけでも村に滞在しては?」

山崎「早く基地に戻って御奉公したいのです!」

酋長「わかりました。ならジャパンライスで我慢しましょう」

みたいな会話(身振り手振り)があったに違いないと妄想(笑)



山崎さん
台南空時代




今日3月25日は山崎さん生還記念日です。

生還記、これにて終了です。

※手記はご遺族の方、画像は武田信行氏ご提供

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