Google
WWWを検索 ひねもすを検索

乙9期 古田正直さん2013年04月01日 15時20分50秒

熊本出身。

中攻操縦。
高雄空、4空。

【東京行軍】



【鹿島神宮】


【整備実習】


【陸上機操縦専修生集合写真】



【飛練筑波】


【中攻操縦専修生集合写真】



予科練卒業時の寄書き



おもいで
「ゴツイまでにかっちりした熊本男子。そのガブリとした顔に似ぬ細い瞳が君の人間性を表現している。剛胆無類そして詩情豊かなこと、聞けばマラリアの高熱を押しのけて珊瑚海に散華したとか」
「柏の遠山数学教官宅に二人で行って、奥さん「何でも欲しいものを注文してください」と言われ古田曰く「羊かん一メートル程頼みます」とにかく柔道のけいこに一生懸命であった。七期か八期の先輩から御馳走されて湖南堂の汁粉大丼十杯位平らげた話を嬉しそうにいつも話したっけ」



17年5月7日  4空  珊瑚海海戦



※画像は武田信行氏、P氏、羽藤さんご遺族ご提供
乙9期戦没者はこちら

姫ちゃん再び2013年04月01日 19時08分48秒

姫ちゃん。再び松かさかも?です(T_T)

ここ数日、元気がなく、基本的に浮いている状態。
一昨日ぐらいから水槽の隅にボーッと浮くようになって来たので、ちょっと刺激を与えようと思って、昨日、ちびすけのところに戻してみました。


「わーい(^o^)、姫ちゃん、お帰りーーーー」

姫ちゃんも喜んで、ちびすけと一緒に泳いでいました。

が、すぐにいつもの状態に。
心配そうなちびすけ。

やっぱだめか(-_-)

姫ちゃんは隔離水槽に戻して、5パーセントの塩浴開始。

昨日は姫ちゃん持ち直してヒラヒラ泳いでいたのですが、今日の午後ぐらいからまたボーッと浮くようになって来ました。

夕方、水替え後から薬浴始めました。
なんかウロコがまた浮いてきているような?
一番ひどいときほどは浮いていません。
前の松かさが完全におさまっていなかったので、その名残かも知れないけれど、元気がないのが気になるので薬浴にしました。






新入りのリュウキンさんたちですが。

あの乱暴者はジャイ子と名付けられました。仮称であってほしいです。

黒が残っている子は春海が「くーちゃん」と名付けました。

今日はわりと3匹でまったりとしていたのですが、何を思ったか、春海とママは再びお祭り会場に行き、同じトロ舟からリュウキン3匹を連れ帰ってきてしまいました。

パパとママがリュウキンを買ったのが土曜の昼。
あれからだいぶ経っています。
きんぎょちゃんたちの活きが悪くなっていました。

でも、まだ元気よく泳いでいる子もいたので、その中から3匹選んできました。
この子たちです!

真ん中の子だけほとんど赤(顎の下以外は赤)で、両端の2匹は更紗です。



上見で見たときは、尾ひれの形や柄もきれいだし、元気だしと思って選んだのですが、連れて帰って来て横から見たら、3匹とも側面のウロコがボロボロでした。

3日間、”網で追い回された&他の子とぶつかりまくった”んだろうなあ・・・・(^◇^;)

ちゃんと再生してくれるかな?



水合わせ後、3匹をリュウキン水槽に入れてみました。

「ぎゃああーーーーー!!!!!Σ( ̄Д ̄;)」

おとなしくなっていたジャイ子が突然凶暴化。
3匹を次々と襲い始めました。

だけでなく。

馴染んでいたくーちゃんとサクラちゃんまで再攻撃。

ただ、見分けがついているのか、くーちゃんとサクラちゃんにはしつこくはありませんでした。
しつこく攻撃していたのは新入りの3匹。

何だろう?
やっぱり縄張り意識があるのかな?

ウロコが剥がれて悲惨なことになっているのに、ジャイ子のせいで弱ったらどうしよう。
本当に丹次郎のところに入れるぞ、おらっ!(`Д´)

姫ちゃん、松かさ病2013年04月02日 09時31分23秒

姫ちゃん、やっぱり松かさ再発でした(ToT)

今朝起きて見たら、水槽の隅にペタンと座り込んでいました。

ママの姿を発見し、元気アピールして泳ぎ始めたので、昨夜作っておいたココア入りのエサを2粒あげました。
突進して行って食べていました。

ペタンとしている時間もありますが、たまにハッとして泳ぎ回ります。
体はまだパンパンにはなっていません。
でも、ウロコは明らかに浮いています。





新入りさん紹介。

ヤバイ子。
あまり泳がず、ボーッとしています・・・・。いきなりかよっ!?
ジャイ子にやられたか? 
ウロコがボロボロなので菌でも入ったのかな?
塩入れた方がいいかな?


マイペースにやっている子
ジャイ子にやられながらもマイペースに水槽に馴染んでいるようです。



この子もマイペース。
顎の下以外赤い子。



いじめっ子のジャイ子ですが、昨日の夜、寝ている様子を覗いたら、様子がヘンでした。
お尻を上にして漂うように寝ていました。
そういう癖なのか、実は調子悪いのか?

ママのサクラちゃんも寝姿はヘンでした。
底砂におなかをペタンとつけて寝ていました。調子の悪い子の寝方だよね(^_^;)



ママが、
「水槽内5匹にしたいから、2匹欲しい」
と言ったら、組合のおっちゃん、
「6匹でも大丈夫、大丈夫(^o^)」

おっちゃん的には、
「素人が飼ったら、いまは6匹でもひと月後には半分ぐらいになってるよ」
みたいな感じだったんかなー?(ーー;)

言いくるめられて3匹買っちゃったんだけど、さすがに6匹もいると混み合っている感じ(^◇^;)
いまは尾ひれまで入れて2.5~3センチぐらいの感じ。
小さい子は育たないというしリュウキンは初めてなので、ひと月後、何匹泳いでいるかわからないけど、とりあえずの目標はひと月後全員生存。


そして、いずれ大きくなった子は丹次郎水槽に・・・・(^o^)

さすがに丹次郎も、食いはしないと思うので(笑)

乙9期 前川重美さん2013年04月02日 11時09分21秒

※前川さんのご遺族の方、連絡いただけるとうれしいです。
hinemos.mama@gmail.com



こちらに新たに画像追加しています。



今日は偵察員いきます。

前川重美さん。
三重県出身。
中攻の偵察員です。
1空、752空、702空、751空。

氏名入り写真にお顔がありました。

松本さんのアルバムにちゃんと写真館で撮影された肖像写真が貼られていました。

例の、写真左下隅に「T.OBUNAI」と刻印がある写真です。
(おそらく阿見坂途中の小船井写真館)

前川さんは右側の人です。


左側の人は、操縦専修生ですが、現時点で氏名不詳。
この人です。

飛練は筑波、中攻操縦専修生だった、ということはわかるのですが、それ以上の情報はいまのところなく、氏名特定できていません。


武田信行『ジュンちゃんへ… 戦争へ行った兄さんより』には、たぶん同じ時の撮影ではないかとおもわれる別の写真が掲載されています。

写っているのは上の二人と松本さん、もう一人の操縦専修生で、計4名。
もう一人の操縦専修生、この人。

この人は飛練は谷田部、海兵団は呉、中攻操縦専修生集合写真には写っていません(元から戦闘機か、艦爆操から戦闘機か、艦攻操)。
やはり現時点で氏名不詳です。

写真館での写真は4人バージョンも2人バージョンも、軍帽のペンネントは「土浦海軍航空隊」なので予科練卒業間際だと思われます。
予科練を巣立つにあたって、仲良しの4人で撮りに行ったのでしょうか。
(9期生は15年11月15日に霞ヶ浦海軍航空隊から土浦海軍航空隊配属になり、11月30日に予科練卒業)





【東京行軍】
楠公銅像前


【水泳集合写真】
白帽に2線は相当の泳ぎ達者です。
9期で一番泳げるのはおそらく3線の谷村博明さん(乙飛出身の他の搭乗員さんに聞いたところでは線は2本までと言われていたけれど、谷村さんは写真ではっきり3線入っている)。
2線もその次に泳げるレベルではないかと思います。他の期であればおそらく最高に泳げるレベル。


【操偵適性検査】


【鹿島神宮】



あと数点、ここには出せないお写真があり、それらの写真と冒頭の小船井写真館での写真を元に集合写真から探しました。

どうでしょうか? 前川さんだと思うのですが・・・・。




予科練卒業時の寄書き。

偵察専修生は自分の名前を署名していない人が多いです。
前川さんのお名前も、探しましたがありません。

あることばに添えられた署名(?)
「紀伊熊野産 大和石」
最初、「紀伊熊野」は和歌山のことだと思い込んでいて、9期生名簿(昭和40年時点)で探し、
「該当者いないよなあ・・・・。戦後に引っ越されたのか・・・・」
と諦めていました。

でも、前川さんの出身地をあらためて聞いて、これは前川さんの寄書きなのだとわかりました。

「大和石」も検索したら出てきました。
前川さんの懐かしい故郷の海・・・・なのですね。

泳ぎが達者なのも納得。



※画像はこちらにも追加しました。



おもいで
「女性美の顔、女と歩くと何方が男かわからない」
「若きインテリ。君はどこかに教養の深さを感じさせるものがあった。あの若さであれだけあった知性、生きていてくれたら大いに貢献してくれたろうに」



19年1月4日  751空  ニューギニア方面


※画像は武田信行氏ご提供
乙9期戦没者はこちら

遠藤桝秋さんの3年2ヶ月2013年04月02日 16時16分05秒

こんなモノを作っているのがばれたらストーカー呼ばわりされるのではないかと思って黙っていましたが、実はこんなモノ作っています(^◇^;)

アレですよ。
バラバラに見ても判断がつかないので、こうして並べて同一人物かどうか確認しているのです。
本当ですよ。

ちなみに他の搭乗員もこうやって並べて、本当に同じ人かどうか観察・研究(?)しています。


今日はちょっと年齢に関して。

遠藤さんはエース列伝によると「大正9年12月20日」の生まれです。
前も書いたと思いますが、台南空では大野中尉や山崎さん、堀さんと同学年です。



大正9年生まれは乙9期生の中ではけっこうな兄貴です。

羽藤さんが大正11年8月18日生まれ。
遠藤さんとは2学年違います。
ところがもっと下がいて、現時点で誕生日がわかっている中で一番若いのは、大正谷宗市さんの大正12年6月5日生まれです。



遠藤さんが昭和13年6月に予科練に入ったときには満17歳。いまの高3。
羽藤さん、満15歳。いまの高1。
大正谷さん、満14歳(入隊後数日で15歳)。いまの中3。
こうしてみると、やっぱりだいぶにーちゃんじゃのー(笑)


羽藤さんは高等小学校卒業の証書が残っていて、
『昭和十二年三月二十九日』
の日付になっています。
13年6月の予科練入隊まで何をしていたんだろう?(・_・)?

羽藤さんの空白は1年2ヶ月ですが、遠藤さんはさらにこれに2年プラス、3年2ヶ月が不明です。


このことがわたしはずっと前から気になっていて、武田さんが取材に行かれるときに、ぜひ聞いてきてほしいとお願いしておきました。

西澤さんは予科練入隊前に職歴があったようですが、遠藤さんは中学に行っていたらしい、とのことでした(弟さん情報)。

どこの中学に行っていたのかは、わかりませんでした。
(家の場所から推測はしていますが)