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中村半次郎2009年07月07日 13時29分26秒

桜島でごわす
昨日買ってきた「歴史街道8月号」。
もちろん、「岩本徹三特集を見るぞー!」と買ってきたのですが、思わぬ収穫(?)がありました。

毎号、「にっぽんの剣豪」というミニコーナーがあって、剣士が取り上げられているのですが、今号はママの好きな中村半次郎でした。
(イラストが「ちょっと勘弁」な半次郎どんですが)

中村半次郎。
薩摩の郷士出身。
幕末は京にあって「人斬り半次郎」の異名をとった野太刀自顕流の使い手です。
維新後は桐野利秋と名を改め新政府に使えるものの、西郷隆盛の下野と共に職を辞し薩摩に帰ります。
西南戦争は、西郷が桐野に担がれた戦争・・・・ということですが・・・・。

野太刀自顕流というと、思い浮かぶのは独特のかけ声、
「チェストーーーー!!」
「チェーーーーーイ!!」

この気合いを想像するだけで鳥肌が立つのはわたしだけでしょうか。

剣道のように道場で防具を着け、竹刀を持って稽古をするのではなく、野外で、横に渡した細い木の束を真上から木刀で打ちつけたり、垂直に立てた木の棒に駆け寄って打ち下ろす・・・・。
ママはこの流派の練習の様子(現在の)を連続写真では見たことがあったのですが、先日、初めて動画で見ました。

西郷特集か何かの番組で、いまだに薩摩では郷中教育が続いている・・・・という話でした。
子どもたちは学校が終わったら近所の集会所に集まって、年長者から指導してもらう・・・・。大人抜きの子ども社会です。

その一シーンに、野太刀自顕流の稽古の様子が映っていました。
子どもの練習なのですが、その迫力に度肝を抜かれました。
横木に駆け寄って木刀を打ち下ろす練習です。
低めの鉄棒に駆け寄ることを想像してみて下さい。普通、鉄棒が目の前に迫ってきたらスピードを落としますよね。
彼らはスピードを落とさないんです。木刀を構えたまま全速力で駆け寄って、横木の下に足からスライディングするような勢いで飛び込み、同時に横木を打ちつけるのです。
「きょえええーーー!!! 怖いーーーー(>_<)」
アレに襲われたら、逃げる暇どころか、足がすくんで動けないと思います。

中村半次郎は抜き打ちの天才だったと言われていますが、野太刀自顕流の醍醐味はこの勢いのある打ち下ろしじゃないでしょうか。ほんっとに恐ろしいです。

ただ、小説などでは、貧しい生まれで剣一筋、無学な野蛮人、のように描かれることも多い「人斬り半次郎」ですが、実際に半次郎が斬ったと判明している人は意外と少ないようです。
ただ一人、赤松小三郎という兵学者を慶応3年の末に京の路上で斬っていることは判明しています。かれが自分で自分の日記にそのことを書いているのです。
赤松が短筒(ピストル)に手を掛けた瞬間には半次郎の抜き打ちが決まっていたそうです。

幕末には「人斬り3人衆」と呼ばれた人たちがいました。
薩摩の中村半次郎、肥後の河上彦斎、土佐の岡田以藏です。
ひとくくりにされることも多いのですが、この3人、思想的な背景や、後ろ盾のことを考えると、ひとくくりに「人斬りなんとか」ってわけにもいかない様な気がします。まあ、これは余談。

半次郎にはかくまい癖があったらしく・・・・。
自分を頼って逃げてくるものは助けずにはいられなかったようです。
新選組の高台寺党。伊東甲子太郎を頭とするグループが分派して、近藤土方の新選組本隊と対立するわけですが、ある夜、伊東は近藤の妾宅に呼び出されてなぜかのこのこ出かけて行き、その帰り道を襲われ絶命してしまいます。
その死体を七条油小路に放置し、仲間が遺体の回収に駆けつけるのを待ち伏せする新選組・・・・。いかにも土方さんっぽいやり方で、きゃーーーー!!

土方さんの思惑通りやってきた高台寺党は取り囲まれ、藤堂平助などが討ち死に。何とか包囲を逃れた数人は薩摩屋敷に駆け込みます。
半次郎がかくまったんですねー。
でも、これは「情」ってだけの話ではないのかも知れません。
この前後の薩摩の動きから察すると、黒幕っぽい感じもするので、必然としてかくまったのかも知れない、とも思えます。

戊辰戦争。会津落城のおり、半次郎は城受け取りの大役を果たしたのですが、どういう感情の動きか、「一緒に泣いた」らしいです。たぶん、うれし泣きではないと思います。この一瞬だけ、心は会津側に飛んで行ってしまっていたのではないでしょうか。

伊達もので洒落ものだったという半次郎。
名を桐野利秋と改めた維新後は、綾小路定利を佩刀にしていたという話もあります。綾小路定利は鎌倉時代の名工で・・・・。近藤さんの虎徹や土方さんの兼定とは対極の優美な太刀・・・・。
沖田総司の「菊一文字」の話と同じぐらい「ホンマかいなっ!?」のミスマッチぶりです。どちらも人斬り包丁って感じじゃないんですよね。どっちかというと女性的な美しさ。しかも、下級武士に手が届くような刀ではないと思うんですよねー。
「人斬り半次郎」ではなく「陸軍少将桐野利秋」の佩刀ととしてはこれぐらいの刀を持ちたかったんでしょうかねー。それにしても、どうやって手に入れたんだろう?

西南戦争で戦死したときは、その満身創痍の遺体から香水の香りがしていたという桐野利秋。
最後まで自分なりの男の美学を貫いて亡くなったのでした。39才。


小説としては司馬遼太郎『翔ぶが如く』、池波正太郎『人斬り半次郎』、その他、短編にもときどき登場。
学研M文庫から栗原智久『史伝 桐野利秋』など出ています。

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