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「列機を落とされたことはない」2008年09月24日 10時37分53秒

※251空の小竹さんのことを調べている方いますか?
気づいたらコメント開きます。
何度か試してみてください。


本屋の店頭に角田和男『修羅の翼』(光人社)の文庫新装版が並んでいました。単行本を持っているので、ちょっと立ち読み程度に手に取って見ただけですが・・・・。
表紙に明慶幡五郎飛長のりりしい敬礼姿が・・・・。
「ほしい・・・・」
と思ったのですが、ぐっと我慢して帰ってきました。

この本の中に、西澤飛曹長のあるエピソードが出てきます。
19年9月末頃ということはちょうど今頃の季節でしょうか。場所は内地の茂原基地です。
有名なエピソードなのでご存じの方もいらっしゃると思いますが、謹慎中の角田さんの部屋に歴戦の特准仲間が集います。
角田和男少尉(乙5)、西澤廣義飛曹長(乙7)、長田延義飛曹長(操練35)、尾関行治飛曹長(操練32)、岩本徹三飛曹長(操練34)、斎藤三朗飛曹長(操練44)・・・・。空戦の神様みたいな人たちばかりが・・・・。

このとき「無口で物静かな男だと思っていた」西澤さんがよくしゃべったそうです。
岩本飛曹長の自慢話に触発されて、異常な負けず嫌いが顔を出した、というところでしょうか。
調子に乗りすぎて予科練の先輩である角田少尉に「おれの爪の垢でも飲め」みたいなことまで言ってしまいます。
角田さんは大人の対応です。「苦笑するしかなかった」と流しておられます。

このときの西澤さんの発言で、
「わたしはまだ直属の上官、列機は一人も落とされていませんよ」
というのがあります。
このことに関して―。

先日、251空の行動調書を見ていて「あっ」と気づいたことがあります。
18年7月7日。陸攻隊の直掩任務で出撃しているのですが、

鴛渕孝中尉
竹田要次郎2飛曹
岡村栄2飛曹
浅井正雄上飛

西澤廣義上飛曹
原口徳行2飛曹
小竹高吉2飛曹
八尋俊一2飛曹

2小隊8名です。
このうち、西澤小隊の2番機の原口2飛曹(乙12)が未帰還になっています。これ以降の搭乗割に名前が出てこないので、あとからひょっこり帰って来たという可能性は低そうです。

西澤さんは、
「列機は1人も落とされていない」
と言っていますが、行動調書上は確実に1人いるようです。
坂井さんが「実際の出撃メンバーと行動調書上の編制メンバー、一致しないものがある」とどこかで書かれていたような気がするので、そういう可能性もあるのかも知れないですが、この件に関しては検証不能なので行動調書を信用することにします。

そして、この撃墜王の集いから約ひと月後、列機をもう1人失う運命が待っています。
神風特別攻撃隊・敷島隊直掩時、菅川操飛長を失ってしまいます。
菅川飛長は203空戦闘303時代の西澤さんの固有の列機です、しかも3番機。いつも誰が搭乗割を作っていたのかわかりませんが、西澤さんが目をかけていたことは想像できます。
「おれについてこい、おれから離れるな」
と口を酸っぱくして言っていたことでしょう。
目の前で敵空母の対空砲火にやられ海に突っ込んでしまった菅川飛長を見て(森史朗『敷島隊の五人』)、西澤さんは激しいショックを受けたでしょう。

そして、菅川飛長を失った翌日には・・・・。

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