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じいちゃん ばあちゃん2008年09月15日 09時22分47秒

わたしのじいちゃんは、わたしが小学校に上がる前に亡くなりました。
このじいちゃんは父の父親です。

当時、うちの一家は本家の庭の一角に離れを建てて住んでいたので、すぐ隣の母屋にじいちゃんがいた、というわけです。

ところが、わたしの記憶に残っているじいちゃんは、いつも布団に寝ていました。
「酒買ってきてくれ」
とお金を渡され、近所の何でも屋で酒を買い(当時わたしは保育園なので、きっと本家のいとこたちも一緒だったと思います)、そのお駄賃として、しわしわの手から氷砂糖を何粒か受け取っていたことだけを鮮明に覚えています。(いつの時代の話やねん)

次にじいちゃんのことで覚えているのは葬式です。
亡くなったのは冬でした。葬式の日は南国にはめずらしく雪が積もって、葬式のために帰って来たおっちゃんたちが庭で雪だるまを作ってくれたのを覚えています。
葬列を組んで歩いて近所の墓地まで行きましたが、小銭をばらまきながら向かったような・・・・? そんな風習ってあるんですかね? 幼いころの記憶なので不確かですが。
墓は土葬で、みんなで墓壙に据えられた棺桶に土をひとかけずつかけて埋めました。

じいちゃんの記憶はこれだけです。

父方のばあちゃんは、じいちゃんが亡くなった後も長生きしました。100歳目前で亡くなりました。

母の方のじいちゃんは、わたしは一度も会ったことはありません。
名前も知らないし、顔も知りません。
別に、わたしが生まれる前に亡くなっていた、というわけではないのですが、まったく縁がなかったじいちゃんでした。

自分のルーツなのに、いままで、
「名前は? 写真は? どうして?」
など、聞いたこともありませんでした。
つい、最近、母に諸々の事情を聞きましたが、聞いてもよくわかりませんでした。母も実はわかってないんじゃないかな、というのがわたしの感想。

ばあちゃんは、わたしが浪人中に病気で亡くなりました。
あとひと月、頑張ってくれたら、「大学生になれるよ」と報告できたのですが、心配ばかりかけて申し訳なかったと思っています。

このばあちゃんの孫の中で女の子はわたしだけだったし、高校の通学路上に住んでいて、帰りにぶらっと寄ったりしていたので、父方のばあちゃんよりは身近な存在でした。
魚が嫌いなわたしのために、よくソーセージ巻き(魚肉ソーセージとレタスとマヨネーズを巻いた巻き寿司。いまでいう「サラダ巻き」)を作ってくれました。

敬老の日、といっても、ママにはもういたわるべきじいちゃんもばあちゃんもいません。
春海は、
「ばあばに電話するーーー♥」
と言っていたけれど、まだ寝ているなあ・・・・。

おでかけした2008年09月15日 17時02分53秒

今日から我が家の愛車・レグちゃんは車検(-_-)/~~~。

ショールームと整備場が一緒になったお店まで乗っていきました。
そこはとっても交通の便の悪い場所で、帰りはバスと電車を乗り継いで帰ってこなければなりません。
ちょうど、ショールームの道路を挟んだ反対側にバス停があります。でも、1時間にそう何本もなさそう・・・・。
車を車検に出して、ショールームで新車を見ていたら、ショールーム担当社員らしき人が、お茶を出してくれました。
その時、ママが、
「バスの時間わかりませんか?」
と聞いたら、
「どうしたんですか?」
「いや、車を車検に出したんで、帰りはバスで駅まで・・・・」
とかって言ったら、
「駅まで車で送りますよ」

\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/

パパママ一家、新車の試乗車で駅まで送ってもらいました♪

あえて社名は言いませんが、この親切な会社は岩崎弥太郎の○○です! 零戦の○○です!!

駅までピカピカの新車で送ってもらいました。
その後、電車に乗り、途中で一度降りて、百貨店に寄ってお買いもの。

そこのトイレでね、またまた目撃しちゃいました。

ママは洗面所で、トイレに行った春海を待っていたんです。
若い着飾った女の子がトイレの個室から出てきました。
洗面所で鏡を見ながら髪の毛を整え、そのまま手も洗わずに併設の化粧室へ。
おい、おい、手を洗えよ・・・・(^_^;)
彼女が化粧室から出てくるのと、春海がトイレから出てくるのが一緒になり、3人一緒に女子トイレから出たのですが、外の通路で彼氏らしき男の子が彼女を待っていました。
彼女はその男の子と指をからませて仲良く出て行きましたとさ。おしまい。