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乙9期 新井正美さん2012年07月03日 08時50分37秒

※新井さんのことを調べている方がいらしたらご連絡いただけるとうれしいです。
hinemos.mama@gmail.com


【予科練時代】

東京行軍



大楠山慰安行軍



操偵適性検査

陸上機操縦専修生・整備実習


陸上機操縦専修生集合写真


予科練卒業時の色紙
『空を仰ぐ三週星 今や巣立つ九期生   播州阿良以』



【飛練時代】






【台南空時代】


『司令もまた、可愛いわが子の腕白ぶりでも思い出したふうに目を細めていた。
「昨日だったら面白い写真が撮れたんだがね。上海で樫村のやった片翼帰還ほどではなかったが、まず特ダネだね」
残念がった司令の話は、昨日のモレスビー上空での空戦で、片翼のフラップを敵弾にもぎ取られた若い搭乗員が、いまにも分解しそうな飛行機で、スタンレー山脈を越え、あえぐようにここまで帰り、フラップなしで立派に着陸した沈着な技量を讃える話だった。
私はさっそくその飛行機を見にいってみた。なるほどフラップどころか翼の四分の一も素ッ飛ばされている。傍らにいた整備員に、この搭乗員を呼んでもらうと、まだ子どものように若い新井三飛曹が、面映ゆそうにはにかんでやってきた。
飛行機の前に立たして写真を撮り、彼の姫路の住所をメモすると、
「こんなことが新聞に出るのですか」と目を見張った。
「多分ね」と私が答えると、
「じゃさっそく、家に手紙を出します。みんなで新聞を見るように・・・・」
はじめて彼の顔に押さえ切れぬ喜びの色が浮かび、額から両頬にかけて、派手に吹き出たにきびが、いっそう赤みを帯びてきた。そして、「帰ります」と、上官にでもするように、カチンと飛行靴の踵を合わせ、眉間までまっすぐな敬礼をして走り去って行った。
この可憐な紅顔の少年搭乗員も、それから間もなくソロモン海にはかなく消えてしまったが、その後私は、姫路の彼の父から一通の手紙を受け取った。
その文面のどこにも、子どもの戦死に関していささかの悔やみの色もみせてはいなかったが、ただ私の撮った写真を一枚送ってくれぬか、立派に死んだ子どもの形見とし、また子孫に残して誇りにもしたい、といった意味の文意がしたためられていた』
                         吉田一『サムライ零戦記者』光人社NF文庫



上の話は、17年6月1日のモレスビー攻撃で「被弾大破」になっている、これかもしれません。

このときのものと思われる写真が残っています(土浦・雄翔館)。

いつも我が家の玄関で哨戒飛行してくれている21型を使ってその写真の再現を試みてみました。
↓こんな感じ。
たぶん、上の黒い斜線ぐらいの部分がガバッとなくなっています。
これで飛べるのか!?というぐらい。

青い線で示したあたりに新井さんが立っています。
カメラの方は向いていません。

新井さんの向いている方向から察するに・・・・
「飛行機の前に立たせて撮った」と書いているカメラマンの吉田さんは、新井さんが向いている方向でカメラを構えていて、雄翔館のこの写真は別の人が横から便乗して?撮ったんじゃないかと・・・・。
ピンぼけしていて、「これ、吉田さんが撮ったの?」という印象を受ける写真です。
なので、はっきりとわからないのですが、お顔の雰囲気はママが9期の集合写真から集めた新井さんとよく似ています。



兵庫県出身。
千歳空、4空、台南空。

17年8月14日 ラエから 船団上空哨戒中 被弾 自爆戦死



※写真は羽藤さん(ご遺族所有)、松本さん予科練アルバム(ご遺族所有・武田さん提供)から
※被弾した飛行機の写真の確認に際しては陸上自衛隊の方にご協力いただきました


乙9期戦没者はこちら

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