丹次郎動画 ― 2012年07月21日 13時03分57秒
戦死した同期生たちへ ― 2012年07月21日 13時46分12秒
ホリブン(堀光雄飛曹長 乙10期)が戦後の同期会誌で、予科練時代の同班員、戦地で一緒になった同期生に寄せたことば。

台南空(251空?)時代の堀光雄3飛曹(2飛曹?)
藤巻勘一(山梨県 18年5月6日 アリューシャン 摩耶)
『学習中も温習中も結構人並に居眠りもしていたが、・・・・・・・・成績はトップ。頭のいい奴とはこんな男のことだろう』
小泉哲夫(広島県 18年5月24日 佐世保空 殉職)
『熱すると「ソヤケンノウ」と口角泡を飛ばして、ものを云ったっけ』
古賀栄一(福岡県 19年11月15日 901空 殉職)
『昔から体の小さい人を、小粒できりっとしているというけれど・・・・・・・小粒で、しかも実にノンビリしていた君。その割にチットモ大きくならなかったね』
金井清之助(神奈川県 19年10月15日 台湾沖 763空)
『良く勉強したね。あまり要領は良くなかったが努力家で最後まで頑張り特練をマスターしたね』
静野良之祐(滋賀県 17年10月26日 ソロモン 隼鷹)
『入隊当時からしばらくの間は女性的であった。静野練習生(滋賀)と第一回目の休暇は車中一緒だった。別れるとき「あまり喰い過ぎて腹をこわすなよ」と注意してくれた』
佐伯茂正(長崎県 17年12月2日 ソロモン 千歳)
『背の高さは最右翼、体もでかいが案外気の小さいところがあった。それでいてときどき横車を押す。作業員整列に出たこと無し』
長峰雄一(青森県 17年8月8日 ソロモン 三沢空)
『リンゴのような赤いホッペ。小男のくせに、スモーが強い。モールス(通信)では良い競争相手だった。リンゴ、アリガトウ』
有本静(和歌山県 18年8月15日 ソロモン 飛鷹)
『少々赤ら顔で、体に似合はず、やさしい声を出していた』
古本克己(熊本県 18年6月16日 ソロモン 582空)
『入隊当時から大の甘党だったね。ミソッ歯にこりず、外出ごとに、チョコレートに親しんでいた。大分空でともに戦斗機専修。一緒のテーブルだった。ラバウルでも顔合はせたが、最後の模様はつかんでいません』
※リンク先で「顔、不明」と書いていますが、梅本弘さんの『海軍零戦隊撃墜戦記 1』にお顔が出ています。
竹沢英也(北海道 18年7月17日 ソロモン(ブイン) 204空)
『入隊早々のこと。「班長そうだべ」とやらかし、随分油を絞られたそうだべ。時々チーズをご馳走になった。田舎育ちの俺は始めて喰べたが、余りおいしいとは思わなかった。(そのときはネ)』
上松直(宮崎県 17年12月7日 ソロモン(ニューギニア ブナ) 582空)
『小男のクセして、向う気が強く勇ましい奴だった。マンガが得意で、よく書いていた。なかなか上手だ。ラバウルでは俺は落下傘で飛び出し内地に送還されたが、残った貴様はその後随分活躍したと、風の便りに聞いた』
※ホリブンの勘違いか? 上松さん戦死17年12月7日、ホリブン落下傘降下18年1月7日
阿久津進(栃木県 19年10月23日 南太平洋 青葉)
『少々ズーズー辯だったが、とに角几帳面な男。ノートが綺麗に整理されていたのには今でも感心し、記憶に残る』
神谷武(富山県 18年11月19日 マーシャル 755空)
『エビオスを愛用していた男』
西森菊生(高知県 19年9月21日 比島 201空)
『顔にチョッピリ、ソバカスの好い男。なかなかのオシャレで、外出の朝はいつも、ヒゲソリ(あまり多くない)をさせられた。長いこと会わなかったが、俺が零戦の空輸途中、貴様は狼部隊の先任搭乗員をしていた。それが最後だった』
武田喜作(広島県 18年10月26日 南支那海 佐世保空)
『俺が大村空の教員時代、貴様は基地隊の次席だった。海南島で壮烈な体当たり』
※一部編集、スイマセン
門田岸男(広島県 19年9月12日 比島 戦闘306飛行隊)
『ラ バウル時代しばらく一緒にいた。相変わらず茶目っ気を発揮して、ときどき叱られていたようだった。後日、紫電改部隊、戦斗三○一飛行隊に転任した際、菅野隊長から「門田兵曹は実に勇ましい男だった。その最後は衆人の目前で、数機を相手に超低空で奮戦し、よくその二機を撃墜したが、超低空のため自分も椰子の木に触れ、壮烈な戦死だった」 その戦斗ぶりが目に浮かびます』
小池貞雄(新潟県 19年11月24日 比島 戦闘701飛行隊)
『海南島から台湾時代はずっと一緒で、台湾から厚木空に雷電の講習、受領空輸に行った時、飛行靴で鎌倉、江ノ島方面を清遊した。目玉のデッカイ、池さん』
※リンク先では「貞夫」さんになっていますが、同期生会誌では「貞雄」さん。
福森大三(岡山県 18年6月16日 ソロモン 582空)
『ラバウルで褌一つで邀撃戦に飛び立ち、還らず。一週間後土人を連れて帰って来た』
藤巻勘一(山梨県 18年5月6日 アリューシャン 摩耶)
『学習中も温習中も結構人並に居眠りもしていたが、・・・・・・・・成績はトップ。頭のいい奴とはこんな男のことだろう』
小泉哲夫(広島県 18年5月24日 佐世保空 殉職)
『熱すると「ソヤケンノウ」と口角泡を飛ばして、ものを云ったっけ』
古賀栄一(福岡県 19年11月15日 901空 殉職)
『昔から体の小さい人を、小粒できりっとしているというけれど・・・・・・・小粒で、しかも実にノンビリしていた君。その割にチットモ大きくならなかったね』
金井清之助(神奈川県 19年10月15日 台湾沖 763空)
『良く勉強したね。あまり要領は良くなかったが努力家で最後まで頑張り特練をマスターしたね』
静野良之祐(滋賀県 17年10月26日 ソロモン 隼鷹)
『入隊当時からしばらくの間は女性的であった。静野練習生(滋賀)と第一回目の休暇は車中一緒だった。別れるとき「あまり喰い過ぎて腹をこわすなよ」と注意してくれた』
佐伯茂正(長崎県 17年12月2日 ソロモン 千歳)
『背の高さは最右翼、体もでかいが案外気の小さいところがあった。それでいてときどき横車を押す。作業員整列に出たこと無し』
長峰雄一(青森県 17年8月8日 ソロモン 三沢空)
『リンゴのような赤いホッペ。小男のくせに、スモーが強い。モールス(通信)では良い競争相手だった。リンゴ、アリガトウ』
有本静(和歌山県 18年8月15日 ソロモン 飛鷹)
『少々赤ら顔で、体に似合はず、やさしい声を出していた』
古本克己(熊本県 18年6月16日 ソロモン 582空)
『入隊当時から大の甘党だったね。ミソッ歯にこりず、外出ごとに、チョコレートに親しんでいた。大分空でともに戦斗機専修。一緒のテーブルだった。ラバウルでも顔合はせたが、最後の模様はつかんでいません』
※リンク先で「顔、不明」と書いていますが、梅本弘さんの『海軍零戦隊撃墜戦記 1』にお顔が出ています。
竹沢英也(北海道 18年7月17日 ソロモン(ブイン) 204空)
『入隊早々のこと。「班長そうだべ」とやらかし、随分油を絞られたそうだべ。時々チーズをご馳走になった。田舎育ちの俺は始めて喰べたが、余りおいしいとは思わなかった。(そのときはネ)』
上松直(宮崎県 17年12月7日 ソロモン(ニューギニア ブナ) 582空)
『小男のクセして、向う気が強く勇ましい奴だった。マンガが得意で、よく書いていた。なかなか上手だ。ラバウルでは俺は落下傘で飛び出し内地に送還されたが、残った貴様はその後随分活躍したと、風の便りに聞いた』
※ホリブンの勘違いか? 上松さん戦死17年12月7日、ホリブン落下傘降下18年1月7日
阿久津進(栃木県 19年10月23日 南太平洋 青葉)
『少々ズーズー辯だったが、とに角几帳面な男。ノートが綺麗に整理されていたのには今でも感心し、記憶に残る』
神谷武(富山県 18年11月19日 マーシャル 755空)
『エビオスを愛用していた男』
西森菊生(高知県 19年9月21日 比島 201空)
『顔にチョッピリ、ソバカスの好い男。なかなかのオシャレで、外出の朝はいつも、ヒゲソリ(あまり多くない)をさせられた。長いこと会わなかったが、俺が零戦の空輸途中、貴様は狼部隊の先任搭乗員をしていた。それが最後だった』
武田喜作(広島県 18年10月26日 南支那海 佐世保空)
『俺が大村空の教員時代、貴様は基地隊の次席だった。海南島で壮烈な体当たり』
※一部編集、スイマセン
門田岸男(広島県 19年9月12日 比島 戦闘306飛行隊)
『ラ バウル時代しばらく一緒にいた。相変わらず茶目っ気を発揮して、ときどき叱られていたようだった。後日、紫電改部隊、戦斗三○一飛行隊に転任した際、菅野隊長から「門田兵曹は実に勇ましい男だった。その最後は衆人の目前で、数機を相手に超低空で奮戦し、よくその二機を撃墜したが、超低空のため自分も椰子の木に触れ、壮烈な戦死だった」 その戦斗ぶりが目に浮かびます』
小池貞雄(新潟県 19年11月24日 比島 戦闘701飛行隊)
『海南島から台湾時代はずっと一緒で、台湾から厚木空に雷電の講習、受領空輸に行った時、飛行靴で鎌倉、江ノ島方面を清遊した。目玉のデッカイ、池さん』
※リンク先では「貞夫」さんになっていますが、同期生会誌では「貞雄」さん。
福森大三(岡山県 18年6月16日 ソロモン 582空)
『ラバウルで褌一つで邀撃戦に飛び立ち、還らず。一週間後土人を連れて帰って来た』


※武田信行氏提供 西澤さん写真から
若くして亡くなった同期生たちへのホリブンの想いに触れながら、今日はホリブンを偲びたいと思います。
若くして亡くなった同期生たちへのホリブンの想いに触れながら、今日はホリブンを偲びたいと思います。