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ジュニア選手権2012年07月01日 21時07分34秒

今日は屋外長水路でレースがありました。





降ったりやんだりだったのですが、降り出すと猛烈で、バケツをひっくり返したような雨。

でっかい傘を差し、ビニール袋を膝にも背中にも掛けていたのにずぶ濡れになりました。
一度地面に落ちて跳ね返ってくる雨が半端なかった(>_<)
傘の間から雨漏りも(>_<)

こんな思いをして観戦したのに、春海の成績はやる気があるとはとても思えない成績(ToT)

結果はもう書かんときます。

計画停電とか計画停電とか計画停電とか・・・・2012年07月02日 18時41分30秒

「来週仕事して」
って頼まれたから、セールで服買っちゃった( ^o^)ノ 先走っちゃったママです(^_^)v

今日になって、隣の奥さんから、
「今週、計画停電があるかもって話、知ってる?」
って教えられました。
「何、それ?」
「学校からプリント来てたやろ?」
「ええええーーーー、知らんでーーーー(^◇^;)」
隣の奥さんがプリントを見せてくれました。
なるほど、給食センターが含まれる地域で午前に計画停電があった場合、学校は給食なしのお昼下校です、というお知らせでした。

しかも、”計画停電になってお昼下校になるかも予定日”に仕事に行く約束した日が入っているじゃあないですか!?

「服、買っちまったぞーーーーー!!!!(゜Д゜;)」

びっくりして大学の先生にメールしたら、柔軟に対応して下さるみたいで。とりあえず、ホッ(^。^)

ちなみに、”プリント”とやらは春海がまだ持っていましただ(--#)


計画停電になったらホント、困っちゃいますよね。
うちはオール電化(風)住宅なので(笑)
電気がないとごはんも作れない。

ごはんはまだ我慢できるとして、きんぎょ様の酸素が困るなあと思って。
奴隷の人力ポンプはきんぎょ様には害悪なので、乾電池で動くエアーポンプ買っちゃいましたよ。

でも、よくよく考えたら、2~3時間エアー止まっても大丈夫ですよね?

水草って手もあったな・・・・。


計画停電にならないように、テレビを消して節電に努めます。

ホリブン、飛行機乗りの原点2012年07月02日 20時31分20秒

ママ、わりとこの質問、搭乗員さんに聞いています。
「どうして予科練を受けたんですか?(どうして飛行機乗りになろうと思ったんですか?)」

学校から何人か受けたから、とか、雑誌の表紙に描いてあった飛行機がかっこよくて、とかって回答をいただいたことがあります。

中には、藤本さんみたいに、もともと巡洋艦乗りになりたくて海軍に入ったけど、整備兵時代の分隊長が強く飛行機乗りを勧めてくれて・・・・という方もいらっしゃいました。


ホリブンがどうして飛行機乗りになったのか、ずっと謎でした。

が、あるとき、ホリブンのごくごく近い関係者の方からホリブンの出身地を聞いて、
「あ、そうか!」
とわかったような気がしたことがありました。
※あくまで「わかったような気がした」ですよ(^_^;)

というのも、ママは搭乗員さんゆかりの場所をGoogleマップで覗いちゃうという悪い癖があって、このときもその出身地を地図で調べてしまったのです。
まったく聞いたこともない場所だったので(^_^)ゞ
すると、すぐ近くに各務原飛行場(陸軍)が・・・・。
木曽川のすぐ横です。


そのとき初めて、ホリブンが飛行機乗りを志した理由&一ツ瀬川でウナギ獲りに大活躍した理由がわかったような気が・・・・


”各務原飛行場”と”木曽川”という二つのキーワードを得てからいままで、ずっと「わかったような気が・・・・」状態だったのですが、先日、知人の戦史研究家氏が『とんぼ』という乙10期生の記録集を送ってきて下さって・・・・。
ホリブンの手記も掲載されていました。
そこに明確にこの件に関して書いてありました。

『わたしは岐阜で生まれたんですが、飛行場が近かったんですよ、各務原の。飛行機が飛ぶのを見て育ちましたからね。小学校の五年か六年の頃に、木曽川の川原で魚釣りをしながらよく飛行機が飛ぶのを見ていました。ちっともこわいとは思いませんでしたね』

つまり、ホリブンにとって、飛行機乗りを志したこととウナギ獲りに活躍したことはまったく無関係ではなく、むしろ深くつながっていた、ということ!


それにしても・・・・陸軍の飛行機を見ながら空に憧れ、海軍(予科練)に入られたら、陸軍さん、涙目ちゃうかな?

なぜ陸軍ではなく海軍だったのか、それに関しては残念ながら触れられていませんでした。
また独自に妄想してみたいと思います(笑)



行ってみたいなー。

堀少年が魚釣りをしながら飛行機を眺めていた川原―。

乙9期 新井正美さん2012年07月03日 08時50分37秒

※新井さんのことを調べている方がいらしたらご連絡いただけるとうれしいです。
hinemos.mama@gmail.com


【予科練時代】

東京行軍



大楠山慰安行軍



操偵適性検査

陸上機操縦専修生・整備実習


陸上機操縦専修生集合写真


予科練卒業時の色紙
『空を仰ぐ三週星 今や巣立つ九期生   播州阿良以』



【飛練時代】






【台南空時代】


『司令もまた、可愛いわが子の腕白ぶりでも思い出したふうに目を細めていた。
「昨日だったら面白い写真が撮れたんだがね。上海で樫村のやった片翼帰還ほどではなかったが、まず特ダネだね」
残念がった司令の話は、昨日のモレスビー上空での空戦で、片翼のフラップを敵弾にもぎ取られた若い搭乗員が、いまにも分解しそうな飛行機で、スタンレー山脈を越え、あえぐようにここまで帰り、フラップなしで立派に着陸した沈着な技量を讃える話だった。
私はさっそくその飛行機を見にいってみた。なるほどフラップどころか翼の四分の一も素ッ飛ばされている。傍らにいた整備員に、この搭乗員を呼んでもらうと、まだ子どものように若い新井三飛曹が、面映ゆそうにはにかんでやってきた。
飛行機の前に立たして写真を撮り、彼の姫路の住所をメモすると、
「こんなことが新聞に出るのですか」と目を見張った。
「多分ね」と私が答えると、
「じゃさっそく、家に手紙を出します。みんなで新聞を見るように・・・・」
はじめて彼の顔に押さえ切れぬ喜びの色が浮かび、額から両頬にかけて、派手に吹き出たにきびが、いっそう赤みを帯びてきた。そして、「帰ります」と、上官にでもするように、カチンと飛行靴の踵を合わせ、眉間までまっすぐな敬礼をして走り去って行った。
この可憐な紅顔の少年搭乗員も、それから間もなくソロモン海にはかなく消えてしまったが、その後私は、姫路の彼の父から一通の手紙を受け取った。
その文面のどこにも、子どもの戦死に関していささかの悔やみの色もみせてはいなかったが、ただ私の撮った写真を一枚送ってくれぬか、立派に死んだ子どもの形見とし、また子孫に残して誇りにもしたい、といった意味の文意がしたためられていた』
                         吉田一『サムライ零戦記者』光人社NF文庫



上の話は、17年6月1日のモレスビー攻撃で「被弾大破」になっている、これかもしれません。

このときのものと思われる写真が残っています(土浦・雄翔館)。

いつも我が家の玄関で哨戒飛行してくれている21型を使ってその写真の再現を試みてみました。
↓こんな感じ。
たぶん、上の黒い斜線ぐらいの部分がガバッとなくなっています。
これで飛べるのか!?というぐらい。

青い線で示したあたりに新井さんが立っています。
カメラの方は向いていません。

新井さんの向いている方向から察するに・・・・
「飛行機の前に立たせて撮った」と書いているカメラマンの吉田さんは、新井さんが向いている方向でカメラを構えていて、雄翔館のこの写真は別の人が横から便乗して?撮ったんじゃないかと・・・・。
ピンぼけしていて、「これ、吉田さんが撮ったの?」という印象を受ける写真です。
なので、はっきりとわからないのですが、お顔の雰囲気はママが9期の集合写真から集めた新井さんとよく似ています。



兵庫県出身。
千歳空、4空、台南空。

17年8月14日 ラエから 船団上空哨戒中 被弾 自爆戦死



※写真は羽藤さん(ご遺族所有)、松本さん予科練アルバム(ご遺族所有・武田さん提供)から
※被弾した飛行機の写真の確認に際しては陸上自衛隊の方にご協力いただきました


乙9期戦没者はこちら

うちの扇風機2012年07月03日 18時35分12秒

今日はうちの扇風機を紹介します。

こいつです( ^o^)ノ
首振り、高さ調節、風量の弱・中・強、タイマーつき。
ってだけではなく、「1/f ゆらぎ」機能もついている高性能扇風機だぜ(笑)
知らない人は検索してみ


支柱の裏を見たら、94年製って書いてありました。
平成生まれ。


この扇風機、ママの人生で最初で最後のボーナスで買った記念の扇風機です。

”働いたことがある”という証がいまではたったこれだけになってしまいました(ToT)
※といってもまともに仕事しないうちに辞めました

夏の昼間はこれで乗り切っています。
夜はエアコン。

基本的に、扇風機が回っている間は目を離すことは少ないので、万が一火を噴いてもすぐに対処できるんじゃないかとーーーー(^◇^;)

パパはそろそろ新しい扇風機を欲しがっていますけど。