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西澤さんの働きっぷりに関する一考察・余談2008年09月12日 20時33分44秒

前の話の続きです。

西澤さんがどんなに働きものだったか証明するために(?)作った勤怠表ですが、面白い発見をしました。

鴛渕孝中尉(海兵68期)ですけどね。
5月24日から6月22日の間、搭乗していません。ちょっと長いですね。病気でもしていたのでしょうか。

6月23日に復帰してからは7月21日まで、指揮官先頭で元気に頑張っていたのですが、22日以降、8月末までまったく搭乗なし。

どうしたのか気になるところですが、実はこの間のことが第3者の手記に出ておりまして・・・・。
582空の主計中尉だった守屋清さんという方が書かれた手記『回想のラバウル航空隊』(光人社)に、
「私が入院したとき、となりのベッドに251空の鴛淵孝大尉がマラリアで入室していた」
という記述があります(当時は中尉)。
「じつに穏やかで礼儀正しく、真の海軍軍人に接した思いがした」
そうです。
病人になっても鴛渕さんはあくまで鴛渕さんということですね。

守屋さんが入室したのは8月末のこと。
鴛渕さんはそれまでもひと月ほど飛行機に乗っていないのですが、マラリアってそんなに長引くものなんでしょうか?
それとも、次から次といろんな病気にかかっていたのでしょうか。

鴛渕さんが病気になって一番そのしわ寄せを受けたのは林喜重中尉(海兵69期)でしょう。
士官搭乗員が次々と戦死してしまって、7月の頭には隊の一番先任が鴛渕中尉、次が飛行学生を終えて半年ほどの林中尉という状態になっていました。
鴛渕さんが7月下旬に倒れて(?)からは唯一残った兵学校出の搭乗員として指揮官先頭、連日頑張っていたのですが、8月9日、同期の大庭良夫中尉が転勤してきて搭乗割に入ったとたん、電池が切れたように搭乗割を外れてしまいました(8月末まで復帰できず)。
「過労で倒れたに違いなーーーーい!」
ママ妄想爆発です。
いや、本当に、大庭中尉と入れ替わるようにパタッと名前がなくなっちゃうんですよ。
気合いで疲れを吹き飛ばして頑張り続けると、ホッとしたとたんに具合が悪くなることってないですか?
林中尉の場合、絶対にそれです(断言)!

結論。
ラバウル航空隊は過酷だった。

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