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18年7月 厳島神社2015年08月16日 00時02分42秒

坂田さんの遺品の写真の中で、思わず、

「あーっ!」

と叫んでしまった写真がありました。



大澤昇次さん(当時、町谷昇次さん)との厳島神社でのツーショット写真です。

同じ写真が大澤さんの手記『最後の雷撃機』にも掲載されています。

写真のキャプションには、
「昭和18年7月、参拝した厳島神社で著者が偶然出会った同郷の坂田清一兵曹(右、瑞鶴艦爆隊・偵察員)との記念写真」
と書かれています。

本文の方には、
「7月に入ったある日、武運長久を祈るため、広島の厳島神社に参拝に行くと、偶然同郷でしかも近所の坂田清一君(乙飛九期)に会った。そこで鹿に煎餅を食べさせながら「日本よさらば」の記念写真を撮った」

大澤さんがお持ちの写真とまったく同じ写真が、坂田さんの遺品の中にもありました。上の写真です。
涙が出ました。



坂田さん、自分より3年早く海軍に入った大澤さんに憧れていたようなんです。
予科練に入隊するときの駅頭のあいさつで、町谷さんのような立派な軍人さんになりたいと決意を述べられたとか。


そんな憧れの人に厳島神社で偶然出会って一緒に撮った一枚。

大事にしていたのだと思います。



このとき大澤さんは翔鶴艦攻隊でトラックに向かう直前でした。

一方の坂田さんは瑞鶴艦爆隊。
このあと、特修科練習生として艦を降ります。




この写真を写真屋さんで焼いてもらって、大澤さんにも送りました。喜んでおられました。


そして、

「若し私のカメラで撮ったものでしたら、あの撮影の日以降、坂田君と会っていませんから誰が渡してくれたのでしょう?」

「又観光地の写真屋さんが撮ったものでしたら、私達はあの日母艦から呉に上陸し、広島市を通り宮島口から船で厳島へ渡った訳ですから、島での時間はいくらもなかった筈です。―中略―トラック島に向けて出港する一日か二日前のあわただしい時のことですから・・・・」

と、どうやらこの写真を二人ともが持っていたことで疑問が沸いてしまわれたようで・・・・(^^;)



たしかにこれは気になるところです。

坂田さんの写真の裏には、誰か記入したのか、数字が書き込まれています。これが何か関係あるのかな?

大澤さんの写真の方は、わたしは現物は拝見していないので、裏書があるかどうかはわかりません。

いま大澤さんのお手元にこの写真の現物がないようで、大澤さんも確認できないようです。



この写真を大澤さん、坂田さんのお二人ともが持っていたことに関して、何かドラマのようなものがあるのかな?




ふだん別々の場所で戦っていた二人が偶然ばったり出会って一緒にカメラに収まる――というだけでも奇跡のような話なのに、72年経ったいまでも、写っているお二人とも(坂田さんの方はご遺族)がその写真を大事に持っておられた――ということに感動せずにはいられませんでした。


※画像は坂田さんご遺族ご提供

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