おしげさん ― 2008年09月25日 14時12分37秒
前に『回天の群像』に出ている、柿崎中尉と「松政」のおしげさんのエピソードを書きましたが、あれは著者の宮本さんが『あゝ回天特攻隊』から引用した文章でした。
『あゝ回天特攻隊』にはさらに詳細に載っているので、その部分を紹介します。
その前にまず、出撃が決まった多々良隊のメンバーを紹介します。
隊長・柿崎実中尉(海兵72期)
前田肇中尉(予備学生?)
山口重雄1曹
古川兵曹
横田寛2飛曹
新海2飛曹
その日、「本を読む」と言って基地に残った前田中尉以外の5人が上陸しました。ところが、3人はいち早く雲隠れしてしまい、気がつくと残ったのは柿崎隊長と横田兵曹2人。
「徳山へ行こうや」と柿崎中尉が言いだしました。
横田兵曹は当時、松政の存在すら知らず、どこに行くのかいぶかりながらも柿崎中尉についていきます。
松政に連れて行かれ、おしげさんと対面します。
『おしげさんは、三十をなかばすぎた、ふっくらした感じの人だった。隊長はこういって私を紹介した。
「かあちゃん、この男はね、こんど俺といっしょにゆくことになったヤンチャ坊主だ。小さいとき、おふくろが死んでね。・・・・だから、かあちゃん、きょう一日でいいから、こいつのおふくろになってやってくれんかな」
隊長が”かあちゃん”というとき、私は思わずふきだしそうになった。が、見ると、隊長は大まじめである。おしげさんのほうも、少しも悪びれたようすもなく、ハイハイと答えている。
「柿崎さん、お酒つける?」
「いらんよ。こんな坊主に酒なんか飲ましたら、おぶって帰らんならん。大津ならいいが、光は汽車に乗らにゃいかんからな・・・・」
そういう隊長をさえぎって、
「隊長、飲みましょう。俺だって強くなったですよ。この前なんか、新海とふたりで、ウイスキーを一本あけちゃった・・・・」と、これは私である。そのころ、ようやく酒を飲みはじめたばかりで、やたらと酒への好奇心が強かったのだ。
「ほんとうかあ、とんでもねえやつだな。・・・・そうか、おやじがよく飲むのか。じゃ、おやじの血をひいたんだな、きっと」
「まあ、いいじゃないの。万事、かあちゃんにまかしとき・・・・」』
一般にはもうお酒など残っていないころだったのですが、おしげさんは搭乗員のために苦労してとっておいてくれたようです。
『三人で昼の酒盛りがはじまった。飲めるといったところで、隊長と私などタカが知れている。たちまち酔っ払ってしまった。しかも隊長など、すっかりいい気持になって、おしげさんの膝をまくらに、詩吟などをうなっている。しまいには、
「四時になったら起こしてくれよな、かあちゃん」といってグウグウ寝てしまった。
こちらは初めての場所で、しかも相手は初対面である。酔っても、どことなくかた苦しい。おしげさんは、隊長の軍服をぬがせて、介抱している。つぎに靴下をとって、雑巾で足をていねいにふいてやっている。ふきながら、
「みんな、かわいいのよ。・・・・柿崎さんはいつもこうなの。・・・・いい人でしょう」
話しかけるように、つぶやくように、そんなことをいった。私はそのしみじみとした調子に、ふっと胸をつかれるものをおぼえた。』
20年3月28日、多々良隊(伊47潜)は出撃したものの、途中駆潜艇に追いかけまわされ、飛行機にまで攻撃され、母潜も積んでいた回天も修理が必要な状態になってしまい、しかたなく帰投します。
そして4月20日、再度同じメンバーで天武隊(伊47潜)として出撃し、柿崎隊長、山口兵曹、古川兵曹(以上5月2日)、前田中尉(5月6日)が回天を発進させ特攻戦死。横田兵曹と新海兵曹は回天と母潜を結ぶ電話の故障で発進できず、泣く泣く基地に戻ってきました。
そのとき、横田兵曹はまっ先におしげさんに会いに行ったそうです。
『「隊長は死にました。私はだめでした」
これだけを、私は小声でいった。すると、おしげさんの大きな声が飛んできたのだ。
「横田さん、おかあさんの目を見なさい」
りんとした声だった。
「しっかりしなさい。失敗はだれにだってあります」
私の両肩をつかんで強くゆさぶったかと思うと、しかし、つぎの瞬間、ワッと泣きくずれた。
「またやります。靖国神社には六人いっしょにはいる約束ですから。でも、すごくさみしいんです」
この人になら、なんでも打ちあけられる、という気がした。どんな弱虫なことをいっても、この人はきいてくれる、と。
「いいの、いいの。柿崎さんは、きっと先に行って待っているわよ。横田さんのこと、かわいい坊やだけど腕はたしかだ、俺とやつの命日には、しるこぐらいつくってくわしてくれよ、なんていってたのよ。泣かない、泣かない。おかあさんだって、泣きたいのを、こうやってがまんしているんじゃない」
泣きじゃくりながら、がまんしているといったおしげさんのことばを、私はいつまでも忘れることができない・・・・』
『あゝ回天特攻隊』にはさらに詳細に載っているので、その部分を紹介します。
その前にまず、出撃が決まった多々良隊のメンバーを紹介します。
隊長・柿崎実中尉(海兵72期)
前田肇中尉(予備学生?)
山口重雄1曹
古川兵曹
横田寛2飛曹
新海2飛曹
その日、「本を読む」と言って基地に残った前田中尉以外の5人が上陸しました。ところが、3人はいち早く雲隠れしてしまい、気がつくと残ったのは柿崎隊長と横田兵曹2人。
「徳山へ行こうや」と柿崎中尉が言いだしました。
横田兵曹は当時、松政の存在すら知らず、どこに行くのかいぶかりながらも柿崎中尉についていきます。
松政に連れて行かれ、おしげさんと対面します。
『おしげさんは、三十をなかばすぎた、ふっくらした感じの人だった。隊長はこういって私を紹介した。
「かあちゃん、この男はね、こんど俺といっしょにゆくことになったヤンチャ坊主だ。小さいとき、おふくろが死んでね。・・・・だから、かあちゃん、きょう一日でいいから、こいつのおふくろになってやってくれんかな」
隊長が”かあちゃん”というとき、私は思わずふきだしそうになった。が、見ると、隊長は大まじめである。おしげさんのほうも、少しも悪びれたようすもなく、ハイハイと答えている。
「柿崎さん、お酒つける?」
「いらんよ。こんな坊主に酒なんか飲ましたら、おぶって帰らんならん。大津ならいいが、光は汽車に乗らにゃいかんからな・・・・」
そういう隊長をさえぎって、
「隊長、飲みましょう。俺だって強くなったですよ。この前なんか、新海とふたりで、ウイスキーを一本あけちゃった・・・・」と、これは私である。そのころ、ようやく酒を飲みはじめたばかりで、やたらと酒への好奇心が強かったのだ。
「ほんとうかあ、とんでもねえやつだな。・・・・そうか、おやじがよく飲むのか。じゃ、おやじの血をひいたんだな、きっと」
「まあ、いいじゃないの。万事、かあちゃんにまかしとき・・・・」』
一般にはもうお酒など残っていないころだったのですが、おしげさんは搭乗員のために苦労してとっておいてくれたようです。
『三人で昼の酒盛りがはじまった。飲めるといったところで、隊長と私などタカが知れている。たちまち酔っ払ってしまった。しかも隊長など、すっかりいい気持になって、おしげさんの膝をまくらに、詩吟などをうなっている。しまいには、
「四時になったら起こしてくれよな、かあちゃん」といってグウグウ寝てしまった。
こちらは初めての場所で、しかも相手は初対面である。酔っても、どことなくかた苦しい。おしげさんは、隊長の軍服をぬがせて、介抱している。つぎに靴下をとって、雑巾で足をていねいにふいてやっている。ふきながら、
「みんな、かわいいのよ。・・・・柿崎さんはいつもこうなの。・・・・いい人でしょう」
話しかけるように、つぶやくように、そんなことをいった。私はそのしみじみとした調子に、ふっと胸をつかれるものをおぼえた。』
20年3月28日、多々良隊(伊47潜)は出撃したものの、途中駆潜艇に追いかけまわされ、飛行機にまで攻撃され、母潜も積んでいた回天も修理が必要な状態になってしまい、しかたなく帰投します。
そして4月20日、再度同じメンバーで天武隊(伊47潜)として出撃し、柿崎隊長、山口兵曹、古川兵曹(以上5月2日)、前田中尉(5月6日)が回天を発進させ特攻戦死。横田兵曹と新海兵曹は回天と母潜を結ぶ電話の故障で発進できず、泣く泣く基地に戻ってきました。
そのとき、横田兵曹はまっ先におしげさんに会いに行ったそうです。
『「隊長は死にました。私はだめでした」
これだけを、私は小声でいった。すると、おしげさんの大きな声が飛んできたのだ。
「横田さん、おかあさんの目を見なさい」
りんとした声だった。
「しっかりしなさい。失敗はだれにだってあります」
私の両肩をつかんで強くゆさぶったかと思うと、しかし、つぎの瞬間、ワッと泣きくずれた。
「またやります。靖国神社には六人いっしょにはいる約束ですから。でも、すごくさみしいんです」
この人になら、なんでも打ちあけられる、という気がした。どんな弱虫なことをいっても、この人はきいてくれる、と。
「いいの、いいの。柿崎さんは、きっと先に行って待っているわよ。横田さんのこと、かわいい坊やだけど腕はたしかだ、俺とやつの命日には、しるこぐらいつくってくわしてくれよ、なんていってたのよ。泣かない、泣かない。おかあさんだって、泣きたいのを、こうやってがまんしているんじゃない」
泣きじゃくりながら、がまんしているといったおしげさんのことばを、私はいつまでも忘れることができない・・・・』
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