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251空のUI-105号機2008年12月02日 08時16分38秒

UI-105号機
恒例、ママの妄想戦史シリーズ!!

↑使いまわし画像ですが、吉田一報道班員が陸攻の中から撮影した251空の直掩戦闘機零戦22型(トレース)。
(「UI」というのは251空の部隊符号らしい。ちなみに台南空は「V」)

もとになった零戦写真は、日本一有名な零戦写真といっても過言ではないでしょう。間違いなく零戦ベストショット三指に入るのではないでしょうか。

ただ・・・・この日本一有名な零戦に乗っている搭乗員に関しては・・・・


ママが初めてこの写真を目にしたときについていた解説には、「西澤廣義上飛曹機」らしい、と書いてありました。

それからしばらくママはその解説を信じ込み、この写真を見るたびに、
「ふぁあ~西澤さ~ん(^。^)」
と憧憬の思いをこめて眺めていたわけですが、ある記述を読んでから、「この搭乗員は西澤さんではない」と思うようになりました。

光人社が出している『零戦』という写真集です。
吉田さんが撮影した零戦もいくつか掲載されていて、この251空のUI-105号機も載っています。

その解説にはこう書いてあります。
「・・・・搭乗員が、果たして誰であったか、吉田氏の記憶はついに戻らなかったという」

撮った本人が「誰だかわからない」と言っている写真、ということになります。
そりゃあ、報道班員として、数え切れないぐらいの搭乗員たちに接してきたでしょう。覚えていないのも無理はありません。

でも、吉田さんと西澤さんの仲はそんなただの「報道班員」と「搭乗員」という仲ではありません。
西澤さんは同僚たちからの評判はあまり芳しくありません。ひねくれもので異常な負けず嫌いで、坂井さんは「気の重いやつ」とか「狷介」とすら言っています。
ところが、吉田さんに対しては素直な好青年です。
吉田さんだけは無条件に西澤さんの味方であり、間違いなくかれのことをこよなく愛していたと断言できます。
そんな吉田さんが西澤さん搭乗の零戦を忘れるわけがない、とママは思うのです。

いったい、どこからUI-105号機=西澤機という話が出てきたのでしょうか。

たしかに写真をよく見ると、搭乗員の顔は西澤さんに似ているような気もします。
ただ、マフラーで顔の下半分を隠しているようなので、目元だけですが。

じゃあ、西澤さんじゃなかったら誰だ?ということになります。

『零戦』写真集には「18年5月」「オロ湾に進攻した5月14日の撮影と推定され」と書いてあります。

ママ調べでも、5月だとしたら、14日だろうと思います(調査の詳細は省く←「本当にしたんかい」と突っ込まないように)。

5月14日の編制表。

向井一郎
坂上忠治
八尋俊一

磯崎千利
山本末廣
中西 貢

田中三一郎
松吉 節
小竹高吉

鴛渕 孝
西澤廣義
関口栄次

香下 孝
四宮与三郎
安藤宇一郎

木村 章
遠藤枡秋
小西信雄

橋本光輝
中山義一
塚本秀夫

大野竹好
米田 忠
松本勝次郎

林 喜重
辻岡 保    離陸直後脚入らず引き返す   
増田勘一

大宅秀平
山崎市郎平
池田市次

近藤 任
石崎博次
直島喜平

ざっとこんなところで。
当時、まだ3機1小隊で飛んでいます。各小隊ごとに、小隊長(1番機)、2番機、3番機の順で並んでいます。

「あ、こんなところに重大なヒントがっ!!」

実は上の画像、UI-105機のみ抽出して描いていますが、実際の写真には105号機のすぐ向こうに翼を重ねるようにして109号機が写っています。位置からして、105号機が小隊長、109号機は列機の位置です。

ずっと離れたところに3機編隊で飛んでいる小隊が写っているカットもあります。

トレースした105号機は吉田さん搭乗の陸攻の右側を飛んでいますが、左側を飛んでいるカットもあります(「行き」と「帰り」か?)。
右側を飛んでいるカットも、左側を飛んでいるカットも、どちらもなぜか「2機1小隊」・・・・。105号機と109号機。
あれー、なんでかなあ・・・・????
1人足りんぞー。

(^O^)

というわけで、ここからママ妄想大爆走ーーーー!!!!!

「この2機は、小隊の2番機が脚引き込み不具合で引き返した林喜重中尉の小隊に違いないっ!!」

もし、従来の説のように105号機が西澤さんだったとしたら、
「鴛渕中尉、どこ飛んでんねんっ!?」
ってことになりませんか?
まさか、陸攻の窓からカメラを向けている吉田さんに気づいた西澤さんが、
「おーい! おれ! おれを撮ってくれいー!!」
と鴛渕さんの前にしゃしゃり出てきたとは考えられないし。
なので、105号機は、鴛渕小隊の2番機の位置にいなければならないはずの西澤さんではない、と確信。

もともと2機1小隊で出撃した林小隊の2人(林喜重中尉、増田勘一2飛曹)ではないのかな、と。
この2人は前年の台南空時代からいた搭乗員ではないので、吉田さんが覚えていないとしても納得です。

で、顔は林中尉なのかどうか?
林中尉の顔がよくわかる写真・・・・。343空集合写真ではよくわからない・・・・。
源さんが貸してくださった内地防空隊の写真集の中に林中尉の顔がよくわかる写真が1枚ありましたが、はっきりいって、105号機の搭乗員とは似ていません(きっぱり)(-_-;)。

でも、もう、105号機はママの中では「林喜重中尉機」決定でーす!!\(^o^)/

コメント

_ 小林洋輔 ― 2024年08月30日 10時55分09秒

貴重な調査努力に感無量です。私が中学生のころ初めてこの写真をみたのはコロムビアレコードの軍歌集LPレコードのジャケットでした。その後さまざまな媒体でみかけましたが誰の操縦なのか考えてもみませんでした。少し前に岩本徹三中尉のことを知り改めて零戦のことに興味がわき、今回林喜重中尉搭乗機とのことを知り感激しました。同時にこの機体の迷彩塗装がオリジナルの灰白色の上に現地で応急に暗緑色の塗装をしたために前部が剥げてきたのか気になっています。つまり最初から迷彩塗装ではなくてはげてきたというのが正しい理解でしょうか。

_ mama ― 2024年08月30日 16時35分41秒

こんにちは。コメントありがとうございます。
16年前に書いた投稿ですね(^_^;)
当時は搭乗割から「林さんに違いない」と思って書いたんですよね。あれから林さんのほかの写真を見る機会もありましたが、やはりお顔に関してはは「?」なんですよね。
風防越しなんでちょっと歪んでいたりするのでしょうか。
当時のほかの251空搭乗員たちの写真も見ましたが、小隊長クラスで「この人だ!」って人もいません。超有名な零戦写真なので、誰が乗っているのか、突き止めたいですけどね。
スイマセン、塗装のことはわたしはよくわかりません💦

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