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この人も、誰だろうねえ?2008年12月17日 07時46分23秒

ラバウルの中尉
恒例!「これは誰だ?戦史シリーズ」!!
(わけのわからんカテゴリーが増えて((^^)) ドーモ、スイマセン)

この人、イケメンですよねー。
(「軍人さんを美という基準で判断するなんて」と言った舌の根も乾かないうちに・・・・)

ママが初めてこの人に出会ったのは・・・・。
武田信行『最強撃墜王―海軍トップエース西澤廣義の生涯―』でした。
えええっ???? これが西澤さんっ!?
とびっくりされたあなた! もちろん、違います(笑)。

どういうわけか、『最強撃墜王』の装丁カバーをペランと外すと、本本体にこのイケメン中尉さん画像が印刷されています。
西澤さんの本なのに、どうしてどこの誰ともわからん中尉さんの写真を使うんよー(怒)。
西澤さんじゃあ、装丁に使えるようなイケメン写真がないってことかよー(怒)

と、怒りたいのはやまやまですが、イケメンなので、まあ、許す。

知らない人が見たら、
「これが西澤飛曹長!? イケメンだわ~(・o・)」
と勘違いしちゃいますよねー。

以前、ここで紹介した日本海軍搭乗員フィギュアの箱絵もこの中尉さんがモデルと思われます。
かっこいいからね~。

んで、これ、誰なん?って話ですが。
我が家にある光人社『零戦』って写真集にもこの写真が掲載されていますが、解説には、
『わずかに残されたヤシの木を背景に、ラバウル東飛行場隅の駐機エリアに並ぶ、零戦22型の前で、記念写真におさまる搭乗員。彼の背景の零戦には、上面に珍しい格子状パターン迷彩を施しており、胴体後部には2本の白い斜帯を記入しているところから、分隊(中隊)長乗機と思われる。この零戦搭乗員は、激戦のソロモン航空戦を生き延びられたのだろうか?』

搭乗員に関して、情報はありません。
場所はラバウルだそうで。写っている格子柄零戦は22型だそうで。よく見ると、飛行服の階級章は「中尉」です。
(ちなみに、西澤さんは戦死後2階級特進して西澤廣義「中尉」になりましたが、生前、中尉だったことは一瞬たりともありません。まあ、ホリブンは上飛曹時代一晩だけ「中尉」だったことがあるようですが(笑))

そこらへんから妄想を交えて判断すると、この人は251空の搭乗員?

すいません、いきなりぶっ飛びました。説明します。

後ろに写っている零戦22型、アンテナポールがありません。
「251空の零戦」と言われているもののほとんどにアンテナポールがありません(というか、アンテナポールのある251空の零戦はママは見たことがない)。他隊がアンテナポールをどうしていたか知りませんが、ママは研究家ではないので、ここはもう勝手に、
「これは251空の零戦だっ!!」
ということで。

先日、ここでUI-105号機の話を書きましたが、105号機が写った写真の中に、ずっと後ろの方に格子柄迷彩の零戦が飛んでいる写真があります(おそらく小隊長機)。
この中尉さんの背景に写っている格子柄迷彩の零戦も胴体に斜線入りだし、解説にはありませんが、尾翼にも帯が入っているように見えます。
105号機の向こうを飛んでいる格子柄迷彩機の胴体や尾翼の状態までわかりませんが、位置的には分(中)隊長である可能性も高く、もしかしたら、同じ機体かな、とも思います。

さて、格子柄迷彩機が251空の零戦かどうか、それがわかったとしても、この搭乗員がこの迷彩機と関係があるかどうかわからないので、無駄な努力です。
でも、ママ的にはもう「関係ある」ということにして、この搭乗員も251空の搭乗員、と言いきってしまいたい(願望)!!

んじゃあ、誰かいな?
ということで、251空の士官搭乗員(中尉オンリー)。
鴛渕 孝(兵68)
大野竹好(兵68)
香下 孝(兵69)
橋本光輝(兵69)
林 喜重(兵69)
大宅秀平(操14)
こんな感じで。

この中で顔がわかる人。鴛渕中尉、大野中尉、林中尉、大宅中尉。あれ? みんなイケメンやんかっ!!
鴛渕中尉は↑の顔と全然違います。
林中尉も↑ではない。
大宅中尉もかなりイケメンですが、↑ではない。

4人の中では大野中尉に一番似ているような気もしますが・・・・。

香下中尉と橋本中尉は写真を見たことがないので、顔、わかりません。

というわけで、結論!
「鴛渕中尉、林中尉、大宅中尉『以外』」!!

いやー、「たまたま251空の駐機場前を通りかかった他隊の士官搭乗員」ってお題だったら笑うしかないですが(^_^;)
(当時のラバウルには204空や582空もいたので、そちらの方かも?)

今日のプール2008年12月17日 18時58分00秒

今日は、2ヶ月に1度の認定日でした。

いつものようにボビング、板キック、クロール、背面キックと泳いだあと、背泳ぎを何本か泳ぎました。最初の2回ぐらいは途中でコーチが手を出して修正。

3本目かな、コーチの手出し無しで背泳ぎ、25メートル泳ぎました。
結構、きれいに快調に泳いでいる感じ。

今日はなぜか金曜女コーチもプールサイドにいて、水温の計測をしたり、溺れている人がいないか見て回ったりしていましたが、春海が背泳ぎ25メートル泳いでいるときは手を止めて、春海の泳ぎをじっと見入っていました。
もちろん、今日の担当Yコーチもコースの途中からじっと見つめていました。

「いや~っ(>_<)! 春海っ!! 2人のコーチが睨んどるぞーー!!」

でも、見られても恥ずかしくないような泳ぎはしていたと思います。
あとキックがちょっと・・・・。

授業が終わると、保護者は更衣室で待つのですが、なぜか、今日に限ってYコーチが更衣室にやってきました。5月から習っているけど、初めてです。

「春海ちゃん、認定出すのは金曜日でいいですか?」
とのこと。
「まだまだって感じですか?」
と尋ねたところ、
「いえ、もう、ほとんど泳げていますよ。あと、キックをもっと強く打ってくれるといいんですけどねー」
「はあ、やっぱ、キックですか・・・・(T_T)」
補助せずに泳がせた1本が認定テストだと思っていたのですが、今日は認定テストはしなかったようです。
(金曜日の申し込みをしたときに、「水曜日の認定テストに落ちたから金曜日にもう一度認定テストを受ける、ということはできません。どちらかに決めて、テストは1回です」と言われたので)
「認定テストの曜日は金曜の先生と話し合っていいようにしてください。うちはどちらでもいいです」
と言っておきました。

たぶん、プール的(コーチ的)には、水曜に春海が単独で認定もらったり、落ちたりしたとき、金曜の2人の男児(現段階で同レベル)とのバランスが狂うのがまずいのだろうな、と思います。
たとえば、春海の方が明らかに上手に泳いでいるのに水曜で落とされて、金曜の男児2人が認定もらう、とか。逆に、春海だけ下手くそなのに水曜に認定もらって、男児2人が金曜に落とされちゃうとか。
金曜に認定テストすれば、少なくとも3人のバランスは保てるのでね。

ときどき思い出したように咳をしているので、それだけ気をつけて。
金曜は体調万全で臨んでちょーだいね~(^_^)/

最近、副業に精を出している春海のホームグラウンドのプール。
青汁売ったり、ウェア売ったり、セール連発です。
普段は11枚つづりの回数券が「いまだけ」12枚つづりになっていたので、ボーナス出たことだし♪今日、買ってしまいました。

シノ先生、たかだ先生、よろしくお願いしまーす(^O^)
(明後日の授業で今年はプール終わりです。年明けは7日までないので、その間のブログのネタに春海をしごいて下さい)

訂正します2008年12月17日 22時03分40秒

台南空
昨日書いた↑の士官搭乗員の氏名についてですが。
さっそく訂正したくなるような写真や記述を見つけてしまいました。

前列の河合大尉、中島少佐、山下大尉、高塚飛曹長、後列も大野中尉、笹井中尉に関してはそのままです。
問題は昨日「結城国輔」中尉ときっぱりと書ききった搭乗員についてです。

この人、『写真・大空のサムライ』に出ている「17年8月4日ラバウル・台南空戦闘機搭乗員集合写真」(仮に②)に同じ顔の人が写っています。笹井中尉(67期)の左隣です。位置的には67期か68期だろうという位置に座っていて、説明には「結城国輔中尉」と書いてあります(その部分の拡大写真には「結城国輔中尉?」になっていた・・・)。

まあ、ママはその写真の説明を信じていて、この人は「結城国輔中尉」とずっと思っていたのですが、同じ『写真・大空のサムライ』にそれを否定しかねない写真が載っていました。

笹井中尉の関連写真で、35期飛行学生・戦闘機専修生が教官らしき人を囲んで写っている集合写真です。
ここに、②の写真で「結城国輔中尉」と書かれてある人と同じ顔の人が写っているんですよねえ・・・・。
結城国輔中尉は兵学校68期で飛行学生は36期。どうしてここに写っているのだろう・・・・?

つまり、この人(②で笹井中尉の左隣、↑で笹井中尉の右隣・飛行服)、「結城国輔中尉」ではない、ということ!?

・・・・ではないかな?

じゃあ、誰だ?

考えられるのは「林谷忠中尉」のみ。
67期から台南空に配属されたのは笹井醇一中尉、林谷忠中尉、それともう一人栗原克美中尉という人がいるのですが、栗原中尉は『日本海軍戦闘機隊』によると17年7月20日に戦死されているので「8月4日」の集合写真に写れるはずがない。8月4日という撮影日が正しいのであれば、67期は笹井中尉と林谷中尉のみ、ということになります。

これが林谷中尉であれば立ち位置の矛盾も解消されます。
前回、↑の画像で、「68期の結城中尉が67期の林谷中尉より内側に立っているのは違和感がある」という意味のことを書いたと思いますが、笹井中尉の右側の人が67期の林谷中尉で、その外側の人が68期の結城中尉か村田中尉であれば、立ち位置にも何の矛盾もありません。

もう一つ、ちょっと気になる記述を見つけました。
豊田穣氏の『同期の桜』です。豊田氏の同期生兵学校68期のレクイエムのような本で、戦死した同期生の似顔絵(かなり似ている)が載っています。
ここに結城中尉、村田中尉の似顔絵が出ていないかなあ、と思ってみてみたのですが、残念ながら似顔絵はありませんでした。
が、貴重な記述を見つけました。
『この分隊には、坂本、太田政治、結城国輔ら小柄な男が多かったが』
小柄な男
小柄な男
小柄な男
・・・・らしいです。

↑の画像の笹井中尉の右側の人、小柄ではないですよね?
ということで、ママの中ではもうこの人、「結城国輔中尉」ではありません。

「小柄」ということであれば、↑左端の人物より、右端の人物の方が結城国輔中尉なのかな?
で、左端が村田功中尉?

でも、あくまでママの想像です。
同じく想像で書いた昨日の話、みなさん、忘れて下さい \(__ )

どなたか、林谷忠中尉、結城国輔中尉、村田功中尉の顔をご存知ありませんかー????