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ホリブンの搭乗機2008年12月08日 07時33分31秒

またまたまたまた、「どうでもいい戦史」シリーズ。

ホリブンがどんな飛行機に乗ったかなんて、みなさんにはまったくどうでもいいことでしょうが、書かせてください!

ホリブンは昭和13年に乙種飛行予科練習生になり、17年5月ごろ実施部隊に配属された戦闘機乗りです。
予科練といっても、最初から飛行機に乗れるわけではなく、最初は普通の学生のように学科を勉強します。軍務に耐えられるよう体も鍛えます。
飛行機に乗れるようになるのは入隊後1年以上経ってからです。

飛行練習生時代、ホリブンは『3式初練』、『93式中練』、『90式複座練戦(練習戦闘機)』での訓練を続け、とうとうホンモノの戦闘機『96艦戦(艦上戦闘機)』にまで乗れるようになります。

そこまでやって、ホリブンは実施部隊に出たのではないかと思われます。ラバウルの台南空です。
ここでは乗機は『零戦』です。いよいよですね~。

その後、582空、怪我→後送、ということになりますが、ずっと零戦でしょう。
怪我の癒えたホリブンは大村空、三亜空、高雄空などの練習航空隊の教員勤務が続きます。
おそらくここでは零練戦や零戦(教員も時には攻撃隊として出撃したり、防空戦闘に従事)に乗っていたでしょう。

ホリブン、意外な搭乗歴があります。
実はホリブン、殺人機といわれた暴れ馬『雷電』に乗れます。
高雄の教員時代、厚木で講習を受けて雷電を高雄に持ち帰っています。
ただ、高雄に戻ってからはあまり乗っていた形跡がない。一緒に講習を受けた後輩の教員が専用機のようにして乗っていたらしいので、ママが想像するに、
「おれ、雷電、やだ。お前乗れ」
と後輩に押しつけてしまったのでは・・・・とか・・・・?(^_^;)。

その後、ホリブンは内地に戻って343空の先任搭乗員に。
343空は紫電改の部隊ですが、紫電改が揃うまでは紫電も使っていたようなので、ホリブンも紫電に乗ったことでしょう。
もちろん、以後、ホリブンの乗機は終戦まで『紫電改』です。

終戦後、全日空に入社し旅客機の機長になったホリブン。
わかっているだけで、
『ダグラスDC-3』(エンジントラブルで浜松に不時着時)
『ボーイング727』(ハイジャックで乗っ取られた時)
に乗っています。

こうやって見ると、ホリブン、結構いろいろな飛行機に乗っているんですよねー。
西澤さんなんか、おそらく、戦闘機は96戦と零戦だけでしょう。
(開戦前、鈴鹿で偵察練習生の操縦教員をしていたらしいので、その間は機上作業機にも乗っていた?)
西澤さんもフィリピンで戦死しなければ内地防空に従事して雷電や紫電改に乗っていた可能性があったのでしょうか。いや・・・・想像できん・・・・。

もので釣るのは好かんのだけど2008年12月08日 19時08分00秒

我が家では基本的に春海に、
「○○したら、△△買ってあげる」
という教育はしておりません。

見返りがないと動かない子になったら困るので。

でも、今日はその禁を破って春海の目の前ににんじんをぶら下げてしまいました。

「インフルエンザの注射して泣かなかったら好きな本を買ってあげる」

と調子のいいことを言って、春海をインフルエンザの予防接種に連れて行きました。

春海、注射が異常に怖くて、消毒段階でぎゃーぎゃー泣き叫び暴れます。いつも看護師さんと2人がかりで押さえつけて注射をしてもらっています。

もう小学生なのに、いつものようにぎゃんぎゃん泣かれたらいやなので、春海を甘い言葉で釣って病院に連れて行きました。

「本を買ってあげる」とは言ってみたものの、99パーセント、泣くやろうなあ、と覚悟はしていました。

ところが、春海、消毒の間、おとなしくしているではありませんか。
あれ? いつもと様子が違う。
看護師さんに後ろから羽交い絞めにされ、お医者さんが注射する部分をつまんでもまだ泣きません。

ブチュっと針が刺さりました。
「うっ(>_<)」
と短く声を上げただけで、泣くのを我慢できました\(^o^)/

注射をして泣かなかった春海を見て、ママが泣きそうになりました(T_T)
えらいよ~えらいよ~春海~(T_T)

帰り、本屋に連れて行ったら『怪談レストラン』という、児童向けのちょっとコワ系の読み物を選んだので買ってあげました。
ママも一緒に歴史街道・真珠湾特集を買いました。