軍歌&演説大会!! ― 2008年06月16日 08時19分48秒
まだ続きます、搭乗員の集い。
懇親会が始まる前、まだ会が厳粛な雰囲気だった時に『同期の桜』をみなで歌いました。
「ああ・・・・これぞ海軍さん。本物の軍歌だあ・・・・すごいなあ・・・・」
本当に身の引き締まる感じだったんですよ。ちょっと場違いなところに来てしまったのでは、みたいな。男の世界というのでしょうか。
ところが、懇親会が始まって、酒が入って、宴もたけなわになった頃、突然、マイク付きの楽しい軍歌大会が始まりました。
盛り上がっちゃって、「おれも」「おれも」状態です。
途中で歌詞を忘れた人がいたら、「おれが歌う」とマイクを奪い・・・・。
1番と2番が入れ替わっていたら途中で横から「それは2番じゃ! 1番はこうじゃ!」とチャチャが入り。
「じゃあ、次はおれ!」とマイクに殺到・・・・みたいな感じでした。
マイクのない人は地声で歌ったり、手拍子したり。
題名を覚えていたらよかったのですが、わたしも軍歌は詳しくないのでよくわかりませんでした。でも「みなさん、とても楽しそうだった」というのはよくわかりました。
途中で、甲飛10期の同期生、OさんとKさん(お二人とも343空)が、
「自分たち甲飛10期生はラバウルを知らない。だから、『ラバウル零戦隊の歌』を歌う」
と言って、お二人で声を合わせて歌われました。
そのお隣で、海軍歴10年、特務士官のMブンさんがじっと聞いておられたのですが、歌が終わった途端にお二人に、
「おい、その歌、何や?」
「『ラバウル零戦隊の歌』です」
「なんや、おれ、ラバウルおったのにその歌知らん」
会場、大爆笑でした。
ラバウルをご存知ない甲飛10期のお二人が知っていた『ラバウル零戦隊の歌』を、当のラバウル零戦隊で戦っておられたMブンさんがご存知なかったとは。
そのMブンさん、もうすぐ90になられるらしいのですが、元気元気。
どこだったか・・・・南方の方だったか、おそらくどっかの島だったと思うのですが、「酋長に教えてもらった歌」というのを現地語で披露されました。なんだか陽気な歌で、Mブンさん、手をくねくねさせ、腰もくねくねさせ、いまにも本格的に躍り出しそうなノリでした。
あとで歌詞の意味の説明もされていましたが、恋の歌のようでした。
この軍歌大会、ただ軍歌を歌うだけではなく、ときどき演説も入ります。
マイクを持って自分の言いたいことを言うのです。若い人たちに言っておきたいことや、亡くなった戦友に対する思い・・・・のような真剣な話があるかと思えば、面と向って先輩を罵倒(?)したり、真面目な話だと思って真剣に聞いていたら、やっぱり関西人、最後は話にオチがある、てな感じで。
前もって「ざっくばらんな会」ということは聞いていたのですが、あれほどとは思いませんでした。いや~楽しかったです。
80~90歳までおられたのだと思うのですが、あのお年であの元気なら、海軍時代はいったいどうなっていたんだ????と、想像するのすら怖ろしいような元気っぷりでした。
いつも会に参加されている方が口をそろえて言われていましたが、今回は異様に盛り上がった、と。
そんなときにその場にいられて、ママは幸せ者です~(^。^)
懇親会が始まる前、まだ会が厳粛な雰囲気だった時に『同期の桜』をみなで歌いました。
「ああ・・・・これぞ海軍さん。本物の軍歌だあ・・・・すごいなあ・・・・」
本当に身の引き締まる感じだったんですよ。ちょっと場違いなところに来てしまったのでは、みたいな。男の世界というのでしょうか。
ところが、懇親会が始まって、酒が入って、宴もたけなわになった頃、突然、マイク付きの楽しい軍歌大会が始まりました。
盛り上がっちゃって、「おれも」「おれも」状態です。
途中で歌詞を忘れた人がいたら、「おれが歌う」とマイクを奪い・・・・。
1番と2番が入れ替わっていたら途中で横から「それは2番じゃ! 1番はこうじゃ!」とチャチャが入り。
「じゃあ、次はおれ!」とマイクに殺到・・・・みたいな感じでした。
マイクのない人は地声で歌ったり、手拍子したり。
題名を覚えていたらよかったのですが、わたしも軍歌は詳しくないのでよくわかりませんでした。でも「みなさん、とても楽しそうだった」というのはよくわかりました。
途中で、甲飛10期の同期生、OさんとKさん(お二人とも343空)が、
「自分たち甲飛10期生はラバウルを知らない。だから、『ラバウル零戦隊の歌』を歌う」
と言って、お二人で声を合わせて歌われました。
そのお隣で、海軍歴10年、特務士官のMブンさんがじっと聞いておられたのですが、歌が終わった途端にお二人に、
「おい、その歌、何や?」
「『ラバウル零戦隊の歌』です」
「なんや、おれ、ラバウルおったのにその歌知らん」
会場、大爆笑でした。
ラバウルをご存知ない甲飛10期のお二人が知っていた『ラバウル零戦隊の歌』を、当のラバウル零戦隊で戦っておられたMブンさんがご存知なかったとは。
そのMブンさん、もうすぐ90になられるらしいのですが、元気元気。
どこだったか・・・・南方の方だったか、おそらくどっかの島だったと思うのですが、「酋長に教えてもらった歌」というのを現地語で披露されました。なんだか陽気な歌で、Mブンさん、手をくねくねさせ、腰もくねくねさせ、いまにも本格的に躍り出しそうなノリでした。
あとで歌詞の意味の説明もされていましたが、恋の歌のようでした。
この軍歌大会、ただ軍歌を歌うだけではなく、ときどき演説も入ります。
マイクを持って自分の言いたいことを言うのです。若い人たちに言っておきたいことや、亡くなった戦友に対する思い・・・・のような真剣な話があるかと思えば、面と向って先輩を罵倒(?)したり、真面目な話だと思って真剣に聞いていたら、やっぱり関西人、最後は話にオチがある、てな感じで。
前もって「ざっくばらんな会」ということは聞いていたのですが、あれほどとは思いませんでした。いや~楽しかったです。
80~90歳までおられたのだと思うのですが、あのお年であの元気なら、海軍時代はいったいどうなっていたんだ????と、想像するのすら怖ろしいような元気っぷりでした。
いつも会に参加されている方が口をそろえて言われていましたが、今回は異様に盛り上がった、と。
そんなときにその場にいられて、ママは幸せ者です~(^。^)
M分隊士(343空戦闘301) ― 2008年06月16日 09時08分21秒
搭乗員の集いに来られていたM分隊士(通称・Mブン)さんですが、この方は海軍歴10年、今年90歳になられるということでした。
元は艦に乗っておられたようです。15年に丙飛に入って戦闘機乗りになられています。
ママはこの方の手記も読みましたし、写真もたくさん見ました。戦史研究家の方が書いた本にもこの人のエピソードがたびたび出てくるので、ある程度、Mブンさんのイメージというものが出来上がっていました。
えー、どんなイメージかというと・・・・。温厚な、物静かな、やさしげーな人。というイメージです。
14日、わたしが会場に着いた時にはまだMブンさんは来られていませんでした。
少し経って、
「Mさん、来られました」
「お久しぶりです」
などの声がしたので受付の方を見ると、たしかに写真で見覚えのあるMブンさんです。すぐにわかりました。
わあ、あのMさんだあっ!!
(本を持ってきてサインをしてもらえばよかった!)
感激の眼で見たのですが、ちょうどそのとき、携帯の着信音が鳴り響きました。
「誰だ?」
と思ったら、当のMブンさんの携帯でした、Mブンさん、さっと携帯を取り出し、少し受付から遠ざかるようにして出て行かれ、電話に出られました。
「おう! いま着いたところや!」
相手の方はあとで息子さんだったと言われていましたが、とにかくびっくりしたのはママが抱いていたイメージではなかったということ。大きな声で、はっきりとガンガン話をされる方でした(^_^;)。
写真やエピソードだけで妄想していたら大間違いということですね(笑)。
懇親会の途中で、先に堀さんのことを尋ねた戦闘301のKさんに呼ばれたので行ってみると、
「いま、この人、面白い話をしているから聞いとき」
と、Mブンさんの近くの席を勧めてくださいました。
こんなチャンスはない、と思い、Mブンさんの真後ろの席に座って、Mブンさんが外国人の方と話をされているのを聞かせてもらいました(会話は日本語でした)。
お二人は一生懸命話をされていたので、挨拶も自己紹介もしないまま、背後霊のようにMブンさんの後ろに陣取り話を聞かせてもらいました。
いろいろおもしろい話を聞けたのですが、たぶん、Mブンさんは「わたしに話した」という意識は全くないと思うので、ここに書くことは控えておきます。
そのあとMブンさんは居酒屋のママさん(?)を横に置いて放されなかったので、結局、直接お話を伺う機会はありませんでした。
でも、Mブンさんの演説は圧巻でした。
おれは長生きする!!と宣言されていたので、次の機会に話が聞ければ、と思います。
それにしても、Mブンさんも戦闘301のKさんも、お酒、タバコ、まったく節制している様子はありませんでした。好きなだけ飲んで好きなだけ吸うという感じでした。
会としてはもう終わっていた時間帯じゃないかと思うのですが、Mブンさん、
「ビールが足りん!! ビール持ってこいっ!! みんなの分、持ってこい! こっからさきはおれが払うっ!!」
みんな、「燃料切れや」と笑っていましたが。飲ませて大丈夫なんですか~? みなさん、帰りのことなどちゃんと考えているんですか~?
いやー、豪快で愉快な方でびっくりしました(ママ妄想、見事轟沈)。
元は艦に乗っておられたようです。15年に丙飛に入って戦闘機乗りになられています。
ママはこの方の手記も読みましたし、写真もたくさん見ました。戦史研究家の方が書いた本にもこの人のエピソードがたびたび出てくるので、ある程度、Mブンさんのイメージというものが出来上がっていました。
えー、どんなイメージかというと・・・・。温厚な、物静かな、やさしげーな人。というイメージです。
14日、わたしが会場に着いた時にはまだMブンさんは来られていませんでした。
少し経って、
「Mさん、来られました」
「お久しぶりです」
などの声がしたので受付の方を見ると、たしかに写真で見覚えのあるMブンさんです。すぐにわかりました。
わあ、あのMさんだあっ!!
(本を持ってきてサインをしてもらえばよかった!)
感激の眼で見たのですが、ちょうどそのとき、携帯の着信音が鳴り響きました。
「誰だ?」
と思ったら、当のMブンさんの携帯でした、Mブンさん、さっと携帯を取り出し、少し受付から遠ざかるようにして出て行かれ、電話に出られました。
「おう! いま着いたところや!」
相手の方はあとで息子さんだったと言われていましたが、とにかくびっくりしたのはママが抱いていたイメージではなかったということ。大きな声で、はっきりとガンガン話をされる方でした(^_^;)。
写真やエピソードだけで妄想していたら大間違いということですね(笑)。
懇親会の途中で、先に堀さんのことを尋ねた戦闘301のKさんに呼ばれたので行ってみると、
「いま、この人、面白い話をしているから聞いとき」
と、Mブンさんの近くの席を勧めてくださいました。
こんなチャンスはない、と思い、Mブンさんの真後ろの席に座って、Mブンさんが外国人の方と話をされているのを聞かせてもらいました(会話は日本語でした)。
お二人は一生懸命話をされていたので、挨拶も自己紹介もしないまま、背後霊のようにMブンさんの後ろに陣取り話を聞かせてもらいました。
いろいろおもしろい話を聞けたのですが、たぶん、Mブンさんは「わたしに話した」という意識は全くないと思うので、ここに書くことは控えておきます。
そのあとMブンさんは居酒屋のママさん(?)を横に置いて放されなかったので、結局、直接お話を伺う機会はありませんでした。
でも、Mブンさんの演説は圧巻でした。
おれは長生きする!!と宣言されていたので、次の機会に話が聞ければ、と思います。
それにしても、Mブンさんも戦闘301のKさんも、お酒、タバコ、まったく節制している様子はありませんでした。好きなだけ飲んで好きなだけ吸うという感じでした。
会としてはもう終わっていた時間帯じゃないかと思うのですが、Mブンさん、
「ビールが足りん!! ビール持ってこいっ!! みんなの分、持ってこい! こっからさきはおれが払うっ!!」
みんな、「燃料切れや」と笑っていましたが。飲ませて大丈夫なんですか~? みなさん、帰りのことなどちゃんと考えているんですか~?
いやー、豪快で愉快な方でびっくりしました(ママ妄想、見事轟沈)。
特に心に残っている演説 ― 2008年06月16日 21時07分02秒
今回も搭乗員の集いの話ですよ~
いや・・・・実は、ああいう会で見聞きしたことをこんなところに勝手に書いていいのかなあ、というためらいもあるのですが、戦闘301のKさんが、
「自分がこうやって話をするのは、自分の体験したことを若い人に伝えて、またさらに若い世代に伝えていってもらいたいからだ」
と何度も言われていたので、ご本人に、
「この話、ブログに書きます」
とお断りはしていないのですが、勝手に書かせてもらうことにしました。
先に書いた軍歌&演説大会の時、感銘を受けた話。どの話も味わい深かったのですが、特に心に残った話を2つ。
M分隊士の話。
「われわれ戦闘機搭乗員は、つねに整備員に支えられていたということを忘れてはいけない」
このことを力説されていました。
Mさんは歴戦のえらい人ですが、えらい人ほどやはり周囲に対する感謝の気持ちを持ち続けているのだなあと感動しました。
もしかして、西澤さんもこんな人だったのかな?と期待してみてもいいですかね?
戦闘301のKさんの話。
フィリピンで特攻隊の直掩をされた時の話をされました。
「8機の戦闘機で、忠勇隊という彗星特攻の直掩をし、艦に体当たりするのを目の前で見た」
という話です。
家に帰ってきて調べました。
19年10月27日、第一ニコルス基地から3機の彗星艦爆が出撃し特攻攻撃をしています。
701空攻撃5の茂木利夫飛曹長・山田恭司大尉機、玉森武次二飛曹・竹尾要一飛曹機、岩下栄太郎二飛曹・山野登一飛曹機。
Kさんが言われていたのはこの隊のことだと思います。
敵艦に体当たりするのを見たとき、Kさんは何を感じたか。
「ああ、あいつも死んだかあ、というような感傷はなかった。ただ、次は自分、明日は我が身、と思っただけ」
実際に見た人の気持ちなど想像しようにもできませんが、目の前で尋常でない攻撃方法で戦死したわけですから、何かこう激しく動揺するのが当然かと思っていたのですが、Kさんはそういう心の動きはなかったと言われていました。
「そうでないと自分が戦争してられへん」
とも言われていました。
(これはマイクを持って演説されたときだけの話ではなく、2次会でもう一度同じ話をされ、その時体当たりを見て感じたことをさらに詳しく語ってくださいました)
戦死された方ももちろんそうですが、戦死せずともこういう苦しい思いをしながら戦い続けてくださった方々にも、感謝の気持ちを忘れてはいけないですね。
いや・・・・実は、ああいう会で見聞きしたことをこんなところに勝手に書いていいのかなあ、というためらいもあるのですが、戦闘301のKさんが、
「自分がこうやって話をするのは、自分の体験したことを若い人に伝えて、またさらに若い世代に伝えていってもらいたいからだ」
と何度も言われていたので、ご本人に、
「この話、ブログに書きます」
とお断りはしていないのですが、勝手に書かせてもらうことにしました。
先に書いた軍歌&演説大会の時、感銘を受けた話。どの話も味わい深かったのですが、特に心に残った話を2つ。
M分隊士の話。
「われわれ戦闘機搭乗員は、つねに整備員に支えられていたということを忘れてはいけない」
このことを力説されていました。
Mさんは歴戦のえらい人ですが、えらい人ほどやはり周囲に対する感謝の気持ちを持ち続けているのだなあと感動しました。
もしかして、西澤さんもこんな人だったのかな?と期待してみてもいいですかね?
戦闘301のKさんの話。
フィリピンで特攻隊の直掩をされた時の話をされました。
「8機の戦闘機で、忠勇隊という彗星特攻の直掩をし、艦に体当たりするのを目の前で見た」
という話です。
家に帰ってきて調べました。
19年10月27日、第一ニコルス基地から3機の彗星艦爆が出撃し特攻攻撃をしています。
701空攻撃5の茂木利夫飛曹長・山田恭司大尉機、玉森武次二飛曹・竹尾要一飛曹機、岩下栄太郎二飛曹・山野登一飛曹機。
Kさんが言われていたのはこの隊のことだと思います。
敵艦に体当たりするのを見たとき、Kさんは何を感じたか。
「ああ、あいつも死んだかあ、というような感傷はなかった。ただ、次は自分、明日は我が身、と思っただけ」
実際に見た人の気持ちなど想像しようにもできませんが、目の前で尋常でない攻撃方法で戦死したわけですから、何かこう激しく動揺するのが当然かと思っていたのですが、Kさんはそういう心の動きはなかったと言われていました。
「そうでないと自分が戦争してられへん」
とも言われていました。
(これはマイクを持って演説されたときだけの話ではなく、2次会でもう一度同じ話をされ、その時体当たりを見て感じたことをさらに詳しく語ってくださいました)
戦死された方ももちろんそうですが、戦死せずともこういう苦しい思いをしながら戦い続けてくださった方々にも、感謝の気持ちを忘れてはいけないですね。