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特に心に残っている演説2008年06月16日 21時07分02秒

今回も搭乗員の集いの話ですよ~

いや・・・・実は、ああいう会で見聞きしたことをこんなところに勝手に書いていいのかなあ、というためらいもあるのですが、戦闘301のKさんが、
「自分がこうやって話をするのは、自分の体験したことを若い人に伝えて、またさらに若い世代に伝えていってもらいたいからだ」
と何度も言われていたので、ご本人に、
「この話、ブログに書きます」
とお断りはしていないのですが、勝手に書かせてもらうことにしました。

先に書いた軍歌&演説大会の時、感銘を受けた話。どの話も味わい深かったのですが、特に心に残った話を2つ。

M分隊士の話。
「われわれ戦闘機搭乗員は、つねに整備員に支えられていたということを忘れてはいけない」
このことを力説されていました。
Mさんは歴戦のえらい人ですが、えらい人ほどやはり周囲に対する感謝の気持ちを持ち続けているのだなあと感動しました。
もしかして、西澤さんもこんな人だったのかな?と期待してみてもいいですかね?

戦闘301のKさんの話。
フィリピンで特攻隊の直掩をされた時の話をされました。
「8機の戦闘機で、忠勇隊という彗星特攻の直掩をし、艦に体当たりするのを目の前で見た」
という話です。
家に帰ってきて調べました。
19年10月27日、第一ニコルス基地から3機の彗星艦爆が出撃し特攻攻撃をしています。
701空攻撃5の茂木利夫飛曹長・山田恭司大尉機、玉森武次二飛曹・竹尾要一飛曹機、岩下栄太郎二飛曹・山野登一飛曹機。
Kさんが言われていたのはこの隊のことだと思います。

敵艦に体当たりするのを見たとき、Kさんは何を感じたか。
「ああ、あいつも死んだかあ、というような感傷はなかった。ただ、次は自分、明日は我が身、と思っただけ」
実際に見た人の気持ちなど想像しようにもできませんが、目の前で尋常でない攻撃方法で戦死したわけですから、何かこう激しく動揺するのが当然かと思っていたのですが、Kさんはそういう心の動きはなかったと言われていました。
「そうでないと自分が戦争してられへん」
とも言われていました。
(これはマイクを持って演説されたときだけの話ではなく、2次会でもう一度同じ話をされ、その時体当たりを見て感じたことをさらに詳しく語ってくださいました)

戦死された方ももちろんそうですが、戦死せずともこういう苦しい思いをしながら戦い続けてくださった方々にも、感謝の気持ちを忘れてはいけないですね。

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