春海、「お掃除機」をゲットする♪ ― 2008年04月22日 08時42分29秒

先週末、春海宛に荷物が届きました。
宮崎のばあばから「お掃除機」が送られてきました。
春海、ずいぶん前からおもちゃの掃除機が欲しくて、クリスマスにも誕生日にもこれが欲しいと言っていました。
パパもママも、
「こんなん、赤ちゃんの」
と言って相手にしていなかったのですが、先日、春海が電話でばあばに欲しいものはないか聞かれて、
「子供のお掃除機」
と言っちゃったもんだから、即、送られてきました。
箱に掃除機でゴミを吸っている写真が印刷されているのですが、端っこに但し書で、
「※写真のゴミはセットに含まれておりません」
と書いてあるのには笑ってしまいました。
大丈夫!! 心配していただかなくても、ゴミは自前でいくらでも用意してありますっ!!
開けてみたら、単2電池4本が必要で、それが家にはなかったので、翌日電器屋に買いに行って、やっと動かすことができるようになりました。
昨日、春海は自分のお部屋のお掃除をこれでやりました。
こんな赤ちゃん用の掃除機でもゴミが吸えるんですねー。ゴミケースにモコモコのゴミがたまっていました。春海、大喜び(^○^)
ところで、春海、掃除機のことをなぜか「お掃除機」と言います。
関係ないけど、西澤さんも「お掃除」派なんですよねー。体はでかいけど、意外とかわいい。
宮崎のばあばから「お掃除機」が送られてきました。
春海、ずいぶん前からおもちゃの掃除機が欲しくて、クリスマスにも誕生日にもこれが欲しいと言っていました。
パパもママも、
「こんなん、赤ちゃんの」
と言って相手にしていなかったのですが、先日、春海が電話でばあばに欲しいものはないか聞かれて、
「子供のお掃除機」
と言っちゃったもんだから、即、送られてきました。
箱に掃除機でゴミを吸っている写真が印刷されているのですが、端っこに但し書で、
「※写真のゴミはセットに含まれておりません」
と書いてあるのには笑ってしまいました。
大丈夫!! 心配していただかなくても、ゴミは自前でいくらでも用意してありますっ!!
開けてみたら、単2電池4本が必要で、それが家にはなかったので、翌日電器屋に買いに行って、やっと動かすことができるようになりました。
昨日、春海は自分のお部屋のお掃除をこれでやりました。
こんな赤ちゃん用の掃除機でもゴミが吸えるんですねー。ゴミケースにモコモコのゴミがたまっていました。春海、大喜び(^○^)
ところで、春海、掃除機のことをなぜか「お掃除機」と言います。
関係ないけど、西澤さんも「お掃除」派なんですよねー。体はでかいけど、意外とかわいい。
今日は4月22日 ― 2008年04月22日 12時20分51秒

深井良中尉のお誕生日です。
深井良中尉公式サイトがまだ中断中なので(大変なことに、”カビ”が生えてしまったそう!?)、こちらの(勝手に自称)セカンドサイトの方で、ささやかなお誕生会です。
1923年生まれなので、85歳ということでしょうか・・・・。
どんなおじいちゃんになっていたのでしょうか。頑固じいさんとか、偏屈じいさんにはなっていないだろうなあ・・・・と妄想してみますが。
水泳係でしたっけ?
じゃあ、おじいちゃんになっても健康増進のためにスイミングに行っていたかもしれないなあ。
春海が行っていたスイミングにも、孫に水泳を教えているっぽいおじいちゃんスイマーが来ていましたからねえ。
話は昭和20年に飛びますが・・・・。
22歳の誕生日を目前にした4月16日、深井中尉は訓練をしていた出水基地を発って、第2美保基地に向かおうとしていました。
もう、飛行機に乗り込んで離陸待ちをしていたのではないかと思われるのですが、そのとき、グラマンが来襲してきたのです。
こうなったら、飛行機から離れて避退するしかありません。
深井中尉もそうしたようですが、そのとき、翼から転落でもしたのでしょうか、腰を強打し、痛めてしまったようです。
ただ・・・・以後の日記を読んでも医務室に行って診察を受けたような様子がありません。
飛行作業がない時に休んでいたような記述はありますが、腰痛をこらえて訓練は続けていたようです。
(操縦席はとても狭そうで、あんなところに座っているだけで腰が痛くなりそうです)
K501は飛行隊長が特攻反対を主張し、正攻法で戦っていた銀河の精鋭部隊。早くその戦力の一部にならなければという気持ちがあり、無理をしていたのでしょうか・・・・。
中尉のけがの状態がどの程度だったのかいまとなってはわからないことですが、もし、医務室に行ってちゃんと診察してもらっていたら、飛行止めになっていた、ということもありえたのかもしれないなあ・・・・といまさら思っても詮ないことを思ってみたり・・・・。
※深井紳一『第九銀河隊指揮官 深井良』元就出版社、また深井さん、同期生の方の話を参考にしています。ただ、今回はママの妄想もかなり・・・・。
深井良中尉公式サイトがまだ中断中なので(大変なことに、”カビ”が生えてしまったそう!?)、こちらの(勝手に自称)セカンドサイトの方で、ささやかなお誕生会です。
1923年生まれなので、85歳ということでしょうか・・・・。
どんなおじいちゃんになっていたのでしょうか。頑固じいさんとか、偏屈じいさんにはなっていないだろうなあ・・・・と妄想してみますが。
水泳係でしたっけ?
じゃあ、おじいちゃんになっても健康増進のためにスイミングに行っていたかもしれないなあ。
春海が行っていたスイミングにも、孫に水泳を教えているっぽいおじいちゃんスイマーが来ていましたからねえ。
話は昭和20年に飛びますが・・・・。
22歳の誕生日を目前にした4月16日、深井中尉は訓練をしていた出水基地を発って、第2美保基地に向かおうとしていました。
もう、飛行機に乗り込んで離陸待ちをしていたのではないかと思われるのですが、そのとき、グラマンが来襲してきたのです。
こうなったら、飛行機から離れて避退するしかありません。
深井中尉もそうしたようですが、そのとき、翼から転落でもしたのでしょうか、腰を強打し、痛めてしまったようです。
ただ・・・・以後の日記を読んでも医務室に行って診察を受けたような様子がありません。
飛行作業がない時に休んでいたような記述はありますが、腰痛をこらえて訓練は続けていたようです。
(操縦席はとても狭そうで、あんなところに座っているだけで腰が痛くなりそうです)
K501は飛行隊長が特攻反対を主張し、正攻法で戦っていた銀河の精鋭部隊。早くその戦力の一部にならなければという気持ちがあり、無理をしていたのでしょうか・・・・。
中尉のけがの状態がどの程度だったのかいまとなってはわからないことですが、もし、医務室に行ってちゃんと診察してもらっていたら、飛行止めになっていた、ということもありえたのかもしれないなあ・・・・といまさら思っても詮ないことを思ってみたり・・・・。
※深井紳一『第九銀河隊指揮官 深井良』元就出版社、また深井さん、同期生の方の話を参考にしています。ただ、今回はママの妄想もかなり・・・・。