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海軍航空隊の呼称2008年04月01日 10時19分41秒

遊就館の零戦52型
ブログを読んでくれている方の中には、海軍(航空隊)に全く興味がなく、ここに251空とか582空とか762空とか書かれても、なんのこっちゃさっぱりという方も多いと思います。
そう思いつつ、いままで説明もせずに書いてきたのですが、それではあまりにも不親切だと思うので簡単に説明しておきます。
(興味のない方にはそれすら苦痛ですよね・・・・。わたしも陸さんの航空隊の話をされたら苦痛だと思います)

海軍の航空隊には地名のついたものとナンバーのついたものとあります。
簡単に言うと、地名のついた航空隊は古くからある航空隊で、ナンバーの航空隊は新しい航空隊、と思ってもらったらいいのではないでしょうか。

大正時代に開隊した横須賀航空隊、霞ヶ浦航空隊、鹿屋航空隊などは、伝統のある航空隊です。

ナンバーの航空隊ですが、昭和16年頃は第6航空隊(6空)とか第12航空隊(12空)のような桁の少ない航空隊もあったのですが、17年11月から3桁のナンバーの航空隊に改称されました。
(地名のまま残った航空隊もあります)

このナンバー、いちおう(?)意味があります。
百の位は機種を示しています。十の位は所属する鎮守府(で、いいんですかね? 横須賀・呉・舞鶴・佐世保)、一の位は奇数なら常設飛行隊、偶数なら特設飛行隊、らしいです。←「らしい」というところが本人もいい加減です。

十の位や一の位はあまり意識したことがないのですが、百の位は重要です。これをみただけで、何の航空隊かわかるのですから。

たとえば、西澤廣義飛曹長が開戦後所属した飛行隊は千歳空、4空、台南空、251空、253空、大分空、203空、最後762空に編入、ということになるのですが、この中の3桁の航空隊、251空、253空、203空ですが、百の位が「2」ですね。これは零戦隊を表しています。
最後、762空に編入、ということになっているのですが、「7」は一式陸攻の部隊です(のちには銀河も)。これは別に西澤さんが機種転換して、一式陸攻や銀河に乗って戦闘したというわけではなく、762空の作戦に戦闘機隊として協力した、という感じです(台湾沖航空戦)。

ちなみに堀光雄飛曹長、この人は開戦後、台南空、582空、大村空などの練習航空隊を経て、343空・・・・となるのですが、あれ、戦闘機乗りやのに200番台の航空隊がないじゃないの、ですね。
582空の「5」は九九艦爆、彗星、銀河などの爆撃機の航空隊のナンバーです。582空は艦爆隊と戦闘機隊の混成部隊でした。堀さんはそこの戦闘機隊に所属していました。
こんな感じで、艦爆隊+戦闘機隊、とか、戦闘機隊+夜戦隊、戦闘機隊+偵察隊、のように、複数の機種で構成された航空隊もあります。
343空の「3」ですが、これは雷電や紫電(改)の航空隊です。月光のような夜戦も含みますが戦闘機隊です。厚木の雷電隊302空も有名です。

ざっと百の位だけ書いておくと、
「1」・・・・九八式偵察機、彩雲
「2」・・・・零戦
「3」・・・・月光、雷電、紫電(改)
「4」・・・・九四式・零式水上偵察機
「5」・・・・九九艦爆、彗星、銀河
「6」・・・・空母機
「7」・・・・一式陸攻
「8」・・・・九七式・二式飛行艇
「9」・・・・海上護衛隊
「10」・・・・九六式(輸送機)・零式陸攻
らしいです。「4」の航空隊なんて、戦闘機や銀河の本ばかり読んでいるわたしはほどんと聞いたことがありません。

あ、書き忘れていましたが、「○○空」というのは略称で、正式には「海軍第○○航空隊」です。

参考・・・・『日本海軍航空隊』双葉社

海軍さんの数字2008年04月02日 07時23分27秒

「海軍さんの」と書いていますが、陸さんの方は不勉強でまったくわかりません。

『男たちの大和』で、沖縄特攻時、最初に接触してきた敵機を見つけた見張り員が、
「マーチン2機!!」
と叫ぶシーンがあります。
「まーちん、にき!!」
ではありません。
「まーちん、ふたき!!」
と叫んでいます。

「おおっー、海軍だ~」
と、ママは『男たちの大和』のこんな細かいところもなんとなくうれしい。

聞き間違える数字があるからか、わたしたちが数えるように「いち、に、さん・・・・」とは数えないんですよね、たしか・・・・?

「ふたき」はよくわかるのですが、昨日ちょっと書いた航空隊のナンバーですが、251空とか、203空、762空、これ、何と読むんでしょう?

以前、本を読んでいてこの航空隊のナンバーに読み仮名が振ってあるのを見たことがあるのですが、たしかこんな感じでした(記憶が定かではない、書名も定かでない情報ですいませんが)。
251空→にひゃくごじゅういち くう
203空→にひゃくさん くう
762空→ななひゃくろくじゅうに くう
てな感じで読み方が書いてあったと思うんですよねー。
「それはないやろう!!」
と思わず突っ込んでしまいましたが、かくいうわたしも正式に何と読んでいたのか知りません。
海軍さんは何でも簡潔がモットーなので、いくらなんでもこんな言いにくい読み方はしていなかったと思うんですよねー。

自分ではこのナンバーは「ばらばらに読むもの」と思っていて、251空であれば「にーごーいち」か「ふたごーいち」もしくは「ふたごーひと」かなと思っているのですが・・・・。
なので203空は「にーまるさん」か「ふたまるさん」、762空は「ななろくに」か「ななろくふた」、どーなんでしょう? どなたか正確なことをご存知の方がいたら教えていただきたい。いまさらって話なんですが・・・・。
ずーっと前からの疑問ですが、いまだに解決していない疑問です。

うちの春海、どういうわけか「7時」を「ななじ」、「7月」を「なながつ」と読みます。家の人間は誰もこんな表現使いません。
昨日は「よんがつ」と言っていたので、思わず笑ってしまいましたが。

明慶幡五郎二飛曹2008年04月03日 09時04分31秒

海軍さんの敬礼はいつ見てもかっこいいっ!!
明慶幡五郎、なんだかとってもいかつい名前で、江戸時代の御家人崩れの不逞浪士みたいな人を想像するかもしれませんが、本人、いたってかわいらしい愛嬌のある感じの搭乗員です。

丙3期出身。
先日樫村さんと堀さんのことを書いたとき紹介した角田和男さんの『修羅の翼』に出てきます。
樫村さん、堀さんとよく小隊を組んで飛んでいた人です。

582空の印象ばっかり強かったのですが、先日、戦史室で台南空の行動調書を見ていてかれの名前があったのでびっくり!
「ええっー! 明慶飛長、台南空だったのー!?」
ということは、堀さんとは582空で小隊を組む前から同僚だったということですね。へえ。
明慶飛長だけではなく、ほかにも台南空から582空に移った人が結構いるようです。
西澤さんや山崎市郎平兵曹、遠藤枡秋兵曹のように、制空戦にどしどし出撃していたような人たちは内地に戻り251空(台南空が改称)で再編成、堀さんや明慶飛長のように基地上空哨戒ぐらいしかしていないような「ジャク」(って言っていいんでしょうか?)は、転勤という形でラバウルに残されたような感じですね。

12月の末にコンビを組んでから固定化しつつあった樫村小隊(2番機・堀、3番機・明慶)ですが、堀さんが1月7日に早々に脱落。小隊長の樫村飛曹長も3月6日に戦死してしまいます。
角田さんによると、行動調書ではこの日の樫村さんの列機は福森大三二飛曹(堀さんの同期生)、山内芳美飛長らしいのですが、実際は福森、明慶だったそう。
その後は明慶飛長もほかの人の列機として戦闘に出撃することになったようです(先日、戦史室ではこの辺りまで確認する余裕がありませんでした)。

18年5月13日、明慶幡五郎二飛曹(進級)、自爆戦死・・・・。

野口義一中尉(兵68期)の指揮によりルッセル島に出撃。
明慶二飛曹は竹中義彦飛曹長(甲1期)の3番機として出撃し、ルッセル島上空の空戦で被弾、火だるまになって自爆した、と報告されました。

角田さんの手記に当時582空の司令であった山本栄大佐の日記が引用されています。

『183(明慶)自爆、140(佐々木)未帰還。-略-指揮所前に整列、野口中尉其他から報告があった。次で当隊員に訓示した。
「明慶、佐々木を失ったのは残念だが」とは口の先迄出て来たが「今言ってはいけない」「士気に影響する」と考えた。「多少の犠牲はあったが(心中多少どころかこんな悲しい事があろうか)一党克く訓示を守って立派な戦果を挙げた、御苦労」鈴木中尉が明慶、佐々木を失って残念だと搭乗員に話していた。明慶自爆の経緯は次のとおりだ。明慶は竹中飛曹長の三番機として終始実によくついて来た。ルッセル島の北方で発動機が悪いらしく速力が少し落ちて居た、自分は接近して共に来たが一寸振り返ると明慶機の二百米後方にP38×1が射撃を始めた。自分は上昇しながら反転援護し様と思ったら、すでに撃たれ黒煙を吐いて錐揉み降下して居る。明慶は自爆した。敵は逸早く遁走した、と、竹中飛曹長が語った、一同はシーンとして聞いて居た』

二人の下士官搭乗員が帰ってこないことを口に出すことが、「士気に影響する」と司令は考え、「こんなに悲しいことはない」とまで書いています。明慶さんの582空での立場が伝わってきます。

司令の日記にはこのあと、指揮所での士官たちの会話が書かれています。

「おい、鈴木中尉(宇三郎、兵68期)、増加食を食べないか」
「いりません。私は今日は嬉しくないのです」
「明慶のことか、惜しいことをしたな」
「人物が立派です。命令されたら駆足態度厳正・・・・」
野口中尉は、
「おれの照準器や遮風板をしょっちゅう磨いてくれた」
隊長(進藤三郎少佐 ママが作った零戦21型1/32の人です)も、
「幡五郎焼が食えなくなったなあ」
と追憶している。
司令官に幡五郎焼の由緒を説明した。
「すなわちメリケン粉、ふくらし粉などで作る菓子で、かれが婦人倶楽部かなんかで見て作ったのでなかなかうまい。一同これをかれの名にちなみ幡五郎焼という」
「かれは器用で、時計も直せば硝子の入れ替えも一手に引き受けてやる」

こうして、指揮所で「自爆戦死」した明慶二飛曹のことをさんざんほめたたえ、偲んだあとで、当の明慶二飛曹がひょっこり帰ってきます。

「零戦一機方向南東距離三万こちらに向かってくる」
鈴木中尉が眼鏡で見る。
「うちの飛行機です、183号」
「明慶だ明慶は183号だ」
と自分(山本司令)が叫んだ。
自爆機が帰った。確かに明慶だ、一同明るい気持ちになる。
「あまりほめ過ぎた、帰ってきたからには先の言は取り消しだ」
と野口中尉が冗談を言った。
「幡五郎焼が食える」
と誰かが言った。

このときの基地の喜びようがまるで目に浮かぶようです。
明慶二飛曹は竹中飛曹長が見たように被弾し火だるまになって落ちていったようですが、海面目前で消火、機を立て直し基地に生還したのでした。

角田さんも書いているように、582空戦闘機隊は直掩任務が多かったせいか、生きて内地に戻れた搭乗員は少なかったようです。
明慶さんはそんな中で生きて戻れた数少ない搭乗員の一人でした。

しかし、横須賀航空隊転勤後、19年7月4日、硫黄島上空の空戦に出撃し、ついに還らぬ一人になってしまいました。

予科練の話2008年04月04日 08時14分34秒

土浦・現自衛隊武器学校
最近、丙とか乙とかって出てきて、やっぱりなんのこっちゃわからない人が多いと思うので、ちょこっと簡単に説明しておきます。

海軍さんの飛行機乗りになるにはいくつかのコースがあります。

①予科練コース
②予備学生コース
③兵学校コース

厳密にはほかにもあるのですが、多いのはこの3コースですかね。
今日はこの中の予科練について。

予科練に関してはご存知の方も多いと思いますが、一口に予科練といっても、受験時に修了している学力の程度によってさらにコースが分かれています。
甲種飛行予科練習生(甲飛)、乙種飛行予科練習生(乙飛)、丙種予科練習生(丙飛)。

甲飛は中学校修了程度の学力が必要で、予科での教育期間は1年から1年半ほど。
乙飛は高等小学校卒業程度の学力が必要で、予科での教育機関は2年半から3年ほど。
丙飛はちょっと説明が難しいので、また今度(いいんかいっ!)。

予科練を卒業した後は飛行練習生として本格的に飛行機に乗るための訓練を始めます。これも、入隊した時期によって差があるのですが、数か月から1年程度。(古い人ほどじっくり・みっちりと訓練を受けています)

甲飛と乙飛は何期かわかれば、その人の海軍歴、階級、年齢がだいたい推測できます。
(丙飛は同じ期でも海軍に入隊した時期が違ったり、階級が違ったり、年齢が離れていたり・・・・これはまた今度)

ちなみに西澤さんは乙飛の7期。昭和11年入隊です。高等小学校を卒業して1年働いていたということなので、同期の最年少というわけではなさそうです。
堀さんは乙飛の10期ですが、岐阜高工(?)に行っていたという記事をどっかで見たことがあるので、予科練入隊が遅かったようなんですよねー。同期生たちよりちょっと年食っていたようです。
(乙飛は8期までは年1回の採用でしたが、次から年2回になっています。なので、堀さんは13年入隊です)

もともとは甲とか乙とか丙という分け方はしていませんでした。
12年から甲飛制度が始まったのですが、もともと創設時「予科練」だった人たちは「乙飛」なんて名称にされ、しかも、教育期間にも差をつけられ(進級に差が出てくる)、甲と乙の間で諍いがあったなんて話も耳にしたことがありますが。

昨日書いた明慶さん「自爆戦死」事件時の小隊長・竹中義彦飛曹長、この人は甲飛の1期ですから12年入隊ということになります。
18年の5月にもう飛曹長(准士官)になっているんですね。
西澤さんは11年入隊ですが、18年5月段階ではまだ上飛曹(下士官)で、飛曹長になったのはこの年の11月です。
こんな感じで階級が逆転してしまうんですねー。

甲飛の受験資格を持っていたのに一刻も早く飛行機乗りになりたくて乙飛に入ったって人もいるようだし・・・・(結局乙飛の方が時間がかかった)。
中にはこの制度に「だまされたっ!」って憤慨した人もいたようです。

参考までに日米開戦前に飛練を済ませているのは、甲飛では4期まで、乙飛では9期まで、丙飛では2期っていうところでしょうか。
なので堀さん(乙10)も明慶さん(丙3)も戦地に出てきたのは開戦直後、同じぐらいの時期です。でも、出身が違うので階級が違うんですよねえ。ややこしいんで、また今度。

ママに仕事が来ましたっ!2008年04月04日 17時29分49秒

今日のお城の桜
めったに来ないので、来たらものすごく喜びます。

先日、「2月中に・・・・」と頼まれたお仕事の続きが来ました。
今度は依頼主から直接のお仕事です。
前より量も多そうだと喜んで始めたら、なんだかすぐに終わっちゃいそうな・・・・。また遠からず無職に逆戻りだっ!

いつものことながら、
畿内→機内
鉄器→敵機
なんて海軍変換モードに戻ってしまっているMy PCと格闘しておりますが、今回は新たに、
祭器→佐伯
ってのも。
ぶつぶつ言いながらもこれが結構楽しかったりするのです♥

明日は春海のいとこちゃんが花見に来てくれるらしいので、さっき、春海と二人で桜偵察をしてきました。
満開、見ごろ、って感じでしょうか。春海は散ってくる花びらを取りたくてしょうがなかったようですが、運悪く今日は風がほとんどありません。キャッチできませんでした。