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予科練の話2008年04月04日 08時14分34秒

土浦・現自衛隊武器学校
最近、丙とか乙とかって出てきて、やっぱりなんのこっちゃわからない人が多いと思うので、ちょこっと簡単に説明しておきます。

海軍さんの飛行機乗りになるにはいくつかのコースがあります。

①予科練コース
②予備学生コース
③兵学校コース

厳密にはほかにもあるのですが、多いのはこの3コースですかね。
今日はこの中の予科練について。

予科練に関してはご存知の方も多いと思いますが、一口に予科練といっても、受験時に修了している学力の程度によってさらにコースが分かれています。
甲種飛行予科練習生(甲飛)、乙種飛行予科練習生(乙飛)、丙種予科練習生(丙飛)。

甲飛は中学校修了程度の学力が必要で、予科での教育期間は1年から1年半ほど。
乙飛は高等小学校卒業程度の学力が必要で、予科での教育機関は2年半から3年ほど。
丙飛はちょっと説明が難しいので、また今度(いいんかいっ!)。

予科練を卒業した後は飛行練習生として本格的に飛行機に乗るための訓練を始めます。これも、入隊した時期によって差があるのですが、数か月から1年程度。(古い人ほどじっくり・みっちりと訓練を受けています)

甲飛と乙飛は何期かわかれば、その人の海軍歴、階級、年齢がだいたい推測できます。
(丙飛は同じ期でも海軍に入隊した時期が違ったり、階級が違ったり、年齢が離れていたり・・・・これはまた今度)

ちなみに西澤さんは乙飛の7期。昭和11年入隊です。高等小学校を卒業して1年働いていたということなので、同期の最年少というわけではなさそうです。
堀さんは乙飛の10期ですが、岐阜高工(?)に行っていたという記事をどっかで見たことがあるので、予科練入隊が遅かったようなんですよねー。同期生たちよりちょっと年食っていたようです。
(乙飛は8期までは年1回の採用でしたが、次から年2回になっています。なので、堀さんは13年入隊です)

もともとは甲とか乙とか丙という分け方はしていませんでした。
12年から甲飛制度が始まったのですが、もともと創設時「予科練」だった人たちは「乙飛」なんて名称にされ、しかも、教育期間にも差をつけられ(進級に差が出てくる)、甲と乙の間で諍いがあったなんて話も耳にしたことがありますが。

昨日書いた明慶さん「自爆戦死」事件時の小隊長・竹中義彦飛曹長、この人は甲飛の1期ですから12年入隊ということになります。
18年の5月にもう飛曹長(准士官)になっているんですね。
西澤さんは11年入隊ですが、18年5月段階ではまだ上飛曹(下士官)で、飛曹長になったのはこの年の11月です。
こんな感じで階級が逆転してしまうんですねー。

甲飛の受験資格を持っていたのに一刻も早く飛行機乗りになりたくて乙飛に入ったって人もいるようだし・・・・(結局乙飛の方が時間がかかった)。
中にはこの制度に「だまされたっ!」って憤慨した人もいたようです。

参考までに日米開戦前に飛練を済ませているのは、甲飛では4期まで、乙飛では9期まで、丙飛では2期っていうところでしょうか。
なので堀さん(乙10)も明慶さん(丙3)も戦地に出てきたのは開戦直後、同じぐらいの時期です。でも、出身が違うので階級が違うんですよねえ。ややこしいんで、また今度。

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