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西澤さん フカのいる海を泳ぐ2008年04月28日 09時07分09秒

昭和17年4月28日。

台南空飛行隊戦闘行動調書。
0710 ラバウル基地発進
1015 モレスビー上空突入P‐40約七機ヲ発見空戦P‐40一機撃墜
1035 迄ニ戦場離脱
1100 西沢一飛曹サラモア南東一○浬ノ海面ニ不時着
1120 迄ニ九機ラエ基地帰着
1130 一機ハサラモア(飛行場?)ニ着陸不時着者救助依頼後
1215 ラエ基地帰着

西澤1飛曹はこの日、久米武男3飛曹と遠藤枡秋3飛曹を率いて陸攻の直掩で出ています。

モレスビー上空で空戦をやったのは山下政雄大尉以下の8機のようです。
P‐40一機撃墜は笹井小隊の2番機・和泉秀雄2飛曹でした。

西澤さんは・・・・どうして飛行機を水没させてしまったのでしょう・・・・?
被弾「無」なんですよねえ。エンジンの調子でも悪かったのでしょうか。

出撃した11機のうち、9機が一緒にラエに戻ってきたということなので、西澤小隊の誰か一人は皆と一緒にラエに戻り、残りの一人がサラモアに降りて西澤さんの救助を依頼した、ということなのでしょうね。

行動調書ではその後の詳しい経過はわかりませんが、西澤さんの欄には「機体沈没 人員無事」と書かれてあります。

前に一度ここで紹介したことがある武田信行『最強撃墜王―零戦トップエース西澤廣義の生涯―』という本ですが、あれは、冒頭、この不時着水のシーンから入ります。

フカのいる海を漂いながら(泳ぎながら?)子供時代のことや予科練時代のことなど思い出す、というシーンです。
そこで、いつも身につけていた母親の髪の毛を口に含んで頑張って泳いだ・・・・みたいな話が出てきます。

この話が一番胡散臭い、と思ったんですよ。
この本は一番最後のシーンが西澤さんが輸送機で移動中に敵戦に襲われて戦死するシーンなのですが、生存者がいない機内の様子が描かれています。
「なんや、やっぱり小説やったんか!」
と最後にだめ押しでかっがりしたのですが、冒頭のこの不時着水のシーンの時からすでに、
「この話、フィクション? それともノンフィクション?」
と疑ってかかったのは「母親の髪の毛を口に含んで・・・・」という話が出てきたからです。
不時着水して一人で海を泳ぐなんて、ほかに目撃者のいない極めて個人的なこと。本人が他人にしゃべらない限り、後世に残る話ではないと思ったのです。
「武田さん、話、作ったな」
とずっとそう思い込んでいたのですが・・・・武田さん、ごめんなさい!
これ、西澤さん本人が予科練時代の教官に直接語ったことだったのですね。

いつも紙に包んで内ポケットに入れておいた母親の髪の毛を口にくわえて一生懸命頑張った―

この教官はほかのことからも推測して西澤さんのことを「母親っ子」だったのでは、と感想を書いています。

アメリカ側からも味方側からも撃墜王として賛美を浴びていた西澤さん。
必死の思いでフカの海を泳いだ西澤さんには申し訳ないですが、
「ああ・・・・西澤さんもやっぱり人の子だったんだなあ・・・・」
とホッとしたというか、身近に感じたというか。普通に「男の子」だったんだなあ・・・・。