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とろぴかさんコメントありがとう2008年04月06日 09時08分14秒

はるみのいとこちゃんでーす。よろちくね
今日はママブログ初、いただいたコメントに対する画像入り返事です。

とろぴかさんからいとこちゃんの顔出ししてもいいと許可をもらったので、春海のいとこちゃん初公開で~す♥

かわいいでしょ~(●^o^●)
かわいいからってさらいに行っちゃだめですよ。ママさん、パパさん以外の人だと家が揺れるぐらい(?)爆泣きするらしいので(^_^;)
しかも、置き厳禁らしいです。常に抱っこを要求。フツーの人では育てられないかもしれないので、かわいいからって、さらいに行かないように(笑)。

↑春海に抱っこされてご機嫌さんにしていますが、ママさんパパさんの姿が見えなくなったらきっと爆泣きしたんだろうなあ・・・・。

まあ、昨日はご機嫌さんでよかった、よかった。

第9銀河隊 -忘れられた人たち-2008年04月06日 09時25分40秒

宮崎基地跡の慰霊碑 伊東勲一飛曹
深井 良 中尉(海兵72期)
俵 一 上飛曹(乙16期)
北山 博 上飛曹(乙16期)
 K501 0602宮崎発進 0752無線連絡後、連絡を絶つ

長谷部六雄 二飛曹(特乙3期)
吉田 雄 一飛曹(乙18期)
信本広夫 二飛曹(特乙1期)
 K406 0624宮崎発進 0849無線連絡後、連絡を絶つ

鈴木円一郎 中尉(海兵73期)
田中栄一 上飛曹(甲11期)
三宅文夫 上飛曹(乙16期)
 K501 0602宮崎発進 0810「敵空母に突入」発信後、連絡を絶つ

谷岡 力 一飛曹(丙10期)
山川芳男 少尉(予学13期)
杉野三次 一飛曹(乙18期)
 K406 0521宮崎発進 0809「敵空母に突入」発信後、連絡を絶つ

神津和男 一飛曹(丙15期)
豊岡清澄 上飛曹(乙17期)
穴口 尚 上飛曹(   )
 K501 発進後、引き返し

小畠 弘 上飛曹(甲9期)
村上 守 中尉(海兵73期)
佐藤 昇 一飛曹(乙18期)
 K501 0602宮崎発進 0847「敵空母に突入」発信後、連絡を絶つ

古小路 裕 一飛曹(甲12期)
藤田峰夫 上飛曹(乙16期)
真鍋真之介 一飛曹(乙18期)
 K406 発進取りやめ

永野金一 一飛曹(甲12期)
飯島 守 中尉(予学13期)
本田 勝 一飛曹(甲12期)
 K406 不時着戦死

松木 学 一飛曹(甲12期)
山根三男 一飛曹(甲12期)
伊東 勲 一飛曹(乙18期)
 K406 0525宮崎発進 0756「敵空母に突入」発信後、連絡を絶つ

昭和20年5月11日早朝、宮崎基地を飛び立った第9銀河隊は、布告でも、市販本の特攻名簿でも6機18名ということになっています。

しかし、その前日、つまり5月10日の夕方に、空輸のつもりで銀河を美保から宮崎に運んできた搭乗員たちに特攻命令が下された時は、上の編成表のように9機27名だったのです。

かれらは突然の命令に「騙しやがって」「遺書を書く暇もない」と動揺しながらも、その日の夕方から深夜にかけて遺書を書いたのでしょう。そのときの情景は居合わせたらしい報道班員の手によって新聞記事にもなっています。
隊員たちの遺書が何通か、いまでもわたしたちの読める形で残っています。
画像の伊東勲一飛曹の遺書もその一つです。

27名それぞれがいろんな思いを抱きながら最後の夜を過ごしたことだと思います。
母親のことを思いながら・・・・幼い兄弟たちのことを思いながら・・・・もしかしたら、恋人のことを思いながら最後の夜を過ごした隊員もいたかもしれません。

翌日、まず、古小路機が機体の不調のため発進がとりやめになります。(『蒼空の果てに』というサイトに本人の手記あり)

次々と飛び立っていく銀河。

豊岡機も発進したものの、途中、機体の不調で引き返してきます。

そして飯島中尉機。機体の不調のため引き返しをはかったようですが、そのまま基地に戻らず「不時着戦死」ということになっています。

古小路機の3人に関しては、古小路氏以外の二人の消息はわかりませんが、古小路氏はほかの飛行隊に移っていきましたが、終戦まで戦い抜きました。
豊岡機に関しては、穴口兵曹を除く二人はその後のK501の戦いにも名前を連ねているし、終戦後もお元気にされていたようです。

飯島中尉機の3人です。
第9銀河隊として特攻出撃し、そのまま帰らなかった3人ですが、かれらは「特攻戦死」として扱われていません。一緒に死んだ仲間とともに慰霊碑に名前もなければ、名簿にも名前がありません。
今回は戦史研究家の神野正美氏に「第9銀河隊の行方不明機の3人をご存じありませんか?」とお尋ねしたところ、すぐに調べて下さって3人の名前がわかったのです。

ところが、3人は「水野金一一飛曹」「飯島守中尉」「本田勝一飛曹」ということがわかっただけです。
このあと同じく戦史研究家のAさん(名前出してもいいのかな?)が飯島中尉は予学13期で「守」ではなく「誠」と書かれたものがある、「本田勝」兵曹は甲12期に2人いるが戦闘機と陸攻のようだ、と補足で調べてくださいました。
先に挙げた『蒼空の果てに』というサイトは甲飛12期出身の方が作られたサイトなのですが、そこに昭和20年5月11日の戦死者として「第9銀河隊」とちゃんと書かれた上で、「永野金一」「本田勝」のお二人のお名前が出ていました。
(史料上で搭乗員の名前が間違っていることはよくあります。特攻戦死者ですら)

飯島中尉だけがお名前が不明ということなのですが、「永野金一一飛曹(甲12期)」「本田勝一飛曹(甲12期)」はたしかなようです。

これから先も、この3人の名前が特攻名簿に追加されることはないでしょう。
でも、あの日、日本を、家族を守らねば、と敵艦に体当たりするために宮崎を飛び立ち、戻らなかった3人であることに変わりはないのです。
このブログを読んだ人の胸にだけでもとどめておいてほしいと思います。

協力:Aさん、神野正美さん、深井紳一さん