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その兵隊さんはいったい何者?2008年04月07日 08時20分03秒

昨日、ママの海軍情報収集室宮崎支部(なんじゃ、そりゃあ?)から緊急電が入りました。

宮崎であるエッセーを映画化しているそうで、もう撮影も始り、地元ではそれが新聞・ニュースで取り上げられ、めっちゃ盛り上がっているようです。

西都市妻在住の松浦百合子さん(78)という方が書かれた『39枚の年賀状』という実話をもとにしたエッセーが原作らしいのですが。

情報部員からの連絡によると、
「なんかねえ、西都の人でねー。戦前戦後の少女と青年の心の交流を描くとかねー」
「もう撮影ははじまっちょるねー」

??????
肝心のエッセーのあらすじがわかりません。
この緊急電、外で受けたので、家に戻ってさっそくネットで検索。
新聞記事ばかりで、しかも、「知事が名士役で出演」とか「撮影が始まる」とか、そんな記事ばかりでエッセーのあらすじを書いたものが見当たりません。
いろいろ探して、やっとエッセー本文を見つけました。

エッセーによると、それは昭和20年8月12日のことらしいのですが。
突然、夜更けに家に3人の若い兵隊さんが訪ねてきたそうです。
「行軍の途中です。戦友が倒れたのでお湯をください」
と。

で、そこで家族ぐるみでお世話をして、かれらは元気を取り戻して去っていったらしいのですが。
それから半年ほどして岐阜から封筒が届きます。
あの時の兵隊さんの一人だったのです。

それから交流は続き、39枚まで年賀状が届いたらしいのですが、40枚目はその人が亡くなったために届かなかった・・・・という話です。

情報部員がどうしてこの話をママに届けてきたのか。
実はママ、以前、情報部員に、
「終戦直後に杉安に3人の元海軍の搭乗員が生活していたのを知らんね?」
と調査を依頼したことがあるのです。
すると・・・・この情報部員の小学校時代の同級生が、元343空の3人の隊員、以前書いたと思いますが、大村哲哉さん、加藤種男さん、堀光雄さんと交流があった「たえちゃん」だったということがわかったのです(大村さんに確認済み)。
情報部員本人は3人のことは知らなかったのですが、「たえちゃん」の奇遇には驚きました。

というわけで、情報部員は、ママが終戦直後、杉安にやってきた3人の海軍さんのことを調べているのを知っていたので、この映画が何か関係あるのではないかと思って連絡してきたのです(情報伝達がやや遅いような気もしますが・・・・)。

エッセーを読んでみたところ、正直言って、関係あるのかどうか、不明です。

まず「8月12日」。この日、まだ343空は大村で戦いの最中です。西都に現れるはずはありません。
「行軍中」というのも、なんだか陸軍さんぽいですよね。
ここら辺があやしいのですが、「3人」「岐阜」「39枚の年賀状」・・・・ここら辺は、
「343空の3人ではないのか!!」
と思わせるに十分なキーワードです。
「3人」というのはもちろん杉安に向かった大村哲哉大尉、加藤種男大尉、堀光雄飛曹長。
「岐阜」は堀さんの出身地です。
「39枚の年賀状」。堀さんは昭和59年に亡くなられているので、戦後39年目ですね。年賀状を20年末からやり取りしていたかどうかの問題はあるのですが、偶然の一致でしょうか?

エッセーには交流があった軍人さんの名前は全く出てきません。
この映画のことを取り上げた記事も、この軍人さんたちのことは不思議なほどスルーしています。制作発表がどうだ、ヒガシがどうした、ロケがどうだ、そんな話ばっかりです。

松浦さん本人に確認すればすぐにわかる話ですが、連絡先がわかりません。
大村さんに心当たりがないかどうか聞いてみようか・・・・とか。

昨日はこのことが気になって、眠れませんでしたー!