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島田直さんの熊本写真2015年10月01日 12時36分56秒

直さんのアルバムにあった熊本県集合写真。


これは9期熊本出身者。
霞ヶ浦航空隊、2空の階級章をつけているので14年秋~15年春にかけてかな?


前列左から
古田正直さん

森浦東洋男さん

杉野憲市さん

教員

島田直さん

隅倉慧さん

永田慶士さん


後列左から
山下栄松さん

荒木怜さん

上田誠さん




他にもありました。
島田さんのところに「島田」と書き込んであります。

裏書がありました。島田さん直筆でしょう。





もう1枚。
スイカ宴会だ!

これも裏書あり。

8期生は8期生でも、熊本出身8期生だと思われます。
8期生送別会なら、霞ヶ浦時代の14年夏(8月か?)でしょう。
熊本8期生は5名ですよね。人数が合わんので、8期生と下級生(14年8月なら11期生まで入隊しているはず)が参加可能者だけ参加している状態なのかな?
9期は全員そろっているようにあります。




先日、直さんのところに書いた、
『下の弟さんのお話だと、戦争が始まってから一度顔面に怪我をした状態で家に帰って来たことがあったそうなんです(面相が変わるぐらいの大怪我だったとか)。
いつの話なのかちょっと調べているのですが・・・・。
17年1月20日のラバウル攻撃で、帰投時に母艦の近くに不時着水して利根に救助されたことがあるようなんですよね。それかな?
でも、そのあとも何事もなかったように出撃しているので・・・・いまのところ「????」です。

もっとあとの話なのかな?
二種で帰って来たみたいだし』



このことに関して、弟さんから訂正がありました。

「家に帰って来た」のではなく、艦が戻って来たときに、親戚の方が佐世保に面会に行かれて、顔面に怪我をした直さんと会われたそうです。加賀だったか飛龍だったかははっきりしないようですが、すぐ下の弟さんは飛龍だったように思われているとか。

清水巧さんもご遺族の方が、「飛龍が佐世保に戻って来たとき面会に行ったらしい」ということを言われていたので、もしかしたら同じときかもしれません。


真珠湾のあと、直さんはご実家に帰る機会はなかったようです。
佐世保だと近いように思いますけどね・・・・帰りたかったろうと思います。



※画像は9期生ご遺族ご提供

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