海兵と鉄拳 ― 2008年12月10日 07時31分49秒
先日、ここに厚木302空の片山市吾中尉(72期)のことを書きました。
ときどきコメントを下さる伊藤さんが、兵学校1学年のとき、片山中尉と同じ分隊だったとかで・・・・。自習室の机も寝室のベッドも隣同士だったんだとか。
伊藤さんの回想。
『彼はとても元気者でしたが、少しオッチョコチョイな所もありましたね。
それで彼がしたことが原因で、一号生徒に連帯責任でよく殴られた記憶があります。
どちらかというと豪放磊落といったほうでした。』
「一号生徒」というのは兵学校の最上級生のことです。
72期が入校したときは4学年まであり、一号生徒は69期です。
(その後、3学年に短縮される)
一号生徒に連帯責任でよく殴られた、ということですが、海兵ではこれを「鉄拳修正」といって、上級生が下級生を指導するときに行っていた行為です。
鉄拳制裁、という言い方もあるようですが、正確には「修正」らしいです。
「修正」ということは、上級生が下級生の至らないところを直し、正しく導くために行った、という意味なのでしょうか。
拳で顔を殴るんだそうです。
棒のような道具を使ったり、足で蹴ったりはご法度だそうです。
(予科練モノや搭乗員の手記を読むと、下士官は顔面を殴る以外にも「バッター」という棍棒で尻をぶったりもした。『男たちの大和』でもシドーさんが先輩にバッターで尻を殴られて反撃するシーンがありました)
余談ですが、モノの本によると、学年によって気風があるらしく、獰猛な学年と温厚な学年があったのだとか。「土方クラス」とか「お嬢さんクラス」とか・・・・。
またその気風は、指導する学年から指導される学年に伝統的に伝わっていくんだとか・・・・。
68期出身の人が書いたモノに、「自分たちは獰猛な『土方クラス』だった」とあったので、68期は「獰猛」組に入るようです。ただし、言わなくてもわかっていると思いますが、クラス全員ではありませんよ。あの仏の(?)鴛渕大尉も68期なので。
殴ることに関しては、当時からいまでも、いろいろな感想をお持ちの方がいらっしゃるようです。
兵学校生徒は中学の4年とか5年で入校しているので、もののわからない子供ではありません。
中には「おれたちは牛馬じゃない、言ってもらえればわかる」と殴られることに反発した人もいたでしょう。
殴る側の上級生にしても、深井中尉のように、下級生指導についての話し合いの場で、
「おれは下級生は殴らない」
と公言していた人もいます。
兵学校としては鉄拳修正は禁止していた、という記述もどこかで見たような気がするのですが、実際は「あった」ようです。
今日は殴ることの是非を論じるために書いているのではないので、ここら辺でやめますが、まあ、賛否両論あった、ということで。
ところで、先の伊藤さんのお話、「彼(片山生徒)がしたことが原因で」よく殴られた、と。はて? 片山生徒がいったいどんな悪さをして、同分隊のみなが上級生に殴られていたのだろう、とまたまたいつもの悪い癖で気になり始めました。
結論から言うと、伊藤さんももう一つ一つの細かい原因は覚えておられないそうです。
一般論です。
「上級生が下級生を殴る理由」(あくまでママ調べ)
どこで読んだのか記憶が定かではないのですが、直角に曲がらないといけない場所をちょっと横着して斜めに横切ったのを見咎められて、
「待てっー!!」→ボガッ!
『ああ江田島』という兵学校をモデルにした映画だったか・・・・。
階段を上がっているだけで上級生に呼び止められる。
「待てーっ!!」→ボガッ!
『敷島隊の五人』に出てくる、関行男大尉(70期)の兵学校時代のエピソード。
夏休みの間にあった出来事を書く、提出義務のある日記に、関生徒が、好意を寄せていた田舎の女学生のことを書いていた→70期の分隊員全員が殴られる。
まあ、こんな感じです。
斜め横断や階段の上り下りで分隊員全員連帯責任ということはないのでしょうが、関生徒の日記事件のような事案では全員殴られるのでしょうねえ・・・・。
片山生徒も「これ↑」級のことを何かしでかしたのでしょうか。
ちょっと補足をしておくと、斜めに横切ることを許さないことも、階段の上り下りにケチをつけることも、ちゃんと理由があるらしいです。
それらをきっちり行うことは、その後の海軍生活の基本になることで、生徒のうちに徹底的に叩き込む、ということのようです。
兵学校のことはよく知らないくせに書いてしまいました(^_^;)。
もし、間違いや思い込みがあれば遠慮なく訂正してください。
ときどきコメントを下さる伊藤さんが、兵学校1学年のとき、片山中尉と同じ分隊だったとかで・・・・。自習室の机も寝室のベッドも隣同士だったんだとか。
伊藤さんの回想。
『彼はとても元気者でしたが、少しオッチョコチョイな所もありましたね。
それで彼がしたことが原因で、一号生徒に連帯責任でよく殴られた記憶があります。
どちらかというと豪放磊落といったほうでした。』
「一号生徒」というのは兵学校の最上級生のことです。
72期が入校したときは4学年まであり、一号生徒は69期です。
(その後、3学年に短縮される)
一号生徒に連帯責任でよく殴られた、ということですが、海兵ではこれを「鉄拳修正」といって、上級生が下級生を指導するときに行っていた行為です。
鉄拳制裁、という言い方もあるようですが、正確には「修正」らしいです。
「修正」ということは、上級生が下級生の至らないところを直し、正しく導くために行った、という意味なのでしょうか。
拳で顔を殴るんだそうです。
棒のような道具を使ったり、足で蹴ったりはご法度だそうです。
(予科練モノや搭乗員の手記を読むと、下士官は顔面を殴る以外にも「バッター」という棍棒で尻をぶったりもした。『男たちの大和』でもシドーさんが先輩にバッターで尻を殴られて反撃するシーンがありました)
余談ですが、モノの本によると、学年によって気風があるらしく、獰猛な学年と温厚な学年があったのだとか。「土方クラス」とか「お嬢さんクラス」とか・・・・。
またその気風は、指導する学年から指導される学年に伝統的に伝わっていくんだとか・・・・。
68期出身の人が書いたモノに、「自分たちは獰猛な『土方クラス』だった」とあったので、68期は「獰猛」組に入るようです。ただし、言わなくてもわかっていると思いますが、クラス全員ではありませんよ。あの仏の(?)鴛渕大尉も68期なので。
殴ることに関しては、当時からいまでも、いろいろな感想をお持ちの方がいらっしゃるようです。
兵学校生徒は中学の4年とか5年で入校しているので、もののわからない子供ではありません。
中には「おれたちは牛馬じゃない、言ってもらえればわかる」と殴られることに反発した人もいたでしょう。
殴る側の上級生にしても、深井中尉のように、下級生指導についての話し合いの場で、
「おれは下級生は殴らない」
と公言していた人もいます。
兵学校としては鉄拳修正は禁止していた、という記述もどこかで見たような気がするのですが、実際は「あった」ようです。
今日は殴ることの是非を論じるために書いているのではないので、ここら辺でやめますが、まあ、賛否両論あった、ということで。
ところで、先の伊藤さんのお話、「彼(片山生徒)がしたことが原因で」よく殴られた、と。はて? 片山生徒がいったいどんな悪さをして、同分隊のみなが上級生に殴られていたのだろう、とまたまたいつもの悪い癖で気になり始めました。
結論から言うと、伊藤さんももう一つ一つの細かい原因は覚えておられないそうです。
一般論です。
「上級生が下級生を殴る理由」(あくまでママ調べ)
どこで読んだのか記憶が定かではないのですが、直角に曲がらないといけない場所をちょっと横着して斜めに横切ったのを見咎められて、
「待てっー!!」→ボガッ!
『ああ江田島』という兵学校をモデルにした映画だったか・・・・。
階段を上がっているだけで上級生に呼び止められる。
「待てーっ!!」→ボガッ!
『敷島隊の五人』に出てくる、関行男大尉(70期)の兵学校時代のエピソード。
夏休みの間にあった出来事を書く、提出義務のある日記に、関生徒が、好意を寄せていた田舎の女学生のことを書いていた→70期の分隊員全員が殴られる。
まあ、こんな感じです。
斜め横断や階段の上り下りで分隊員全員連帯責任ということはないのでしょうが、関生徒の日記事件のような事案では全員殴られるのでしょうねえ・・・・。
片山生徒も「これ↑」級のことを何かしでかしたのでしょうか。
ちょっと補足をしておくと、斜めに横切ることを許さないことも、階段の上り下りにケチをつけることも、ちゃんと理由があるらしいです。
それらをきっちり行うことは、その後の海軍生活の基本になることで、生徒のうちに徹底的に叩き込む、ということのようです。
兵学校のことはよく知らないくせに書いてしまいました(^_^;)。
もし、間違いや思い込みがあれば遠慮なく訂正してください。
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