松山上空の空戦 ― 2008年03月19日 09時44分51秒

今日3月19日は343航空隊(剣部隊)が松山上空で最初の大規模空戦をやった日ですね。
昭和20年の話なので、もう63年前の話です。
源田実司令が新鋭戦闘機・紫電改+彩雲(偵察機)のコンビで最精鋭防空部隊を結成したのは19年末。
訓練に訓練を重ね、この3月19日に、呉を狙って米機動部隊から発艦した艦載機を松山上空で迎え撃ったのでした。
このとき、戦闘機部隊より一足先に索敵のために発進していた彩雲(操:遠藤稔上飛曹、偵:高田満少尉、電:影浦博上飛曹)は敵編隊発見後も接触を続けながら情報を打電し、ついにエンジン不調、離脱困難とみなして敵機に体当たりして自爆しました。
戦闘機隊も3飛行隊(S301、S407、S701)それぞれ犠牲を出しながらも、部隊としては華々しい戦果をあげたのでした。
『男たちの大和』、まあ、これは映画ですが、この中に、主人公・神尾一水の実家が空襲を受けて、お母さんが砂浜を逃げる途中、グラマンらしきのに銃撃されて亡くなるシーンがあります。
どうも、これは3月19日のことで、343空が討ち漏らした敵艦載機が神尾一水のお母さんを殺したのではないかと思われます。
343空と言えば有名な映画『太平洋の翼』という映画があります。
喜んで観ましたが、どうもねえ。登場人物の設定がねえ。3飛行隊長―菅野直大尉、林喜重大尉、鴛淵孝大尉―も、それぞれ、名前は違うけど登場しています。なんか、おっちゃんなんですよねー。
戦争映画で大尉ぐらいの人ってすごいおっちゃんが演じていることが多いですが、実際は最年少大尉で22歳ぐらい?ですかね、特務大尉なら40ぐらいのおっちゃん大尉もいると思いますが、兵学校や機関学校出で40ぐらいの大尉が出てきたら、つい、
「この人、何か悪いことしたんやろうか・・・・?」
と思ってしまいます。
(『男たちの大和』の臼淵大尉、あれは長嶋一茂にはやってほしくなかった(T_T))
343空の飛行隊長も「飛行隊長」って肩書きがめっちゃえらそうですが、実際は23、4、5ぐらいです。その年で一飛行隊の指揮を執っていたんですねー。偉いですねえ。
なので、『太平洋の翼』の飛行隊長ももっと若い人にやってもらいたかったなあ。
(ママは新選組ものも、「おっちゃんがやるな!」といつも文句垂れていますが、昔の人は実年齢より老けていたって説もあります。少なくとも、精神年齢はいまの基準で考えたらいけないのでしょうね)
ここの3飛行隊長はそれぞれキャラクターが違っています。
菅野大尉 ― 一見猪突猛進型のガキ大将系。
林大尉 ― ナイーブな部下思い。
鴛淵大尉 ― 欠点らしい欠点が見当たらない大人系。
(↑ママ妄想が入っています、あしからず)
でも、みんなそれぞれが名指揮官です。
そのキャラクターの違いも映画に盛り込んでもらえればもっとよかったのになあ。
昭和20年の話なので、もう63年前の話です。
源田実司令が新鋭戦闘機・紫電改+彩雲(偵察機)のコンビで最精鋭防空部隊を結成したのは19年末。
訓練に訓練を重ね、この3月19日に、呉を狙って米機動部隊から発艦した艦載機を松山上空で迎え撃ったのでした。
このとき、戦闘機部隊より一足先に索敵のために発進していた彩雲(操:遠藤稔上飛曹、偵:高田満少尉、電:影浦博上飛曹)は敵編隊発見後も接触を続けながら情報を打電し、ついにエンジン不調、離脱困難とみなして敵機に体当たりして自爆しました。
戦闘機隊も3飛行隊(S301、S407、S701)それぞれ犠牲を出しながらも、部隊としては華々しい戦果をあげたのでした。
『男たちの大和』、まあ、これは映画ですが、この中に、主人公・神尾一水の実家が空襲を受けて、お母さんが砂浜を逃げる途中、グラマンらしきのに銃撃されて亡くなるシーンがあります。
どうも、これは3月19日のことで、343空が討ち漏らした敵艦載機が神尾一水のお母さんを殺したのではないかと思われます。
343空と言えば有名な映画『太平洋の翼』という映画があります。
喜んで観ましたが、どうもねえ。登場人物の設定がねえ。3飛行隊長―菅野直大尉、林喜重大尉、鴛淵孝大尉―も、それぞれ、名前は違うけど登場しています。なんか、おっちゃんなんですよねー。
戦争映画で大尉ぐらいの人ってすごいおっちゃんが演じていることが多いですが、実際は最年少大尉で22歳ぐらい?ですかね、特務大尉なら40ぐらいのおっちゃん大尉もいると思いますが、兵学校や機関学校出で40ぐらいの大尉が出てきたら、つい、
「この人、何か悪いことしたんやろうか・・・・?」
と思ってしまいます。
(『男たちの大和』の臼淵大尉、あれは長嶋一茂にはやってほしくなかった(T_T))
343空の飛行隊長も「飛行隊長」って肩書きがめっちゃえらそうですが、実際は23、4、5ぐらいです。その年で一飛行隊の指揮を執っていたんですねー。偉いですねえ。
なので、『太平洋の翼』の飛行隊長ももっと若い人にやってもらいたかったなあ。
(ママは新選組ものも、「おっちゃんがやるな!」といつも文句垂れていますが、昔の人は実年齢より老けていたって説もあります。少なくとも、精神年齢はいまの基準で考えたらいけないのでしょうね)
ここの3飛行隊長はそれぞれキャラクターが違っています。
菅野大尉 ― 一見猪突猛進型のガキ大将系。
林大尉 ― ナイーブな部下思い。
鴛淵大尉 ― 欠点らしい欠点が見当たらない大人系。
(↑ママ妄想が入っています、あしからず)
でも、みんなそれぞれが名指揮官です。
そのキャラクターの違いも映画に盛り込んでもらえればもっとよかったのになあ。
谷水竹雄飛曹長 ― 2008年03月13日 17時09分15秒

↑パパが作った零戦52型です。パパが作った海軍機、これだけです。
谷水竹雄飛曹長は三重県出身、大正8年生まれ、丙飛3期出身の戦闘機乗りです。
丙飛の3期といえば、ほかにも有名な戦闘機乗りの方がたくさんいらっしゃって、杉野計雄さんとか(手記、読みました)、杉田庄一さん(山本長官の護衛6機のうちの1機。のちに紫電改の343空で活躍。映画『零戦燃ゆ』で堤大二郎が演じていた主人公はこの人がモデル。昭和20年4月に戦死)、柳谷謙治さん(同じく山本長官護衛6機のうちの1機。この直後の戦闘で右腕を失いながらも戦後まで生き残られましたが、先月、亡くなられたようです)など。
谷水飛曹長は6空を皮切りに母艦搭乗員、練習航空隊教員などを経て、西澤飛曹長亡き後の203空戦闘303で沖縄戦を戦い抜きます。
『零戦搭乗員空戦記』光人社に手記を寄せられています。タイトルは「愛機零戦で戦った千二百日」です。
九六戦には乗ったかもしれないけど、その戦歴すべてが零戦の谷水飛曹長。まさに、零戦エースです。
このプラモデルのもとになった零戦は沖縄戦の頃の乗機をモデルにしたものだと思います。
残念なことに、谷水飛曹長、昨日、亡くなられたようです。
ご冥福をお祈りします。
谷水竹雄飛曹長は三重県出身、大正8年生まれ、丙飛3期出身の戦闘機乗りです。
丙飛の3期といえば、ほかにも有名な戦闘機乗りの方がたくさんいらっしゃって、杉野計雄さんとか(手記、読みました)、杉田庄一さん(山本長官の護衛6機のうちの1機。のちに紫電改の343空で活躍。映画『零戦燃ゆ』で堤大二郎が演じていた主人公はこの人がモデル。昭和20年4月に戦死)、柳谷謙治さん(同じく山本長官護衛6機のうちの1機。この直後の戦闘で右腕を失いながらも戦後まで生き残られましたが、先月、亡くなられたようです)など。
谷水飛曹長は6空を皮切りに母艦搭乗員、練習航空隊教員などを経て、西澤飛曹長亡き後の203空戦闘303で沖縄戦を戦い抜きます。
『零戦搭乗員空戦記』光人社に手記を寄せられています。タイトルは「愛機零戦で戦った千二百日」です。
九六戦には乗ったかもしれないけど、その戦歴すべてが零戦の谷水飛曹長。まさに、零戦エースです。
このプラモデルのもとになった零戦は沖縄戦の頃の乗機をモデルにしたものだと思います。
残念なことに、谷水飛曹長、昨日、亡くなられたようです。
ご冥福をお祈りします。
帰らぬ梓弓、帰って来た梓弓 ― 2008年03月11日 07時05分46秒

昭和20年3月11日、鹿屋―
前日取りやめになった梓隊の出撃が、今度こそ決行されました。
ウルシーに向かったのは銀河24機、誘導二式大艇(天偵1、誘導2)。
途中、誘導機1機は発進に手間取り単機でいるところを敵機に撃墜され、また、銀河の方も機体の不調で多数の脱落機を出し、ウルシー泊地にいた敵艦船に攻撃をかけたのは11機でした。
前日より1時間発進時間を遅らせたこと、また、誘導機の速度が遅く銀河の優速を生かせなかったことなどが重なり、ウルシーに到着したのは予定していた日没直後の「薄暮」ではなく、何も識別できない真っ暗闇の状態になってからでした。
そんな中、突入した銀河のうち、敵に被害を与えたのは第2中隊長・福田幸悦大尉(海兵70期)機ただ1機(偵・井貝武志上飛曹、電・太田健司上飛曹)。
空母・ランドルフの飛行甲板に大穴をあけ、飛行機24機損壊、人員134人死傷。
福田機ペア3人の遺体は回収され、米海軍によって丁重に葬られたということです。
また、黒丸直人隊長機以下4機(5機?)が攻撃を断念しヤップ島に不時着(このとき、藤川益男飛長、幡勇二飛曹戦死)。後日、鹿屋に帰還しました。
進撃途中、機体不調のため途中の島に不時着した銀河の搭乗員たちも、鹿屋に戻り、また次の特攻隊に編成され、南へと飛び立っていきました。
参考文献:神野正美『梓特別攻撃隊』光人社
前日取りやめになった梓隊の出撃が、今度こそ決行されました。
ウルシーに向かったのは銀河24機、誘導二式大艇(天偵1、誘導2)。
途中、誘導機1機は発進に手間取り単機でいるところを敵機に撃墜され、また、銀河の方も機体の不調で多数の脱落機を出し、ウルシー泊地にいた敵艦船に攻撃をかけたのは11機でした。
前日より1時間発進時間を遅らせたこと、また、誘導機の速度が遅く銀河の優速を生かせなかったことなどが重なり、ウルシーに到着したのは予定していた日没直後の「薄暮」ではなく、何も識別できない真っ暗闇の状態になってからでした。
そんな中、突入した銀河のうち、敵に被害を与えたのは第2中隊長・福田幸悦大尉(海兵70期)機ただ1機(偵・井貝武志上飛曹、電・太田健司上飛曹)。
空母・ランドルフの飛行甲板に大穴をあけ、飛行機24機損壊、人員134人死傷。
福田機ペア3人の遺体は回収され、米海軍によって丁重に葬られたということです。
また、黒丸直人隊長機以下4機(5機?)が攻撃を断念しヤップ島に不時着(このとき、藤川益男飛長、幡勇二飛曹戦死)。後日、鹿屋に帰還しました。
進撃途中、機体不調のため途中の島に不時着した銀河の搭乗員たちも、鹿屋に戻り、また次の特攻隊に編成され、南へと飛び立っていきました。
参考文献:神野正美『梓特別攻撃隊』光人社
梓隊、出撃・・・・そして、取りやめ ― 2008年03月10日 08時34分44秒
―昭和20年3月10日、鹿屋―
宇垣纏長官の訓示、最後の盃、記念撮影・・・・
24機の銀河は○八○○から離陸開始。
ところが、全機離陸するまえに出撃取りやめ。引き返しを命じられる―
偵察報告翻訳の混乱から敵情がつかめず、取りやめになりました。
翌日、発進時刻を一時間遅らせて再出撃と決まったのでした。
この世への未練を断ち切って銀河に乗り込んでいったかれらが、予期せずして25時間の生の時間を与えられたのです。
どんなに想像力を働かせてもかれらの立場にはなりえないので、このことがかれらにとってささやかなプレゼントになったのか、それともただ単に苦しみの時間が延長されただけなのかはわかりません。
宇垣纏長官の訓示、最後の盃、記念撮影・・・・
24機の銀河は○八○○から離陸開始。
ところが、全機離陸するまえに出撃取りやめ。引き返しを命じられる―
偵察報告翻訳の混乱から敵情がつかめず、取りやめになりました。
翌日、発進時刻を一時間遅らせて再出撃と決まったのでした。
この世への未練を断ち切って銀河に乗り込んでいったかれらが、予期せずして25時間の生の時間を与えられたのです。
どんなに想像力を働かせてもかれらの立場にはなりえないので、このことがかれらにとってささやかなプレゼントになったのか、それともただ単に苦しみの時間が延長されただけなのかはわかりません。
サイト閉鎖!? ― 2008年03月08日 22時50分10秒

深井良中尉公式サイト(?)「深井良のチェスト」が閉鎖されることになりました。
事情はサイトを見ていただいたら説明してあります。
せっかくここまで育ってきたのにちょっと残念ですが、深井さんは再開を宣言されているので、近い将来、きっと、またお目にかかれるでしょう。
ということで、それまでの間、このブログが深井良中尉「非」公式サイトを勝手に名乗らせていただくことになりました。(ほんまか!?)
実はママ、深井良中尉ファンクラブ会長を密かに拝命しています。
会員は一名。会費なし。
深井中尉をこよなく愛するというだけの会です。
事情はサイトを見ていただいたら説明してあります。
せっかくここまで育ってきたのにちょっと残念ですが、深井さんは再開を宣言されているので、近い将来、きっと、またお目にかかれるでしょう。
ということで、それまでの間、このブログが深井良中尉「非」公式サイトを勝手に名乗らせていただくことになりました。(ほんまか!?)
実はママ、深井良中尉ファンクラブ会長を密かに拝命しています。
会員は一名。会費なし。
深井中尉をこよなく愛するというだけの会です。