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帰らぬ梓弓、帰って来た梓弓2008年03月11日 07時05分46秒

梓隊・第2中隊長 福田幸悦大尉機
昭和20年3月11日、鹿屋―

前日取りやめになった梓隊の出撃が、今度こそ決行されました。

ウルシーに向かったのは銀河24機、誘導二式大艇(天偵1、誘導2)。
途中、誘導機1機は発進に手間取り単機でいるところを敵機に撃墜され、また、銀河の方も機体の不調で多数の脱落機を出し、ウルシー泊地にいた敵艦船に攻撃をかけたのは11機でした。

前日より1時間発進時間を遅らせたこと、また、誘導機の速度が遅く銀河の優速を生かせなかったことなどが重なり、ウルシーに到着したのは予定していた日没直後の「薄暮」ではなく、何も識別できない真っ暗闇の状態になってからでした。

そんな中、突入した銀河のうち、敵に被害を与えたのは第2中隊長・福田幸悦大尉(海兵70期)機ただ1機(偵・井貝武志上飛曹、電・太田健司上飛曹)。
空母・ランドルフの飛行甲板に大穴をあけ、飛行機24機損壊、人員134人死傷。

福田機ペア3人の遺体は回収され、米海軍によって丁重に葬られたということです。

また、黒丸直人隊長機以下4機(5機?)が攻撃を断念しヤップ島に不時着(このとき、藤川益男飛長、幡勇二飛曹戦死)。後日、鹿屋に帰還しました。

進撃途中、機体不調のため途中の島に不時着した銀河の搭乗員たちも、鹿屋に戻り、また次の特攻隊に編成され、南へと飛び立っていきました。

参考文献:神野正美『梓特別攻撃隊』光人社

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