Google
WWWを検索 ひねもすを検索

2匹脱落(ToT)2013年05月04日 14時20分12秒

昨日の夜、リュウキンさん6匹のうち2匹が再起不能なぐらい弱っていました。

体の小さな2匹です。
赤い口紅の子と、更紗の口紅の子(くーちゃん)です。

赤い子は完全に浮いてしまってもぐれなくなってしまいました。

くーちゃんは、ママが発見したときは白いおなかを上にして浮いていました。しかも動いていなかった!

「ぎゃっ! 死んでる!!」
と思いました。

水槽に近づいてみたら、他の子がすーっといってくーちゃんをつんつん→くーちゃん、びくっとして元に戻る!

元には戻ったけど、もぐれませんでした。

その後も横向きで浮いて動かなくなっていたり、水面に腹出して浮いていたり。

もうダメだ、これは死ぬ・・・・と思いました。


とりあえず、隔離して塩浴。

隔離したけど、くーちゃんのほうはもう仮死状態みたいな感じ。
エラも口もじーーーーーっと見ないと動いているのがわからないような・・・・。




朝起きたら、2匹とも泳いでいました。
いまは自在にもぐれます。

でもエサをあげたらまた昨日みたいになるんだろうな~(^◇^;)
しばらく絶食。



サクラちゃんも調子悪いんですよねー(-_-;)
本水槽にいますが。

今日はもぐれていますが、ときどきもぐれなくなっています。

フンも空気入りの下痢フン(?)だし。


下にいるのはジャイ子だよ♪
ジャイ子は絶好調(^_^)v

曽我辰己上飛曹2013年05月04日 15時49分14秒

乙11期の曽我辰己上飛曹。
戦闘303の先任搭乗員です。
谷水さんの戦闘303名簿にあった曽我さんのお写真。

岐阜県出身。大正12年生まれ。8人きょうだいの4番目。



以前、ここに他の方の写真を「曽我辰己上飛曹?」と出したことがあって、それがきっかけで曽我さんの甥御さんと連絡が取れるようになりました。
何が幸いするかわからないものです・・・・。
こういうのを”縁”っていうんだろうなあ・・・・と勝手によいように解釈しています。


甥御さんから曽我さんご本人の写真を送っていただきましたので紹介します。


【予科練時代】
操偵適性検査でしょうか。
かわいらしい。


1空の階級章。


曽我さんは飛練卒業後は202空へ。
18年の年明けから行動調書にお名前が出てきます。
おもにケンダリーやクーパンの基地上空哨戒。

18年6月1日にはケンダリーから上がって、B24に攻撃を加えて撃破しています。

『6 月1日、ケンダリー基地を10時に発進した津田五郎二飛曹は敵機を発見したが、雲の中に見失い11時に帰って来た。入れ替わるように離陸した曽我辰巳二飛曹は1機のB24を捕捉。九撃を加え、外側の発動機から黒煙を噴出、停止させて、海面20メートルを追跡したが雲の中に見失ってしまった』

このB24は「散々に撃たれたがなんとか基地までたどり着いた。しかし結局胴体着陸するはめに陥った」そうです。
※梅本弘『海軍零戦隊撃墜戦記1』大日本絵画




202空時代の写真は、『日本海軍戦闘機隊2』【エース列伝】の後藤庫一さん(甲6)の項に出ています。すごく雰囲気のいい搭乗員たちの集合写真。みんな、仲よさそう。

あと、もう一枚ありました。数日前に見つけました。
伊藤清さんの項。
搭乗員4人でのスナップ。含んだような笑顔。たぶん曽我さん。
ここは見たはずなのに、どうして見落としていたんだろう。



【呉空時代】
202空のあとが不詳だったのですが、下2枚の写真で一緒に写っている方々から推測し、332空の前身、呉空岩国派遣隊時代の写真ではないかと。



前列中央が曽我さん。
前列左は不明。右は石田貞吾さん(丙6)ではないかと思います。
後列左は不明。中央・林重雄さん(乙12)、右・林常作さん(丙2)と、書籍掲載の氏名入り写真から推測してみました。


そもそも「332空関係?」と気づいたのは、この写真からでした。

「松本佐市さんじゃあ、あーりませんか!?」
左端。
乙9期に同じお顔の方がおられます。
まだここには出していませんが、戦闘機の松本佐市さん(戦後生存)。

で、で、で、よくよく見ると、真ん中の飛曹長が石原進さん(甲3)に見える!


石原進さん、他にも書籍掲載の写真や手許にある写真に写っていて、すごくいい人に見えるんですよね~。
この人が写っている写真は搭乗員たちの雰囲気がとてもよくて、「石原さん、いい人だったんだろうな~」って想像させてくれます。

この写真の曽我さんも、飛曹長さまの横で大変リラックスされているようで(笑)

後ろのサングラスは、一つ上の写真の後列左の人と同じ人かなあ?



ちょっと脱線してしまいましたが、そんなわけで「332空だな?」になったわけです。

332空の行動調書を見ましたが、曽我さんの名前を見つけることはできませんでした。
石原さんらしき方の服装からも夏期っぽい。
知人からの情報もあり、おそらく332空の前、19年夏頃の呉空岩国派遣隊時代だろうということに落ち着きました。

甥御さんに話したところ、
「そういえば、おじが郷土訪問飛行をしたあとで手紙をくれたらしいが、それが岩国からだったとか・・・・」
と思い出してくださいました。

これらの写真は呉空岩国派遣隊時代だろう、と。




郷土訪問の話はこうです。
19年秋頃、実家上空に零戦が飛んできて家に向かって急降下を繰り返したり旋回したりして最後にバンクを振って帰って行ったそうです。
それを見た曽我さんのお母さんが、
「辰己の飛行機や!」
と玄関にかけてあった日の丸の旗(お祭りの日だったらしい)を田んぼに出て振ったそうです。
で、後日、岩国から手紙が来て、日の丸を振っているお母さんが見えたようなことが書かれていたそうです。





【戦闘303時代】
20年3月と言われている集合写真の曽我さん。

いつから戦闘303にいるのかについては、現時点で不明です。

戦闘303に来て最初の出撃と思われるのは3月18日。
笠之原から「鹿屋地区上空哨戒」
この日は九州に米艦載機の空襲があり、戦闘がありました。
曽我さんの欄には戦果も被害も書かれていませんが、戦闘303からは戦死者が出ています。

翌19日は岡嶋隊長の2番機で敵機邀撃。
1日に2回上がったのか、2度目は岡嶋隊長の3番機で敵機邀撃。
このときの小隊が1番機・岡嶋隊長、2番機・久角武中尉(予学13)、3番機・曽我上飛曹、4番機・安部正治2飛曹なのですが、このうち久角さんと安部さんがご健在で、お付き合いのある方でした。なんだか不思議なご縁です・・・・。


久角さんの、曽我さんの印象。
「オトナシイ人だったと思う」
「飛行時間の多い優秀な操縦者」



が!!
地元では相当なやんちゃで通っており、近所の女子からは家に近づけないぐらいおそれられていたそうです((( ;゜ Д ゜)))


ま、写真見たらやんちゃそうな感じはしますけどね。
特にデッキチェアの曽我さんとかね。
わたしには「オトナシイ」下士官には見えませんがー(^_^;)

でも(上官の前で)「オトナシイ」曽我さんも、(ふだん)「やんちゃな」曽我さんも、どちらも曽我さんなんだろうな。



谷水さんの写真の中にあった曽我上飛曹(右)。
戦闘303名簿の写真の元写真です。

左袖の階級章は旧の丸形のもの。
右手にタバコ。
飛行服の左膝が破れています。


待機所でしょうか。
リラックスした感じの曽我さん。
救命胴衣の胸に「曽我上飛曹」と書かれてあります。


何をしているのでしょうか。
手つきから察するに、何か繕い物でもしているのかな?
右の飛行靴上端内側をちょっと折り返しています。

救命胴衣と飛行靴に記名あり。
飛行靴は「戦斗三○三 曽我上飛曹」。

戦闘303時代、曽我さんは色つきのマフラーの上に白いマフラーと、二重に巻いているっぽいです。



安部正治さんの手記
『五月に入ると、菊水五号作戦があり、わが隊も三十数機の零戦がくわわった。わたしは曽我先任兵曹と飛ぶことになった。美しい開聞岳の姿に送られて洋上を南下 し、沖縄本島上空にたっした。本当の西岸は、さながらゴマをまいたような敵艦艇の黒いツブが洋上にひしめきあっていた』

このあと敵機と遭遇して空戦になります。

『曽我先任が急に左下方にダイブした。左横の位置についてともにダイブすると、コルセア一機が左に走った。深い角度から先任が撃つ。私もコルセアの前部に弾幕を張った。そして今度は右にきりかえした。
ところが不思議なことに、曽我先任の左エルロンが吹っ飛び、機はまっさかさまに墜ちていった。わたしはハッとしておもわず操縦桿を握りしめた。しばらく呆然 としたが、ふとわれに帰ると、たった一人になった私はひきあげながら左に旋回していた。曽我機の様子を見ると、海に落ちた機は、海面に大きな波紋をえがき、炎につつまれていた』

※安部正治「知られざる精強二○三空激闘の一年間」(秋本実編『伝承・零戦空戦記6 最後の零戦 本土防空戦』光人社)


この空戦場、『私はラバウルの撃墜王だった』光人社NF文庫におさめられている手記の方には「沖永良部島が北方に見えるあたり」と書いてあります。

このコルセアは、どちらの弾が命中したのかわかりませんが、被弾してパイロットは落下傘降下。

手記には曽我さんのエルロンが吹き飛んだ原因に関しては書かれていません。安部さんは、撃墜されたとか操縦ミスとかそんなことではなく、「機体上のこと」と思われているようです。


この日―20年5月4日―。
出撃前の整列時、曽我さんの姿はなかったそうです。
寝坊なのか、脱なのかはあえて聞いていません。
とにかく曽我さんがいなかったので、他の人が曽我さんの場所に入っていた、と。

でも、出撃までに曽我さんが駆けつけてきて、ちゃんと予定通り出撃されて上記のようなことになったらしいです。

もし、曽我さんが来なかったら、代わりに入っていた人が死んでいた、と安部さんは思われているので、
「安部さんは、誰が乗っても起こりえた機体上の問題だったと思われているんだなあ・・・・」
とわたしは解釈しています。

実際に目撃された方の印象なので、たぶんそうなのだと思います。


安部さんが描かれた”その日の空戦”の絵も手許にあります。
海、空、雲、沖永良部島・・・・。
撃たれたコルセアと脱出したパイロット。
背面で海に落ちていく曽我機・・・・。
絵とはいえ、つらい光景です。


おそらく一瞬のできごと。
ご本人も何が起こったかわからなかったのでは。
戦闘機乗りとしては無念だったろうと思います。

まほろばキッチン2013年05月05日 19時28分32秒

今日は快晴。

ドライブに行ってきました。
JAならけんの直売所・まほろばキッチン。
向こうからみみなし・うねび・写ってないけど、かぐやま。

かぐやまはバイキングレストランです。

これが今日の目当て。
1時間待ちぐらいでした。
1時間経った時点で聞いたら「11組目」と言われたのですが、間の人たちが待ちきれなかったのか、ごそっといなくなっていて1時間で入れました(^_^;)






食事のあとは直売所でお買い物。

レストラン同様、すごい人でした。

平日に行かないと、ゆっくり買い物できないような雰囲気でした。



家に帰ってきて、丹次郎の水槽洗い。

リュウキンの小さいの2匹は今日はいくぶん復活しているような?

そのかわり、本水槽のサクラちゃんが浮いちゃってヤバイ感じ。





そういえば、我が家の複合機、新しくなりました。

1月からなかったんですよ(^◇^;)

電源が入らなくなっていました。


複合機がないまま4ヶ月経過。つらかったです(ToT)

先日、自分用スキャナを買ったときに一緒に買いました。
今日、ようやく設置。

まだ試していません。

今日は2013年05月05日 22時56分19秒

山崎市郎平さんの誕生日であります。



大正9年5月5日生まれ。


わたしはゆる~い人のような印象を受けているのですが、実はりりしい( ^o^)ノ

下士官の二種軍装。

16年の夏だろうな、と想像しています。

というのも、山崎さんが下士官に任官したのは16年5月1日。
17年春にはラエで戦っている・・・・そして、8月26日。ブナで敵機と交戦、不時着大破。

「顔面及胸部打撲傷により休養中、更にマラリヤとデング熱を併発し内地送還」

らしいので、仮に二種を着るような季節に内地に帰って来ていたとしても、写真を撮りに行けるような状態ではなかっただろうと。

なので、写真を撮ったとしたら、16年の夏しかないんじゃないかと考えました。



戦地(南方)だったら、夏じゃなくても二種軍装なんですかね?



この写真、一緒に写っている人がいます。

袖しか写っていないので、まったくどなたかわかりません。

が、その袖に階級章が写り込んでいました。
この山崎さん写真には、右端はここまでしか写っていません。

これ、3等整備兵の階級章だそうです。※知人のご教示



整備と聞いて、真っ先に思い浮かんだのは整備兵だった弟さん。

でも、16年夏に3等整備兵・・・・? 年齢的にビミョーな感じです(^_^;)


そもそも弟さんだったら、ご家族に、
「にーちゃんの横におるんは自分だ」
という話をされていても不思議ではないような気がするのですが、そのような形跡がありません。

山崎さんが所属していた航空隊(16年夏は横空か?)で懇意にしていた整備員なのでしょうか?

スイマセン、結局、隣の人はどなたかまったくわからない、というお話でした(^_^;)

ブログの新規作成画面がでない(>_<)2013年05月06日 09時33分38秒

これってわたしだけかな?

昨日、突然、アサブロの管理画面のブログ作成画面が出なくなりました。


ふだん、わたしはFirefoxでブログをやっているのですが、どうも昨日、勝手にFirefoxが更新されちゃったような?
そこからブログ作成画面がでなくなってしまいました。



Internet Explorerの方は正常です。
管理画面の「エディタで新規作成」というところをクリックすると、こんな画面が出てくるはずなんです。  ↓IE画面

ここにブログタイトルを入れてカテゴリ選択をしてOKボタンを押すと入力画面になります。

入力画面はこんな画面です(いま作成中の記事)。







ところがですね、いま「エディタで新規作成」を押すと出てくるのはこの画面です。
↓Firefox画面

一番上に出した画像の枠なしの画面がいきなり出てきます。
いままで見たこともない画面です。
どうしようもない状態。
ここからは何もできません。
戻るキーで管理画面に戻るのみ。


わたしだけかな?

アサブロさん、対処できないの?