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ぶちまけた!Σ( ̄ロ ̄lll)2012年03月01日 15時49分51秒

煮物を作っていて、手がすべって、砂糖を床にぶちまけてしまいました。



動揺しまくったママは、掃除機より先にデジカメ取りに行っちゃった(・∀・)ゞ

とにかく、掃除機より先に回収、回収。

タッパー本体の中や、蓋の上で生きている部分を回収し、さらに床に落ちちゃったところも、カーペットに接してない部分はスプーンで慎重に回収。           ・・・・自称セレブですが

大和の甲板に落ちた食べ物は食べられても、うちの台所のカーペットに落ちた食べ物はちょっと食べられないので、もったいないですが、掃除機さんのお世話になりました・・・・。


慣れんことはせん方がいいっちゅうことですね(^◇^;)

入浴中2012年03月02日 20時10分57秒

久しぶりに[西澤廣義写真集]。

実はいま、ある乙飛出身の戦闘機搭乗員の方の予科練時代のアルバムをお借りして、中の写真の確認をしています。
いくつかある、ブログに気が入らない理由のうちの一つはそれです。

ご本人は戦死されていて、アルバムの写真の情報は、写真の下に書き込まれた本人のものと思われる説明書きだけです。
ただし、これは貼られている写真全部についているわけではなく、半分以上は何の説明もないまま貼られています。

どんな小さな事でもよいから、とにかく貼られた写真に関する情報がほしい・・・・。

となると、先輩の予科練アルバムも活用しちゃいます。

先日、武田信行さんからいただいた写真の中に、西澤さんの予科練のアルバムの写真もありました。
ざっと見たときに、
「西澤さん個人のモノではないのかな?」
と思ったので、あまり真剣に見ていませんでした。

写真はすでに台紙に印刷されていて、練習生一人一人のオリジナルアルバムではなく、大量印刷したアルバムを配ったモノ・・・・という印象を受けたからです。
ただし、まったくの大量生産品ではなく、西澤さん本人の写真が印刷されたページもあります。
が、練習生が大勢写っている写真の中から西澤さんを見つけ出すのは困難。探したところで写っていない可能性も大なので、予科練アルバムの方は西澤さんを探していませんでした。

※今回、ママが預かった予科練のアルバムというのは、西澤さんの予科練アルバムとは違い、どうも、自分で写真を選んで1枚1枚貼り込んでいったのではないか、という作りになっています。
というわけで、世界に1冊しかない、”この搭乗員のオリジナルアルバム”だと思われます。


すいません、ちょっと話が逸れました。


西澤さんのアルバムにも、写真に、編纂者がつけたと思われる活字の「ひとこと」がついています。
艦務実習の写真なのか、「露天甲板洗方回レー」とか。「辻堂」と書かれたものも。
場所や行事がわかる「ひとこと」。
とにかく、預かったアルバムの写真のヒントを得るためにこの「ひとこと」を参考にしようと思って、昨日の夜、再確認していました。

そうしたら・・・・。

西澤さんらしき人が写っている写真発見!!
「ひとこと」は、「黒ン坊ノ集リ」

海軍が検閲してアルバムに出しているのだから、写ってはいけないモノは写っていないと思うのですが(笑)、念のため、サイズ縮小して出してあります。

こんな小さな写真じゃあ、どこに西澤さんがいるのがわからないですよね?


ど真ん中です!


この人、たぶん西澤さんだと思うんですよね?

あ、異議は受け付けません。

今日の晩ごはん2012年03月03日 22時33分14秒

桃の節句なのに、ここ数年、おひな様を出していません。

今年はとうとう、ケーキも・・・・

というのはあんまりなので、練習後、イオ○モールでスティックケーキ買いました。


これはママの。
春海はイチゴショートにしていました。

ひな祭りの日なのに、練習はしごかれまくっていました(^_^;)



晩ごはんは、久しぶりに、B'zがBGMの十兵衛うどん。

この前より暗かったのに。
前のデジカメはこんなにきれいに撮れますよ(ToT)

ミニ玉子丼(380円)とハイカラうどん(480円)。

この逆(玉子丼+ミニうどん)だと580円なのですが、今日はどうしてもうどんをたくさん食べたかった。

台南空時代の堀光雄3飛曹2012年03月04日 21時01分23秒

堀さん(戦後・三上さん)は乙飛10期、昭和13年後期に予科練に入隊しています。
予科練、飛練を経て、最初の配属先がラバウルの台南空。『日本海軍戦闘機隊』の「エース列伝」堀光雄飛曹長の欄には「(17年)5月台南空に発令され」と書いてありますが、台南空の行動調書に初めて名前が出てくるのは7月2日。ラバウルの基地上空哨戒任務です。

7月】
72日  ラバウル上空哨戒
76日  ラバウル上空哨戒
79日  ラバウル上空哨戒
712日 ラバウル上空哨戒
713日 ラバウル進撃哨戒
727日 ラバウル上空哨戒
730日 ラバウル上空哨戒

8月】

81日  ラバウル上空哨戒
83日  ラバウル上空哨戒
84日  ラバウル上空哨戒
812日 ラバウル進撃哨戒
824日 ラバウル進撃哨戒
825日 ラバウル上空哨戒
830日 ラバウル進撃哨戒

9月】

91日  ラバウル上空哨戒
95日  ラバウル上空哨戒
911日 ラバウル進撃哨戒
913日 ラバウル上空哨戒
915 ラバウル上空哨戒

10月】

106日  ショートランド上空哨戒(ブカ)
1013日 ラバウル進撃哨戒
1031日 ラバウル上空哨戒



ラバウル時代の堀3飛曹は、西澤さんたちのような大きな出撃はありません。
あらかじめ決められた基地の上空哨戒か、あるいは留守番中?、突然敵機がやって来て、
「ソレ、行け!!」
と早いもん勝ちで飛行機に取り付けた者だけが上がれる・・・・という状態だったようです。


8月25日に基地に来襲した「B17×1、交戦逸す」、9月11日同じく基地来襲の「B17×1、追撃逸す」、9月15日「B17×4、攻撃逸す」。
10月31日は、B17、一機がラバウルに来襲したため4機(堀光雄3飛曹、本多秀三1飛、明慶幡五郎2飛、本田秀正2飛)が発進、「(4機のうち)2機 はB17に攻撃を加え左内側発動機より黒煙を引かしめたるも撃墜するに至らず」で、堀さんが2機のうちの1機かどうかは不明です。



雑誌『丸』に掲載された座談会の堀さん(三上さん)の台南空時代回想。

三上「(笑いながら)あれで最後から比べたらそんなに弱輩ではなかったんですが・・・・ラバウルに行ったときは飛行時間600時間というところですかな。戦闘機の600時間といえば、ある程度くちばしの黄色いのはとれていたんですが―(笑声)行ったところが、周囲がみんなベテラン揃いだったために心ならずも弱輩扱いにされた(笑)」


三上「張り切って出動を待っているのに搭乗割の中に自分の名前がないんです。坂井さんのところへ行くと、「おまえたちはいま行ったらダメだ」と押さえられた。こっちは空襲に行きたくてしょうがないが、空襲にはやってくれない。これはあとになってわかったんですが、あのとき俺が行っておったら一も二もなく落とされて、とてもこうして生きちゃいない(笑)。とにかく一日も早く戦争に行かしてもらえるようにねばらなくてはいかんということで、朝は飛行機をせっせと磨く、搭乗員が行くのにきれいに下準備をやるわけです。帰ってきてから戦争の状況はどうでした、どういう風に敵機を落としたとか、ねばりねばり情勢を聞く。またその他に待機の飛行機が残っているんですが、それは搭乗割が決められてしないし、早いもの勝ちだった。それで敵機のサイレンが鳴ると一生懸命駈けて行くわけです。まあそういうことをやって実戦に馴れたわけですが、それを大分長くやらされました(笑声)」

※画像は武田信行氏提供の西澤さんの台南空集合写真から

体調不良2012年03月05日 18時58分44秒

風邪を引いたのかな?

調子が悪いので、予約していた歯医者、キャンセルしました。

今日は半分ぐらい寝て過ごしています。