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台南空時代の堀光雄3飛曹2012年03月04日 21時01分23秒

堀さん(戦後・三上さん)は乙飛10期、昭和13年後期に予科練に入隊しています。
予科練、飛練を経て、最初の配属先がラバウルの台南空。『日本海軍戦闘機隊』の「エース列伝」堀光雄飛曹長の欄には「(17年)5月台南空に発令され」と書いてありますが、台南空の行動調書に初めて名前が出てくるのは7月2日。ラバウルの基地上空哨戒任務です。

7月】
72日  ラバウル上空哨戒
76日  ラバウル上空哨戒
79日  ラバウル上空哨戒
712日 ラバウル上空哨戒
713日 ラバウル進撃哨戒
727日 ラバウル上空哨戒
730日 ラバウル上空哨戒

8月】

81日  ラバウル上空哨戒
83日  ラバウル上空哨戒
84日  ラバウル上空哨戒
812日 ラバウル進撃哨戒
824日 ラバウル進撃哨戒
825日 ラバウル上空哨戒
830日 ラバウル進撃哨戒

9月】

91日  ラバウル上空哨戒
95日  ラバウル上空哨戒
911日 ラバウル進撃哨戒
913日 ラバウル上空哨戒
915 ラバウル上空哨戒

10月】

106日  ショートランド上空哨戒(ブカ)
1013日 ラバウル進撃哨戒
1031日 ラバウル上空哨戒



ラバウル時代の堀3飛曹は、西澤さんたちのような大きな出撃はありません。
あらかじめ決められた基地の上空哨戒か、あるいは留守番中?、突然敵機がやって来て、
「ソレ、行け!!」
と早いもん勝ちで飛行機に取り付けた者だけが上がれる・・・・という状態だったようです。


8月25日に基地に来襲した「B17×1、交戦逸す」、9月11日同じく基地来襲の「B17×1、追撃逸す」、9月15日「B17×4、攻撃逸す」。
10月31日は、B17、一機がラバウルに来襲したため4機(堀光雄3飛曹、本多秀三1飛、明慶幡五郎2飛、本田秀正2飛)が発進、「(4機のうち)2機 はB17に攻撃を加え左内側発動機より黒煙を引かしめたるも撃墜するに至らず」で、堀さんが2機のうちの1機かどうかは不明です。



雑誌『丸』に掲載された座談会の堀さん(三上さん)の台南空時代回想。

三上「(笑いながら)あれで最後から比べたらそんなに弱輩ではなかったんですが・・・・ラバウルに行ったときは飛行時間600時間というところですかな。戦闘機の600時間といえば、ある程度くちばしの黄色いのはとれていたんですが―(笑声)行ったところが、周囲がみんなベテラン揃いだったために心ならずも弱輩扱いにされた(笑)」


三上「張り切って出動を待っているのに搭乗割の中に自分の名前がないんです。坂井さんのところへ行くと、「おまえたちはいま行ったらダメだ」と押さえられた。こっちは空襲に行きたくてしょうがないが、空襲にはやってくれない。これはあとになってわかったんですが、あのとき俺が行っておったら一も二もなく落とされて、とてもこうして生きちゃいない(笑)。とにかく一日も早く戦争に行かしてもらえるようにねばらなくてはいかんということで、朝は飛行機をせっせと磨く、搭乗員が行くのにきれいに下準備をやるわけです。帰ってきてから戦争の状況はどうでした、どういう風に敵機を落としたとか、ねばりねばり情勢を聞く。またその他に待機の飛行機が残っているんですが、それは搭乗割が決められてしないし、早いもの勝ちだった。それで敵機のサイレンが鳴ると一生懸命駈けて行くわけです。まあそういうことをやって実戦に馴れたわけですが、それを大分長くやらされました(笑声)」

※画像は武田信行氏提供の西澤さんの台南空集合写真から

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