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生まれてやった2009年02月03日 09時21分30秒

生まれてくれた春海
昨日の夜、春海に、
「ねー、ママー。ママは男の子と女の子、どっちが生まれて欲しかった?」
と聞かれました。
「ママは女の子かなー」
と答えたら、春海、
「じゃあ、はーちゃんが生まれて嬉しかったー?」
ママ、
「嬉しかったよー」
春海、
「女の子が欲しいなあ、って、願い通りやったんやー(^o^)」
そこまではよかったのですが・・・・。最後に、

「はーちゃん、パパとママのところに生まれてやってん」

・・・・?
春海、ちょっと上から目線じゃない?

お寿司屋さんの陰謀らしい2009年02月03日 18時55分28秒

今日の晩ごはん
20年前、大阪に出てきて、初めて「丸かぶり」の風習を知ったママですが、いま、ニュースでやっていたのですが、関西自体も昭和7年発祥らしいですねー。お寿司屋さん業界が、
「2月は暇やなあ、なんかイベント作ろか」
みたいなノリで。

節分には海苔巻き、バレンタインにはチョコ、土用の丑にはうなぎ、大晦日にはそば・・・・日本人は右にならえやから、すぐにこういう商法にはまりますなあ・・・・。

我が家も、
「よっしゃ、今日は巻き寿司や!!」
と、普段行かないスーパーまで遠出して巻き寿司を買ってきました。

春海はマグロが大好きですが、マグロ入りは春海の嫌いなネギ入り「ネギトロ巻」しかなかった。
ママは過保護ママなので、店員さんに、
「うちの春海のためにネギ抜き、わさび抜きのネギトロ巻作ってくれんかのー」
と腰を低くして丁寧にお願いし、特注ネギトロ巻(?)を作ってもらいました。

ママはフツーの巻き寿司。最近、巻き寿司をやたら豪華にしたバージョンがあり、気をつけないと魚介類が紛れ込んでいる場合があるので、巻き寿司を望遠鏡みたいに覗いて中に”異物”が混入していないか慎重に確認。
「よし、食える」
はっきりいって、ママは中身は卵焼きとかんぴょうだけで十分です。

あー、節分が終わったらお雛様出さないといけないなあ・・・・。

学習参観&プール2009年02月04日 17時38分42秒

教室に飾ってあった春海の作品
今日は1年生最後の参観日でした。

学習発表会だって。
みんなで1年間、学習してきた成果を発表します。
「さんすう係」「こくご係」「せいかつ係」「たいいく係」「おんがく係」など、数人でグループを作り、発表し合いました。

「さんすう係」なら計算カードを読み上げ、「こくご係」なら出題された漢字を黒板に書き、「せいかつ係」はけん玉、コマ、お手玉を披露、「たいいく係」はなわとび、「おんがく係」はピアニカ演奏でした。

春海は「おんがく係」でお友だち2人と一緒に「落ち葉」を演奏しました。

「あんまり流行ってない」と言われていたインフルエンザですが、いよいよキターーーー!!!!って感じです。
春海のクラス、5人欠席していました(風邪1、インフルエンザ4らしい)。
春海は、風邪でなくてもマスクを着用させていますが、中には咳をしているのにマスクをしてない子も。それ、テロちゃうの?
本心は、そんな子は休ませて欲しい。でも、ムリなら、せめてマスクぐらいしてちょーだいな。

今日は学校から自転車で直行でプールへ。ギリギリセーフ。

計700メートルほど泳ぎました。
背面キック重点で。
ヘロヘロキックで、全然進まず、もう、ここにいちいち書く気すら起こりません。おまけに、せっかく土曜日に習った、背泳ぎ時のスタートもまったくできていなかった。

春海の2つ向こうの一般遊泳コースに、女の子2人、成人男子1人で泳ぎに来ているのがいました。親子か、コーチ&選手かわからないのですが、女の子2人がものすごい泳ぎをするのです。そんなに大きくない、小学校高学年ぐらいかなあ・・・・と思ってみていたのですが、とにかくとんでもなく速い、きれい。
1人が、背泳ぎを泳いでいましたが、こう言っちゃ、何ですが、ここのコーチよりすごいんじゃない?ってぐらいキレイに速く泳いでいました。
あっ!と言う間に25メートル泳ぎ終わっている、すごかった。

んで、視線を元に戻して春海の背泳ぎ。それは浮遊か? 漂っているのか? えっ!?-_-#

比べたらかわいそうなんはわかっているけど、今日の春海の泳ぎは悲惨でした(T_T)。

初島二郎上飛曹2009年02月04日 21時12分56秒

初島二郎上飛曹
初島上飛曹は『紫電改の六機』の6人の主人公のうちの1人です。
20年7月24日、豊後水道上空の空戦で、鴛渕隊長とともに戦死してしまいました。

甲飛9期出身、和歌山出身。
ママがわかっている初島兵曹の経歴は、203空戦闘303、343空戦闘701。

戦闘303では、西澤飛曹長と同じ飛行隊でした。
でも、編制表を見る限りでは、西澤飛曹長と初島兵曹はあまり縁はなかったようです。
でも、同じ飛行隊なので、話ぐらいはしたんじゃないでしょうか。

初島兵曹の戦闘303時代のことは安部正治さんの手記にちらっと出てきます。
西澤飛曹長が戦死したときのことも書いてありました。
西澤さんたちが戦死した10月26日は、初島兵曹や安部さんは別の任務でよそに行っていて、マバラカット基地にはおらず、翌27日に戻ってきてから飛曹長の戦死を聞いた、と、安部さんの手記に出ていました。

しばらく比島にいたようなのですが・・・・。

その後の経緯がよくわからない・・・・。
戦闘303が内地に引き上げてきた時に一緒に戻ってきたのだと思うのですが(安部さんは一緒に戻れなかったらしい)、いつ、戦闘701に転勤になったのかがわかりません。

3月末だか、4月上旬だという松山での戦闘701の集合写真に写っているので、その頃には確実に戦闘701にいたのでしょう。

その後、鴛渕隊長の列機になり・・・・7月24日の空戦で、鴛渕隊長とともに未帰還になってしまいました。

ママは、ときどき、理由もなくある搭乗員が気になってしかたがなくなることがあるのですが、この初島兵曹もそんな1人です。

気になって、「知りたい」と思うのですが、地味な搭乗員さんだと、あまり本にも載っていないようで・・・・。
ママの、初島兵曹に関する情報源は『紫電改の六機』と『還ってきた紫電改』の予科練時代の写真ぐらいでした。今回借りた『源田の剣』に、7月24日の空戦のことも詳しく書いてあるようですが・・・・。ちらっと見たのですが、ちゃんと読むのが怖い・・・・。

ネットで調べてみても、初島兵曹といえば、鴛渕隊長と一緒に戦死した人、ぐらいのことしか出ていないわけで・・・・。

知りたい・・・・知りたい・・・・。
初島兵曹の人柄が知りたい、とずっと思っていました。

戦闘701でご一緒だったOさんに初島兵曹のこと、聞いてみました。
「大人しくてまじめな人」
だそうです。
とにかく「まじめな人」ってのを強調されていました。
後輩だったOさんのことも決して呼び捨てにはせず、「O兵曹」と呼んでいたそうです。

イメージ通りというか・・・・わかる、わかる・・・・。
そんな人だと思っていました。

本で読むのと違って、実際に知っている方に話を聞くと、また違った感銘を受けますよね・・・・。実像に近づけたような感じ。

まじめで責任感の強い人だったのだと思います。
誰も最期を見ていないのでわからないことなのですが・・・・結果的に鴛渕隊長を守りきれなかったこと、無念だったろうなあ・・・・。

582空時代のホリブン2009年02月05日 07時34分19秒

先日、ちょこっと書いた582空時代というホリブンの写真。

↑こんな感じです。「イメージ画像」ちゅうことで・・・・。

集合写真の一番遠慮している立ち位置で写っているホリブン。
他の方々はみなさん、ベテランなのかな?

582空に移った当時、ホリブンだってラバウルに来てもう半年ほど経過しているはず。決して新米という立場ではないはずなのですが、悲しいかな、ホリブンが最初に配属された台南空はこれでもかの腕自慢揃いで、戦場に出てきたばかりの乙10期生はほとんど空戦には連れて行ってもらえないまま半年を過ごしてしまったのでした。

だからでしょうか、台南空主力が251空として内地で再編成ということになった時も、ホリブンや福森大三兵曹などの乙10期はそのままラバウルの582空に転勤という形で置いて帰られてしまいました(T_T)。
「もうちっと、修行してこい」
って感じ?

残された甲斐があったのか、ホリブンはあの樫村寛一飛曹長の列機に!
おおっ!!
樫村飛曹長は厳しい人だったらしいので、この↑かわいらしいホリブンもびしびし鍛えられたことでしょう。
でも、ひと月ほどで、ホリブンは敵機との空戦で撃墜されて落下傘降下、腕を骨折して内地送還になってしまいました(T_T)。