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思い出のお茶2009年02月19日 07時10分46秒

お~いお茶
学生時代、オンボロ下宿の隣室に、Wという下半身のだらしがないろくでもない学生が住んでいました。
(「学生時代」のカテゴリーにかれのろくでもない所業が収録されておりますので、お時間のある方はどうぞ見てやって下さい)

ろくでもないヤツだったのですが、やることなすこと抜けていて憎めないヤツで、それぞれの交友関係はそれはそれで保ちつつ、同じ大学の学生3人(もう1人、2階にHさんという男子学生が)、仲良く暮らしておりました。

そんなWが、わたしにモノをくれたことがありました。
コンコン、と部屋に訪ねてきたので、なんじゃらほい、と出てみると、お茶缶を4、5本ほど抱えたWが廊下に立っていました。
「これ、やるわ」
「何? どうしたん?」
「同じ研究室の友だちが、この俳句に入選してたくさんお茶をもらったらしいんや。おれもたくさんもらったから、これ、飲み」
と言って『お~いお茶』をくれたのです。

俳句が入選した景品にどっさりお茶をもらって、お友だちに配ったらしいんですよね。Wももらったらしく、それがママのところに流れてきた、と。

そのとき、たしか、缶の側面にいくつか書いてあった俳句、
「友だち、これやねん」
と教えてもらいました。

なんか、当時は、自分の作った俳句がお茶缶に印刷されてみんなに読まれるなんて恥ずかしー(o^^o)と思ったけど、よく考えたら、こんなふうにブログやって不特定多数の人に自分の駄文悪文さらしているのと何ら変わらんよねー。いや、俳句の方が「評価」を経ているだけマシか。ブログは一方的に垂れ流しなんで。

まあ、そんなことはどうでもいいですが、『お~いお茶』って20周年らしいですね。ということは、Wがあれをくれたときはまだ発売したてだったってことですねー。

昨日、ペットボトルを飲もうとして、『お~いお茶』であることに気づき、側面を見てみたら、ありました、俳句、俳句。
ろくでもないやつだったけど、Wのことを懐かしく思い出してしまいました。どうしているのかなあ~。本当に飛行機の操縦しているのかなあ~。こわいなあ~(^o^)。

遠藤桝秋3飛曹2009年02月19日 21時39分34秒

坂井さんの『大空のサムライ』に、こんな話が出てきます。

『本田2飛曹を失った私は、彼の代わりとして遠藤桝秋3飛曹をもらいうけた・・・・』
本田2飛曹とは、本田敏秋2飛曹のこと。どうも、坂井さんが弟のようにかわいがっていた列機らしいです。
そのかれは、17年5月13日、半田亘飛曹長指揮のモレスビー攻撃で自爆戦死してしまいました。
坂井さんによると、本田兵曹はこの日、半田飛曹長の列機としての出撃に気乗り薄だったようですが、坂井さんが「頑張ってこい」と背中を押して行かせてしまったんだとか。

で、本田兵曹は、戻ってこなかった、と・・・・。

『明くる5月14日、本田の弔い合戦の日だ。・・・・指揮官は笹井中尉だった。』
モレスビーの飛行場上空で会敵します。
『私は2番機の遠藤、3番機の羽藤に、手信号で後上方へ行けと合図し・・・・』
坂井さん敵機と交戦します。狙いを定めた敵機と格闘戦です。
『・・・・私はちらりと後上方を振り返った。2番機の遠藤がぴったりと私の後ろにくっついている。それで出発前に遠藤に言ったことを思い出した。
「遠藤、貴様は、今日がおれとの初出撃だから、何かプレゼントをやろう。もしも今日の空戦が非常に暇だったら、適当な獲物を、おれが若干いためてから貴様に渡すから、貴様はそれをぬかりなく落とせ。いいか、そのつもりで油断なく俺についてくるんだぞ」』
このあと、約束通り、坂井さんは逃げ回る敵機追撃を遠藤兵曹にバトンタッチします。
遠藤兵曹は巴戦をやりながら、何度も敵機を銃撃したそうですがなかなか当たらず、落とせなかったそう。グルグルやるうちにだんだん高度も下がってきて・・・・。
『遠藤はそれも忘れて、もう夢中だ。
「もう危ない! やめろ!」と怒鳴りたいのだが、怒鳴ったって聞こえるはずもないし、こうなったらしかたがないので私も一生懸命に上空を警戒しながらついていった。』
遠藤兵曹は夢中になるあまり1000メートルまで下がってしまいました。
高度は下がってしまっているけれど、遠藤兵曹の絶対優位は変わらず、その点だけは安心して見ていられたそうですが。
とうとうジャングルすれすれまで降りていき、敵機は梢すれすれに逃げようとしました。
そこを見逃さずに遠藤兵曹が一撃を加え(坂井さんは、「よくぞ弾を持っていた」と感心したそうです)、見事、一機撃墜\(^O^)/

敵機に夢中になっていた遠藤兵曹は初めて自分がどんなところにいるのか気づいたらしく、慌てて上昇を始めます。
そして、後ろからついてくる飛行機の気配に殺気でも感じたのか、急に全速力で逃げ始めます。
(坂井さん、実は激怒オーラを発しながら見守っていたのでは?(^_^;))

坂井さんも慌てて追いかけ、彼から見える位置に行き、飛行機の日の丸を見せ、やっと味方機だと気づいてもらえたんだとか。
『途中、彼と翼を並べながら、私は風防を開いて、「顔を見せろ」と合図すると、彼も風防を開いて顔を出した。その顔の何と深刻なことよ、精も根も尽き果てたというような表情だ。私が「どうだったか」という素振りをして見せたら、彼は下を指さしながら、「どうやら落ちたらしい」という身振りをする。「よかった、よかった」と私が喜んでやると、彼は初めてニッコリ笑った』

『着陸してから、私は思い出したように遠藤を呼んだ。そして、今日の空戦の模様を聞いてみた。
「貴様はあの飛行機を落としたと思うか、落とさなかったと思うか」
遠藤3飛曹は、ちょっと考えるようにしていたが、
「はい、最後の一撃で、たしかにジャングルに突っ込みました。・・・・たしかに落ちたのを見ました」と確信ありげに答えた。
「よし、それはわかった。それでは敵の機種は何だ?」
この質問に対しては、全然覚えていない。
「とにかく、味方ではありません。なんだか真っ黒いような飛行機と取っ組み合いやって落としました」と答えるだけである。これには私も苦笑した。
「それでは双発の飛行機だったか、それとも単発の戦闘機だったか」』
坂井さんの意地悪い質問はまだまだ続きます。高度は?場所は?

いぢわるな先輩・坂井先任にいたぶられた遠藤兵曹ですが、
「おかげさまで1機落とさしてもらいました。こんな嬉しいことはありません。初めて飛行機乗りになった日よりも、今日の方が嬉しいです」
と、無邪気に喜ぶのでありました(^o^)。

海軍戦闘機隊のエース列伝にも名前を連ねる遠藤桝秋兵曹(乙9期)の若鷲時代のウブな姿・・・・。
と、微笑ましくなるのですが、なんか、この話、あやしいんですよねー。・・・・というわけで、続く。

遠藤桝秋3飛曹 つづき2009年02月19日 22時17分19秒

遠藤兵曹の初撃墜談の続きです。

遠藤兵曹の略歴。
『日本海軍戦闘機隊』「エース列伝」によるとかれは大正9(1920)年12月20日生まれ。福島県出身。予科練は乙9期。もともと艦爆操縦だったのが、飛練卒業後に戦闘機に転科したらしいです。

台南空の編制表に初めて名前が出てくるのは戦闘機同期生より遅い昭和17年3月2日の船団上空哨戒任務。このころ、まだ台南空はラバウルには来ていません。

4月から、もともとラバウルで任務に就いていた4空戦闘機隊の一部(西澤さんや山崎兵曹、羽藤兵曹など)が台南空に編入になり、その数日後、台南空本隊(笹井中尉や坂井さん、太田さんたち)もラバウルへやってきます。

遠藤兵曹の、”台南空@ラバウル”での初任務は4月21日のモレスビー攻撃と思われます。
この頃、坂井さんは、ご自身の手記にも書いておられますが、過労でしょうか、ダウンして搭乗割から外れています。ラバウルでの坂井さんの初搭乗は5月2日のモレスビー攻撃です。

その後、5月13日、悲劇の日がやってきて、坂井さんの愛する列機・本田敏秋が戦死してしまいます。
翌14日に笹井中尉指揮でモレスビー攻撃に出かけた、ということですが、行動調書上では、

河合四郎大尉
吉田素綱1飛曹
日高武一郎1飛

山口馨中尉
太田敏夫1飛曹
新井正美3飛曹

大島徹1飛曹
奥谷順三2飛曹
本吉義雄1飛

笹井醇一中尉
坂井三郎1飛曹
水津三夫1飛

吉野俐飛曹長
宮運一2飛曹
山本健一郎1飛

という編制です。「笹井中尉指揮のもと、1番機・坂井、2番機・遠藤、3番機・羽藤」という編制ではありません。

坂井さんは手記にも、「実際の編制と、行動調書に記された編制が違うことがある」と書いていたと思うので、そういうことかなあ・・・・とも考えられるのですが。

実はこの時期、遠藤兵曹はごそっと編制から外れています。5月10日にラバウルの上空哨戒をやってから、22日のラバウルでの敵機邀撃まで上がっていません。10日間というのは、休暇というより、病気でもしていたんじゃないか、という長さなんですけど・・・・。
ママ妄想では、この間、遠藤兵曹は休暇のつもりでラバウルに行ったものの、体調を崩してしまい、そのままラバウルの病院に入院していたってことに(^_^)。←妄想ですよ、妄想!

なので、編制表と実際の編制が・・・・というより、坂井さんが日付を勘違いしているか、そもそもこのエピソードのウブな列機が、遠藤兵曹ではないのでは、ってことではないでしょうか。

ところで、坂井さんは、
「今日が俺との初出撃だから」
プレゼントをやろう、と敵機撃墜のお膳立てをしてやったわけですが、記録上では坂井さんと遠藤兵曹の”初出撃”は、遠藤兵曹が台南空に来て初めて任務をこなした翌日の3月3日、「チエラチヤツプ」攻撃の、

笹井醇一中尉
石原進2飛曹
本吉義雄1飛

坂井三郎1飛曹
太田敏夫2飛曹
遠藤桝秋3飛曹

これです。この日のことと、勘違いしているのでは、とも思ったのですが、この日、空戦での敵機撃墜はありません。

ちなみに、遠藤兵曹の単独での初撃墜は4月30日にラエ基地上空哨戒中に落としたP39、1機、コレじゃないかと思うのですが。
この日は坂井さんも羽藤兵曹も上がっていません。

というわけで、坂井さんの手記の”遠藤桝秋3飛曹、初めて敵機を落とすの巻”、ちょっと「?」じゃないのかな???