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搭乗員の私服2009年02月26日 08時23分37秒

予科練であろうと、兵学校であろうと、入ったその日にそれまで着ていたものは実家に送り返し、軍から支給されたものに着替えるのだそうです。

士官はわかりませんが、兵や下士官であれば、そこから先はずっと官給品を着ることになるのでしょう。

ママは搭乗員の写真を見るのが大好きですが、私服姿の写真ってあまり見たことがありません。飛行服、一種軍装、防暑服・・・・ときには褌姿だったりしても、私服って見ないですねえ・・・・。基本的に「ない」ってことなのでしょうか。

たま~に例外もあるわけで。

西澤さんのことを書いた『最強撃墜王』という本の中に、田舎の同級生と一緒に写っている浴衣姿の写真が掲載されています。
本文と合わせて読むと、17年の11月に台南空がラバウルから帰ってきた後、次の251空・豊橋基地に着任するまでの休暇中のような書きぶりですが、写真の西澤さんはあまり似合っていない長髪(すいません(^_^;)ヒゲとか髪型とか、西澤さんのファッションに文句ばかりつけているようで・・・・)。
ママ的には、これは飛曹長になってからの写真と違うんかなあ・・・・と思っています。

西澤さんの「浴衣姿」の感想ですが、まあ、飛行服の方が素敵、ってな感じで。
ひょろひょろしているので、あまり浴衣が似合う体型ではないのかも。

菅野大尉も『最後の撃墜王』に着物姿とスーツ姿の写真が出ています。
菅野さんの方は、西澤さんよりは似合っているような・・・・(ママの私見ですので)。
この人、童顔なのかねえ? スーツを着ていても大人に見えないんですが。

結局、ママは搭乗員の場合、飛行服が一番かっこよく見える、というところに落ち着くようです。

ところで、海軍時代はほとんどファッションに縁がなかったであろう搭乗員さんですが、先日、お食事会に行ったOさん、とってもおしゃれでした。

たぶん、ご自身で選んで着て来られたのだと思うのですが、白い丸首のセーターにスカーフを巻いておられました。濃い青とか紫の色が入ったキレイな色のスカーフ。
すっごい似合っていました。

ジャケットの襟に小さなバッジがついていました。何かなあ????と思ってじっと見たら、だんだん零戦に見えてきました。真正面から見た零戦のシルエット。パッと見には何か細いものがキラキラ光っているなあ、ぐらいにしかわからなかったのですが、じっと見つめていたらだんだん零戦に見えてきた・・・・。あの角度は零戦の翼に違いない。
(本当は何かわかりませんよ。わたしの場所からはそう見えた、って話です)

帽子も、新年会の時は海軍の艦内帽(?)だったような気がするのですが、お食事会の時はおしゃれなハットを。

「海軍さんって、おじいちゃんになっても素敵だ~(^。^)」
と、ほれぼれしてしまいました。

(「海軍」関係なしに、個人のセンスの問題かも知れません)

掩体壕2009年02月26日 22時22分58秒

松山空港近くの掩体壕
ずいぶん前に、ここに、「紫電改のタカ」について書いたことがありますが、そのとき、画像に松山空港近くに残る掩体壕の写真を使ったと思います。↑これとは別カットです。


ママは勝手に、
「343空が紫電改を隠していたに違いない!!」
と思い込み、
「もしかしてホリブンの飛行機を隠したのかも!?」
とか、
「脱柵して兵舎に戻れなくなった搭乗員が一夜を明かしたことがあったりしてっ!?」
とか、勝手に妄想して楽しんでいたのですが、先日、Kさんにこの掩体壕のことをうかがったところ、
「掩体壕があるらしいなあ。わし、知らんのや」
との衝撃発言が!!

搭乗員の方、あの掩体壕の存在を当時ご存じなかったそうですよ。
存在していなかったのか、存在していたのにご存じなかったのか・・・・。

自分たちが鹿児島に移動してからできたんかなあ・・・・みたいな?

ええっ!!! そうだったんですか!!

ママはこの掩体壕の前で思い切り343空のことを偲んできましたが!!